軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?(補足その1)

 前回の前後編記事の中で、「新約聖書による旧約聖書の使用法(もしくは引用法)」の中でも、「新約聖書の著者たちは当時(第二神殿期)のユダヤ教における解釈法(もしくは引用法)を用いていた」という見解を取り扱いました。
 しかし、「新約聖書による旧約聖書の使用法」については、他にも多種多様な見解が提示されています。そこで、本記事では前回の補足として、「新約聖書による旧約聖書の使用法」についての諸見解の概観を試みたいと思います。これによって、福音主義神学におけるこのテーマに関する議論の整理のため、少しでもお役に立てれば幸いです。
 なお、各見解について問題点があるのですが、それは後日取り上げる予定です。

トピック

新約聖書による旧約聖書の使用法」の7つの立場

 「前編」で言及したように、Vlachは福音主義神学におけるこのテーマについての立場を7つに区分して紹介している*1。ここでは、Vlachの区分に従って、7つの立場をそれぞれ概観する。

1. 単一の意味/多様な適用

 Vlachは、この立場を「Single Meaning/Multiple Application (Consistent Contextual Use of the OT by the NT Approach」と呼んでいる(以下Single Meaning Approachとする)*2
 この立場は、聖書の「意味」はその(人間の)著者が込めた「単一の意味」のみである、と主張している*3。「この立場からすると、新約著者たちは旧約を引用するとき、その著者が込めた意味(またそれは神が意図された意味でもある)を忠実に守っている。引用された旧約の意味と新約著者たちによる引用との間には、繋がりがある。したがって、新約著者たちは旧約を文脈的に引用している。また、その引用は、歴史的文法的解釈によって見出される旧約著者たちの意図と調和している。」*4
 また、この立場では、テキストの「意味」と、そのテキストを「適用」することとの間に明確な区別が設けられている*5。先述の通り、解釈により見出されるテキストの字義的意味は一つである。そのテキストの意味は(道徳的に、もしくは状況説明などのために)ある特定の状況に適用することができる。字義的意味を尊重した適用には多様性がある。
 この立場を採用する者は、聖書を単なる人間の著作として認識しているわけではなく、聖書が「神の言葉」であることは当然認めている。しかし、旧約の中に、人間の著者が意図していない隠された完全な意味(sensus plenior)が込められていることは否定している*6

2. 人間の著者が込めた意味+神が込められた隠された意味

 Vlachはこの立場を「Human Meanings Plus Hidden Divine Meaning (or Sensus Plenior) Approach」と呼んでいる(以下、Sensus Plenior Approach)*7
 この立場を採用する者は、旧約の中には、人間の著者が込めた意味と神が込められた隠された意味(sensus plenior)の両方が存在していると主張する*8
 そのsensus pleniorは、「隠された意味」であるが故に、人間の著者によっては認識されていない。したがって、人間の著者が込めた意味+神が込められた隠された意味=旧約聖書の完全な意味、という定式が成立するのである*9
 この観点からすると、新約著者たちは、旧約の字義的意味(著者が込めた意味)に加えて、霊感によってsensus pleniorをも認識したといえる。すなわち、この「隠された意味」は新約において明らかにされたということになる。
 なお、この立場ではsensus pleniorの存在を認めつつ、歴史的文法的解釈によって見出される字義的意味をも重視している*10。聖書の読者は、sensus pleniorだけではなく字義的意味も合わせて、初めて旧約の完全な意味を認識することができるのである。

3. 新約聖書の著者は当時のユダヤ教の解釈法を使用した

 Vlachはこの立場を「Contemporary Judaism/Second Temple Judaism (NT Writers Used Jewish Interpretive Principles of the Day Approach)」と呼んでいる(以下Contemporary Judaism Approach)*11
 「前編」および「後編」で見た通り、Ennsによって提唱されている立場がこれである*12。Longeneckerもまたこの立場を取っている代表的な神学者である*13
 「前編」で見た通り、この立場では、新約著者たちは当時(第二神殿期)のユダヤ教における聖書解釈法を用いて旧約を釈義していた、と考えられている。また、その解釈法では、比喩的解釈や、旧約聖書の字義的意味から離れた非文脈的解釈がなされていたと考えられている*14
 したがって、この観点からは、新約著者たちは、旧約の比喩的解釈・非字義的解釈・非文脈的解釈を認め、かつ実践していたということになる。
 ただし、このような解釈法を我々現代の釈義者も実践すべきかどうかは、この立場の中でも議論が分かれている。Ennsは、現代の我々もまた新約著者たちの解釈法に倣うべきであると主張している*15。しかしLongeneckerは、こういった解釈法は当時の文化に根差したものであり、また新約著者たちは特別な霊感のもとでこういった解釈法を実践していたのであって、現代の我々にはこの解釈法を実践する特権は与えられていない、と主張している*16

