軌跡と覚書

キリスト教に関する雑感とか。

私の読書(4)内村鑑三の著作色々

私の地元である群馬県には「上毛かるた」という郷土かるたがある。このかるたの読み句を見ていくと、内村鑑三新島襄という、明治期の有名なクリスチャンが2人登場している。試しに、群馬出身のクリスチャンに「上毛かるたの『こ』って何?」「『へ』って何?」と訊いてみてください。小学校辺りまで群馬で過ごした人であれば、きっとすぐに「心の燈台 内村鑑三」「平和の使徒(つかい) 新島襄」と返って来ると思う。だから群馬出身である私にとって、「内村鑑三」というのは、初めてその名前を覚えたクリスチャンの一人なのだ。今でもその名前を聞くと、左上に十字架が黄色く輝き、その下で温和な顔つきで丸い顔のおじいさんが佇んでいるという、かるたの絵札を思い出すことができる。

では、内村鑑三とはどういう人だったのか。内村鑑三といえば、今でも書店に行けば岩波文庫の『代表的日本人』や『後世への最大遺物』を買うことができる。こういった本から、内村鑑三を思想家と評する人もいれば、「2つのJ(JesusとJapan)に仕えることを謳った国粋主義キリスト者」と評する人もいるかもしれない。あるいは、日露戦争に対する内村の「非戦論」に接して、彼を平和主義運動家と見る人もいるかもしれない。また、今も岩波文庫で買うことができる本として『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』があるが、文芸評論家である河上徹太郎は、これを「広い意味での文学書として見る時、いわゆる明治文壇の浪漫主義や自然主義の偏狭さを補う重要な自我の文学の一部門をなしている」と評している(明治文學全集『内村鑑三集』解題)。

『代表的日本人』や『後世への最大遺物』といった著作を記した頃の内村は、彼自身の言葉を借りれば、「社会改良家とならんと欲した」時期にあった(「目的の進歩」岩波版『内村鑑三全集』第20巻所収)。事実、西洋文化を輸入して近代化を進めようとする明治日本においてキリスト教の思想をもってして思想的改革をもたらそうとした内村の姿勢に、今日でも多くの人々が惹かれている。私の大学時代の友人にも、これらの本を愛読している者がいた。しかし、内村がどういう人であったかと考えるには、その後の彼の歩みを見なければならない。日本のため、世界のため、神のために何者かになろうと地理学者、水産学者、慈善家、教育者、社会改革家、聖書学者になることを欲していた彼が見出した到達点は、結局次のようなものであった。

余は今は何者にもならんと欲しない、又何事をも為さんと欲しない、唯神の遣はし給ひし其独子(ひとりご)を信ぜんと欲する、余が今日為さんと欲する事はイエスが人の為すべき事として示し給ひし業である。(「目的の進歩」)

内村鑑三とは何者か?」という問いにはただ一つ、「彼はクリスチャンなり」と答える他はないのである。

事実、壮年期から晩年に至るまで内村鑑三が説いた主たるテーマは、哲学でもなく、倫理道徳でもなかった。彼が全身全霊をかけて説き、日本にもたらそうとしたのは「福音」だった。『ロマ書の研究』におけるローマ人への手紙1:16–17の解説の一部である次の文は、富岡幸一郎の『内村鑑三』でも引用されているが、彼の烈しさと「福音」に対する忠実さとがよく表れていて私も好きな一文である。

福音は実にダイナマイトのごとき力あるものである。これに比しては、倫理道徳は鶴嘴(つるはし)をもって堅岩を砕かんとするがごときは迂遠なる道である。福音のダイナマイト一たびわれを打つや、倫理道徳をもってはとうてい除き得ざりし執拗(しつよう)なる我執の岩も飛散し去るのである。

内村は「福音」を、「神の力」であり、「ダイナマイトのごとき力あるもの」と表現した。その力は、「信じるすべての人に救いをもたらす神の力」である(新改訳2017)。

信ずる者は一人残らず─その一人一人にとって─福音は救いに至らする力である。(中略)そしてその信仰は必ずしも強きを要しないのである、もちろん強きを貴ぶけれども、弱き信仰とても、いやしくも虚偽の信仰たらぬかぎりは、その持ち主をして救いに至らしめ得るのである。ただの信仰、神とキリストに対する信仰、神を父としキリストを主として仰ぎ見る事、それだけで救いに入るのである。(『ロマ書の研究』)

様々な遍歴を辿った内村が行き着いたのは、「ただの信仰、神とキリストに対する信仰、神を父としキリストを主として仰ぎ見る事」だった。彼にとって絶対的な価値を有していたのはこれだけである。内村はロマ1:16–17を実直に信じ、一人でも多くの日本人が神を信じて「福音のダイナマイト」により救われることを願い、福音伝道に後半生を賭けた。

