軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

遠藤周作の『沈黙』について:ある遠藤マニアのクリスチャンからの視点

2017年1月26日追記:「補足:『沈黙』以降の遠藤の思想」について、実際の遠藤の著作をふまえて一部文言を修正しました。それに伴い、参考文献からの引用を含む脚注を追加しました。

 カトリック作家である故・遠藤周作氏の代表作『沈黙』を原作にした、マーティン・スコセッシ監督の『沈黙─サイレンス─』が公開されますね。スコセッシ監督が『沈黙』を映画化したいというのはかなり前から話があったはずで(確か遠藤周作自身もスコセッシ監督と映画化について話してたはず)、彼にとっては長年の希望が叶ったというところなのでしょう。で、この公開に伴って、ネット界隈でもクリスチャンたちによる『沈黙』をどう捉えるべきか? といった議論が活発にされているようです。
 遠藤周作マニアとしては、遠藤文学がまた取り上げられることに嬉しさもありつつ、いちいちその議論を見ながら「いや、そうじゃねえよ!」と思ってしまうような、オタク特有のジレンマを抱えたりもしています(笑)。遠藤周作との出会いというのは私がクリスチャンとして今まで歩んで来た中でかなり大きな経験でしたので、これを機に、彼との出会いとかを書いておきたいな〜と思います。
 それと、『沈黙』に書かれていることから迫害や殉教に関する議論がかなり見受けられましたので、まず『沈黙』がどういう背景で書かれた小説なのかをまとめておきましょう。その次に、そういった議論についての個人的な感想も書いておきたいのです。
 また雑然とした記事になってしまうとは思いますが、よろしくお願いしますm(._.)m ……今書き終えてみたのですが、最後の方はまさにチラ裏レベルの「雑感」になっちゃいました。ただ、「『沈黙』という作品について」というコーナーは、遠藤文学にあまり触れたことがない、『沈黙─サイレンス─』をきっかけに興味をもたれた方には有益な部分になっているかな〜と思います。「遠藤周作入門」として、ぜひお付き合いください。

 ……ちなみに、小説としては『海と毒薬』や『侍』の方が好きですね〜。特に『侍』は文学としても、『沈黙』より優れていると思います。『沈黙』を読まれた方は、ぜひ次は『侍』を手に取ってみてください!

トピック

遠藤周作との出会い

 初めて遠藤周作と出会ったのは、中学2年生で『イエスの生涯』を手に取った時でした。私はキリスト教系の私立中学に通っていて、そこでの毎朝の礼拝から聖書に興味を持ち、個人的に読み進めていました。その内、不思議にイエスが私のために十字架で死なれ、三日目によみがえられた救い主であると受け入れるようになったのですが、それから程なくして書店で『イエスの生涯』を見つけ、手に取ったのでした。
 当時はイエスの復活は受け入れつつ、五千人にパンを分け与えた奇跡とか、何だか絵空事のように感じられて、信じられていませんでした。だから、現代聖書学の見解をふまえて奇跡の史実性を否定しつつ、「愛の人」としてイエスを描いた『イエスの生涯』にはハマりましたね。
 それ以降、『沈黙』をはじめ様々な長編小説に手を出し、次に短編集、そして随筆集……と、すっかり遠藤周作にハマっていきました。彼の「人生の同伴者」たるイエス像はとても受け入れやすく、当時の私のイエス像は完全にその影響を受けていたと思います。さらに、小説としても面白い。『深い河』で群像劇が交錯していくところは鳥肌が立ちましたし、『わたしが・棄てた・女』や『女の一生』、『悲しみの歌』なんかは……号泣しました(笑)。そんなに明るい人間じゃないのもあって、『海と毒薬』なんかの暗いじめっとした雰囲気は、読んでいてとても心地よかったのを覚えています。
 そんなこんなで、20歳になる頃にはいくつかの随筆を除いて彼の著作をほぼ全て読破していたことは、ちょっとした自慢です(笑)。
 私自身は大学に入学してから色々な出来事が重なって福音的な聖書観に転向したので、今は遠藤文学から神学的に感銘を受けるということはあまりありません。ただ、彼が2〜30代の頃の随筆や小説っていうのは、独特な「熱さ」がありますね。1950年に『三田文學』に掲載された「誕生日の夜の回想」なんかは、今でも自分の誕生日前後に読み返したりしています。それと、文体が好きなんですよね〜。『海と毒薬』なんか、じめっとした雰囲気は漂わせつつ、文体自体は非常にドライなんですよ。これは彼が影響を受けたグレアム・グリーンの影響なんかがあったりするんだと思うんですが、この乾いた文体が心地よいのです。