4. 正典的解釈

 Vlachはこの立場を「Canonical Interpretation (Border Canon as Basis for Understanding the OT Approach)」と呼んでいる(以下Canonical Approach)*17
 この立場は、旧新約が一冊で完全な「正典」であるということを強調し、聖書を解釈する際にはこの正典性を基盤とするべきであるとしている*18。啓示が漸進的に与えられた結果、正典は新約をもって完結した。この考え方からすれば、旧約の釈義は新約に啓示された情報をふまえて行われなければならない。
 この立場の結論は、以下の通りである。旧約聖書は、より明確な新約聖書の啓示の視点から解釈されなければならない。したがって、新約聖書には旧約聖書に対する優越性がある。
 以上の結論はSensus Plenior Approachに似ている。また、最後に見るReinterpretation Approachにも似ている。しかし、この立場を取っているWaltkeは、sensus pleniorや再解釈といった概念を否定している*19。彼は、漸進的に与えられた啓示(たとえば新約の啓示)は、以前に与えられた啓示(たとえば旧約の啓示)において明かされていた救済史における神の目的を、より明確にさせるものだと考えている。これを理由として、彼は以前の啓示(旧約の啓示)における「隠された意味」を前提としたり、その啓示を「再解釈」する必要はないと主張する*20

5. 霊感されたSensus Pleniorの適用(Inspired Sensus Plenior Application)

 これはThomasによって主張されている立場である*21。VlachはこのInspired Sensus Plenior Application(以下ISPA)という立場を「Inspired Subjectivity Approach」と呼んでいる*22
 この立場の結論は、Single Meaning Approachと似ている。Thomasは聖書の意味の単一性を認め、現在の釈義者は歴史的文法的解釈法を一貫して適用すべきだと主張しているからである*23
 一方で、彼は、マタ2:15におけるホセ11:1の引用に見られるように「新約における旧約の非字義的な引用例」の存在を認めている(Thomas, "The New Testament Use of the Old Testament," 82-6.)。彼は、新約におけるこのような旧約引用法は「新約著者が自らの記述の文脈と関連させて、旧約の文法的・歴史的意味を超えた適用を行っているもの」と考えており、この引用法を「inspired sensus plenior application」と名づけている*24。Thomasによれば、新約著者たちは旧約の字義的意味とは異なる意味を霊感の下で見出し、それを旧約テキストに適用したというのである。
 また、このISPAは使徒職や預言の賜物が与えられた新約著者にのみ許される旧約引用法(もしくは解釈法)であり、現在の釈義者はISPAによる解釈を適用すべきではない、とも主張している*25
 Thomasによれば、新約著者たちは霊感の下で旧約に新しい意味を見出したにも関わらず、ISPAは意味の単一性を否定するものではないという*26。なぜなら、旧約聖書そのものの歴史的文法的解釈からは単一の字義的意味しか見出すことはできず、新約著者たちが旧約にISPAを適用した際に明らかにされた意味は、新約聖書の歴史的文法的分析から見出されるものだからである。
 ここで、ISPAについては論理と用語の使用に混乱が見られることを指摘しておく必要がある。ISPAを提唱する際にThomasが「新約著者たちが旧約に適用した新しい意味」と表現しているものは、新約著者が旧約の聖句を自らの状況に「適用」したときに読者に明らかにされたものである。しかし、Thomas自身は「意味」と「適用」の区別を主張しているにもかかわらず*27、ここでは両者を混同しているように思える。
 また、sensus pleniorはあくまで「隠された意味」であって、「意味」と「適用」を区別するという認識論の中では相応しい概念とはいえないだろう。

6. 歴史的・釈義的&神学的・正典的解釈

 以上の5つの立場では、聖書を「歴史的・釈義的」(Historical-Exegetical)に読むか、「神学的・正典的」(Theological-Canonical)に読むかの二者択一であったといえる。しかし、Bockは、左記の二者の「いずれか」を選ぶのではなく、「両方」であると考える方がより良い解釈学的パラダイムであると主張する*28。この立場は「Historical-Exegetical and Theological-Canonical」と表現されるものであり、ThomasやVlachは、この立場は折衷案的なものであるという見解を示している*29。 したがって、以下ではこの立場を「Eclectic Approach」と呼ぶ。
 BockはCanonical Approachを提唱するWaltkeのように、先に与えられた啓示は、後に与えられた啓示によってその意味がより明確にされた、ということを主張する*30。たとえば旧約の預言は、今やその字義的意味において指し示していたものだけではなく、新約の新しい文脈において、(たとえば予型などの)新しい指示物(new referents)をも示すようになった*31
 また、Bockによれば、この新しい指示物は本来の指示物を打ち消す類いのものではない*32。たとえば、イスラエル民族に対する何らかの物理的約束を含んだ旧約預言が、新約の新しい文脈において、教会への霊的約束といった新しい指示物を示すようになったとする。しかし、これによって、先の「イスラエル民族に対する物理的約束」という指示物が打ち消されてしまうわけではない。
 したがって、新約をふまえて聖書全体を「神学的・正典的」に読むことは、聖書全体を「歴史的・釈義的」に読むこととは矛盾しない。それ故に、Bockは「歴史的・釈義的&神学的・正典的」(Historical-Exegetical and Theological-Canonical)に聖書を読むことこそが適切な解釈法である、と主張している。

