2019年も残り十数時間。読者の皆様には大変お世話になりました。
締め括りは、今年読んだ中で印象的だった10冊をご紹介したいと思います。
「聖書の物語と契約」シリーズは、年明けから再開予定です。
そろそろ原稿ストックが尽きそうなので、お休み中にある程度書き溜めておきたいところ。
来年も引き続き、どうぞよろしくお願い致します。
良いお年を!
- ヴラック『He Will Reign Forever』
- 遠藤『作家の日記』
- マルコの福音書注解書2冊
- 組織神学書2冊
- 『The Moody Handbook of Messianic Prophecy』
- 吉田『キリスト教の“はじまり”』
- ジェームズ『New Creation Eschatology and the Land』
- ヒッチコック&ハインドソン『Can We Still Believe in the Rapture?』
ヴラック『He Will Reign Forever』
Michael J. Vlach. He Will Reign Forever: A Biblical Theology of the Kingdom of God. Silverton, OR: Lampion Press, 2017.
何度目の言及かわからないが、一昨年に出版されて以降、幾度となくお世話になり続けている本だ。今年も、事あるごとに読み返し、教えられ続けた。
個人的には、アルヴァ・マクレイン博士のThe Greatness of the Kingdomと本書の2冊が、ディスペンセーショナリストによる聖書神学書の最高峰であると思う。惜しむらくは、聖書的契約をより厳密に扱った聖書神学が未だ出されていないことだ。(この辺りは、テロス聖書学院のポール・ヘンブリー博士がそのテーマで執筆中だそうなので、出版を楽しみに待ちたい。)
書評を書こう書こうと暇を見つけて準備しているのだが、先日、かなりバランスの取れた良い書評を見つけた。自分で書いてる書評より良いなぁと思ったので、そのうち拙訳でご紹介したいと思う。
遠藤『作家の日記』
なんと、今年は2月の「恥の文化」と聖書神学に関する記事で言及した以外、遠藤周作関連の記事を書かなかった。それなのに、完全に衝動だけで書いた遠藤文学への思い入れ記事が、冬に入ってからか人気記事に居座り続けてるのが不思議で仕方ない。どうしてだろう?
遠藤文学の考察は、自分の中である程度まとまっているものは、去年ある程度出し切ってしまった感がある。今は、新しく浮かび上がってきた宿題を揉んでいるところ。
それでも、遠藤文学から離れているわけではない。頭を休めたい時は、遠藤の著作をよく手に取る。今年一番読み返したのは、作者の滞仏記である「作家の日記」だったと思う。
マルコの福音書注解書2冊
James R. Edwards. The Gospel According to Mark. Pillar New Testament Commentary. Grand Rapids: Eerdmans, 2002. [Accordance]
Darrell L. Bock. Mark. New Cambridge Bible Commentary. New York: Cambridge University Press, 2015.
春から聖書の学び会でマルコの福音書を扱い始めたので、いくつか未所持の注解書を揃えた。中でも助けられている頻度が高いのが、この2冊だ。(他の本もあるので10冊には入れなかったが、次いで参照頻度が高いのがマーク・ストラウス博士の注解(ZECNT)だと思う。)
特にジェームズ・エドワーズ博士の注解に関しては、釈義と適用のバランスにいつも舌を巻く。ダレル・ボック博士の注解は、重要な情報を分かりやすい言葉遣いでギュッと詰め込んでくれている。
原典研究やさらに細かい釈義的情報を確認したい時は、R・T・フランス博士の注解(NIGTC)を当たっている。だが、ここで取り上げた2冊は、普通に本としてわくわくしながら読み進めている。そのように読める注解書は、とても珍しいと思う。
組織神学書2冊
Wayne Grudem. Systematic Theology: An Introduction to Biblical Doctrine. Revised edition. Grand Rapids: Zondervan, 2000. [Accordance]
John MacArthur and Richard Mayhue, eds. Biblical Doctrine: A Systematic Summary of Bible Truth. Wheaton, IL: Crossway, 2017.
