聖書の「無誤性」論争をゆる〜く考える
年明けに「『聖書信仰』を考える(前編)」および「同(後編)」の2つの記事で、「聖書信仰」をめぐる論争について少しだけ考えてみました。その後も何となく考え続けておりまして、ここではその考えたことをゆる〜く書き残しておきたいと思います……が、所詮人間の考えでありまして、これからも変化し続けていく……かも、しれません。
いつもよりもさらに雑然とした記事になっているかと思いますが、肩の力を抜いてお付き合いいただければ幸いです(笑)。
トピック
- 「無誤性」とは?
- 認識論から考える──基礎づけ主義だからダメなのか?
- 歴史から考える──「無誤性」は新しい教理なのか?
- おわりに──やっぱり聖書に着地した
- おまけ:参考文献紹介
- 認識論とか哲学的な諸々のテーマについて
- 福音主義とその聖書信仰的な諸々のテーマについて
ヨハネの手紙第一 覚書き(10)1章8–10節
「聖書信仰」を考える(後編)
本記事は、以下の「『聖書信仰』を考える(前編)」の続きとなっています。
「前編」では最近いのちのことば社から出版された『聖書信仰と諸問題』を取り上げました。この「後編」では、私自身が最近「聖書信仰」について考えた3つのことを書き並べておきたいと思います。その「考えたこと」とは、第一に「土台としての聖書論」、第二に「聖書論と理論体系に関する問題」、そして「『聖書信仰』をめぐる議論について」であります。
先の記事に比べて内容が雑多になってしまい、また各項目についても大した結論が出せておりませんが、あくまで「雑感」ということでよろしくお願い致します。拙いながらも、読者の皆様が「聖書信仰」を考えていくきっかけ、問題提起としてお役に立てれば幸いです。
トピック
- 3.「聖書信仰」に関する雑感(その1):土台としての聖書論
- 4.「聖書信仰」に関する雑感(その2):聖書論と理論体系に関する問題
- 5.「聖書信仰」に関する雑感(その3):「聖書信仰」をめぐる議論について
「聖書信仰」を考える(前編)
あけましておめでとうございます。10月以来の投稿となってしまいました。ヨハネの手紙第一の釈義は着々と進めてますし、イスラエル論や携挙論なんかも少しずつ勉強を進めているのですが、何かとバタバタしておりまして、投稿できずにおりました。手軽なものも交えながら、なるべくコンスタントな投稿を心がけたいところではあるのですが……
この久々の記事かつ新年の初投稿記事では、最近出版された聖書神学舎教師会編『聖書信仰と諸問題』(いのちのことば社、2017年)のレビューも含めて、「聖書信仰」について最近考えたことを分かち合わせていただきたいと思います。
トピック
- 1.はじめに
- 聖書信仰
- 聖書の無謬性(infallibility)と無誤性(inerrancy)
- 保守的聖書信仰
- 2.『聖書信仰とその諸問題』についての簡易な書評