軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

終末論についての覚書(3)千年期に関する諸見解 – 2(千年期後再臨説)

※本記事は以下のnote記事からの転載です。

終末論についての覚書(3) 千年期に関する諸見解 – 2(千年期後再臨説)|balien|note

トピック

千年期後再臨説

 千年期後再臨説(Postmillennialism:他の訳語として後千年王国説,千年王国後再臨説など)とは,「キリストの再臨は義と平和の千年期の後に起こると教える」,つまり義と平和の千年期(黄金期)が地上に実現した後,キリストが再臨されると考える立場です。一部の契約神学者はこの立場を取っています(Fruchtenbaum 1992:5)。千年期後再臨説は基本的には以下のような考えに基づいています(cf. Gentry 1999: locations 64-8)。

千年期後再臨説は,福音の宣教は成功するので世界は回心するという信念に基づいている。それによると,キリストの支配は,それは人間の心における支配であるが,完成し,すべての人に及ぶ。「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように」という祈願が実現する。平和が広まり,悪は事実上なくなる。そして,福音が十分な効き目を及ぼしたとき,キリストが戻ってくる。(エリクソン 2006:417)

千年期後再臨説の歴史的展開

 千年期後再臨説のような千年期観の歴史的ルーツは種々考えられますが,ひとつには,紀元4世紀,コンスタンティヌス大帝のもとでキリスト教ローマ帝国の国教化したことが挙げられるでしょう。そのような歴史的状況のもとで,『教会史』で有名なカイザリヤの教父エウセビオスは,コンスタンティヌス治下のローマ帝国によって神の計画が成就したかのように考えていたようです(ゴンサレス 2002:150)。このような歴史解釈は,「初期の教会が宣教していた『神の国が来る』という中心的主題を脇に押しのけてしまうことと」なりました。
 次に,ヒッポの教父アウグスティヌスの影響を無視することはできません。彼はその著作『神の国』において,「神の国は神の愛によって建てられ」るものであり,キリストの到来以降福音宣教は進展し続け,世の終わりには「自己愛によって建てられ」た世の諸王国は衰退し,「神の国だけが堅く建っているだろう」という論理を展開しました(ゴンサレス 2002:230-31)。
 Kenneth L. Gentry Jr.によれば,17–19世紀の英国・米国における宗教改革者や清教徒により,千年期後再臨説は最も発展を遂げました(Gentry 1999: locations 99-124)。彼は,この時期の清教徒が抱いていた考えとして,聖霊の働きによって純化された教会と神の律法に基づいた公正な国家が起こるという希望を挙げています。また,清教徒の多くは,教会と公正な国家によって地上に実現する千年期はユダヤ人の民族的救いと共に始まること,千年期は文字通りの千年間であること,そしてこの間にユダヤ人の約束の地への帰還が起こることを信じていました(Gentry 1999: locations 120-24)。
 しかし,現在のほとんどの千年期後再臨主義者の間では,預言の成就としてのユダヤ人の帰還は信じられていません(Gentry 1999: locations 125-27)。また,アウグスティヌスの考えと同様,この立場では一般的に千年期を文字通りの千年とは考えません。キリストの支配が徐々に広まっていく,つまり「御国が徐々にやって来る」という考えに基づけば(エリクソン 2006:419),千年期とは非常に長引いた期間を表す象徴的な呼び方であるといえます。
 このような,福音宣教が進み,「平和が広ま」っていくという歴史観から,千年期後再臨説は「教会が世界を勝ち取るという任務に成功しているように見えた時期,……最も人気を博して」いました(エリクソン 2006:418)。

特に,19世紀後半に人気が高かった。この時期は,社会的状況に関心が集まり,その状況に進歩が見られただけでなく,世界宣教が非常に効果を示していた。したがって,まもなく世界中にキリストの福音が宣べ伝えられると考えてもおかしくなかった。(エリクソン 2006:418)

したがって,エリクソンはこの立場を「基本的に,……楽観主義的見解と言える」と評価しています(エリクソン 2006:417)。
 20世紀初頭,第一次・第二次大戦によって短期間の内に世界が悲惨な状況に追い込まれた後では,この立場の影響力は衰退していきました(リンゼル=ウッドブリッジ 1992:171)。

千年期後再臨説に確信をいだいている者たちは,20世紀の悲惨な状況を御国の成長の一時的な変動にすぎないと見なす。彼らは,我々は考えていたほど再臨の近くにいないのだ,と言う。しかし多くの神学者や牧師や一般信徒にとって,この議論に説得力はあまりない。(エリクソン 2006:420)