7. 新約聖書による旧約聖書の再解釈

 これは、物理的な次元に関するテーマを扱っている旧約の預言や約束は、キリストの到来において明らかにされた霊的真理の視点から「再解釈」されなければならない、とする立場である*33。Vlachはこの立場を「NT Reinterpretation of OT (NT Priority Over OT Approach)」と呼んでいる(以下Reinterpretation Approach)*34
 この立場の主張は、Sensus Plenior ApproachやCanonical Approachとも似ている。しかし、旧約本来の字義的意味を超えた「再解釈」が必要であるとしている点で、Sensus Plenior Approachとは異なっている。
 Canonical Approachとは、旧約に対する新約の優越性を主張している点で似ている。しかし、Canonical Approachを採用しているWaltkeは、先に見たように「再解釈」の必要性を認めていない。
 以上の理由から、Vlachはラッドの「再解釈」という解釈原則を、Reinterpretation Approachという独立した立場として扱っている*35。ただし、彼はこれが「新約による旧約の使用法」についての独立した立場とは言えない可能性をも認めている*36

Fruchtenbaumの立場

 最後にさらなる補足として、「後編」で観察したFruchtenbaumの立場が、上記の7つの立場のどこに当てはまるものなのかを考えてみたい。
 「後編」で既に見たように、Fruchtenbaumは、新約著者たちは当時のユダヤ教の聖書引用法を用いていた(より正確に言えば、彼らは古代ラビ文献に見られる引用法と同じものを用いていた)と主張している*37。そのような意味では、Fruchtenbaumの立場はContemporary Judaism Approachと似ている。しかし、Fruchtenbaumの場合、ラビ文献においても字義的解釈の重要性が強調されているものと考えている点において、EnnsやLongeneckerとは異なっている*38
 また、Fruchtenbaumの結論は、新約著者たちは旧約を字義的に解釈しており、その解釈から得られた意味を特定の状況に適用していた、というものであった。このように「意味」と意味の「適用」とを明確に区別している点において、FruchtenbaumはSingle Meaning Approachを取っているということができる。
 以上のことから、あえてVlachによる7分類と照らし合わせてFruchtenbaumの立場を分析すると、「Single Meaning Approachと結論を共有しているContemporary Judaism Approachである」ということができるのではないだろうか。

結論

 Vlachの分類法に従って「新約における旧約の使用法」の各立場を観察すると、各立場ともに重なり合う主張が多いということがわかる。しかし、Sensus Plenior Approach、Canonical Approach、そしてReinterpretation Approachの関係のように、基本的に同様な主張をしつつ、細部において明確な違いが見られる場合がある。
 また、たとえばSingle Meaning Approachを主張するKaiserとEclectic Approachを主張するBockは、それぞれ明確に異なる解釈法を提示しつつ、「旧約の字義的意味は重要である」という結論は共有している。それどころか、彼らは「旧約におけるイスラエルへの民族的約束」の有効性を否定する置換神学を拒否している点でも一致している*39
 さらに、各立場の中で一致が見られない場合も見られる(Contemporary Judaism ApproachにおけるEnnsとLongeneckerの例)。
 以上をふまえると、どの立場が完全に正しい、と結論を下すのは難しい。むしろ、各立場ともに人間の思考から出て来ている考えであるが故に、どれかが絶対的に正しいと結論づけることは危険なのかもしれない。

*1:Michael J. Vlach, "New Testament Use of the Old Testamt: A Survey of Where the Debate Currently Stands," Theological Studies (2011)

*2:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 3.

*3:Walter C. Kaiser Jr., "Single Meaning, Unified Referents: Accurate and Authoritative Citations of the Old Testament by the New Testament," Three Views on the New Testament Use of the Old Testament, Kenneth Berding and Jonathan Lunde, eds. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 2008) 45-89.

