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神学と文学を追いかけて

福音派における普遍的問題として〈ユダヤ人伝道〉を考える:『エルサレムの平和のために祈れ』中川健一著

※本記事は以下のnote記事からの転載です。

福音派における普遍的問題として〈ユダヤ人伝道〉を考える:『エルサレムの平和のために祈れ』中川健一著|balien|note

中川健一『エルサレムの平和のために祈れ─続ユダヤ入門─』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部、1993年)

 本書では、反ユダヤ主義の歴史に対するキリスト教神学の側からの考察と、ユダヤ人伝道についての考察がまとめられている。同著者『ユダヤ入門─その虚像と実像─』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部、1992年)の続編として位置づけられているが、本書は単独で読んでもなんら問題はない。

 以前『福音派におけるイスラエル理解(3)参考文献紹介』と題したノートで紹介したアーノルド・フルクテンバウムによる『ヘブル的キリスト教入門』(佐野剛史訳、ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2014年)と同様に、本書はまずユダヤ人とキリスト教会との歴史的関係を観察し、キリスト教が本来持っているユダヤ的要素をその歴史および聖書の記述から追求している。その上で福音派におけるユダヤ人伝道へとテーマを移し、その活動に関する実情と問題点とが論じられている。

 本書におけるイスラエル論は、あくまで「字義的解釈(歴史的文法的解釈)」という福音主義の解釈法に則った聖書解釈により導出されるものとして展開されている(pp. 85-91)。しかし、著者が用いている〈歴史的文法的解釈を聖書全体に一貫して適用する〉という解釈手法はまさにディスペンセーション主義的なものである。したがってその内容もまた、多くのディスペンセーション主義神学者が提示してきたイスラエル論と合致している。また、著者である中川健一牧師は2015年現在、ディスペンセーション主義を採用している。したがって、本書がディスペンセーション主義イスラエル論を理解する上で有用な文献であると紹介しても問題はないだろう。

 特に本書の意義は、福音派ユダヤ人伝道に関して簡潔にまとめられた日本語文献である、という点にあると思う。前述の通り、著者は数章を割いてキリスト教が本来持っているユダヤ的要素を追求している。キリスト教におけるユダヤ的要素は「イエスはユダヤ人である」ということだけではない。福音そのものが持っている背景、また福音が広がっていった初代教会の活動の背景もまた、ユダヤ的要素を多分に含んだものである。しかしいつしかキリスト教はその中にあるユダヤ的要素を(作為的に)排除し、反ユダヤ主義に走ってきた。過去のユダヤ人伝道についても、実情は「ユダヤ人のキリスト教化」であり、適切な伝道ではなかったのではないだろうか。そうした議論をふまえて、著者は「ユダヤ人をキリスト教化しようとした過去の過ちへの反省がある」として、以下のカイ・ハンセン博士によるユダヤ人伝道の定義を紹介している。

ユダヤ人伝道とは、私たちがユダヤ人から受けた最高のものを、ユダヤ人にお返しすることである。」
 この定義には、筆者の心を十分に満足させるものがあった。ここには、ユダヤ人をキリスト教化しようとした過去の過ちへの反省がある。ここには、ユダヤ人への愛と感謝が表現されている。ここには、神から異邦人教会に与えられた責務の認識がある。筆者の心は燃やされた。
(本書 pp. 76-77)

この定義を紹介することによって著者は、ユダヤ人伝道はある特定の召命を受けた人々だけの問題ではなく、キリスト教における普遍的な問題のひとつであると論じているのである。
 出版が1993年であるため、データとしては多少古びてしまっている部分はある。しかし、筆者の視点を通して福音派ユダヤ人伝道の観察し、その背後ではどのような神学的な動きがあるのか、またどのようなイスラエル論が展開されているのかを見ることができる。

 本書では福音派ユダヤ人伝道に関する神学的争点として大きく「置換神学」と「二契約神学」が取り上げられている。「置換神学」に対する反論は、現在では日本語でもある程度まとまった情報が得られるようになっている(先の『ヘブル的キリスト教入門』など)。しかし、後者の「二契約神学」の思想とその立場への反論が端的にまとめられている文献は未だに少なく、そういった意味では本書は貴重な情報源のひとつである。

 福音派イスラエル論をめぐる大きな神学的問題のひとつは終末論であるが、本書では第六章の最後で触れられているだけであり、イスラエル論と終末論に関する神学的問題が詳細に論じられているわけではない。しかし、敢えてそうすることで、著者は〈キリスト教における正しいイスラエル理解〉や〈ユダヤ人伝道〉を神学的立場を超えた福音派の抱える普遍的問題として提示しようと試みている。そのスタンスは本書中で一貫されており、著者はディスペンセーション主義という神学的背景を持っていながらそれを前面に押し出すことなく、読者に客観的で聖書に基づいた議論を促している。こういった姿勢からも、本書は総合的な〈福音派イスラエル理解〉を知る上で読んでおくべき文献のリストに相応しい一冊となっている。