 それでもなお,千年期後再臨説は現在では改革派や,特にR・J・ラッシュドゥーニーに代表されるキリスト教再建主義(Christian Reconstructionism)の間で支持されています。この立場の人々はtheonomy(神の支配,神律)という概念に基づき,モーセの律法は未だに人間が守るべき規律であり(マタ5:17–19参照),それに基づいて行政を行っていくことが人間の責務であると主張します(Showers 1990:152-53)。彼らの間では,人間がその責務を果たしていくために,教会は大宣教命令(マタ28:18–20)に基づいて福音を世界に宣べ伝えることにより,世界を「再建」していくという中心的役割を担うものと考えられています。したがって,千年期後再臨説は再建主義の歴史観と高い親和性を発揮することとなります。

千年期後再臨説の聖書的根拠

 それでは,現在の主流的な千年期後再臨説である,キリスト教再建主義の神律的千年期後再臨説(theonomic postmillennialism)がどのような聖書的根拠に基づいて論じられているのかを観察していきます。
 まず,先述のように,この立場では「律法は決して廃棄されない」というマタ5:17–19のキリストの言葉に基づいて,モーセの律法は今なお有効であると考えられています。さらにその前置きである5:13–16は,キリストがご自分の民(教会)が「世界の光」となることを保証しておられるのだと解釈されます。すなわち,福音宣教も含め教会の「良い行い」によって,世界が神をあがめるようになるということです。
 マタ24:14は,まさにキリストの再臨の前に福音が全世界に宣べ伝えられていることを教えています。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて,すべての国民にあかしされ,それから,終わりの日が来ます。(マタ24:14,新改訳第三版)

このような全世界への宣教はマタ28:18–20において命じられていることであり,この大宣教命令には「見よ。わたしは,世の終わりまで,いつも,あなたがたとともにいます」とキリストご自身による成功の保証が与えられています(マタ28:20b)。このような教えから,神律的千年期後再臨説の立場では,キリストの再臨の時にはまさに世界が福音によって「再建」されていると考えるのです。このように終わりの時には全世界が神を知るようになるという概念は,旧約聖書においても支持されているものと考えられています(たとえば詩篇47篇,72篇,100篇;イザ45:22–25;ホセ2:23など)。
 現実における御国の性質は,マタイ13章の一連のたとえ話に啓示されていると考えられています。たとえば,そこには実らない種もありますが,実った種(福音を受け取った者)は,三十倍,六十倍,百倍といった実を結びます(13:3–9)。ただし,そこには毒麦という悪の要素も確かに存在しています(13:24–30)。また,御国はパン種によってパンが時間をかけて膨らんでいくように,止まっているように見えても拡大し続けています(13:33)。
 Gentryは,救済史的な観点から,千年期後再臨説が支持されるものと考えています(Gentry 1999: locations 219-319)。神のかたちとして創造され,「地を従えよ」という「契約」を与えられた人間にとって,統治を行っていくことはその性質の一部です。しかし,サタンの誘惑によって人間は堕落し,神の栄光のために世界を統治していくことができなくなってしまいました。そこで神は,人間の契約上の本来の役割を回復させ,世界を贖うため,「原福音」をお与えになりました。

わたしは,おまえ[サタン]と女との間に,また,おまえの子孫と女の子孫との間に,敵意を置く。彼は,おまえの頭を踏み砕き,おまえは,彼のかかとにかみつく。(創3:15,新改訳第三版)

この原福音において,サタンは「女の子孫」つまりキリストによって敗北します。事実,キリストは「悪魔のしわざを打ちこわすため」に来られ(1ヨハ3:8b),そのために十字架にかかったのです。Gentryは,「キリストの初臨において,[原福音という]契約に基づいてサタンが敗北させられた」という点を強調しています(Gentry 1999: locations 269-71)。
 この贖いの契約は,アブラハム契約(創12:1–3)という形へ発展しました。このアブラハム契約の内容は,パウロによれば,キリストによって全世界が祝福されるのだということです(ガラ3:8, 16)。また,アブラハム契約の歴史的なゴールは,その契約に与る者が「世界の相続人」になることです(ロマ4:14)。そしてアブラハム契約の祝福は(アブラハムの肉体的子孫に限らず)全世界に及ぶことが約束されていることから(創12:3),キリストによって贖われた者(教会)は「世界の相続人」として,本来的な形で世界を統治していくことが可能になるのだと想定することができます。
 しかし,教会は自らの人間的な力で世界の統治を実行していくのではなく,注がれた聖霊の力によってそれを実行していきます。それが啓示されているのが,エレ31:31–34に示された新しい契約です。エレ31:31では新しい契約は「イスラエルの家とユダの家」と締結されるものとされていますが,アブラハム契約の贖いの祝福が全世界に及ぶものであることから,新しい契約においても同様なことを期待することができます。事実,新しい契約はキリストの死によって,すべての神の民と締結されたのです(ルカ22:20;2コリ3:6;ヘブ9:15, 12:24参照)。
 したがって,聖書の救済史から見ても,キリストの贖いの業によって既にサタンは敗北しており,聖霊を受けた教会が本来的な形で統治を実行し,御国が拡大していくのは必然的であると見なされるのです。

