軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

聖書の物語と契約(1)創造から洪水後まで

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はじめに

 聖書における契約の重要性を見るためには、まずは個々の契約を、それぞれのテキストの文脈において研究する必要がある。しかし本稿では、まず聖書の全体像を概観する中で、それぞれの契約が果たしている役割を見て行くこととしたい*1。それによって、契約が聖書の物語の中でいかに重要な役割を果たしているのか、示すことができると思う次第である。

創造

 聖書はまず「はじめに神が天と地を創造された」という文から始まっている(創1:1)*2。創造の記事は、聖書の物語が、神と被造世界の関係を巡るドラマであることを示している。そのドラマの舞台となるのが「地」である。神は地から、生き物の食べる植物や、生き物自体を生じさせられた(創1:11, 12, 14)。

 そして、神は地の上に、地から造り出された「人」を置かれた(2:7)。人には「神のかたち」また「似姿」として、「地を従える」という役割が与えられた(1:26–28)。「神が人間を形づくる前に神によって準備されたこの被造世界は、その中にある、ありとあらゆるものとともに、人間にその支配領域として与えられた。」*3 すなわち、人の創造の本来の目的は、この地上における神の代理の王として、被造世界を治めさせることだったのである*4。ゆえに、人はまず、神に従順となることが求められた(2:15–17)。

 また、人は三位一体の神のかたちとして、男と女という多様性を持ちながらも一つの存在として創造された(1:27; 2:18–24)。人はそのように、自らの間にある関係性により、協力し合い、一つとなって代理の王としての役割を果たすよう求められた。そして、男と女から新たな人が生まれてくることにより、次世代の「神のかたち」たちが地に満ちていくことが期待された(1:28; cf. 5:3)。

 これが、神が「非常に良かった」と判断された、完ぺきな創造の秩序であった(1:31)。この秩序の成立をもって、神は「なさっていたわざを完成」させられた(2:2)。

堕落

 しかし、人は蛇に唆され、神に反逆するという罪を犯した(創3:1–7)。これにより、創造の秩序は破滅的な局面を迎えた。「安息のゴールで祝福を受けるように定められていた創造の秩序に、のろいがもたらされたのである。」*5

 人は罪を犯したことにより、神がお与えになった祝福を失った。祝福の源として整えられた地がのろわれ、人は地からの祝福を満足に受け取ることができなくなった(3:17–19)。人は本来男女がひとつとなって地を従えていくはずだったのに、その関係性ものろわれてしまった。両者は協力関係ではなく、本質的に互いに支配し合おうとする関係に陥った(3:16b)。これにより、人は地を従えるという本来の務めを果たすことができなくなってしまった。この裁きは、出産の苦しみが増すというのろい(3:16a)にも見出される。次世代の「神のかたち」を生み出すという重要な役割を担う出産そのものが、苦しみとなってしまったのである。

 最大の悲劇は、神の臨在のもとで暮らしていた人が、そこから追放されてしまったことである(3:22–24)。「神のかたち」である人は、自らの創造者であり主である神と断絶してしまった。

 しかし、人には希望も与えられた。神は、蛇の背後にあった悪の力──後の啓示によればサタン──にも裁きの宣告をお与えになった。この宣告の中では、被造世界の王という務めを失ったかに見えた人の子孫(「女の子孫」)を通して、悪の力が打ち砕かれることが告げられた(3:15)*6。これは悪の力にとっては究極的な敗北であるが、人にとっては究極的な希望の宣言であった。そして人は、悪の力を打ち砕く「彼」──「女の子孫」の到来を待ち望むようになったのである。

洪水による裁きとノア契約

 最初の人アダムとエバから子孫が増え広がっていく中で、ノアが生まれた。彼の父レメクは、ノアこそが、アダムの堕落によりもたらされたのろいを覆す約束の子孫であるという希望を抱いた(創5:29)。その通りとはならなかったが、しかしノア自身は、神の計画が進む上で大変重要な役割を担っていくこととなる。

 地上は、人が増え広がるにしたがって、悪に満ちていった(6:1–5)。その堕落の度合いは、想像を絶するものとなっていた(6:11–12)。神は、増大していく地上の悪を裁くため、洪水をもたらすことを定められた。しかし、洪水の後にご自分の計画を遂行させるための器として、信仰によって神とともに歩んでいたノア(6:9b)とその家族をお選びになった。そして、ノアには箱舟を製造し、動物とともにその中に入るよう命じられた。

 神はノアとその家族、そして箱舟に入る動物たちが洪水の裁きから救われることを告げる中で、「わたしはあなたと契約を結ぶ」と仰せられた(6:18)。これが、聖書で初めて「契約」(ベリート ḇᵉriṯ)という言葉が使われた箇所である。

 創世記は、神のことばによる創造の記事で幕を開けた。神と人との関係は、人に向けられた神の祝福のことばによって始まった(1:28)。その後、人は神のことばへの不服従によって、被造世界にのろいをもたらした。この堕落後の世界において、神と人との関係に回復をもたらし、また被造世界にも回復をもたらす枠組みが、神がことばによってお与えになる契約なのである。