『沈黙』という作品について

『沈黙』は「神の沈黙」を扱っているのか?

 さて、早速『沈黙』という作品の紹介に参りましょう。この長編小説は1966年、新潮社の「純文学書下ろし特別作品」の第1巻として刊行されました*1。以来、この作品は日本のキリスト教文学の1つの頂点として取り扱われています。作品の内容については、文庫版裏表紙の紹介文章を読んでみてください。

島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる……。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、〈神の沈黙〉という永遠の主題に切実な問いを投げかける書き下ろし長編。

 『沈黙』の書評で必ずと言っていいほど出てくるテーマは、「神は沈黙しているのか」とか、「迫害の中で殉教が必ずしも正しい選択とは言えないのではないか(棄教という選択もあるのではないか)」とかの問いかけですね。後者は確かに遠藤の心中にあった問いかけかもしれないものの、前者については、遠藤は執筆前から答えを持っていたようです。彼は、執筆前から「神は沈黙している」とは考えていませんでした。彼は学生時代に既に「神はいるのか」といった問いを超えており、母親から受け継いだ西洋のカトリック信仰──いわば「洋服」をいかに「和服」に仕立てていくべきか、といった問題に生涯取り組んでいったのです(このことは後述します)。つまり、「神は沈黙しているのか」ということは『沈黙』のテーマではないのであります。

遠藤 (前略)〈沈黙〉ということばを表層的にとると、たしかに神の〈沈黙〉になりますが、あの小説にも書いているように「神は沈黙しているのではない。私の生涯をとおして語りかけているんだ」という、つまり〈沈黙〉という表層的な形態をとっているけれども、その奥に神のささやきがある、語りかけがあるということと、背中合わせにして〈沈黙〉というのはできているのです。単に神は人間の苦しみに対して黙っているのだという「ロドリゴの問いかけ=私の考え方」というふうには、あの小説は読んでほしくないというのが作者の希望です。*2

 この小説の題は当初『ひなたの匂い』であって、『沈黙』というのは出版社側から提案されたタイトルでした。このことからも、「神の沈黙」がテーマではないということは明らかです。山根道公氏は『沈黙』が収録されている『遠藤周作文学全集2 長編小説II』において、「解題」の中で次のように書いています。

ところが新潮社出版部の友人から「これ〔ひなたの匂い、というタイトル〕では迫力がない、やはりこの内容なら『沈黙』ではないか」と言われ、気が進まなかったが、結局は受け入れた。しかし「沈黙」というタイトルが「神の沈黙を描いた作品」という誤読を招く原因となったことを悔やみ、〈「神は沈黙しているのではなく語っている」/そういった「沈黙の声」という意味をこめての「沈黙」だった〉と自らの意図を〔遠藤は〕述べている。*3

