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聖書における「イスラエル」の意味(2)

 前回の記事では、「イスラエル」の意味を確立することの重要性について述べた後、その意味がどのように考えられているのか、幾人かの神学者の考えをピックアップして紹介しました。

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 これ以降は数回連続で、旧新約聖書から「イスラエル」の意味についてワードスタディを行っていきたいと思います。今回は、旧約聖書編のその1です。モーセ五書〜バビロン捕囚以降に至るまでの「イスラエル」の意味を見ていきます。

トピック

2.旧約聖書における「イスラエル」の意味

2–1.モーセ五書における「イスラエル

 「イスラエル」(ヘブライ語Yisra’el)は「神は勝利される」、「神は争われる」、もしくは「神と争った者」を意味する*1 。聖書でこの「イスラエル」という言葉が最初に登場するのは、創世記32:28である。ここでは、イスラエルとはアブラハム、イサクの子ヤコブの別称であり、個人名である。すなわち、まずは「イスラエル」とはヤコブの個人名という意味を持っている(ホセ12:12参照)。
 続いて、創世記34:7では、この言葉はイスラエル/ヤコブの家の共同体(イスラエル/ヤコブと彼の子孫たち)を指して用いられている。
 創世記32:32では、創世記が書かれた(もしくは編集された時点)でのある人々*2が、「イスラエル人」(Israelite; NRSV)と呼ばれている。この語は創世記では36:31に再度登場し、その後は出エジプト記1:7以降、旧約聖書に頻繁に登場する。ASVでは「the children of Israel」と訳されているように、原語ではben Yisra’elすなわち「イスラエルの子(ら)」という意味であり、文字通りイスラエル/ヤコブの子孫を表している。
 また、創世記49:16では、ヤコブが息子のひとりであるダンに対して「ダンはおのれの民をさばくであろう、イスラエルのほかの部族のように」と預言している。「イスラエルの〜部族」(shebet Yisra’el)は直訳では「イスラエルの枝」であるが、意味としては(新改訳第三版やほとんどの英語訳に見られるように)「イスラエルの部族」を表している。この観察から、ヤコブが12人の息子たちに預言を与えた時点で、「イスラエル」は特定の諸部族から成る民族(あるいは共同体)をも指していたものと推測される。
 「イスラエル」という用語単体で特定の人々を指している最初の聖句は、出エジプト記4:22であろう。ここでは主(ヤハウェ)ご自身が「イスラエルはわたしの子、わたしの初子である」と言われている。モーセが属する民族のエジプトからの脱出という文脈からして、この「イスラエル」は単にヤコブ個人ではなく、モーセが属する民族自体を指すものと考えられる。
 そして、「イスラエル(の子ら)」は単に民族だけではなく、国家、国民をも示すようになる。出エジプト記19:6では、「ヤコブの家」「イスラエルの子ら」*3に向けて(出19:3)、次のように言われている。

あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる。これが、イスラエル人にあなた[モーセ]の語るべきことばである。

ここでは、「イスラエルの子ら」は「(祭司の)王国」(mamlakah)であり、「国民」(goy)であると言われている。これ以降、「イスラエル」は単体でも民族、国民、あるいは国家を指すようになった。この使い方は、モーセ五書の中では、主にモーセの説教によって構成されている申命記に顕著である。特に有名なのは、以下の申命記6:4であろう。

聞きなさい。イスラエルは私たちの神。はただひとりである。

この「聞きなさい。イスラエル」(shama` Yisra’el)という呼びかけ、あるいは単に「イスラエルよ」という呼びかけは、申命記に頻繁に登場する。
 これまでについてまとめると、モーセ五書では、「イスラエル」とは第一にヤコブの個人名であった。次に、民族、国民、あるいは国家を指していた。これらの用法は、旧約聖書の中でヨシュア記以降も一貫して見られるものである。

