軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

古典的ギャップ・セオリーへの反論

前回:ギャップ・セオリーの広まり

ディスペンセーション主義者による反論

前回ご紹介したように、トマス・チャーマーズが説いたような古典的ギャップ・セオリーはG・H・ペンバー、C・I・スコフィールド、クラレンス・ラーキン、アルノ・ゲーベラインなどの影響力を持ったディスペンセーション主義者によっても広められました。

しかしながら、20世紀後半以降のディスペンセーション主義者の間では、ギャップ・セオリーに対する批判も多く見られるようになっていきました。たとえばダラス神学校の教師であったトーマス・コンスタブルは、自身の創世記研究ノートの中でギャップ・セオリーを取り上げ、この議論の根拠とされる主張を検証した後、次のように述べています。「多くの福音主義者は今なおギャップ・セオリーを唱えているが、そうしているヘブル語学者はほとんどいない。ヘブル語文法は1節と2節が時系列的に連続しているという読み方を支持しないからである。*1

もう一人、伝統的ディスペンセーション主義*2の立場を代表する神学者だったチャールズ・C・ライリーを取り上げておきましょう。彼がギャップ・セオリーの可能性を認めていたとする主張もありますが*3、彼が執筆した注解付き聖書『ライリー・スタディ・バイブル』や組織神学入門書『ベーシック・セオロジー』ではギャップ・セオリーが批判・否定されています*4

ライリーがギャップ・セオリーの「弱点」として挙げたのは以下の6つです。

  1. 創世記1:2冒頭は、接続詞ワウの使い方から「さて、地については〜であった」と訳すべきであり、動詞ハイェターを「〜になる」と訳すことはできない。また、「〜になってしまった」と過去完了的に訳すならば、1節の天地創造前に「地は形がなくなり、茫漠となってしまった」と語っていることになってしまうという論理的な問題がある*5
  2. 「茫漠として何もなく」(トーフー・ワ・ボーフー)は、必ずしもさばきや呪われた状態を意味しない。特にヨブ26:7や申命記32:10において、トーフーは少しも悪い意味を含まない*6
  3. 闇も被造物の益のために造られたものであり(詩104:19–24)、本質的に悪であるとは思われない*7
  4. ギャップ・セオリー支持者の間では、神がアダムに「再び地に満ちよ」(創1:28 KJV)と命じられたことが根拠とされることがある。しかし、これは誤訳であり、文字通りの訳は「地を満たせ」である*8
  5. 創造の行為を表す動詞について創世記1:1ではバーラー、1:3以降ではアサーと使い分けられているが、両者は本質的に同じ意味で使うことができるものである。バーラーの用法に基づいてギャップ・セオリーを支持することはできない*9
  6. 地上のさばきをもたらしたのはアダムの堕落であり(創3:17–19)、サタンの堕落が地上にさばきをもたらしたという聖書的根拠はない*10

以上の理由により、ライリーはギャップ・セオリーが「聖書本文の確かな釈義の基礎を欠いていると結論せざるを得ません」とまで述べています*11

コンスタブルやライリーと同じく伝統的ディスペンセーション主義者であるトニー・ガーランドもまた、ギャップ・セオリーを支持しないと表明しています*12。そこで彼が述べているとおり、「ギャップ・セオリーはディスペンセーション主義の界隈で人気があったものの、ディスペンセーション主義によって孵った卵ではなく、ディスペンセーション主義の特徴に依存したものでもありません」。加えて、ギャップ・セオリーを支持する議論の中でも、ディスペンセーション主義という神学的立場を用いた具体的な議論は見受けられません。ギャップ・セオリーを支持することとディスペンセーション主義を支持することは、本質的に全くの別問題だと見なすべきであるように思われます。

ただし、今日でもギャップ・セオリーを支持しているディスペンセーション主義者は少なくありません。その場合に提唱されている見解は、何らかの形で古典的ギャップ・セオリーと大きく異なる点が見られます。このことについて、詳しくは次回以降で扱います。

