軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

私の読書(10)遠藤周作「札の辻」

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遠藤周作に「札の辻」という短編があります。初出は『新潮』1963年11月号で、1965年の短編集『哀歌』にも収録されています。『哀歌』というと、著者の入院生活の影響を受けた作品やキリシタン物が中心的に収録されており、それぞれが代表作『沈黙』への道備えとなっています。講談社文芸文庫版のあとがき「著者から読者へ」で「『哀歌』を私の『沈黙』の前奏曲、と考えてくださってよい」と言われている通りです。

そして、実際にはそれぞれの短編は必ずしも『沈黙』と直接繋がっているわけではないのですが、「しかしその円周が次第に小さくなったところに『沈黙』の踏絵のイエスの顔になる。その顔に『哀歌』の諸短篇は結局は結実してしまう」というのも、やはり遠藤が「著者から読者へ」で言っている通りであります。

「札の辻」は本当に短い短篇で、あらすじも至って単純です。ある男が、卒業したミッション大学の同窓会へ向かうため、都電に揺られて銀座方面へ向かいます。その途上、彼は学生時代、「ネズミ」というあだ名の修道士と札の辻の崖に登ったことを思い出します。その思い出話が、この話のメインパートになっています。

ユダヤ系ドイツ人のネズミは、性格も体格も小さく、学生たちからは嘲笑の的になっていました。しかし、ある出来事をきっかけに、男はネズミから「仲間」と思われてしまいます。男が「きりしたん研究会」に出席して、札の辻で起きた50人のキリシタンの集団火刑について話を聞かされた時、ネズミも偶然同席していました。男を「仲間」と思っていたネズミは、彼に札の辻の刑場跡を見に行こうと誘います。それで男は、しぶしぶ彼を札の辻へ連れて行ったのでした。札の辻に来た時、男は殉教者たちのことを想像しながら、(しかし、お前さんは絶対、だめだな。俺もだめだがお前さんも絶対だめだよ)と、心の中でネズミに語りかけます。自分もネズミも、「二人とも肉体にたいする恐怖の前には精神など意味を失ってしまう種族」なのだ、と。無意識のうちに、男自身もネズミと自分を重ね合わせていたのです。「自分もネズミも、刑場に行く前に踏絵でもなんでも踏むにちがいない連中の一人」なのだ、と。

銀座に着いた男は、同窓会の場で、ネズミのその後を聞きました。彼はドイツに戻った後、ユダヤ系であるために収容所に入れられたといいます。しかし、「同じ収容所のユダヤ人が飢餓の刑に処せられた時、この修道士は身代りになって罰を受け死んだ」のだというのです。「だれが、なにがネズミにそんな変りかたをさせたのだろう。だれが、なにがそんな遠い地点までネズミを引きあげたのだろう。」男はそう思いながら、ネズミの人生を「ふしぎな気持で噛みしめ」たのでした。

 

今日、出張で近くに行く予定があったので、昼休みの時間を使って、札の辻にある「元和キリシタン遺跡」まで足を運んできました。住友不動産の三田ツインビル横の公園内、勾配の緩い階段を登りきったところに、都の教育委員会により石碑が置かれています。

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碑文の内容は、下の写真の通りです。

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カトリック東京大司教区が公開している『江戸キリシタン巡礼ガイド』によれば、集団処刑がなされた約150年後、智福寺が建てられたそうですが、「その後度重なる山崩れに移転」したとあります。また、「東京教区ニュース」240号によれば、「旧智福寺はビルの裏手、済海寺下にあったはず」とのことです。

東京教区の巡礼地と列福者 | カトリック東京大司教区 ウェブサイト

東京教区ニュース第240号 | カトリック東京大司教区 ウェブサイト

徳川家光による元和キリシタン集団処刑の内容や、遺跡の概要については、以下のブログ記事をご参照下さい。「東京教区ニュース」の記事も転載されています。

deepazabu.blogspot.com

イエズス会フランシスコ会の神父、そしてヨハネ原主水らが殉教の死を遂げたのが、実際にはあの場所でなかったとしても、私には十分でした。きれいに整備された公園の中で、あの背の低い木々や草に覆われた小高い丘だけが、遠藤の描いた「札の辻」の面影を残しているように思えました。斜面は部分的に灰色のコンクリート擁壁で覆われてはいましたが、他の部分は地肌が顔を出していて、そこに私は、遠藤がいう「黒い崖と木々と」をしっかりと見出したのでした。

 

私にとって、「札の辻」は『哀歌』の中でも特に印象深い作品です。それは、この作品が『沈黙』のみならず、『死海のほとり』にも直接繋がっていく作品だからであります*1。ここに登場する「ネズミ」について、遠藤は「キチジローの原型的人物」だと述べていますが*2、同時に、彼は間違いなく、死海のほとりに登場する臆病な修道士「ねずみ」の原型でもあります。そして、学生時代に「ネズミ」と邂逅し、彼のことが頭から離れない「男」もまた、『死海のほとり』の主人公である作家「私」の原型的人物であるといえましょう。そのことに思いを馳せながら、私は遠藤文学における「棄教者」のラインと、「殉教者」のラインについて考えさせられました。

遠藤周作というと、棄教した人物が主人公の『沈黙』が代表作ですし、「弱者」ということが一大テーマとして盛んに論じられていますので、どうしても棄教者のラインばかりが注目されています。確かに、『沈黙』を始めとして、棄教者のラインを扱った作品は多いです。初期短編の「黄色い人」からして棄教した神父が登場しますし、この背景には、遠藤と彼の母がともに世話になったペテル・J・ヘルツォーク神父の「還俗」があります。

