軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

私の読書(2)ドストエフスキー『悪霊』

ドストエフスキー『悪霊』上下巻、江川卓訳(新潮文庫、2004年改版)

前回、文学の勉強から学ぼうとしていることは、組織神学の「人間論」や「罪論」と関係しているのだと書いた。明治から昭和にかけての幾つかの文芸作品は、著者が信者ではないにしてもキリスト教とぶつかり、苦悩しながら生み出したということから、これらのテーマと関係してくる。また、20世紀のカトリック文学の内高い評価を得ているものも、基本的にはこれらのテーマが掘り下げられていると言うことができるだろう。

しかし、文学におけるキリスト教人間論・罪論というと、絶対に避けて通ることができないのは、この19世紀ロシアの大天才ドストエフスキーであり、中でも『悪霊』という小説である。

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私の読書(1)ミラード・エリクソン『キリスト教神学』

正直言って、最近はブログ記事の「ネタ」がない。いや、勉強しているテーマは色々とあるが、まだ記事を書けるほど呑み込むことができていない。しかし、折角はてなブログのアカウントまで作ったのだから、このままではもったいない。では、日記につけている読書の記録を少し整えて、手軽に記事にしてしまおう、と思いついた。

この読書記録は、書評のようなかしこまったものではない。当然感想などは書くが、同時に、その本との出会い、その本に影響された結果など、そういったことを中心に、気軽に書いていきたい。でないと、それなりに続けられる自信がないのである。あとは、正直に言ってしまえば、恥ずかしながら、しっかりした書評を書くことができるほど読み込んでいる本はそう多くないからだ……。

ミラード・J・エリクソンキリスト教神学』宇田進監修(いのちのことば社

  • 第1巻・第2巻合本:安黒務訳(2010年)
  • 第3巻:伊藤淑美訳(2005年)
  • 第4巻:森谷正志訳(2006年)
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「誕生日の夜の回想」

はじめに

19歳になろうとしていた頃、加藤宗哉と富岡幸一郎の編集による『遠藤周作文学論集 文学篇/宗教篇』(講談社、2009年)を手に入れた。とりわけ『文学篇』の中にあった「誕生日の夜の回想」というエッセイは、私の心を掴んで離さなかった。それ以来、自分の誕生日が近づくとこのエッセイを開くのが恒例となっている。ほとんどの場合、その日が近づくとこのエッセイを繰り返し読み、心に浮かんだ考えについて日記を残し、その都度関連する書籍を読み漁る。そして、誕生日当日にもう一度このエッセイを読み、その時点までの思いをまとめて書き残すのである。

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今、ヨハネの手紙第二を学ぶ意義

たまに「ブログのタイトル安直すぎない?」などと言われることがあり、そうなんだよな〜と思いつつ怠けていたのですが、思い切って変えてみました。また安直なタイトルだし意味不明な感もなくはないですが、「ブログのタイトルってそんなに覚えてもらえない」なんてことも言われておりますし、自分の好きな単語を並べてみた次第です。

さて、最近、来月からヨハネの手紙第二の学び会に突入していくに当たって、「今、ヨハネの手紙第二を学ぶ意義ってなんだろう」なんてことを考えておりました。その考えていた内容を、手紙の背景なんかもふまえて、ここに少しくしたためたいと思います。

トピック

  • 手紙の背景
  • 手紙を学ぶことの重要性
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福音派による文学論への待望

今年の1月、マーティン・スコセッシ監督による映画化作品の公開もあり、遠藤周作の『沈黙』が再び脚光を浴びました。私たちのようないわゆる「福音派」に属するクリスチャンの間でも、SNSで、ブログで、あるいは説教の中で、『沈黙』に対する様々なレスポンスが提示されてきました。

その時もそうだったのですが、福音派のクリスチャンの間で遠藤周作が話題に上るとき、ほとんどの議論は「遠藤的キリスト教観の是非」や「日本の風土と伝道」といった話題に帰結してしまいます。福音派の中で遠藤が論じられるときに常に見過ごされているのは、彼がまさに人生をかけて取り組んできた、「キリスト教と文学」というテーマなのです。

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