軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

ディスペンセーション主義における旧新約間の「連続性」と「非連続性」:まとめ

本稿は米国The Master's Seminaryの神学教授、マイケル・J・ヴラック(Michael J. Vlach)氏のブログからの翻訳記事です。元記事はこちら↓

mikevlach.blogspot.jp

また、本稿は先の2つのポスト↓の要約となっています。

balien.hatenablog.com

balien.hatenablog.com

なお、同様な内容は(一部改訂された上で)Michael J. Vlach, Dispensationalism: Essential Beliefs and Common Myths, revised and updated edition (Los Angels: Theological Studies Press, 2017), pp. 83–84にも掲載されています。

トピック

Dispensationalism’s Relationship to Both Continuity and Discontinuity: Bringing It All Together

本稿はディスペンセーション主義から見た旧新約聖書の連続性(continuity)と非連続性(discontinuity)について論じた、先の2つの記事の要約である。以下に8つの連続的要素と5つの非連続的要素を示す。詳しくは、それぞれを扱った記事を参照いただきたい。

ディスペンセーション主義における旧新約間の連続性

  1. ストーリーラインの連続性(旧約聖書のストーリーラインはイエスの2つの来臨において字義通りに成就する)。
  2. メシアの王国と旧約聖書で約束された王国とは一貫したものである。
  3. イスラエル
  4. イスラエルの地とエルサレム
  5. 主の日
  6. メシア的救いは異邦人信者にも及ぶ
  7. 救いは恵みにより信仰による
  8. 新約における旧約の引用や言及は、旧約著者による本来の字義的意味と一致したものである。

ディスペンセーション主義における旧新約間の非連続性

  1. イスラエルと教会
  2. モーセ契約と新しい契約
  3. 複数のディスペンセーション
  4. 神の民
  5. 聖霊の働き

以上のことから、私はディスペンセーション主義が全体的に「非連続性」を強調する体系だとするのには抵抗がある。ディスペンセーション主義は、連続性と非連続性の健全なバランスを示していると思われる。そして、ディスペンセーション主義は旧約聖書の諸約束、諸預言、諸契約の字義的成就を主張しているために、非連続性よりも連続性の方をより強調しているように思われる。

連続性と非連続性の問題については、John S. Feinberg編『Continuity and Discontinuity: Perspectives on the Relationship between the Old and New Testaments』が素晴らしい本なので、こちらを参照していただきたい。

本書は、私が読んだ中で最も重要な神学書のひとつである。そこではディスペンセーション主義神学者と非ディスペンセーション主義の神学者による、連続性と非連続性に関する議論が対比されている*1。また、私は本書によって、確信を持った上でディスペンセーション主義者になった。

*1:訳注:本書では基本的に、「連続性」を強調する主張は非ディスペンセーション主義者から、「非連続性」を強調する主張はディスペンセーション主義者からなされている。しかし正確には、「非連続性」を強調する者の中にもDouglas Moo、Walter Kaiserといった非ディスペンセーション主義者が含まれている。