軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

創造前カオス・ギャップ・セオリー

前回:修正ギャップ・セオリーとソフト・ギャップ・セオリー

今回は次回に引き続き、ギャップ・セオリーのバリエーションをご紹介します。今回取り上げるのは、おそらく創世記1章の解釈で最も支持を得ている見解である「創造前カオス説」と組み合わされたギャップ・セオリーです。

  • 創造前カオス説と組み合わされたギャップ・セオリー
    • メリル・F・アンガーのギャップ・セオリー
    • 創造前カオス説
    • 創造前カオス・ギャップ・セオリー
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修正ギャップ・セオリーとソフト・ギャップ・セオリー

前回:古典的ギャップ・セオリーへの反論

前回までは古典的ギャップ・セオリーの歴史とその見解に対する批判について、大まかに確認してきました。現在、古典的ギャップ・セオリーが主張されることは(少なくとも学術的には)ほとんどありません。しかし多くの批判がありながらも、ギャップ・セオリーそのものは主張され続けています。今回と次回では、何らかの点で古典的ギャップ・セオリーから修正が加えられた形で主張されている場合を見ていきます。

  • 「非地質学的」or「修正」ギャップ・セオリー
  • ソフト・ギャップ・セオリー
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古典的ギャップ・セオリーへの反論

前回:ギャップ・セオリーの広まり

  • ディスペンセーション主義者による反論
  • 「若い地球説」を支持する創造論者による反論

ディスペンセーション主義者による反論

前回ご紹介したように、トマス・チャーマーズが説いたような古典的ギャップ・セオリーはG・H・ペンバー、C・I・スコフィールド、クラレンス・ラーキン、アルノ・ゲーベラインなどの影響力を持ったディスペンセーション主義者によっても広められました。

しかしながら、20世紀後半以降のディスペンセーション主義者の間では、ギャップ・セオリーに対する批判も多く見られるようになっていきました。たとえばダラス神学校の教師であったトーマス・コンスタブルは、自身の創世記研究ノートの中でギャップ・セオリーを取り上げ、この議論の根拠とされる主張を検証した後、次のように述べています。「多くの福音主義者は今なおギャップ・セオリーを唱えているが、そうしているヘブル語学者はほとんどいない。ヘブル語文法は1節と2節が時系列的に連続しているという読み方を支持しないからである。*1

*1:Thomas L. Constable, “Notes on Genesis,” 2021 ed., 27.

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ギャップ・セオリーの広まり

前回:創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて

  • ギャップ・セオリーは伝統的見解か?
  • ギャップ・セオリーの普及
  • テキストの釈義による古典的ギャップ・セオリーの主張
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創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて

創世記1:1–2を解釈する上で、「ギャップ・セオリー」という見解があるのをご存じでしょうか。

これからしばらく、その「ギャップ・セオリー」という説を再考していくシリーズを続けていきたいと思います。

  • 前書き
  • ギャップ・セオリーとは何か
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