軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

ヨハネの手紙第一 覚書き(1)手紙の著者について

 ヨハネの手紙第一の聖書研究の奉仕をさせていただけることになり、ここのところずっとその準備に取り組んでいます。仕事の合間を縫ってちょっとずつ進めているのですが、聖書のひとつの書にこれだけの時間を費やしてじっくり読み、学んでいくのはとても久しぶりです。
 中々「聖書における『イスラエル』の意味」の研究を進めることができていませんが、じっくり聖書のテキストと向き合っていく時間は中々貴重で、楽しく、とても恵まれています。
 奉仕の中ではとても自分で準備した情報を全て分かち合うことはできませんが、せっかくですので準備の際につくっているノートをブログの場を用いてシェアできたらと思います。
 まずは手紙本論に入る前に、何回かに分けて著者、執筆背景、手紙の構成などの事前情報をまとめていきます。

トピック

はじめに

A.著者

 ヨハネの手紙第一のテキストには、著者名、宛名、そして特定の人物や場所を示す名前など、通常「手紙」にありがちな特徴が見られない*1。これは新約聖書の手紙群の中で、ヘブル人への手紙とヨハネの手紙第一にのみ見られる特徴である。オリゲネスはこのことを「著者が神学的論文を著述しているのだとか、一般的、あるいは『公同的』な手紙を書いているのだ」と説明した*2。しかし、ストットによれば、このテキストの「匿名性はそのような理由によって説明されるべきではない」*3
 Westcottが言うように、このテキストには「最初から最後まで極度の親密さ」が見られる*4。それは、このテキストにおける著者から読者への「私の子どもたち」(2:1)、「愛する者たち」(2:7)といった呼びかけにも表されていると言えるだろう。
 したがって、このテキストはやはり「手紙」であり、「牧者がその群れ全体もしくはその一部の人々に向けて書いた、真の牧会書簡」である*5というストットやWestcottの結論*6は正しいものと考えられる。

1.内的証拠

 1:1には、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわちいのちのことばについて」とある。これを字義的に捉えれば、手紙の著者は自らを「いのちのことば」の目撃者であると宣言しているように思える*7
 この「初めからあったもの、……すなわちいのちのことば」に言及している手紙の序文には、第四福音書の序文との関連性が見られる。第四福音書における「ことば」と第一ヨハネにおける「いのちのことば」を同一のものとして解釈するならば*8、第四福音書の「ことば」はイエス・キリスト御自身を指していることから(ヨハ1:1, 14)*9、第一ヨハネの著者は自らを「イエス・キリストの目撃者」として証言しているということになる。しかし、第四福音書では「ことば logos」そのものが「神とともにあ」り、「神であ」る方すなわちイエス御自身とされているのに対し、第一ヨハネでは「ことば」よりも「いのち」に強調があるように思われる。1:2では、「このいのち」が「御父ともにあって、私たちに現された永遠のいのち」だと言われているからである。したがって、注解社の中には、第一ヨハネ1:1における「いのちのことば」は、「いのち」(=イエス)の「ことば」、すなわちイエスのメッセージ(福音のメッセージ)を指しているのだと解釈する者もいる*10
 「いのちのことば」に関する釈義は、1:1を扱う際により詳細に展開する。結論としては、この術語がイエス御自身を表すとしても、福音のメッセージを表すとしても、「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの」という4つの関係詞は、「いのち」であるイエスの歴史的顕現と、著者がそれを目撃/体験した者であるという証言を意味しているのである*11。したがって、この手紙の内的証拠は、著者がイエスを直接に知る人物であるということを示している。
 また、ストットは、ヨハネの手紙においては「著者の権威の自覚」が見られるとして、特に第一ヨハネについて次のように述べている。

著者の権威をもった口調が特に顕著なのは「私─あなたがた」という箇所であり、これは彼が読者と自分を結びつけて「私たち」と語っている箇所の謙虚さとは際立った対照をなしている。そこには何らのためらいも弁解がましさもなく、ある人々を「偽り者」「惑わす者」あるいは「反キリスト」と呼ぶことさえためらってはいない。彼はすべての人が、そのどれかに当てはまっていないかを自分で検証することができるようにしている。……著者のこの教理的権威は、特に彼の発言と戒めに見られる。そうした発言のいくつかは、例えばIヨハネ1・5、2・1–2、8、17、23、3・6、9、4・8、16、18、5・12にある。*12

 ストットが観察しているところによると、ヨハネの手紙の著者はイエスの教えなどを引用していると共に、彼自身の教えをもそれらと同等のものとして読者に命じている*13。その点において、この著者には使徒性が認められるというのである。さらに、この使徒性は第一ヨハネ1章における目撃者としての宣言と符合するものであるとストットは言う。