以前の記事で書いたように、所属教会での学びを準備するに当たって、組織神学を学び直している。所持している組織神学書を読み返していて、いつしか参照頻度が多くなっていったのが、この2冊だった。(ブルース・ウェア博士のユース向け教理書は別格として。)
特にグルーデム博士のものは、議論の内容も流れも、大変よくまとまっていることに今さらながら気がついた。なるほど、海の向こうのレビューでよく「体系的にまとまっている」と評価されているのは、こういうことだったのか。その体系という面では、やはりジョン・マッカーサー博士&リチャード・メイヒュー博士共編の組織神学書よりもグルーデム博士の方が優れているかなぁと感じる。(特に終末論のセクションとか)
ただ、マッカーサー博士&メイヒュー博士のものも、改革派神学にしっかりと根差しつつ、終末論はディスペンセーショナリズム的という特徴もあるし、無駄を省いた中々ソリッドな内容であると思う。マッカーサー博士お得意?の表やチャートによるまとめも分かりやすいし。私の場合には、いつしか、あれほど精読したチャールズ・ライリーのBasic Theologyよりも参照頻度が高くなっていた。
この記事を書くに当たって後者の書評にいくつか目を通したが、何人かが「いずれ神学校のスタンダードなテキストになるだろう」と書いていた。ディスペンセーショナリズムに立つ神学校では、その通りになるだろうと思う。リアルタイムでこのような優れた組織神学書と出会えたのが、ものすごく嬉しい。
『The Moody Handbook of Messianic Prophecy』
Michael Rydelnik and Edwin Blum, eds. The Moody Handbook of Messianic Prophecy: Studies and Expositions of the Messiah in the Old Testament. Chicago: Moody, 2019.
これは、先月の簡易レビューでも書いたとおりである。序盤の総論的セクションも役立つ章ばかりだが、各預言の解説の中では、詩篇を扱っている各章が素晴らしかった。
先日、尊敬する先輩も関わっているBible Projectの日本語版が公開され始めた。現在公開中の中に、詩篇の概説を説明したものがある。
こちらの動画では、詩篇に込められているメシア待望の深さが分かりやすくまとめられている。そのような視点から詩篇を読むときなど、本書はとても有益であると思う。
吉田『キリスト教の“はじまり”』
吉田隆『キリスト教の“はじまり” 古代教会史入門』いのちのことば社、2019年。
小アジアを中心とした「古代教会」の発展を扱った本。読みやすいし、分かりやすい図解もあり、楽しみながら読むことができた。
これは根拠も何もないので実際は違うかもしれないが、教会史に関する議論となると、使徒行伝および書簡の記述から、すぐに中世〜宗教改革に飛んでしまうことが多いような気がする。しかし、ローマ帝国国教化に至るまでの歴史は、教会の本質や使命を考える上で、非常に重要であると思う。
本書は、教会史のその部分を補完する上で大いにおすすめできる文献だ。歴史神学的な面だけでなく、書簡の背景や、教会論を学ぶ上でも有益だと思う。
ジェームズ『New Creation Eschatology and the Land』
Steven L. James. New Creation Eschatology and the Land: A Survey of Contemporary Perspectives. Eugene, OR: Wipf and Stock, 2017.
スティーヴン・L・ジェームズのNew Creation Eschatology and the Landを読むのは、まるでチョコレートショップでフレーバーを楽しむような、本当に喜びに溢れた経験だった。本書は、new creationistの神学者たちがその終末論において、イスラエルの地と民を霊的象徴へ落とし込んでしまうという矛盾に挑戦しているだけではない。我々のメシアによる「御国を来らせたまえ!」という模範の祈りに根差した聖書的終末論の中で、もっと問い続けたい、もっと探求したいという飽くなき欲求へと私を誘ってくれた。私は本書を大いに推奨する。そして、本書がnew creationistの神学者たちの間でイスラエルの地に関する議論を生み出してくれるだろうと、大いに期待している。
(裏表紙のセツ・D・ポステル博士による推薦文より)
ポール・ヘンブリー博士のブログで書評を見て、面白そうだったので先日入手。本文が140ページちょっとと短いこともあったが、内容の面白さに、ポステル博士のようにグイグイ引き込まれた。
昨年、N・T・ライト博士のSurprised by Hopeが『驚くべき希望──天国、復活、教会の使命を再考する』(あめんどう、2018年)として邦訳出版された。そこで主張されているのは、将来もたらされる「新しい天と新しい地」が「全世界、全宇宙の救済と再創造」であるということだ。巷ではこういった考え方が、神の国から物理的要素を排して完全に霊的な形でのみ考える"Spiritual Vision Model"との対比で、"New Creation Model"と呼ばれることも多い。