2–2.サムエル記第一13章以降の「イスラエル

 サムエル記第一13:1以降では、「イスラエル」はサウルの王国となり、サムエル記第二5:1-5でダビデの王国、列王記第一2:12ではソロモンの王国となった(I列1:39参照)。その結果、「イスラエル」はイスラエル/ヤコブの子孫から成る、古代中東に位置する王制国家をも意味するようになった*4
 列王記第一12章以降、王国はユダ族とベニヤミン族から成る南王国ユダと、他の10部族から成る北王国イスラエルに分裂した(I列12:16-20)。こうして、「イスラエル」はヤロブアム王朝以降の北王国をも指すようになった*5。しかし、これによってイスラエル/ヤコブの子孫である12部族全体を指すという意味が失われたわけではない。王国分裂後も、全12部族が「イスラエル」と呼ばれている。
 たとえば、アサの治政下の南王国ユダについて記されている歴代誌第二15:13では、神が「イスラエルの神」と呼ばれている。これは、王国が分かれたとしても、自分たちがヤハウェから選ばれた「イスラエル」という12部族の民に属している、という認識が保持されていたことを示しているものと考えられる。
 また、ユダの王ヒゼキヤがささげた贖罪のいけにえは、「全イスラエルの[贖いの]ため」のものと呼ばれている(II歴29:24)。
 特に預言書においては、王国分裂以降も全12部族がまとめて「イスラエル」という民族として見做されている場合が多く見られる*6
 したがって、王国分裂後についての記述、もしくはそれ以降に記された書物において、「イスラエル」は文脈によって意味するところが異なっているということになる。しかし重要なことは、王国が分裂した後も、全12部族から成る民族そのものが「イスラエル」であるという認識は継続していた、という点である。

2–3.バビロン捕囚以降の「イスラエル

 Yamauchiは、アッシリヤが北王国の首都サマリヤを陥落させた*7のはB.C. 722年、バビロンのネブカデネザル王が第一次捕囚を行った*8のはB.C. 597年であるとしている*9旧約聖書においては、いわゆるアッシリヤ捕囚やバビロン捕囚の後であっても「12部族から成る民族全体がイスラエルである」という認識は継続しているようである。
 エズラ記2:70では、ゼルバベルの指揮下でバビロン捕囚から帰還した民が「すべてのイスラエル人」と呼ばれている。この箇所における用法については、エズラはバビロン捕囚から帰還した南王国ユダの国民を指して「すべてのイスラエル人」と言っているのだという解釈もあり得るかも知れない。しかし、エズラ記と同様に捕囚後に書かれた歴代誌*10では、「イスラエル」を「12部族から成る民族全体」と捉えている事例が多く見受けられる。Kaiserはこの点を以下のように指摘している。

歴代誌の著者は首都エルサレムイスラエルが再びひとつになるという未来像を持っていた。事実、歴代誌第一・第二には「全イスラエル」という表現が、「イスラエルの全会衆[あるいは全集団]」や「イスラエルの全部族」といった付加的な言い回しとともに全部で41回登場している。*11

 Kaiserが主張するような視点を前提とするならば、エズラが「12部族から成る民族全体」を指して「イスラエル」という用語を使っていることは十分に考えられる。事実、エズラはヤハウェを「イスラエルの神」と呼び、その神への礼拝の文脈で会衆を「イスラエル」と呼んでいる(エズ9:4;同9:15;同10:1;同10:5など)。また、ネヘミヤも同様に、捕囚から帰還した民を「イスラエル人」や「イスラエル」と呼んでいる(ネヘ9:1;同10:33;同11:3;同13:8など)。
 なお、ルカの福音書2:36では、エルサレムの女預言者アンナが「アセル族のパヌエルの娘」だといわれている。この「アセル族」は12部族のひとつである「アシェル族」と同一の部族を指しているものと考えられる*12。こういった例を見ても、捕囚から帰還した民の中には北の10部族も含まれていたものと推測される。もしこの推測が正しければ、エズラやネヘミヤが自分たちの下にいた会衆を「イスラエル」民族全体として捉えていてもおかしくはない。
 なお、捕囚後、特に新約聖書では12部族から成るイスラエル民族全体を指して「ユダヤ人」という用語が用いられている例が見られる(ヨハ4:22;使11:19;ロマ1:16など)。この点については、後に項を改めて論じることとしたい。ここでは、本来南王国ユダの国民を指して用いられていた「ユダヤ人」という用語は、現在ではイスラエル民族全体を指すために用いられていると述べるに留める。本シリーズにおいても、これ以降「ユダヤ人」はイスラエル民族と同義語として扱われている。

