軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

今、ヨハネの手紙第二を学ぶ意義

たまに「ブログのタイトル安直すぎない?」などと言われることがあり、そうなんだよな〜と思いつつ怠けていたのですが、思い切って変えてみました。また安直なタイトルだし意味不明な感もなくはないですが、「ブログのタイトルってそんなに覚えてもらえない」なんてことも言われておりますし、自分の好きな単語を並べてみた次第です。

さて、最近、来月からヨハネの手紙第二の学び会に突入していくに当たって、「今、ヨハネの手紙第二を学ぶ意義ってなんだろう」なんてことを考えておりました。その考えていた内容を、手紙の背景なんかもふまえて、ここに少しくしたためたいと思います。

トピック

手紙の背景

第一の手紙でもそうでしたが、この手紙の本文には、執筆場所や時期を直接的に示している情報はありません*1。おそらく、第一の手紙と同様な理由で、ヨハネが晩年に住んでいた小アジア(エペソ?)のクリスチャン家庭もしくは地域教会に宛てて書かれたものだと言えるでしょう。

この手紙が第一の手紙より先に書かれたものか、後に書かれたものか、それとも同時に書かれたのか、それも明確には分かりません。ですが、推測することはできます。この手紙では、第一の手紙で教えられていた神学的内容が繰り返されています。しかも、そこには第一の手紙よりも踏み込んだ教えは見られません。このことから、この手紙の読者たちは、第一の手紙を既に知っていたものと考えられます。したがって、この手紙は第一の手紙より先に書かれた可能性、あるいは第一の手紙と同時に書かれた可能性が高いと言えるでしょう*2

第一の手紙では、教会内で発生した異端者たちによる分裂に悩まされていた読者たちに、彼らの救いの確証と励ましを与えるということが主題とされていました。そして、手紙における教えの中心軸は「イエスは人となって来られたキリストである」という真理と、「互いに愛し合う」という相互愛の実践でした。

それでは、第二の手紙では、どのような問題が扱われているのでしょうか。手紙の本文から分かることは、この手紙においても、まず与えられているのは「互いに愛し合う」というヨハネの「お願い」です(5節)。そして、彼がこのように「お願い」しなければならなくなった事の発端もまた、異端者たちの出現であるということがわかります。7節では「なぜお願いするかと言えば、人を惑わす者、すなわち、イエス・キリストが人として来られたことを告白しない者が大ぜい世に出て行ったからです」と言われているからです。

その後でヨハネは具体的な警告を述べていますが(9–11節)、その内容は、読者たちの家に訪ねてきた人々へのもてなしに関するものです。初代教会の時代では、各教会における霊的指導者として巡回伝道者が大きな役割を担っていました*3。最大の例は、使徒パウロでしょう。彼はまさに、巡回伝道者と呼ぶにふさわしい人物です。

例えば、パウロはピリピでルデヤの、テサロニケではヤソンの、コリントではガイオのもてなしを受けているし、カイザリヤでは伝道者ピリポの家に、エルサレムではキプロス人マナソンの家に滞在している(使徒16・15、17・7、ローマ16・23、使徒21・8、16)。*4

他にも、使徒の働きではペテロが巡回伝道を行っていた例(9:32)、アポロが「イエスがキリストであること」を知る前から巡回伝道を行っていた例(18:24–28)、預言者たちが旅をしている例(11:27;21:10)も見られます。

初代教会から初期キリスト教の時代においては、巡回伝道者へのもてなしを悪用する偽教師たちの存在が問題になっていたようです。1世紀末から2世紀初頭にかけて書かれたと思われる『十二使徒の教え』(あるいは『ディダケー』)という文書*5でも、同様な問題が扱われています。この文書は全16章の中で正統的とされている教え、洗礼や祈り、聖餐などの祭儀、巡回伝道者への処遇、教会における規則、そして終末論が教えられています。その中でも巡回伝道者や旅行中のクリスチャンのもてなしについては第11章と12章の2章が割かれており、この問題が初期の教会においていかに重要なものであったかを伺い知ることができます。特に11章では、来訪してきた者が偽預言者かどうかを見分けるための手引きが記されています。その基準は、教えが正しいかどうか(11:1–2)、宿泊日数(11:5)、必要以上の食物や金銭の要求の有無(11:6)、真理を教えていたとしてもそれを実践しているかどうか(11:8、10)などといったものです。