「若い地球説」を支持する創造論者による反論

ギャップ・セオリーを支持する人々のほとんどは、創世記1:3以降で語られている6日間の創造が文字通りに24×6時間の間に行われたものと解釈してきました。しかし、クリスチャンの中でギャップ・セオリーを最も激しく批判してきたのも、同じく6日間の創造を文字通りに信じる人々でした。

中でも代表的なのは、聖書の記述の正確さを前提にして自然科学を展開すべきであるという「創造科学」を支持する人々です。

創造科学運動に大きな影響を与えたThe Genesis Flood(1961年)*13の著者である工学者ヘンリー・M・モリスと神学者ジョン・C・ウィットコムは、ともにギャップ・セオリーを否定していました。ウィットコムの回想によれば、彼が教鞭をとっていたグレイス神学校ではほとんどの教授陣がギャップ・セオリーを支持しており、彼自身も同じでした。しかし、彼は1953年に同校のキャンパスで開かれたAmerican Scientific Affiliationのセミナーでモリスのプレゼンテーションを聞き、そこで語られたギャップ・セオリー批判に影響を受け、完全にギャップ・セオリーを放棄するようになったということです*14

創造科学の考え方では基本的に、自然科学で提唱されている地球の誕生や生命の発生に関わる長い年代が否定されています。そしてほとんどの場合は、創世記1–11章の記述をそのまま受け取ることで、今から数千〜数万年前に創造の御業がなされたとする「若い地球説*15」が主張されています。この考え方は、創世記1:1と2節の間に長期間のギャップを想定し、地球の成立年代などを自然科学の一般的な見解と調和させようとした古典的ギャップ・セオリーの考え方と真っ向から対立するものです。創造科学を推進するジェネシスジャパンの会長(2022年5月現在)である宇佐神実は次のように述べています。

 19世紀にこのような間隙説が広く受け入れられるようになった原因は、進化論の台頭です。「地球の歴史は長い年月が必要だ」との主張に対し、長い時間の経過(間隙)を創世記の1部に挿入することで問題を解決しようと考えたのです。現在でも、間隙説が支持される主な理由は、間隙があれば……進化論の主観に立つ科学の結論(何億年という長い年月)との矛盾を避けるためです[原文ママ]。
 ……進化論の主観に立つなら証拠も進化論の主観で解釈し、進化論の結論がでてきます。もし進化論と聖書の両方を信じる主観に立つなら、証拠の解釈も進化論と聖書の折衷案となり、そのような結論に至ります。このため、進化論と矛盾する聖書の教え[は]削除されます。*16

若い地球説支持者によるギャップ・セオリー批判でよく指摘されているポイントのひとつは、出エジプト記20:11(また31:17)との矛盾です*17。そこでは「【主】が六日間で、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造り、七日目に休んだからである」と言われています*18。6日間の創造には「天と地と海」だけではなく「それらの中のすべてのもの」が含まれているため、今の被造世界にそれより前に創造された要素(地層や化石化した動物など)があるという解釈は支持できないという考え方です*19

さらに古典的ギャップ・セオリーが退けられるべき理由として挙げられることが多いポイントは、死がアダムの罪によって入り込んだという聖書の教え(代表的な箇所としてロマ5:12)との矛盾です*20。スコフィールド引照付聖書などで見られた古典的ギャップ・セオリーでは、6日間の創造の前に動物の死があり、それが現在化石として残されていると主張されてきました。このような考え方は「一人の人によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして、すべての人が罪を犯したので、死がすべての人に広がった」(ロマ5:12)というパウロの教えと矛盾していると批判されています。この点に関して、宇佐神は「もし再創造の前に一度世界が滅ぼされて被造物の死があったなら、アダムの罪と死は関係なく、キリストの救いもアダムの罪と関係なくな[る]」と指摘しています。また、ある若い地球説支持者は、アダムの創造以前に死を想定することが「贖罪とイエスの死と復活の必要性、その教理の土台を崩してしまいます」と述べています*21。さらに、古典的ギャップ・セオリーの考え方では6日間で再創造された世界には既に死が存在していることになるため、創世記1:31の「神はご自分が造ったすべてのものを見られた。見よ、それは非常に良かった」という記述と矛盾するようにも思われます*22