遠藤の信仰:母なるもの、そして人生の同伴者としての神

 遠藤がこの小説を執筆するに当たって持っていた問題意識を明らかにすることは、容易な作業ではありません。ただ、「キリシタン迫害史の中で、殉教できずに転んだ(棄教した)人々を取り上げたい」という小説家としての欲求と、彼が生涯持っていた「日本人の自分にとってのカトリック信仰」という問題意識があったことは、かなり確かに言えることだと思います。そして、両者の意識はかなり密接に絡み合っていると言っても過言ではないでしょう。両方とも、おそらくは遠藤がカトリック信者の2世として、第二次大戦中の日本を生き抜いてきた経験から発出されているのだと思います。
 遠藤は随所で、前述の「日本人の自分にとってのカトリック信仰」という問題意識を語っています。彼は幼少期を満州の大連で過ごしましたが、両親の別居に伴い、小学校3年生の時に帰国しました。そして、彼の伯母が熱心なカトリック信者であったことの影響を受け、まず彼の母親が受洗しました。そういった理由で、彼は母親に連れられ、カトリック教会に足を運ぶようになったのであります。彼は少年時代に洗礼を受けましたが、この経験が青年時代の彼を悩ますことになったのです。

 (前略)だがその後十年たって、私は初めて自分が伯母や母から着せられたこの洋服を意識した。洋服は私の体に一向に合っていなかった。ある部分はダブダブであり、ある部分はチンチクリンだった。そしてそれを知ってから、私はこの洋服をぬごうと幾度も思った。まずそれは何よりも洋服であり、私の体に合う和服ではないように考えられた。私の体とその洋服との間にはどうにもならぬ隙間があり、その隙間がある以上、自分のものとは考えられぬような気がしたからである。
 (中略)だがその時でさえ、私はその洋服を結局はぬぎ棄てられなかった。私には愛する者が私のためにくれた服を自分に確信と自信がもてる前にぬぎすてることはとてもできなかった。それが少年時代から青年時代にかけて私をとも角、支えた一つの柱となった。
 後になって私はもうぬごうとは思うまいと決心した。私はこの洋服を自分に合わせる和服にしようと思ったのである。それは人間は沢山のことで生きることはできず、一つのことを生涯、生きるべきだと知ったからである。(中略)
 それはともあれ、私は今日まで、ダブダブの服を少しでも自分のものにしようと思って書いてきた。ある部分はやっと私の体にあいはじめたが、多くの他の部分はまだまだ丈が長く、そして重い。しかしこのことは私だけの文学だという気持が心の奥にないわけではない。*4

以上は、彼の「合わない洋服」という随筆からの引用です。これの初出は『新潮』1967年12月号でありまして、『沈黙』発表後間もない時期の発言であることは興味深い事実です。
 遠藤は、母親からもらったカトリック信仰という「洋服」を自分の「和服」に仕立て直そうと、生涯を通じて試み続けました。その中で、彼は日本人でありカトリック信徒であった江戸時代のキリシタンたちに注目しはじめたのです。
 彼は1960年、肺結核のため入院し、その「病床体験」は後に彼の文学を形作る重要な要素となっていきます*5。『沈黙』もまた、そういった「病床体験」から生み出された文学のひとつです。

遠藤 病院に入院していました時、切支丹〔キリシタン〕の本を少しずつ読みはじめておりまして、切支丹を背景にして小説を書こうという気にはなっておりました。というのは、私は日本人とキリスト教という問題をテーマのひとつにしていましたので、自分たちの先祖が切支丹時代に、どのような信仰でキリスト教を受容したのだろうかということは当然関心があることですし、それからその棄て方ということにも関心がありました。後に『沈黙』となるようなものは、このころ精神的に準備していたと思います。それで踏絵の問題については、生々しく踏絵そのものについて考えたのは、病気が治って長崎へ旅行へ行って踏絵を見てからです。*6

 また、遠藤がこの小説において棄教した神父たちを扱っていることの背景には、「著者の少年時代からの恩師ヘルツォーク神父の棄教という個人的体験が暗に重ねられている」ものと思われます*7。さらには、「そこには著者が戦時下でキリスト者として『敵性宗教』を信じる非国民と非難され迫害を受けるなかで肉体の恐怖から自分の精神を裏切ってしまうといった体験のあったことの投影が窺える」のです*8