 神がノアと結ばれた契約(ノア契約)の詳細は、創世記9:9–17で明らかにされている。この契約は、ノアとその家族だけではなく彼らの「後の子孫」、すなわち全人類に与えられたものでもある(9:9)。さらに、これは裁きを免れた「すべての生き物」(9:10)、また「地」までも含む契約であった(9:13)。

 この契約は、洪水後の被造世界の存続を保証するものであり、この世界への祝福を約束している。特に「あなたがたは生めよ。増えよ。地に群がり、地に増えよ」という命令(あるいは祝福の言葉)が2度登場している(9:1, 7)。人が地を満たすという創造の秩序は、ノアとその子孫によって再スタートを切ることとなったのである。

 ノア契約は、神が創造されたこの地上を人や他の生き物が満たしていくこと、そして神が人を含めた被造物と今なお関わっておられることを保証している*7。したがって、これ以降の神と被造物のドラマは、ノア契約を土台として展開されていくこととなったのである。

*1:聖書の物語を概観する上で、特にディスペンセーションという概念に着目したものについては、Eliott Johnson, A Dispensational Biblical Theology (Allen, TX: Bold Grace Ministries, 2016).
 また、神の国(the kingdom of God)に着目したものとしては、以下を参照されたい。Alva J. McClain, The Greatness of the Kingdom: An Inductive Study of the Kingdom of God (Winona Lake, IN: BMH, 1959); Michael J. Vlach, He Will Reign Forever: A Biblical Study of the Kingdom of God (Silverton, OR: Lampion Press, 2017). 中でもMark R. Saucyによる論文は、神の国に重点を置きつつ、イスラエルや契約の重要性も強調し、かつ短くまとめたものとして大変参考になった(“Israel as a Necessary Theme in Biblical Theology,” in The People, the Land, and the Future of Israel: Israel and the Jewish People in the Plan of God, eds. Darrell L. Bock and Mitch Glaser [Grand Rapids: Kregel, 2014], 169–81)。
 Walter C. Kaiser Jr.は、神の約束という要素に着目した聖書神学を展開している(The Promise-Plan of God: A Biblical Theology of the Old and New Testament [Grand Rapids: Zondervan, 2008])。
 より改革派的な伝統に基づく聖書神学としては、契約に着目したO・パーマー・ロバートソンによるもの(『契約があらわすキリスト──聖書契約論入門』高尾直知訳、清水武夫監修[PCJ出版、2018年])や、神の国に着目したThomas R. Schreinerのもの(The King in His Beauty: A Biblical Theology of the Old and the New Testaments [Grand Rapids: Baker, 2013])が参考となる。
 また、Paul Martin Heneburyは、契約という概念を軸とした伝統的ディスペンセーショナリズムの再構築を提唱している。彼はその立場を「聖書的契約主義」(Biblical Covenantalism)と呼ぶが、以下のブログ記事は、彼の考える聖書神学の構造を端的にまとめたものである。Paul Martin Henebury, “The ‘Structure’ of Biblical Covenantalism,” July 24, 2019. ここでHeneburyが提唱する構造は、聖書の物語の全体像と、契約の構造の2軸から表現されている。

*2:特に断りがない限り、聖書引用は聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会による。

*3:エイレナイオス『使徒たちの使信の説明』11。小林稔小林玲子共訳「使徒たちの使信の説明」『中世思想原典集成I 初期ギリシア教父』上智大学中世思想研究所編訳・監修(平凡社、1995年)211頁。

*4:McClain, The Greatness of the Kingdom, 42–44; Vlach, He Will Reign Forever, 60–64; Schreiner, King in His Beauty, 5–7; Peter J. Gentry and Stephen J. Wellum, Kingdom through Covenant: A Bibli-cal-Theological Understanding of the Covenants (Wheaton, IL: Crossway, 2012), 181–202; Sung Wook Chung, “Toward the Reformed and Covenantal Theology of Premillennialism: A Proposal,” in A Case for Historic Premillennialism: An Alternative to “Left Behind” Eschatology, eds. Craig L. Blomberg and Sung Wook Chung (Grand Rapids: Baker, 2009), 135–37; Seth D. Postell, Eitan Bar, and Erez Soref, Reading Moses, Seeing Jesus: How the Torah Fulfills Its Goal in Yeshua (Wooster, OH: Weaver Book, 2017), 48–50.

*5:Saucy, “Israel as a Necessary Theme in Biblical Theology,” 172.

*6:創世記3:15の種々の解釈の要約および比較については、Michael Rydelnik, The Messianic Hope: Is the Hebrew Bible Really Messianic? NAC Studies in Bible and Theology (Nashville, TN: B&H, 2010), 131–35を参照のこと。本稿で採用しているメシア的解釈については、以下を参照されたい。Ibid., 135–45; Kaiser, The Messiah in the Old Testament (Grand Rapids: Zondervan, 1995), 37–42; James Hamilton, “The Skull Crushing Seed of the Woman: Inner-Biblical Interpretation of Genesis 3:15,” The Southern Baptist Journal of Theology 10/2 (Summer 2006): 30–54.

*7:Craig A. Blaising and Darrell L. Bock, Progressive Dispensationalism (Grand Rapids: Baker, 2000, paperback ed.), 129.