軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

宇宙神殿説と霊的終末論(4/4)

(画像出典:Hubble Space Telescope Images | NASA) Paul Martin Henebury氏のブログから、以下の記事を拙訳によりご紹介します。 The Cosmic Temple and Spiritualized Eschatology (Pt.4) | DR. RELUCTANT 第3回目はこちら↓ 宇宙神殿説と霊的終末論(3/4…

宇宙神殿説と霊的終末論(3/4)

(画像出典:Hubble Space Telescope Images | NASA) Paul Martin Henebury氏のブログから、以下の記事を拙訳によりご紹介します。 The Cosmic Temple and Spiritualized Eschatology (Pt. 3) | DR. RELUCTANT 第2回目はこちら↓ 宇宙神殿説と霊的終末論(2/…

宇宙神殿説と霊的終末論(2/4)

(画像出典:Hubble Space Telescope Images | NASA) Paul Martin Henebury氏のブログから、以下の記事を拙訳によりご紹介します。 The Cosmic Temple and Spiritualized Eschatology (Pt.2) | DR. RELUCTANT 第1回目はこちらから↓ 宇宙神殿説と霊的終末論…

宇宙神殿説と霊的終末論(1/4)

(画像出典:Hubble Space Telescope Images | NASA) Paul Martin Henebury氏のブログ「DR. RELUCTANT」より以下の記事を、氏ご自身の許可のもと、拙訳にてご紹介したいと思います。 The Cosmic Temple and Spiritualized Eschatology (Pt.1) | DR. RELUCTA…

最近読んだ「ヨハネの黙示録」関連本の感想とか

本ブログでは終末論についても度々取り上げているのでお察しいただけるかと思うが、聖書の中でも「ヨハネの黙示録」は前から関心を寄せている書のひとつである。持っている文献の中でも、黙示録に関係している文献の占める割合はかなり多い。 今回は最近読ん…

「恥の文化」からの聖書神学、ついでに遠藤周作と内村鑑三について。

去年から遠藤文学の流れで記事を書こうと思っていたのだけれど、中々まとめられなかったテーマがいくつかある。そういうテーマのひとつに関連して考えさせられたことがあって、まとまってはいないのだけれど今思っていることを忘れたくないのもあって、思い…

帰ってきたディスペンセーション主義Q&A

Q14:どの教派がディスペンセーション主義なのか Q15:メシアニック・ジューとディスペンセーション主義 Q16:ディスペンセーション主義かそうでないかの区別について Q17:ディスペンセーション主義に関する日本語文献 ディスペンセーション主義そのも…

再び「聖書信仰」論争について

トピック 2年前を振り返って 藤本氏の「応答」記事を読んで 金井氏によるさらなる応答 「応答」を読んだ上での不安

非置換神学者による注解書リスト〔随時更新予定〕

突然ですが、聖書研究の上で注解書は役に立ちますよね。私の場合は原語知識が乏しいので、New American CommentaryとExpositor's Bible Commentary(Longman and Garlandの改訂版)を中心にして、他のもっと詳しい注解書ともっと読みやすい(適用中心の)注…

私の読書(11)遠藤周作『走馬燈』─沼地に流れた血を追って

遠藤周作に『走馬燈─その人たちの人生─』というエッセイ集がある。裏表紙には次のような紹介文が添えられている。 日本人として初めてエルサレムを訪れたペドロ岐部、贋の大使として渡欧し、ローマ法王に謁見した支倉常長、そして多くの名もない殉教者たち──…

『沈黙』再考──遠藤文学の「頂点」かつ「再出発点」

スコセッシ版『沈黙─サイレンス─』を受けて 『沈黙』執筆時の遠藤周作 「頂点」としての『沈黙』─「再出発点」としての『沈黙』 日本宣教から見た『沈黙』の問題に関する遠藤の思想 1.遠藤本人と「日本沼地論」 2.ロドリゴの棄教について 3.遠藤の「弱…

まだまだ ディスペンセーション主義Q&A

Q11:ディスペンセーション主義と契約神学 Q12:ディスペンセーション主義とシオニズム Q13:ディスペンセーション主義と聖霊の賜物 おわりに

続々・ディスペンセーション主義Q&A

Q7:ディスペンセーション主義は異端? Q8:ディスペンセーション主義と「行いによる救い」 Q9:ディスペンセーション主義と千年王国 補足:ディスペンセーション主義と千年期前再臨説 Q10:ディスペンセーション主義と携挙

カトリック者・遠藤周作─書評 兼子盾夫『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道』

はじめに 兼子氏の『深い河』論 兼子氏の『死海のほとり』論 無力なイエスとその復活 遠藤的〈母なるイエス〉像を巡る問題 荒野の宗教から愛の宗教へのシフト 理解されなかった遠藤文学 おわりに この2018年10月に出版された兼子盾夫『遠藤周作による象徴と…