1970年にカスタンスがギャップ・セオリーを包括的に擁護する著作を発表したことは既に紹介しました。多くの若い地球説支持者がカスタンスに反論しましたが、中でも代表的なものとして扱われることが多いのが、1976年に発表されたウェストン・W・フィールズのUnformed and Unfilledという著作です*23。同書では他に創世記1:3以降の「日」を「時代」と解釈する「一日一時代説」(day-age view)への反論や、若い地球説そのものの主張も扱われていますが、半分以上は主にカスタンスの著作への反論によって構成されています。

カスタンスはまず創世記1:2で使われているヘブル語の意味や文法に基づいてギャップ・セオリーを主張していました。フィールズによる反論もまた、ヘブル語本文の研究に基づいたものとなっています。その議論を既に紹介したカスタンスの主張の5ポイントと対応する形でまとめると、次のようになります(内容的には、既に紹介したライリーによる反論と大部分で重なっています)。

  1. ギャップ・セオリーにおいて、創世記1:1–2は最初に創造された世界が荒廃したという時系列的に繋がりのある形で解釈される。しかし、創世記1:2の冒頭にある接続詞ワウは、語りの流れに「途切れ」をもたらす離接的ワウ(waw-disjunctive)である。このワウの用法によれば、2節は1節で創造された世界がその時にどのような状態であったかを説明しているのであり、世界が創造された後に荒廃したことを表しているのではない*24
  2. ギャップ・セオリーで「となった」と理解される2節の動詞ハイェターは、英語のbe動詞のような連結動詞として使われることもある。ハイェターを「であった」(was)と「となった」(had become)のどちらで訳すかは文脈を考慮する必要がある。また、ヘブル語における時制の捉え方は英語の時制の捉え方と異なるため、両者を安易に同一視してハイェターを過去完了的に訳すことはできない。さらに、過去完了的に訳すと、2節の出来事は語りの中の主動詞である1節の創造よりも前に起こったことになる。よって、ハイェターの過去完了的な理解は1節の後で2節の状態になったというギャップ・セオリーの解釈と矛盾する*25
  3. トーフーという語は何らかの未完成の状態などを表すが、比較的ニュートラルな意味であり、必ずしもさばきの結果を表すとは限らない。2節のトーフー・ワ・ボーフーは創造された最初の時点で、地には何もない状態が表されているに過ぎない*26
  4. 以上により、1節では最初の創造が語られ、2節では創造されたばかりの地の状態が語られ、3節以降でその地が人の住む場所として整えられていくという伝統的な理解が支持される。
  5. 3節以降の6日間の創造で使われている動詞アサーは、出エジプト記20:11; 31:17; ネヘミヤ記9:6で被造世界のすべての創造に対しても使われている。バーラーとアサーは文脈によって互換性があり、動詞の違いに基づいて議論を展開することはできない。むしろ、出エジプト記やネヘミヤ記の記述によれば、創世記1:1–2:25に見られる創造の行為全体が6日間のうちになされたと解釈されなければならない*27

今回ご紹介したような批判がありながら、現在もギャップ・セオリーを支持する研究者は少なくありません。次回からは、現在支持されているギャップ・セオリーの代表的なバリエーションをご紹介していきたいと思っています。

balien.hatenablog.com

*1:Thomas L. Constable, “Notes on Genesis,” 2021 ed., 27.

*2:ここでの「伝統的ディスペンセーション主義」は、一般的に「古典的ディスペンセーション主義」と「修正ディスペンセーション主義」を含む立場を指します。ディスペンセーション主義の種々のラベリングについては、拙稿「続・ディスペンセーション主義Q&A」(2018年10月14日)をご参照ください。

*3:Tom McIver, “Formless and Void: Gap Theory Creationism,” Creation/Evolution 8/3 (Fall 1988): 15.