ヘルツォーク神父を巡る件については、詳しくは別の機会に取り上げるとして、しかし遠藤は終始一貫して、殉教者たちをも見つめ続けていたと思うのです。思い返せば、『沈黙』に続く長編『死海のほとり』は、まさに遠藤にとって殉教者の代表たるイエスの十字架が中心に置かれていました。評伝『イエスの生涯』は言わずもがな、『キリストの誕生』だって、中心は憶病者だったペトロの殉教、また烈しい迫害者だったパウロの殉教にあります。さらに続く純文学長編『侍』もまた、主要人物たちは殉教の死を遂げますし、晩年の『深い河』の大津も、遠藤流イエスの生涯に倣うような死を遂げました。見方を変えれば、『沈黙』だって、「沈黙の声」という本来の主題を考えれば、作品の中心に位置しているのは、その声を発している十字架上のイエスだったのです。

そうしてみると、『死海のほとり』に登場する「ねずみ」はとても興味深い人物です。彼は、棄教者たちのラインを代表する『沈黙』のキチジローのごとく、卑怯で卑屈な人物として描かれています。しかし、彼は最後、収容所に入れられ、同房のユダヤ人に彼の最後のパンを与え、処刑に引かれていくのです。その場面では、ねずみに付き添って処刑に引かれていくイエスの姿が描かれています。ここから分かるように、ねずみというのは、棄教者キチジローの性質を持ちながら、遠藤にとっては、卑怯者から殉教者へと変えられたというペテロ的殉教者の系譜に位置づけられているのです。

ねずみの殉教者としての位置づけは、「札の辻」の「ネズミ」にて最もよく表れています。作品中での登場人物たちによる扱いはともかく、著者自身は、ネズミは「仲間のために愛のために死んだ」のであったと述べています。そして、ネズミはそのような死に方をするまでに変えられたのだと、遠藤は「男」の口を通して語っています。『死海のほとり』とは異なって、「札の辻」におけるねずみは、はっきりと、誰かの身代わりとして命を棄てる人物になっているのです。

ヨハネ福音書15章12〜13節によれば、イエスは逮捕される夜、「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」と言われました。遠藤は、このイエスの言葉を噛みしめつづけ、まさにこの言葉を軸に、彼にとってのイエス像を創造していきました。そして、卑屈な人間が、友のために死ぬほど大きな愛をなす人間に変えられていく、その原因となる「X」を探求し続け、結局は『深い河』の世界に到ったのであります。

けれども、遠藤の描くイエスというのは、聖書が伝えるイエスとは重なりません。全くもって、重なりません。重なるとすれば、二人ともユダヤ人であるということ、それから二人とも「愛の人」であったという字面だけです。それでも、遠藤が探求し続けたテーマと、福音派の聖書信仰に導かれた私とで、少なくとも重なるところがあります。それは、イエスというお方にこそ、卑怯で臆病な自分を変えてくださる力があるはずだ、という信仰です。その信仰の内容も違ったものだとしても、「イエスの愛が私を変えてくださるはずだ」という文面では、なおも私は遠藤に重なるところを感じざるを得ないのです。

 

札の辻の石碑を見つめながら、ここで殉教の死を遂げた50人、その中のジェロニモ・デ・アンデリス神父、フランシスコ・ガルベス神父、そして原主水のことを想いました。「ネズミ」と「ねずみ」のことを想いました。ペトロのことを、そして、主イエスのことを想いました。

「人が自分の友のためにいのちを捨てること、これよりも大きな愛はだれも持っていません」と言われた同じ夜、イエスは次のようにも教えられました。

わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。(ヨハネ福音書15:5)

聖書が伝えるイエス・キリストの死と復活を、文字通りに信じている者として、私は自分の「実」を考えざるを得ません。聖書は、本当に多様な「実」を教えています。しかし、その中での信仰の「実」のピークは、友のため……究極的には神のために、自らの命をも棄てることです。ステパノのように、黙示録の殉教者たちのように、そして、イエスのように。

私には、その勇気はありません。そんな中、ふと考えてしまうのです。私の「実」は何だろうか。私は「実」を結んでいるのだろうか、と。もちろん、殉教だけが「実」ではないのは重々承知しています。殉教の「実」に至るかどうかは、自分の召し次第であることもわかっています。でも、実際には世界で──アジアで、中東で、アフリカで、本当に多くの兄弟姉妹たちが殉教の死を遂げていること、そしてその兄弟姉妹たちと私は同じ信仰を持っているはずだということを、想わざるを得ないのです。彼らもまた、元々はそんな勇気など持っていない人たちだったかもしれません。中には、ねずみのようにおどおどした人もいたかもしれません。私は、そんな彼らを変えられたイエスにとどまって、「実」を結んでいるのだろうか……そんなことを考えながら、緩い階段をとぼとぼと下り、札の辻を後にしたのです。

*1:山根道公「解題」『遠藤周作文学全集 7』(新潮社、1999年)371–72頁;有光隆司「遠藤周作における信者であることの再認識─『札の辻』から『死海のほとり』へ─」清泉女子大学キリスト教文化研究所年報、第24巻(2016年)161–78頁。

*2:「背後をふりかえる時」(小学館『昭和文学全集 21』)より。引用は『遠藤周作文学全集 7』371頁による。