続・ディスペンセーション主義Q&A

Q4:ディスペンセーション主義の種類について (1)古典的ディスペンセーション主義 (2)修正(改訂)ディスペンセーション主義 (3)漸進的ディスペンセーション主義 Q5:ディスペンセーション主義者同士の論争について Q6:私の立場について 前…

簡略版「ディスペンセーション主義とは何か?」

Q1:ディスペンセーションって何? Q2:ディスペンセーション主義って何? 補足 Q3:ディスペンセーション主義って名前の意味は? 先日、3年前の「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを振り返り、あのシリーズを改訂する必要性を感じたとい…

私が遠藤周作を読む理由……

先日、ある方とお話しているなかで「どうして今も遠藤周作が好きなんですか」という質問をいただいた。代表作「沈黙」の映画化に伴って、クリスチャン界隈でその内容が再び問題視されたことは記憶に新しい。遠藤周作のキリスト教は聖書的キリスト教ではない…

「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを振り返って

「ディスペンセーション主義とは何か」を振り返って あれから3年 シリーズの内容を振り返って 視野の狭さ ディスペンセーション主義の定義 ディスペンセーション主義の歴史 漸進的ディスペンセーション主義について ああ書き直したい… あれから3年 このブロ…

日本聖書学院特別神学セミナー「教会と神学」に参加して

はじめに ブルース・ウェア博士について セミナーのテーマについて 三位一体の神と私たち 新しい契約と私たち 最後に はじめに 9月23日(日)・24日(月)の連休中、日本聖書学院主催の特別神学セミナー「教会と神学」に参加するため宮城県は利府町まで足を…

ああ神の智慧と知識との富は……

今朝、感動したことがあったのでそのご紹介です。 約1年前のこと、クリスチャン界隈であるブログ記事がとても注目されました。 www.radflumpool.com

「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:おわりに)

これまでのまとめ これまで、4つの記事に分けて「クリスチャンによるユダヤ人伝道は、反ユダヤ主義の一形態なのか?」ということを再考してきました。今回は「おわりに」として、少しばかり感想を書かせていただきました。

私の読書(10)遠藤周作「札の辻」

遠藤周作に「札の辻」という短編があります。初出は『新潮』1963年11月号で、1965年の短編集『哀歌』にも収録されています。『哀歌』というと、著者の入院生活の影響を受けた作品やキリシタン物が中心的に収録されており、それぞれが代表作『沈黙』への道備…

ジャンル別記事一覧(随時更新)

☆投稿記事をジャンル別に整理した目次です。お好きなジャンルから、お好きな記事へどうぞ!(本ブログの紹介も兼ねています)

「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その4)

今回のトピック はじめに 5.メシアニック・ジューという存在について 6.教会の反ユダヤ主義とユダヤ人伝道の関係性 はじめに あるSNS上での「クリスチャンによるユダヤ人伝道は、反ユダヤ主義の一形態である」という発言を受けて、ユダヤ人伝道の必要性…

「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その3)

今回のトピック はじめに 4.「神の民」について はじめに あるSNS上での「クリスチャンによるユダヤ人伝道は、反ユダヤ主義の一形態である」という発言を受けて、ユダヤ人伝道の必要性について再考し始めました。その理由は、第一に、私自身がいつか「ユダ…

「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その2)

今回のトピック はじめに 2.全ての人に対する信仰の必要性 3.ユダヤ人と信仰の関係 はじめに あるSNS上での「クリスチャンによるユダヤ人伝道は、反ユダヤ主義の一形態である」という発言を受けて、ユダヤ人伝道の必要性について再考し始めました。その…

「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その1)

トピック はじめに ユダヤ人伝道は反ユダヤ主義の一形態? 議論を始める前に 1.用語の定義 (1)ユダヤ人 (2)教会 (3)クリスチャン (4)用語の定義に基づく考察 はじめに ユダヤ人伝道は反ユダヤ主義の一形態? 最近、SNSで「クリスチャンがユダ…

私の読書(9)土木技師として歩んだ、あるクリスチャンの話

高崎哲郎『〈評伝〉技師 青山士 その精神の軌跡──万象ニ天意ヲ覚ル者ハ……』(鹿島出版会、2008年) これまで読んだ本を取り上げて、その本にまつわる思い出を書き連ねていくこのシリーズ。2ヶ月以上ぶりの更新で取り上げたいのは、クリスチャンの土木技師と…

「字義通りの解釈」についてのあれこれ(後編)

前回の記事↓の続きになります。 balien.hatenablog.com 前回は、「字義通りの解釈」は何を意味するコンセプトなのか?ということと、「字義通りの解釈」vs「比ゆ的/霊的解釈」という対立構造の問題について申し上げました。今回の「後編」では、この問題に…

「字義通りの解釈」についてのあれこれ(前編)

これまで本ブログでは、何度か「字義的解釈」あるいは「字義通りの解釈」という言葉を使ってきました。基本的には、英語圏での聖書解釈論に関する議論で使われるliteral interpretationといった言葉の訳語として使いました。いわば、ある解釈法則に貼られた…