遠藤 だからその棄教者という問題は、さきほど言った外人の神父さんからも私の問題になりましたし、それから切支丹時代の棄教者、日本人の棄教者たちの心理、単に教えを棄てたというのではなくて、ほんとうに自分が愛したものを棄てるということですから、その心はどうしても考えざるをえなかったんです。それと切支丹時代というものと、われわれのキリスト教信者における戦争時代の体験とが当然、重なります。いまのキリスト教信者はご存知ないかもしれませんが、警察へ連れて行かれたり、キリスト教信者であるというために学校なんかでも意地悪をされたり、教会のなかに憲兵が入り込んできたりした時代を経てきているんです。だから身近かな問題として切支丹時代に接近できたということは、やっぱり戦争体験があったからだとおもいます。*9

 以上のように、『沈黙』には遠藤が青年時代より持っていた問題意識、戦争体験、そして「母親」という彼にとっての絶対的に大きな存在、そういった要素が入り組んで投影されているのです。

佐藤 そして私はあの「踏むがいい」という背後に、江藤〔淳;文学評論家〕さんが言われるような母子体験があるというときには、その根はさかのぼって病床体験にあるとおもっています。遠藤さんは三度の手術をなさいますが、いちばん最後などは、病室でたったひとりでもうだれにも頼ることができないというときに、たぶん内面的な問題としては神の問題、そしてお母さんの問題がほんとうに濃密にかかわってこられた。私はその思いと体験なくして、ああいう場面は出てこないんじゃないかというふうに思いました。
遠藤 そうだとおもいます。ですから私は後になって「日本人と母」とかいうことで書いたこともありましたけれども、そういう観念的なものでなくて、いまおっしゃったように〈母なるもの〉を経験したというか、この部分は思想じゃないんですよ。無意識なんです。*10

遠藤にとって、神とは「母なるもの」であります。そして、イエスというのは「人生の同伴者」なのです。そのような、愛し、赦し、共に苦しんでくれる「母」のイメージは、主人公ロドリゴに「踏むがいい」と声をかける『沈黙』のイエスにも通じているのです。
 これまでのことから、『沈黙』には遠藤の「キリスト教(カトリシズム)を日本人としてどう受け止めるべきか」という問題意識、そして「母なる神」としての神像が投影されていると考えられます。このことは、評論家の間でも広く認められていることです*11
 そして、最初に出した「神は沈黙しているのか」という問いは、先述の通り、もはや『沈黙』のテーマではありません。『沈黙』は、「神は沈黙しておられるのではない」という答えから出発しているのです。さらに進んで言えば、「迫害の中で殉教が必ずしも正しい選択とは言えないのではないか」ということも、テーマと言い切ってしまうには抵抗感があります。遠藤は、どちらの選びが「正しい」かなどということはそこまで意識していなかったんじゃないでしょうか(これは感覚的なもので、特に根拠はありませんが……)。彼は後に殉教者を扱った小説や評伝も発表しています(『銃と十字架』など。前述の『侍』もある意味でそうでしょう)。
 彼が『沈黙』で扱ったテーマは、どんな苦難の中でも「私はお前たちに踏まれるため、この世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」*12と声をかけてくれる、人生の同伴者たるイエス、母なる神の「沈黙の声」なのです。

補足:『沈黙』以降の遠藤の思想

 補足しておくと、『沈黙』発表から間もなくして、遠藤は聖書に書かれていることの史実性などを否定する現代聖書学の影響を大きく受けることとなります。彼自身にとっては、聖書に書かれた奇跡などが否定されたとしても、自らの「同伴者イエス」たるイエス像だけは揺らぎませんでした。イエス、アンナス、ピラトらを描いた群像劇と現代のイスラエルを旅行する「私」の姿とが交錯する小説『死海のほとり』。奇跡も行えずただ「苦難の僕」としての生涯を終えたイエス*13を描いた評伝『イエスの生涯』。そして、その「愛の人」としてのイエスによって目覚めさせられた弟子たちの姿*14を描いた評伝『キリストの誕生』。これらの作品には、遠藤の聖書観やイエス像がはっきりと投影されています。
 さらに後年になって、遠藤はジョン・ヒックに見られるような「宗教多元主義」の影響を受けることになります。「宗教で一番大事なのは、……自分を包んで生かしてくれる無意識の存在」だという遠藤の思想*15は、先述の「人生の同伴者」たるイエス像とともに、晩年の小説『深い河』で結実していきます。