イエスが与えた約束と委任という点を考慮すれば、それはイエスの使徒という独自の立場と首尾一貫している。彼らはイエスが彼らに命じたことなら何でも守るように教えるべきであるとされていたが(マタイ28・20)、イエスは聖霊により彼らを通して引き続き教え、命じるであろうと言われた(ヨハネ14・26、16・12–13。使徒1・1参照)。使徒の独自性というのは、目撃者としての経験と共に、この権威の委任とメッセージを授けられているということであり、ヨハネはIヨハネ1章で、この二つのことを明言している。彼の「あかし」を有効ならしめるものは、彼がキリストを「見た」ということであり、ほかの人々への教えが権威を持っていると「主張する」資格の裏付けは、彼がキリストから「聞いた」ということにある。この二重の資格が正しい主張であるなら、この人こそ使徒ヨハネである。*14

2.第四福音書との関係

ストットは、第四福音書とこの手紙の「主題、扱われている事柄、ギリシヤ語の文体や単語の類似点」を検証した結果*15、「第一の手紙には福音書と著者が同じだという強い証拠があった」と結論づけている*16。続けて、彼は「このことは両書の特異性や共通事項の強調点の差異によっても弱められるものではない。それは両書の著作目的の違いやそれぞれの執筆年の時間的隔たりということで説明できる。ヨハネによる福音書と第一の手紙との類似性は、ルカによる福音書と使徒の働き(いずれもルカが著者であることが知られている)や、パウロの筆になるテモテへの手紙第一・第二、テトスへの手紙といった牧会書簡などよりも、はるかに著しい」と述べている*17
 第四福音書ヨハネ書簡は同一著者による作だということは、ストットの他にも多くの福音主義者たちによって支持されている*18。彼らの議論を読む限りでは、その結論を覆すべき必然性は特にないように思われる。
 したがって、「もし第四福音書の著者によって三つの手紙全部が書かれたということが証明できるなら、第四福音書の著者問題がそのまま手紙にも当てはまることになる。もっと簡単に言えば、福音書が使徒ヨハネの作であるとすれば、手紙もそうだということになる」*19
 Bockは第四福音書の内的証拠から、その著者は(1)ユダヤ人、(2)パレスチナ出身者、(3)記述内容の目撃者、(4)使徒、そして(5)ヨハネであると結論づけている*20。また、第四福音書では著者であると考えられる「主の愛する弟子」とペテロが並べられている箇所が多いことから、共観福音書によく見られるペテロとヨハネの組み合わせを比較して、やはり「主の愛する弟子」についてはゼベダイの子ヨハネが「最も良い選択肢」であるという*21
 第四福音書の著者に関する外的証拠として、エイレナイオスの『異端反駁』や、ムラトリ正典目録、テリトゥリアヌス、アレクサンドリアのクレメンスらがこの福音書を使徒ヨハネの作によるものとして認めている*22。この中でも紀元2世紀のリヨンの教父エイレナイオスについては、第四福音書著者の使徒性を認めている記述の中でも特に信頼できる証言として著名である。

エイレナイオスは重要である。……彼はヨハネと共にいたポリュカルポス[紀元2世紀のスミルナの教父]やポティナス[同時代のリヨンの教父]を知っていた。『フローラへの手紙 Epistle to Florinus』において、エイレナイオスはヨハネがエペソに住んでいたとき、他の福音書の後で彼の福音書を書いたと言っている(エウセビオス『教会史』5.20.6)。『異端反駁』3.1.[1]では、彼はその[福音書の]著者はイエスの胸から教えを受けたヨハネであり、その書はエペソで書かれたと[再び]記している。*23

 以上のことから、第四福音書の著者は使徒ヨハネ自身であると言っていいだろう。したがって、第四福音書ヨハネ書簡が同一著者によるものとする仮説に従えば、ヨハネ書簡もまた使徒ヨハネの作によるものだと言うことができる。