では、内村にとって「救い」とは何だったのか。もし今日のクリスチャンにこれを訊いてみればどうだろうか。もしかすると、一番多く返ってくるのは「罪赦されること」という答えかもしれない。確かに聖書は救いの一面として「罪赦されること」を伝えており、それは私たちの人生に衝撃的な影響をもたらす。しかし、聖書が伝えている救いとはそれだけではないのである。内村は先の「福音のダイナマイト」の発言から続けて、このことを指摘している。

すなわち救いとはただの悔い改めを意味する語ではない。この世においては、罪に死してキリストに生き、罪の結果たる死(神怒、滅亡)より救われ、復活して主の栄えに似たる栄えに浴し、永遠の世界に永遠の生命を受得する事、これすなわち救いである。

つまり、内村が言っている通り、聖書が教える救いとは単に霊魂の救いをもって完成するものではない。彼は「完全なる救」という短文(岩波版全集第24巻所収)の中で、「人は体と霊である、体のみを救はれて人は救はれない、霊のみを救はれて彼は救はれない、体と霊と二つながら救はれて彼は完全に救はるゝのである」と述べている*1。救いとは、神が賜る復活の体に与る時完成するものである。そして、それは私たち個人の復活でもあると同時に、被造物全体が救われることをも意味する。内村が論じる──そして、福音主義キリスト教も同意することのできる──救済とは、私たち個人の霊魂、個人の体、そして神が創造された物質世界全体をも包括するものなのである。

この救済は、イエス・キリストが再臨される時に実現される。だから、十字架によって表された義を信じた内村は、復活の希望を信じ、再臨を強く待望した。「信仰の三大時機」と題した短文(岩波版全集第24巻所収)には、この信仰に至るまでの遍歴が端的に表されている。

余の生涯に信仰の三大時機があつた、其第一は自己を発見せし時であつた、寧(むし)ろ神に発見せられし時であつた、自己が罪人たることを発見せられし時であつた、其の後当分の間余の最上の努力は自己をして神の前に清且(か)つ聖なる者たらしめん為に向けられた。其第二は余が余の義を発見せし時であつた、而(し)かも余自信に於てにあらず余の罪の為に十字架に釘(つ)けられ給ひし彼に於て之を発見せし時であつた、余は其の後当分の間イエスキリストと彼の十字架の福音を自他に於て実現せんと努めた。其第三にして多分最後の時機は余が余の救拯(すくひ)は未(いま)だ完成(まつとう)せられたるに非ず、キリスト再び顕はれ給はん時に、其時に至て始めて、余は彼に肖(に)たる者と成る事を示されし時であつた。罪の自覚、信仰に由て救はるゝ事、キリスト再臨の希望……以上は余の霊魂が天国瞻望(せんぼう)の歓喜と自由とに達するまでの三大階段であつた。

ただ十字架を仰ぎ見る信仰は、復活の希望に繋がる。十字架の希望は、ただ私たちの罪が赦される(た)という希望だけではない。義人ではない私たちが罪赦され、その本質から変容させられることへの希望に繋がっている。そして、その変容(栄化)の希望は、私たちの体が贖われ、栄光の体に復活するという復活の希望である。

それだけでなく、御霊の初穂をいただいている私たち自身も、子にしていただくこと、すなわち、私たちのからだが贖われることを待ち望みながら、心の中でうめいています。私たちは、この望みとともに救われたのです。(ロマ8:23–24a)

また、復活の希望は、イエス・キリストの再臨を待ち望む姿勢に繋がっていく。なぜなら、私たちの復活の希望は、主の「来臨のとき」に起こるからである(Iコリ15:23)。

だから私は、内村の信仰の姿勢、そして私たちも彼と共有することのできる信仰の姿勢を、「十字架を仰ぎ見る信仰、復活への希望、再臨の待望」という3点に要約できると思う。

内村の「再臨待望」というと、ただその一点にのみ集中して色々と論じてしまいがちだが、彼の「再臨待望」は「十字架を仰ぎ見る信仰」に根差していたことを忘れてはならない。また逆の面から言えば、内村にとって「十字架を仰ぎ見る信仰」は「再臨待望」に繋がらなければならなかった。