*4:Charles Caldwell Ryrie, The Ryrie Study Bible: ESV (Chicago: Moody, 2011), 3, Gen. 1:2; チャールズ・C・ライリー『ベーシック・セオロジー』前田大度訳(エマオ出版、2020年)275–78頁。

*5:前掲書、276–77頁。

*6:前掲書、277頁

*7:前掲書、277–78頁

*8:前掲書、278頁。

*9:前掲書、273, 278頁。

*10:前掲書、278頁。

*11:前掲書、277頁。

*12:SpiritAndTruth.org, Q218: Dispensationalism and the Gap Theory.

*13:John C. Whitcomb and Henry M. Morris, The Genesis Flood (Philadelphia: P&R, 1961).

*14:John C. Whitcomb, “Remembering The Genesis Flood," Answers in Genesis.

*15:参照:Weston W. Fields, Unformed and Unfilled: A Critique of the Gap Theory (Green Forest, AR: Master Books, 2005[1976]; reprint), 197ff; Eugene H. Merrill, Mark F. Rooker and Michael A. Grisanti, The World and the Word: An Introduction to the Old Testament (Nashville, TN: B&H, 2011), 178–82; J. Paul Tanner, “Old Testament Chronology and Its Implications for the Creation and Flood Accounts,” Bibliotheca Sacra 172 (January–March 2015): 24–44; 聖書入門.com「Q.118 『若い地球説』と『古い地球説』は、どちらが正しいですか」2017年4月18日。

*16:宇佐神実「聖書に真理を探究する」一般財団法人ジェネシスジャパン ニュースレター、2020年2月10日、3頁。

*17:例:同上;Ken Ham, “The Gap Theory (Part B),” originally published in Creation 3/3 (August 1980): 33–35; Fields, Unformed and Unfilled, 8–9, 58.

*18:「【主】」の表記は、新改訳2017において太字で表記されている「主」(原文では「学者の間でヤハウェとされている主の御名」が使われている語)を指します。

*19:Ham, “The Gap Theory (Part B).” カスタンスのように創造に関する動詞(バーラーとアサー)の意味を厳密に区別する人々は、出20:11および31:17で使われている動詞が創1:1のバーラーではなく1:3以降と同じアサーであることから、出エジプト記では6日間の再創造が述べられているに過ぎないと考えられています。これに対して、Hamはネヘ9:6で創1:1と同じ原初の創造がアサーによって表現されていることから、バーラーとアサーの区別を土台にした議論は成立しないと主張しています。Hamが指摘した点については既に紹介したライリー『ベーシック・セオロジー』273, 278頁や、後に紹介するFields, Unformed and Unfilled, 55–74でも論じられています。

*20:例:宇佐神「聖書に真理を探究する」3頁;GotQuestions日本語版「ギャップ説とは何ですか?創世記1:1と1:2の間に何か起こったのですか?」;Ham, “The Gap Theory (Part A),” originally published in Creation 3/3 (August 1980): 11–16; 安藤和子間隙説の問題」; Answers in Genesis『間隙説』とは何か」;ドン・バッテン編『聖書に書かれた「創造」の疑問に答える』安井亨訳(バイブル・アンド・クリエーション、2009年)65頁;Fields, Unformed and Unfilled, 135–41.

*21:バッテン編『「創造」の疑問に答える』65頁。

*22:Fields, Unformed and Unfilled, 141–42.

*23:参照:McIver, “Formless and Void,” 5; バッテン編『「創造」の疑問に答える』64頁。

*24:Fields, Unformed and Unfilled, 75–86.

*25:Ibid., 87–112.

*26:Ibid., 113–30.

*27:Ibid., 53–74. なお、文脈によるバーラーとアサーの互換性は他にも多くの学者に認められています。動詞の違いは現在ギャップ・セオリーを支持する人々の間でも根拠として使われることが稀であるため、本稿ではこれ以上詳細に論じることはしません。バーラーとアサーの互換性については、以下の文献もご参照ください。Thomas J. Finley, “Dimensions of the Hebrew Word for ‘Create’ (בָּרָא),” Bibliotheca Sacra 148 (October–December 1991): 409–23; Allen P. Ross, Creation and Blessing: A Guide to the Study and Exposition of Genesis (Grand Rapids: Baker, 1996), 724–28.