『沈黙』からの「クリスチャンにとっての迫害/殉教」を巡る議論について

 以上のようなことから考えるに、『沈黙』は非常に個人的な小説です。この小説に対する江藤淳氏の「たいへん内面的、個人的な問題だ」という批評について、佐藤泰正氏は疑問を呈しています*16。たしかに、日本人とキリスト教、戦争体験、病床体験といったひとつひとつの要素は、ある程度「普遍的」なテーマと言えるのかもしれません。しかしながら、この小説の中で出されている結論自体はあくまで遠藤個人の信仰告白であり、普遍的な結論ではありません。しかも、出発点が「母親から受け継いだ信仰をどう合わせていくか」というところですから、私にはこの小説は「たいへん内面的、個人的な問題」を扱った小説に映るのであります。よって、クリスチャン界隈で『沈黙』に表されている遠藤の思想から迫害/殉教について色々と論じることは、私にとっては正直に言ってあまり意味がないことなのではないかと感じられてならないのです。
 クリスチャンが、クリスチャンとして迫害/殉教について考えるとき、出発点として考慮されるべきは聖書の教えです。遠藤文学が議論のきっかけになったとしても、あくまできっかけであり、議論の土台とされるべきではないでしょう。
 イエスは、世が彼を憎むが故に、弟子たちが世から迫害を受けることを予告されました(ヨハ15:18–25)。しかし、迫害の最中にあっては聖霊の働きがあることをも約束されました。

しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。御霊はわたしの栄光を現します。わたしのものを受けて、あなたがたに知らせるからです。(ヨハネ福音書16:13–14)

信者が迫害に遭うとき、そこにはイエスの栄光を現すための聖霊の働きがあります。私たちクリスチャンは、まずこの教えを出発点とすべきでしょう。さらに、大祭司であるイエス(ヘブ2:17–18)のとりなしの祈りがあることも忘れてはなりません。イエスはサンヘドリンに渡される夜、弟子たちのために次のように祈られました。

わたしが彼らにあなたのみことばを与えました。しかし、世は彼らを憎みました。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものでないからです。彼らをこの世から取り去ってくださるようにというのではなく、悪い者から守ってくださるようにお願いします。わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。真理によって彼らを聖め別ってください。あなたのみことばは真理です。あなたがわたしを世に遣わされたように、わたしも彼らを世に遣わしました。わたしは、彼らのため、わたし自身を聖め別ちます。彼ら自身も真理によって聖め別たれるためです。わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。(ヨハネ福音書17:14–21)

 聖書には、「迫害下において、自分が棄教をすれば愛する人たちが助かるという状況にある場合、棄教しても構わない」という明確な教えはありません。迫害については、ただ聖霊の助けがあり、イエスの祈りがあり、「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです」という教えがあり(マタ5:10)、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」という教え(マタ10:28)等々があるのみです。クリスチャンはまずこれらの教えが神の言葉であり、真実だと受け止めるべきでしょう。
 正直に言えば、これらの教えから組み立てた理論をふまえても、私が今命を狙われるような迫害に遭い、死ぬことを迫られたら、潔い殉教の道を選ぶことができるかということについては自信がありません。そんなに強い人間じゃないことが分かっているからです。しかし、それでも、もし命が狙われるような迫害が起きたら、主が約束してくださった通りの聖霊の助けがあり、どんな道になろうとそれが「イエスの栄光を現す」ために用いられると信じたい、という思いもあります。私は弱い人間ですが、主は全能の神であられるからです。