贖罪と再臨との間に密接なる関係がある、再臨は贖罪の結果であると云ふ事が出来る、主は御自身が贖ひ給ひし者の数を完成(まっとう)せんがために再び臨(きた)り給ふのである、而して信者は主に贖はれし其結果の身に於て実現されんがために彼の再臨を待望むのである(中略)余輩は再臨を高唱して贖罪を忘却したのではない、否(い)な否な決して爾(さ)うではない、贖罪の必然の結果を説かんがために再臨を高唱するのである、キリストの贖罪は聖霊の内在に始まって身体(からだ)の救(すくひ)に終るべき者である、然り贖罪の結果は人類の改造を以て尽くるものではない、宇宙万物の復興にまで及ぶ者である、キリストは其十字架の死を以て人類を贖ひ給ひしと同時に万物を贖ひ給ふたのである、「そは父すべての徳をもて彼に満しめ其十字架の血に由りて平和をなし、万物即ち地に在る者天に在る者をして彼に由りて己と和(やはら)がしむる事は是れ其の聖旨(みことば)に適ふことなれば也」とあるが如しである(哥羅西[コロサイ]書一章十九)、主は再臨に由て彼が十字架上に於て遂げ給ひし大なる救(すくひ)の果(み)を収めんと給ひしつゝあるのである、再臨なくして贖罪は半成の業である、主は我等の心の中に始め給ひし善工(よきわざ)を完成(まっとう)せんがために再び臨(きた)り給ふのである(中略)贖罪である、然り贖罪である、贖罪の結果たる再臨である、説くべきは此二大教義である、平信徒の心に訴ふる者にして之よりも強くして且つ深き者は無いのである。(「贖罪と再臨」岩波版全集第24巻所収;太字強調は引用者による)

内村がこのように再臨待望を強調していった「要因」としては、第一次世界大戦の勃発や愛娘の死などが挙げられて論じられることが多い。しかし、再臨に関する彼の著作に目を通して見るに、やはりこれは内村の聖書研究の結果、あるいは彼の「十字架を仰ぎ見る信仰」の結果であると言う他ないのではないか、と思わされる。

しかしながら、彼が聖書研究や信仰の結実として再臨待望に至った「背景」として、次の2つの要素を顧みることは重要であると思う。その第一は、上述した通り「第一次世界大戦の勃発」である。明治文学全集の第39巻である『内村鑑三集』から山本泰次郎・瀧澤信彦による年譜を紐解いてみると、大正3年(1914年)の項には「七月、第一次世界大戦勃発と同時に彼の思想と信仰とに深刻な試練が臨む」とある。その影響は、「世界の平和は如何にして来る乎」という随筆(岩波版全集24巻所収)に強く見られる。彼は「エホバは諸(もろもろ)の国の間をさばき多くの民を攻め給はん、かくて彼等は其剣を打ちかへて鋤となし其槍を打かへて鎌となし、国は国に向ひて剣を挙げず、戦闘の事を再び学ばざるべし」というイザヤ書2:4の預言を引いて、「之れが人類の理想である」と述べている。しかし、これを理想として数多の非戦会議を開いていた人類は、結局第一次大戦が起こるのを防ぐことはできなかった。

内村は人類が考え出した「世界に平和を来すの方法」として、次の三つを挙げる。第一は「戦争」であり、第二は「外交又は平和運動」であり、第三は「基督教会」である。しかし、そのいずれもが第一次大戦勃発を防ぐことはできなかった。内村はこれを嘆いて言う。

平和は戦争に由て来らず、外交に由て来らず、教会に由て来らず、然らば平和は遂に来ざる乎、人類の最も切なる理想たる平和は遂に来らざる乎、かの戦慄すべき戦争は如何にして絶滅するのである乎(中略)かの預言者イザヤの理想は遂に夢に過ぎないのである乎、万国の平和は永遠に実現しないのである乎

しかし、この嘆きに対して内村は「否な、決して然らず」と断言する。

平和は神御自身之を降し給ふのである、神は其独子を再び世に遣(おく)りて彼の肩の上に世界の統治を置き給ふのである、而して彼が宇宙万物を己に服(したが)はせ得るの力を以て永遠の平和を此世に実現するのである、平和は独り彼に由て来る*2

それ故に、内村は「世界の平和は如何にして来る乎」という問いに対して、「人類の努力に由て来らずキリストの再来に由て来る、神の子再び王として来る時人類の理想は実現するのである」と答えざるを得なかったのである。

注目すべき第二の「背景」は、当時多くの教会が、倫理道徳にのみ着眼した道徳的福音を宣べ伝えていたことである。これは内村の再臨信仰に対する諸教会からの批判からも見てとれる。批判者たちの多くは、真の再臨信仰とはキリスト者の内面における霊的再臨であること、それはキリスト者たちが倫理的道徳的存在になることで実現するのであることを説いた。したがって、彼らにとっては「福音」とは何よりも社会的なものであり、これによって世界平和が実現するはずだったのである。これは、先に引用した内村の考えとは大きく異なっている。