*4:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 3. 太字強調は引用者による。

*5:バーナード・ラム『聖書解釈学概論』村瀬俊夫訳(聖書図書刊行会、1963年)176–8頁; Brian A. Shealy, "Redrawing the Line Between Hermeneutics and Application," The Master's Seminary Journal, 8(1) (Spring 1997) 83-105.

*6:Kaiser, "Single Meaning, Unified Referents"; Paul D. Feinberg, "Hermeneutics of Discontinuity," Continuity and Discontinuity: Perspectives on the Relationship Between the Old and New Testament, John S. Feinberg, ed. (Wheaton, IL: Crossway, 1988) 115-6.

*7:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 4.

*8:Philip B. Payne, "The Fallacy of Equating Meaning with the Human Author's Intention," Journal of the Evangelical Theological Society, 20(3) (September 1977) 243-52; J.I. Packer, "Upholding the Unity of Scripture," Journal of the Evangelical Theological Society, 25(4) (December 1982) 411.

*9:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 4.

*10:Id., 5.

*11:Ibid.

*12:Peter Enns, “Fuller Meaning, Single Goal: A Christotelic Approach to the New Testament Use of the Old in Its First-Century Interpretive Environment,” Three Views on the New Testament Use of the Old Testament, 167-217.

*13:Richard N. Longenecker, Biblical Exegesis in the Apostolic Period (Grand Rapids, MI: Wm. B. Eerdmans Publ. Co., 1975)

*14:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 6; Longenecker, Biblical Exegesis in the Apostolic Period, 14-5, 18-9, 24-5; Enns, "Fuller Meaning, Single Goal," 174, 178.

*15:Enns, "Fuller Meaning, Single Goal," 217; cf. 山﨑ランサム和彦「新約聖書における使徒的解釈学─現代福音主義への示唆─」『福音主義神学』第45号(日本福音主義神学会、2014年)33–54頁

*16:Longenecker, Biblical Exegesis in the Apostolic Period, 214-20.

*17:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 7.

*18:Bruce Waltke, "A Canonical Process Approach to the Psalms," Tradition and Testament: Essays in Honor of Charles Lee Feinberg, John S. Feinberg and Paul D. Feinberg, eds. (Chicago: Moody Press, 1981) 3-18; Waltke, "Kingdom Promises as Spiritual," Continuity and Discontinuity, 264-6, 284-6.

*19:Waltke, "Kingdom Promises as Spiritual," 284.

*20:Ibid.

*21:Robert L. Thomas, "The New Testament Use of the Old Testament," The Master's Seminary Journal, 13(1) (Spring 2002) 79-98.

*22:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 9.

*23:Thomas, "The New Testament Use of the Old Testament," 79; Thomas, "The Principle of Single Meaning," The Master's Seminary Journal, 12(1) (Spring 2001) 33-47.

*24:Thomas, "The New Testament Use of the Old Testament," 80, 86.

*25:Id., 86-7.

*26:Id., 87.

*27:Thomas, "The Principle of Single Meaning," 38-9.

*28:Darrell L. Bock, "Single Meaning, Multiple Contexts: The New Testament's Legitimate, Accurate, and Multifaceted Use of the Old," Three Views on the New Testament Use of the Old Testament, 105-51; Bock, "Interpreting the Bible—How We Read Texts," Progressive Dispensationalism, Craig A. Blaising and Darrell L. Bock, eds. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1993) 57-75.
 Cf. Craig A. Blaising, "Israel and Hermeneutics," The People, the Land, and the Future of Israel: Israel and the Jewish People in the Plan of God, Darrell L. Bock and Mitch Glaser, eds. (Grand Rapids, MI: Kregel Publications, 2014) 153-5; John S. Feinberg, "Systems of Discontinuity," Continuity and Discontinuity, 73-9.

*29:Thomas, "The Principle of Single Meaning," 41-2; Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 10.

*30:Bock, "Single Meaning, Multiple Contexts," 113-4.

*31:Id., 114.

*32:Id., 114-5, 146-7.

*33:ジョージ・エルドン・ラッド『終末論』安黒務訳(いのちのことば社、2015年)9–23頁;また、ラッドの主張は「前編」でも取り上げられている。

*34:Vlach, "New Testament Use of the Old Testament," 11.

*35:Ibid.

*36:Ibid.

*37:Arnold G. Fruchtenbaum, Yeshua: The Life of the Messiah from a Messianic Jewish Perspective, Vol. 1 (San Antonio, TX: Ariel Ministries, 2016) 10-44.

*38:Id., 18-9.

*39:Kaiser, "Israel According to the Writings," The People, The Land, and the Future of Israel, 40-51; Bock, "Israel in Luke-Acts," The People, The Land, and the Future of Israel, 104-14.