十二使徒の教え』は聖書ではありませんから、私たちはその手引きをそのまま受け入れるわけにはいきません。しかし、扱われている問題自体はヨハネが第二の手紙で扱っているものとほとんど変わりません。ヨハネはこの手紙において、第一の手紙で教えられていた真理に基づき、巡回伝道者の処遇は、その人物がキリストの教えの内に留まっているかどうかで判断せよ、と教えています。この基準に当てはまらない人物について、ヨハネは「家に受け入れてはいけません。その人にあいさつのことばをかけてもいけません」と、厳格な扱いを命じています。

手紙を学ぶことの重要性

第二・第三の手紙は、新約聖書の中でもとりわけ短い手紙です。通常版の新改訳聖書(第三版)であれば、それぞれ片面1頁に収まるほどの文量しかありません。そして、この短い2通の手紙については、軽視されていることが多いのが実情だと思われます。これらの手紙については、Yarbroughが(おそらく皮肉っぽく)指摘しているように、「今日まで、ほとんどの教会は、彼らの聖書の中に第二ヨハネや第三ヨハネがなかったとしても、その不足に困ることなく、生涯機能していくことができるだろう」というような扱いが続いているのです*6

確かに、第二・第三の手紙──とりわけ第三の手紙──がキリスト教界に広く受け入れられていくのは、第一の手紙と比べれば遅かったのかもしれません。エイレナイオスは第二の手紙については第一の手紙と同じく使徒ヨハネによるものとして言及していますが、第三の手紙については言及されていません。しかし、エウセビオスの頃になると、これらの手紙は「多くの人々に知られている」ものとなっていました(『教会史』III.25.3)。彼自身は第二・第三の手紙について正典かどうか「疑わしいもの」に含めており、その著者は「福音書記者〔ヨハネ〕のものか、同名の別人のものだろう」と述べています(同上)。しかしながら、黙示録の著者問題を論じる上で彼が引用しているディオニュシオスは、第二・第三の手紙も使徒ヨハネの作であると認めていたことから(VII.25.11)、3世紀には両方の手紙がヨハネによるものであり、正典であるという認識が広まっていたものと思われます。そして、今に至るまで、第二・第三の手紙が正典ではないとする強力な根拠は見出されていないのです。

これらの手紙が正典であるならば、重要ではないわけがありません。第二・第三の手紙は、深遠な「愛の神学」が語られていた第一の手紙の適用として、愛の実践、異端問題、巡回伝道者のもてなしの問題、そして教会における権威の問題(これは第三の手紙で扱います)といったことが具体的に論じられています。また、ここでの具体的な教えをふまえて第一の手紙を見直すことによって、私たちは第一の手紙の内容をより明確に捉え、どのようにクリスチャン生活に適用していくべきか、考えていくことができるでしょう。McGeeは興味深い指摘をしています。「これら[の手紙]はとても短いものではありますが、非常に重要です。第一の書簡の適切な見通しを得るため、そしてねじ曲げられた見解を避けるためには、このふたつの書簡が不可欠なのです。」*7

これらの手紙で教えられていることから、私たちは真理について厳格な姿勢を示すことの重要性を学ぶことができます。これは、現代の私たちにとって大切なテーマです。大嶋重徳は、現代が「ポストモダン」の時代に入ったということは、「普遍的な真理であるかということよりも、真理というのは人それぞれなので、人それぞれのフィーリング(感覚)に合っているものを選べばいいじゃないかということを、価値として優先させる時代に入ったということ」だと指摘しています*8。その上で、彼が活動している若者への伝道の場においては、「相対化された価値観の中で育った現代の若者世代は、逆に絶対的な確信に対して非常に強い反応を示す」と述べています*9。大嶋のこの発言は、これから第二・第三の手紙を学ぼうとしている私たちにとって、示唆に富んだものです。