3.外的証拠

 先に言及したエイレナイオスは、『異端反駁』3.16.5および8において、第一および第二ヨハネを主の弟子ヨハネの筆によるものとしている。先述の通り、彼は、ヨハネは第四福音書の著者でもあり、使徒であると言っている*24
 紀元2世紀後半から3世紀序盤の間に編纂されたムラトリ正典目録においては、第四福音書が主の弟子ヨハネによるものであるという言及の中で第一ヨハネについても触れられている。この記述から、目録の編纂者は第一ヨハネを使徒ヨハネ著作として認めていた可能性が高い*25
 しかし、ヨハネ書簡もしくは黙示録の著者として、使徒ヨハネと別の人物である「長老ヨハネ」を挙げる注解者もいる*26。そうした注解者たちが根拠としている外的証拠は、主にエウセビオスの『教会史』第9巻39章である。エウセビオスは、エイレナイオスと同時代の教父パピアスが使徒ヨハネと長老ヨハネを区別していること、また紀元3世紀のディオニュシオスによる「エペソにある2人のヨハネの墓」についての記述を根拠に、使徒ヨハネと長老ヨハネは区別されるべき人物であるとしている*27
 しかし、ストット(2007:38-39)はエウセビオスによるパピアスの記述の解釈に疑問を投げ掛けている*28。問題とされるパピアスの記述を、彼は次のように引用している。

……パピアスは次のように言ったという。「長老たちの実際に弟子だったという人が来ることがあれば」彼(パピアス)は「アンデレやペテロ、ピリポ、トマス、ヤコブの言ったこと、あるいはヨハネやマタイ、そのほか主の弟子たちの言ったこと、そして主の弟子であるアリステアスや長老ヨハネの言ったことも含めて、長老たちの議論について尋ねよう」([教会史]3・39・4)。*29

彼はPlummerやSmithのヨハネ書簡注解書におけるこの問題に関する研究を参照し、「時制の違い」を根拠とするパピアスの記述の別の解釈を提示している。それは、パピアスが一つの文章の中で、一人のヨハネを「使徒」としても「長老」としても言及したのだとする解釈である。

時制の違いによってこの解釈が出てくるということを、PlummerやSmithなどが指摘している。つまり、使徒たち/長老たちが「言った」(eipen)のに対し、アリステアスと長老ヨハネが「言う」(legousin)と書かれているからだという。彼らが議論しているのは、パピアスが二つの資料に基づいたと主張している点である。一つは二次資料であって、生前の使徒/長老に「従った人々」から聞いた事柄、もう一つは一次資料であって、アリステアスや唯一存命している使徒/長老であるヨハネのような生きた目撃者の証言である。パピアスにはヨハネの教えに関して、他の人から伝え聞いたものと、自分が直接その口から聞いたものの両方があるので、彼はヨハネについて二度言及しているのである。*30

 また、ディオニュシオスの「エペソにある2人のヨハネの墓」の記述についても、ストットは疑問を提示する。エウセビオスの引用に基づけば、ディオニュシオス自身その二つの墓を直接知っているわけではないようである。エペソにあるヨハネの墓については、「紀元二世紀末のエペソの司教ポリュクラテスがローマ司教ヴィクトルに送った、初期クリスチャン名士でアジヤ州の諸都市に埋葬されている人々の一覧表には『長老ヨハネ』の名はない。しかしエペソの墓にはそれぞれ使徒ヨハネとポリュカルポスの名が刻まれていた」*31。つまり、「エペソにある2人のヨハネの墓」についての記述は、現在知られているところでは、ディオニュシオスに至るまで出て来ないのである。続けて、ストットによれば「ディオニュシオスには二人のヨハネを区別したい理由があった。彼は黙示録の著者として、使徒ヨハネではないヨハネを探し出そうと心に決めていた。使徒の作とはしたくなかったからである」*32
 さらに、ストットはエウセビオスが「二人のヨハネ説」を採った理由として、「エウセビオスは黙示録の千年王国観を認めない立場から、使徒ヨハネ以外の者の著作としたかったので『長老ヨハネ説』を提案し、その証拠立てにパピアスとディオニュシオスを引用した」という可能性を指摘している*33
 以上のことから、エウセビオスの「二人のヨハネ説」について、ストットは以下のように結論づけている。

「長老」という第二のヨハネの存在を信ずべき根拠がきわめて乏しいということは認めるべきである。Plummerはあえてこのように書いている。「第二のヨハネの存在に関する独立した証拠は皆無だ。エウセビオスの解釈ないし誤解によるパピアスだけが唯一の証人である……したがってわれわれは歴史上に第二ヨハネを見つけようとすることを断念する」。*34

 以上のエウセビオスおよびディオニュシオスの記述に関しては、Thomasが黙示録の著者問題を論じる中で詳細に検証している*35。彼もまたストットのように、彼らの「二人のヨハネ説」は神学的バイアスがかかったものであり、より初期の教父たちの証言と合わせても信憑性は低いものと結論づけている。

4.手紙の著者に関する結論

 ヨハネの手紙第一の内的証拠、外的証拠、および第四福音書との関係から、この手紙の著者は(伝統に倣い)使徒ヨハネであると言っていいだろう。

*1:Brooke Foss Westcott, The Epistles of St John: The Greek Text with Notes and Essays, 3rd ed. (Cambridge and London: Macmillan and Co., 1892), xxix.