著者のスティーヴン・ジェームズ博士(サウスウェスタン・バプテスト神学校)は、クレイグ・ブレイシング博士やマイケル・ヴラック博士と同様に、ディスペンセーショナリストであり、"new creationist"でもある。本書はその立場から、ライト博士やダグラス・ムー博士のような、近年の代表的"new creationist"の主張に切り込むものである。(実際、脚注には『驚くべき希望』が幾度となく登場している)
彼らは旧約の預言書に基づいて終末論を構成しているのだが、そこで土台となっているテキスト(イザヤ2、65–66章やエゼキエル36–37章など)には、イスラエルに対する土地の約束が含まれている。代表的な"new creationist"の学者たちは、そういったテキストによって、具体的にこの地上が、またこの世界にある諸要素が回復させられるという包括的な終末論を主張する。しかし同時に、彼らは"Spiritual Vision Model"の提唱者のようにイスラエルの地と民の回復を霊的な象徴として捉え、それらの回復の具体的実現を期待すべきではないと主張している。これは、論理的に矛盾しているのではないかというのが、著者の主張である。著者は、その矛盾点を突いて後、問題となる旧新約のテキストを簡潔に観察する。そして、ディスペンセーショナリストのブレイシング博士やヴラック博士、そして無千年王国説に立つヴァーン・ポイスレス博士(!)のように、イスラエルの地と民そのものの回復も成就すると考える方が、より一貫性のある"new creation eschatology"といえるのではないかと主張する。
実は、ライト博士が『驚くべき希望』で主張している新天新地の性質については、それほど違和感を抱かなかった。というのも、ディスペンセーショナリズムの終末論(特にアルヴァ・マクレイン以降の考え方)は、旧約に基づいて被造世界の回復を強く主張する立場であり、そもそもライト博士の主張と重複する部分が多かったのである。
近年、ライト博士の著書が持ち上げられる中で、なぜか伝統的な改革派の救済論だけではなくてディスペンセーショナリズムの終末論に対する風当たりも強くなっている。そうした風潮の中で、本書は精読に価する良書であると思う。
本書については、近々詳しいレビューも書きたいと考えているところである。
ヒッチコック&ハインドソン『Can We Still Believe in the Rapture?』
Mark Hitchcock and Ed Hindson. Can We Still Believe in the Rapture? Eugene, OR: Harvest House, 2017. [Kindle]
今、携挙の教理はつい最近生み出されたものであり、聖書的根拠を欠いており、またこの世界との関わりを欠かせるものであると言うのが、あまりに一般的になっている。マーク・ヒッチコックとエド・ハインドソンは、この教理そのものと反対意見について、聖書から詳しく調べている。本書は、患難期前携挙説に関する綿密な歴史的、聖書的、そして神学的観察が満載である。この本は、取り残される(left behind)べきではない!(ダレル・ボック博士)
私は携挙に関して有益な本を何冊か読んできたが、本書は最高の一冊である。マーク・ヒッチコックとエド・ヒンドソンは、患難期前の携挙について釈義的、神学的、歴史的に説得力ある議論を展開している。また、彼らは患難期前携挙説に対する反論の中でも、最良かつ最近の主張を取り扱っている。患難期前携挙説の支持者は励まされるだろう。この見解に異議を唱える者は、本書の主張と向き合う必要がある。(マイケル・ヴラック博士)
前々からAmazonからおすすめされていたのだが、なぜかヒッチコック博士に対しては苦手意識があって、手に取ることがなかった。だが、誤って商品ページを表示したら、なんとダレル・ボック御大が推薦文を書いていたので気になって仕方がなくなり、読んでみた次第だ。(なんとミーハーな)
あとは、共著者のハインドソン博士がThe Moody Handbook of Messianic Prophecyで担当していたイザヤ書61章の解説が良かったということもある。
私は患難期前携挙説について、今の終末論理解(前項で触れた"new creation eschatology"に近い)にとって必須の教理であるとは考えていないが、立場を修正する必要も感じていない。また、パウロ含め書簡著者たちはキリストがいつ戻ってこられるか分からない(再臨はいつでも起こり得る)という希望を持っていたと思うので、その理解と最も調和する見解は患難期前説だろうなぁと考えている。といっても、関連聖句を厳密に釈義して自分なりのロジックを組み立てたわけではない。なので、このブログでもそれほど強く主張してはいないわけだ。また、この立場に関する困難もそれなりに認識している。
だが確かに本書は、患難期前携挙説について教理史から始まって、関連テキストの釈義、神学的考察などを大体網羅しており、かなり充実した興味深い本だった。特に神学的考察については、故ジェラルド・スタントン博士のKept from the Hourを想起させるまとまり具合だ。
このテーマに関する文献としては、スタントン博士のKept from the Hour、ジョン・ハート博士編集のEvidence for the Raptureと並ぶ、いやもしかしたらそれら以上の良書であると思う。今後、精読していきたいところだ。
ともあれ、なぜか抱いていたヒッチコック博士に対する苦手意識が克服されたので(笑)、次は彼のThe End: A Complete Overview of Bible Prophecy and the End of Daysあたりをチェックしてみようと思う。