*1:Strong’s Hebrew and Greek Dictionaries, H3478, in PC software e-Sword X (Rick Meyers, 2015); Robert L. Saucy, “Israel and the Church: A Case for Discontinuity,” Continuity and Discontinuity: Perspectives on the Relationship Between the Old and New Testament, John S. Feinberg, ed. (Wheaton, IL: Crossway, 1988) 242.

*2:伝統的な見解では、創世記の著者(もしくは編者)はモーセであるとされている(John H. Sailhamer, The Pentateuch as Narrative: A Biblical-Theological Commentary [Grand Rapids, MI: Zondervan, 1992] 23-25)。文書資料説が提唱されて以降、いわゆるモーセ五書はバビロン捕囚以降に編纂されたとする見解が存在している。これに対して、津村は文書資料説の脆弱性を指摘している(津村俊夫『聖書セミナー No. 13 創造と洪水』[日本聖書協会、2006年]76–87頁)。また、彼は「『五書』は、なぜ、ペルシャ時代に書かれなければならなかったのか」という点について疑問を呈している(津村「福音主義神学における聖書釈義」『福音主義神学』第45号[日本福音主義神学会、2014年]18–19頁)。
 もし創世記の著者あるいは編者がモーセであるという伝統的見解を採用するならば、創世記32:32では、モーセが自分たちの民族を指して「イスラエル人」という語を用いていることになる。

*3:新改訳第三版では「イスラエルの人々」と訳されている。

*4:The Brown-Driver-Briggs Hebrew and English Lexicon, Coded with Strong’s Concordance Numbers, H3428, 2a, in PC Software e-Sword X.

*5:Brown-Driver-Briggs, H3478, 2b. また、I列14:19およびエレ5:11を参照のこと。

*6:例として、イザ5:7;同8:14;同45:4;エレ9:26;同16:14-15;同51:19;エゼ3:7;同29:21;同36:10;ホセ12:13;ヨエ2:27;アモ3:1;ナホ2:2;ゼパ3:13-14など。

*7:II列17:6

*8:II列24:14

*9:Edwin M. Yamauchi, “Archaeological Backgrounds of the Exilic and Postexilic Era Part 3: The Archaeological Background of Ezra,” Bibliotheca Sacra, 137 (July-Sept. 1980) 195-96.

*10:歴代誌第二36章は内容からしても明らかにこの書がバビロン捕囚からの帰還後に書かれた(もしくは編纂された)ことを示唆している。なお、歴代誌第一・第二は本来ひとつの書物であった。また、伝承によればその著者はエズラだという(Walter C. Kaiser Jr., “Israel According to the Writings,” The People, the Land, and the Future of Israel: Israel and the Jewish People in the Plans of God, Darrell L. Bock and Mitch Glaser, eds. (Grand Rapids, MI: Kregel Publications, 2014), 50)。

*11:Kaiser, “Israel According to the Writings,” 50-51. なお、歴代誌における「全イスラエル」という表現は、たとえばI歴9:1;同29:26;II歴1:2;同35:3などに登場する。「イスラエルの全会衆[あるいは全集団]」という表現は、たとえばI歴13:2;II歴5:6;同6:13などに登場する。また、「イスラエルの全部族」という表現はたとえばII歴11:16などに登場する。

*12:Joseph H. Thayer, Thayer’s Greek-English Lexicon of the New Testament: Coded with Strong’s Concordance Numbers, 11th Printing (Peabody, MA: Hendrickson Publishers, 2014[1896]) 80; Fruchtenbaum, Yeshua: The Life of the Messiah from a Messianic Jewish Perspective, Vol. 1 (San Antonio, TX: Ariel Ministries, 2016) 440-41.