 繰り返しとなってしまいますが、クリスチャンとして迫害/殉教などのテーマを考えるときには、遠藤自身の思想が出発点とされるべきではないと思います。それがきっかけになったとしても、まず聖書が迫害について教えていることに耳を傾けるべきでしょう。また、実際に迫害を受けている兄弟姉妹たちのことを覚えることが大切なのだと思います。
 さらに議論が派生すべきなのは、今の日本は(一般論的に)クリスチャンだからといってすぐに命を狙われるような国ではありませんが、キリシタン迫害史などもふまえ、日本人の精神性がキリスト教に対してどのような姿勢を持っているのか、またわが国がどのような霊的状況にあるのか、といったことではないかと考えています。

 先日Facebookにて、とある方が、クリスチャンが『沈黙』を見る(読む)ことの意義を次のように説明しておられました。

……本題に戻りますと、私は、この映画について、きちんとした目的をもって前準備をするのであれば、以下の理由でお勧めできると思います。
 「私たちの先人には、信仰のゆえに迫害を受けた人々がいる。」
キリシタンたちが受けた弾圧や拷問は、決してこれらカトリックの負の歴史によって軽減されるものではありません。むしろ、我々、日本のキリスト者が主にあって誇りとしてほしいのです。今現在、中東やアジア・アフリカでは、信仰のゆえに激しい拷問を伴った迫害を受けているキリスト者が、大勢いるのです。我が国にも、多くの清い血が流されているのだ、ということを知ることは、世界の迫害されているキリスト者との一体感を持つことができます。

また、別の投稿でこのようにも仰っておりました。

我々、日本のキリスト者の兄弟姉妹は、未だ江戸時代に造られた体制、つまり、「信仰のゆえに迫害される」という恵みではなく、「信仰や福音宣教を骨抜きにされる」という迫害を受けているのだということに、気が付くべきでしょう。非常に高度な、悪魔の戦略であり、私たちは常に、主人公の伴天連のような究極の精神的、霊的苦痛を受ける国に生きているのだ、ということを知ればよいのではないかと思います。

 「迫害の中にある信仰者の姿勢」といった実践論的なテーマとしてではなく、私たちの国の中でキリシタンたちが受けた迫害の事実を知る、そういうことのきっかけとして『沈黙』が用いられたらいいな、と思っています。ただし、もしその結末の神学的意義について評価するのであれば、私たちは聖書の言葉と照らし合わせ、作者である遠藤周作が持っていた背景などを把握し、その上で評価していかなければなりません。

 あ、私ですか? 私は、『沈黙─サイレンス─』がどのように原作を映像化しているのか、どれくらい忠実に映像化しているのか、という非常に面倒くさいマニアックな視点から楽しみにしています(笑)。

蛇足:人が救われたか否かを巡る議論について

 最後に、蛇足ながら一言付け加えておくと、棄教した信者が死後地獄にいるとか、救われているとか、そういったことはまず論じられるべきではありません。それは神の業と判断とに属することであって、私たちが論じられる範疇には属していないのです。これと同じことで、遠藤周作が天国にいるとか地獄にいるなどということを論じるつもりも全くありません。遠藤が自身の文学で表明した信仰は、聖書に示されている、十字架にかけられ復活されたイエスを主と信じる信仰(Iコリ15:1–11参照)とは言い難いです。しかし、それでも、彼が死の直前に至ってどんな思想を持っていたのかは分かりません。
 棄教したキリシタンたちが後に死ぬときの信仰がどうであったかは、私たちには分かりません。遠藤周作の文学に見られる信仰がいわゆる「正統的信仰」ではなかったことは確かです。しかし、彼らが救われたかどうかということは、全く別の次元の問題なのです。