この状況を、内村は「今や基督教は社会事業の一種と化した」と表現している(「基督再臨の兆」岩波版全集第25巻所収)。しかし、内村はこれを教会の堕落であり、偽善と見た。内村自身が、かつては「イエスキリストと彼の十字架の福音を自他に於て実現せんと努め」、社会改良家になろうとした。しかし、彼は人間の努力によって神の義を実践し、社会を変革させていくことは不可能であることを悟った。そして、今度は聖書研究に努めていく中で、真の救済は「十字架の福音」と同じく、ただ神の恩恵により与えられるものであるという確信に至ったのである。

而して聖書は教へて曰ふ救主イエスキリスト来りて此事を実現せむと、斯くてこそ宗教は力ある宗教となるのである、イエスキリストは唯に我等の心を潔め給ひしのみならず、時到らば再び来りて此の卑しき身体(からだ)をも其栄光の身体に象(かたど)らしめ給ふと知つて我等は最早や卑しき行為に安んずる事が出来ないのである、基督信者の善行は此希望より来るのである、人或は曰はんパウロ斯く唱へより既に千九百年なるもキリストは未(いま)だ来らざるに非ずや、其時の到来は果して何時(いつ)である乎と、然し乍ら信じて待つは子たる者の特権である、好き土産を携へて帰り来らんとの父の一言を信じて児は只管(ひたすら)に待ち望む、茲(ここ)に言ふべからざる福(さいはい)がある、信ずる者が天父の約束の実現を待つが為には千年二千年或は一万年と雖も永からず、待望其事が大なる喜びである、やがて思はざるの時盗人の如くに彼は帰り来らむ、故に卑しき行為(おこない)を棄てゝ大なる希望の中に善行を力(つと)む、是れが真正なる基督信者の生活(クリスチヤンライフ)である。(「身体の救」岩波版全集第24巻所収)*3

「やがて思はざるの時盗人の如くに彼は帰り来らむ、故に卑しき行為を棄てゝ大なる希望の中に善行を力む、是れが真正なる基督信者の生活である」……内村は、再臨信仰によって、クリスチャンの社会における善行を否定したわけではなかった。彼は、クリスチャン生活の「目的」が善行の実践にあるということを否定したのだ。彼は創造主なる唯一の神がおられることを知り、イエスの十字架を仰ぎ見ることで自らが義と認められたことを知り、自らあるいは世界の救いの完成はイエスの復活に与ることであると知り、そのために自らは再臨を待ち望むべきなのだと知った。それ故に、彼の「目的」は善行そのものでなく、「ただの信仰、神とキリストに対する信仰、神を父としキリストを主として仰ぎ見る事」に至ったのである。

内村鑑三について思うところを色々と書いてきたが、読み返してみると、ほとんど富岡幸一郎内村鑑三』や、黒川知文『内村鑑三と再臨運動』の受け売りのように見えてしまう。なので、この記事をお読みになって「クリスチヤン」としての内村鑑三に興味を持たれた方は、上記の2冊を読んでいただけると良いかと思う。いや、それよりは、やはり内村鑑三自身の著作を読んでいただきたい。たとえばこの記事で何度も引用した通り、岩波版の『内村鑑三全集』の第24・25巻には再臨信仰に関係した著作が数多く収められている。ネット通販などで古本が安く買えたりするので、ぜひとも手に取っていただきたい。

改めて後年の内村の著作を読んでみると、彼が「再臨信仰」において示した姿勢が、今日においてもどれだけ重要であるかと思わされた。今日においても戦争の問題、LGBT問題など、倫理道徳の問題は尽きることがない。そして私たちは「弱い弱い生き物」であるから、とかくまずは目の前の問題に気を取られがちである。しかし目の前の問題を考えるにしても、聖書に書かれていることを出発点とできているだろうか。クリスチャンの希望である「十字架、復活、再臨」に出発点を置くことができているだろうか、と自問せざるを得なかった。

私がキリスト者学生会(KGK)に居た時分、「福音に生きる」というキャッチフレーズが流行していた。この文句が何を意味しているか、学生・スタッフ含め色々な人が色々な意見を言っていたが、今思えば「福音に生きる」というのは、内村鑑三の如く「十字架を仰ぎ見、復活に希望を置き、再臨を待ち望み、大なる希望の中に善行を力む」という姿勢のことだったのかもしれない。

*1:太字は原文傍点部を示す。

*2:太字は原文傍点部を示す。

*3:太字は原文傍点部を示す。