千年期後再臨説への応答

 エリクソンはこの終末論的立場の聖書的妥当性を次のように評価しています。

 千年期後再臨説を強く否定する聖書的根拠もある。イエスご自身が戻ってくる前に悪がはびこり多くの人の信仰が冷えるというイエスの教えは,千年期後再臨説の楽観主義と鋭く対立するように思われる。また,キリストが肉体的臨在なしに地上で支配するという明確な描写が聖書にないことも,この立場のもう一つの大きな弱点のようである。(エリクソン 2006:428)

リンゼル=ウッドブリッジに関しては,エリクソンと同様な理由から,この立場について「聖書釈義の吟味に耐ええない」また「聖書の終末的見解と合致するとは思えない」と厳しく退けています(リンゼル=ウッドブリッジ 1992:171)。
 Berkhofは,千年期後再臨説には「いくつかの深刻な反対意見がある」としています(Berkhof 1958:718-19)。彼もまた,「世界はキリストによって徐々に勝利していき,福音によって全ての国々が変えられていき,……そうして主が来られる直前に教会が前例のない繁栄を経験する」といったこの立場の終末論が,「聖書に見られる終末時代の描写と調和しない」という反対意見について論じています(Berkhof 1958:718,強調は原著者による)。「千年期後再臨主義者は,当然,歴史の終わりに来る背教や大患難を無視することはできない」ものの,彼らは背教や大患難を最小化し,世界全体が福音化される上で障害となるほどのものではないと考えています。Berkhofによれば,このような「今の時代が大激変によって終わることはない」という概念は非聖書的ではないか,という反対意見があります(cf. Strimple 1999)。なぜなら,聖書は歴史の終わりに神が特別に介入し,サタンの地上の支配を終わらせ,不動の王国の王国を建てられると明確に教えているように思われるからです(マタ24:29–31, 35–44;ヘブ12:26, 27;2ペテ3:10–13参照)。
 他方で,「千年期後再臨説をとる者たちは,福音が究極的に勝利することを信じているので,挫折と見えるものも受け入れることができる」ということもまた事実です(エリクソン 2006:419)。これは,千年期後再臨説の肯定的な特徴であるといえるでしょう。

引用・参考文献

  1. Berkhof, Louis, Systematic Theology (Edinburgh: The Banner of Truth Trust, 1958)
  2. Fruchtenbaum, Arnold G., Israelology: The Missing Link in Systematic Theology, Revised ed. (Tustin, CA: Ariel Ministries, 1992)
  3. Gentry, Kenneth L., Jr., “Postmillennialism,” Tree Views on the Millennium and Beyond, Darrell L. Bock, ed., Kindle ed. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1999), locations 55-729.
  4. Showers, Renald E., There Really is a Difference: A Comparison of Covenant and Dispensational Theology (Bellmawr, NJ: Friends of Israel Gospel Ministry, 1990)
  5. Strimple, Robert B., “An Millennial Response to Kenneth L. Gentry Jr.,” Three Views on the Millennium and Beyond, Kindle ed., locations 730-939.
  6. エリクソン,ミラード・J『キリスト教神学』第4巻,森谷正志訳,宇田進監修(いのちのことば社,2006年)
  7. ゴンサレス,フスト『キリスト教史』上巻,石田学訳(新教出版社,2002年)
  8. ゴンサレス『キリスト教神学基本用語集』鈴木浩訳(教文館,2010年)
  9. リンゼル,ハロルド=チャールズ・ウッドブリッジ『聖書教理ハンドブック』山口昇訳(いのちのことば社,改訂新版,1992年)