balienのブログ

キリスト教(神学)に関する雑感・情報などをメインにまとめていきたいと思います。

ヨハネの手紙第一 覚書き(11)2章1–2節

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。(↓前回)

balien.hatenablog.com

トピック

  • §1 キリストのメッセージの本質(続き)
    • 5.罪に対する正しい認識(2:1–2)
      • 2章1節
      • 2節
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遠藤周作の『沈黙』について:ある遠藤マニアのクリスチャンからの視点

2017年1月26日追記:「補足:『沈黙』以降の遠藤の思想」について、実際の遠藤の著作をふまえて一部文言を修正しました。それに伴い、参考文献からの引用を含む脚注を追加しました。

 カトリック作家である故・遠藤周作氏の代表作『沈黙』を原作にした、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙─サイレンス─』が公開されますね。スコセッシ監督が『沈黙』を映画化したいというのはかなり前から話があったはずで(確か遠藤周作自身もスコセッシ監督と映画化について話してたはず)、彼にとっては長年の希望が叶ったというところなのでしょう。で、この公開に伴って、ネット界隈でもクリスチャンたちによる『沈黙』をどう捉えるべきか? といった議論が活発にされているようです。
 遠藤周作マニアとしては、遠藤文学がまた取り上げられることに嬉しさもありつつ、いちいちその議論を見ながら「いや、そうじゃねえよ!」と思ってしまうような、オタク特有のジレンマを抱えたりもしています(笑)。遠藤周作との出会いというのは私がクリスチャンとして今まで歩んで来た中でかなり大きな経験でしたので、これを機に、彼との出会いとかを書いておきたいな〜と思います。
 それと、『沈黙』に書かれていることから迫害や殉教に関する議論がかなり見受けられましたので、まず『沈黙』がどういう背景で書かれた小説なのかをまとめておきましょう。その次に、そういった議論についての個人的な感想も書いておきたいのです。
 また雑然とした記事になってしまうとは思いますが、よろしくお願いしますm(._.)m ……今書き終えてみたのですが、最後の方はまさにチラ裏レベルの「雑感」になっちゃいました。ただ、「『沈黙』という作品について」というコーナーは、遠藤文学にあまり触れたことがない、『沈黙─サイレンス─』をきっかけに興味をもたれた方には有益な部分になっているかな〜と思います。「遠藤周作入門」として、ぜひお付き合いください。

 ……ちなみに、小説としては『海と毒薬』や『侍』の方が好きですね〜。特に『侍』は文学としても、『沈黙』より優れていると思います。『沈黙』を読まれた方は、ぜひ次は『侍』を手に取ってみてください!

トピック

  • 遠藤周作との出会い
  • 『沈黙』という作品について
    • 『沈黙』は「神の沈黙」を扱っているのか?
    • 遠藤の信仰:母なるもの、そして人生の同伴者としての神
    • 補足:『沈黙』以降の遠藤の思想
  • 『沈黙』からの「クリスチャンにとっての迫害/殉教」を巡る議論について
  • 蛇足:人が救われたか否かを巡る議論について
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聖書の「無誤性」論争をゆる〜く考える

 年明けに「『聖書信仰』を考える(前編)」および「同(後編)」の2つの記事で、「聖書信仰」をめぐる論争について少しだけ考えてみました。その後も何となく考え続けておりまして、ここではその考えたことをゆる〜く書き残しておきたいと思います……が、所詮人間の考えでありまして、これからも変化し続けていく……かも、しれません。
 いつもよりもさらに雑然とした記事になっているかと思いますが、肩の力を抜いてお付き合いいただければ幸いです(笑)。

トピック

  • 「無誤性」とは?
  • 認識論から考える──基礎づけ主義だからダメなのか?
  • 歴史から考える──「無誤性」は新しい教理なのか?
  • おわりに──やっぱり聖書に着地した
  • おまけ:参考文献紹介
    • 認識論とか哲学的な諸々のテーマについて
    • 福音主義とその聖書信仰的な諸々のテーマについて
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ヨハネの手紙第一 覚書き(10)1章8–10節

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。(↓前回)

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トピック

  • §1 キリストのメッセージの本質(続き)
    • 3.罪の性質の否認は偽りである(1:8–9)
      • 8節
      • 9節
    • 4.罪を犯したことがないという偽りの主張(1:10)
      • 10節
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「聖書信仰」を考える(後編)

 本記事は、以下の「『聖書信仰』を考える(前編)」の続きとなっています。

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 「前編」では最近いのちのことば社から出版された『聖書信仰と諸問題』を取り上げました。この「後編」では、私自身が最近「聖書信仰」について考えた3つのことを書き並べておきたいと思います。その「考えたこと」とは、第一に「土台としての聖書論」、第二に「聖書論と理論体系に関する問題」、そして「『聖書信仰』をめぐる議論について」であります。
 先の記事に比べて内容が雑多になってしまい、また各項目についても大した結論が出せておりませんが、あくまで「雑感」ということでよろしくお願い致します。拙いながらも、読者の皆様が「聖書信仰」を考えていくきっかけ、問題提起としてお役に立てれば幸いです。

トピック

  • 3.「聖書信仰」に関する雑感(その1):土台としての聖書論
  • 4.「聖書信仰」に関する雑感(その2):聖書論と理論体系に関する問題
  • 5.「聖書信仰」に関する雑感(その3):「聖書信仰」をめぐる議論について
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