ヨハネは第一の手紙から、「イエスは人となって来られたキリストである」という真理を中心軸として、彼の「愛の神学」を論じてきました。第二の手紙においても、その真理について妥協すべきではないこと、そして真理を巡ってクリスチャンが示すべき厳格な姿勢が教えられています。「イエスは人となって来られたキリストである」という真理は「多様な真理の中のひとつ」ではなく、ただひとつの真理です。真理の多様化と相対化が進んだ今の時代において、私たちは第二の手紙で教えられていることから、真理を巡ってクリスチャンが示すべき厳格な姿勢を学ぶべきです。それによって、クリスチャンは、真理の絶対性を否定する「世」に属する人々に証しをしていかなければなりません。第二の手紙が発している警告は、「ポストモダン」に入ったと言われて久しい今の時代にふさわしいものなのです。

また、現代においては、教会に集う人々の間でも「愛」の受け取り方が変容しています。神は「愛」でありますが(Iヨハ4:8、16)、同時に「光」でもあります(Iヨハ1:5)。神ご自身において、義と愛、あるいは真理と愛は、常に調和しているものなのです。私たちは愛の実践を考えるとき、常に義や真理との調和を心がけなければなりません。神ご自身のご性質から考えても、私たちの愛の実践が真理からは外れてしまっているとき、それは実は愛ではないのです。第二・第三の手紙では、語られているメッセージの端々から、真理を軸にした愛の実践神学が滲み出しています。私たちはそこから、聖書的な愛の実践について、考えていかなければなりません。

*1:Brooke Foss Westcott, The Epistles of St John: The Greek Text with Notes and Essays, 3rd ed. (Cambridge and London: Macmillan and Co., 1892), p. lvi.

*2:第一の手紙と第二・第三の手紙の関係については、種々の議論が提示されている。以下を参照のこと。D・M・スミス『現代聖書注解 ヨハネの手紙1、2、3』新免貢訳(日本基督教団出版局、1994年)21–41頁;Robert W. Yarbrough, 1–3 John, Baker Exegetical Commentary on the New Testament (Grand Rapids, MI: Baker Academic, 2008), Kindle ed., locations 8116–21.

*3:ジョン・R・W・ストット『ティンデル聖書注解 ヨハネの手紙』千田俊昭訳(いのちのことば社、2007年)226

*4:同上

*5:この書物が記されている写本には、他により長い『十二使徒を通じて諸国の民に伝えられた主の教え』という標題も記されている。成立年代や成立地については研究者によって見解が異なるが、いずれも推測の域を脱するものではない。内容からすると、成立年代は紀元1世紀末から2世紀初頭、成立地はシリア・パレスチナ地域であるという見解の妥当性が高い。当然のことながら、これらが実際に使徒の手によって書かれたものであるとは考えられていない。『ディダケー』の解説については、W・レベル『新約外典・使徒教父文書概説』筒井賢治訳(教文館、2001年)356–73頁に詳しい。なお、『ディダケー』本文の日本語訳文は、佐竹明訳「十二使徒の教訓」『使徒教父文書』荒井献編(講談社、1998年)27–40頁、および杉崎直子訳「十二使徒の教え」『中世思想原典集成1 初期ギリシア教父』上智大学中世思想研究所編訳・監修(平凡社、1995年)28–40頁において読むことができる。

*6:Yarbrough, 1–3 John, locations 579.

*7:J. Vernon McGee, Thru the BibleTWR Japan「いのちのみことば」;2017年8月26日閲覧)

*8:大嶋重徳『若者と生きる教会──伝道・教会教育・信仰継承』(教文館、2015年)9–10頁

*9:前掲書、19頁