*2:ジョン・R・W・ストット『ティンデル聖書注解 ヨハネの手紙』千田俊昭訳(いのちのことば社、2007年)14頁

*3:同上

*4:Westcott, The Epistles of St John, xxix-xxx.

*5:ストット『ヨハネの手紙』14頁

*6:Westcott, The Epistles of St John, xxx.

*7:Ibid., xxxi; ストット『ヨハネの手紙』28頁

*8:Ronald Sauer, "1 John," The Moody Bible Commentary, Michael Rydelnik and Michael Vanlaningham, eds. (Chicago, IL: Moody Publishers, 2014) 1975; 中川健一『ヨハネの手紙 第一「救いの確信を得る喜び」』2016年聖書フォーラムキャンプ配布資料(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ、2016年)3頁

*9:第四福音書の序文に関する研究については、以下の文献を参照のこと。Darrel L. Bock, Jesus According to Scripture: Restoring the Portrait from the Gospels (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2002), 410-16; Andreas J. Köstenberger, “John,” Commentary on the New Testament Use of the Old Testament, G. K. Beale and D. A. Carson, eds. (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2007) 421-22; Arnold G. Fruchtenbaum, Yeshua: The Life of the Messiah from a Messianic Jewish Perspective, Vol. 1 (San Antonio, TX: Ariel Ministries, 2016), 207-83.

*10:ストット『ヨハネの手紙』74–77頁;D・M・スミス『現代聖書注解 ヨハネの手紙1、2、3』新免貢訳(日本基督教団出版局、1994年)65頁も参照のこと。

*11:この手紙の著者を「ヨハネ共同体」というような、原始キリスト教におけるヨハネ神学の影響を受けた人々の中にいるある人物に帰する学者たちは、第一ヨハネ1:1を「代理的目撃体験を述べているにすぎない」と考えている。ストットはこの点について、第一ヨハネのテキストにおける一人称と二人称に注目し、「『あなたがた』というのはクリスチャンの共同体を指し、『私たち』とは使徒団を指している」と結論づけている(ストット『ヨハネの手紙』31頁)。なお、彼は「私たち」という第一ヨハネ著者が用いる一人称複数形について、「使徒という特別のものを指すのか、それとも一般のクリスチャンを指すのかは、文脈のみから導かれることである」と言う(前掲書、35頁)。

*12:ストット『ヨハネの手紙』36頁

*13:前掲書、37頁

*14:同上

*15:前掲書、17–25頁

*16:前掲書、25頁。以下も参照のこと。Glenn W. Barker, 1 John, Expositor’s Bible Commentary, vol. 12, Frank E. Gaebelein, ed. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1981) 302-03; Sauer, "1 John," 1973.

*17:なお、パウロの牧会書簡については、パウロの著者性を疑う議論がある(ギュンター・ボルンカム『新約聖書』佐竹明訳[新教出版社、1972年]188–91頁)。牧会書簡のパウロの著者性を擁護する議論については Ralph Earle, 1 Timothy, Expositor’s Bible Commentary, vol. 11, (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1978) 341-43 を参照のこと。

*18:例として、Barker, 1 John, 293-300 および Sauer, "1 John," 1973 を参照のこと。

*19:ストット『ヨハネの手紙』17頁

*20:Bock, Jesus According to Scripture, 42. この考えは、Bock自身が脚注で「B. F. Westcottにまで遡る」と補足している通り、Westcott, The Gospel According to St. John: The Greek Text with Introduction and Notes, Vol. I (London: Murray, 1908) ix-lii からの引用である。

*21:Ibid., 43. また、John F. Hart, "John," The Moody Bible Commentary, 1605 も参照のこと。

*22:Bock, Jesus According to Scripture, 42.

*23:Ibid. なお、原文ではBockが引用しているのは『異端反駁』3.1.2であるが、おそらく3.1.1の誤記ではないかと思われる。

*24:『異端反駁』3.1.1;ストット『ヨハネの手紙』15、40頁参照。

*25:Barker, 1 John, 294; ストット『ヨハネの手紙』16頁

*26:スミス『ヨハネの手紙1、2、3』36頁;ストット『ヨハネの手紙』37–41頁;IIヨハ1およびIIIヨハ1参照

*27:ストット『ヨハネの手紙』38–40頁

*28:前掲書、38–40頁

*29:前掲書、38頁

*30:前掲書、39頁

*31:前掲書、40頁

*32:同上

*33:前掲書、41頁

*34:同上

*35:Robert L. Thomas, Revelation 1-7: An Exegetical Commentary (Chicago, IL: Moody Publishers, 1992) 2-11.