*1:遠藤周作文学全集2 長編小説II』(新潮社、1999年)338頁

*2:遠藤周作・佐藤泰正『人生の同伴者』(新潮文庫、1995年)145頁

*3:遠藤周作文学全集2』342頁;なお、今後引用文中の〔〕内は引用者による補足を表します。

*4:遠藤周作「合わない洋服 何のために小説を書くか」『遠藤周作文学論集 宗教篇』加藤宗哉・富岡幸一郎共編(講談社、2009年)302–05頁

*5:『人生の同伴者』138頁

*6:前掲書、139–40頁

*7:遠藤周作文学全集2』341頁;ヘルツォーク神父の棄教については『影法師』という小説の中で題材として扱われています。

*8:同上

*9:『人生の同伴者』140頁

*10:前掲書、150頁

*11:たとえば、安森敏隆・吉海直人・杉野徹共編『キリスト教文学を学ぶ人のために』(世界思想社、2002年)40、272–73頁。

*12:遠藤周作『沈黙』(新潮文庫、1981年)268頁

*13:『イエスの生涯』は、評伝としてのクライマックスをイエスの受難に置いており、その復活にはさほどの分量を割いていません。彼は「復活」という記述が事実であったかどうかの結論は下さず、「謎」として留めています。「空虚の墓の事件が仮に創作だとしても、我々はさきほど言及した謎〔なぜ弟子たちはイエスを神格化したかという謎〕を考える時、この事件と同程度のショックが別の形で弟子たちに加えられたことを認めざるをえない。少なくともそれによって弟子たちの心に『無力なるイエス』が『力あるイエス』に変るような出来事があったと推理せざるを得ない。そしてその出来事ゆえにイエスの復活が事実として弟子たちに摑めたと思わざるをえない。」(『イエスの生涯』『遠藤周作文学全集11 評伝II』[新潮社、2000年]203頁)ただし、注目すべきは、遠藤は「事実と真実」は区別されるものだと考えていたことです。彼はイエスベツレヘムで生れたという記録を例にとり、その記録は「事実」ではなかったが、弟子たちにとって「魂の真実」であったと述べています(前掲書、204頁)。また、彼自身は自らの信仰的立場を「大事なことは人間の魂が欲した真実の世界である以上、ベトレヘムを真実として認めるのが本書には書かなかった私の今の立場である」と述べています(同左)。

*14:遠藤は『キリストの誕生』に至って、極めて明確に「イエスの復活は弟子たちの心の中で起きた宗教体験である」という持論を展開します(『キリストの誕生』『遠藤周作文学全集11』214−28頁)。遠藤の理解は、次のようなものです。弟子たちは十字架上のイエスを通して、「十字架上での烈しい苦痛と混濁した意識のなかで、なお自分を見棄てた者たちを合いそうと必死の努力を続けたイエス」の姿をはじめて見た(前掲書、214–15頁)。このような人は過去の預言者や王たちの中にはいなかった。それにより、彼らは自分たちが師を「無力なるイエス」と誤解していたことに気づいた。この「驚愕と衝撃」により、彼らは「それまで知らなかった、気づかなかった、誤解していた師を再発見した」(前掲書、215頁)。「それが彼等の出発点となる。イエスは現実には死んだが、新しい形で彼等の前に現われ、彼等のなかで生きはじめたのだ。それは言いかえれば彼等の裡にイエスが復活したことに他ならない。」(同左)
 また、遠藤は、弟子たちがイエスの死後、イザヤ書の「苦難の僕」などの預言を読み返したことが弟子たちの「復活」体験に繋がったのだろうと考察しています(前掲書、222–27頁)。その文脈の中で、彼は「このイエス顕現……は長い苦しい夜を送った弟子たちの宗教体験である」と明確に述べています(前掲書、227頁)。

*15:遠藤周作「宗教の根本にあるもの」『遠藤周作文学論集 宗教篇』16頁

*16:『人生の同伴者』149、166–67頁