創世記1:2の「大水」の扱い
ギャップ・セオリーにおいて創世記1:2で神にさばかれた被造世界が描かれていると考えられている根拠は、地がトーフー・ワ・ボーフーであったという記述だけではありません。創世記1:2では続けて「闇が大水の面の上にあり」と言われています*1。ここに出てくる「闇」と「大水」それぞれの要素について、ギャップ・セオリーでは創世記1:2の前に神のさばきが下ったことの根拠とされています。前回は「闇」を取り上げましたが、今回は「大水」を取り上げて、ギャップ・セオリーの主張を検証してみましょう。
「大水」(テホーム)の意味
以前も触れたように、かつては創世記1:2に出てくる「大水」(テホーム)がエヌマ・エリシュに出てくる海の女神ティアマトからの派生語であるという仮説が提唱されていました。この説は19世紀末にドイツの旧約学者ヘルマン・グンケルが主張したものです。津村は、創世記1:2で混沌とした状態が描かれているという見解はグンケルの仮説に基づくものだと断言しています*2。
しかし近年ではヘブル語のテホーム、アッカド語ティアマト、アラビア語tihāmat、ウガリト語のthmなどはすべて共通セム語ティハームからの派生であるという見解が有力視されています*3。そして、上記のティハームからの派生語と思われるアッカド語やウガリト語などはいずれも、擬人化された神の名前だけではなく「大水」や「海」という意味の普通名詞としても使われています。むしろ、普通名詞の方が本来の使い方だったようです。よって、ヘブル語のテホームもまたティハームから派生した「大水」を意味する普通名詞であるものと考えられています*4。
旧約において、テホームは海を表すために使われることがあります(例:出15:5, 8; ヨブ38:16; 詩106:9; イザ51:10; ヨナ2:5)。しかし、旧約で通常「海」を表すヘブル語はヤムで、テホームが海を表すことは例外的です。被造世界全体が「天と地と海」と表されるときにも「海」を表すのはヤムであり(出20:11; 詩146:6; 参照:詩96:11; 135:6; ハガ2:6)、テホームが使われることはありません*5。
文脈的に海を表していることが明らかな箇所を除いて、テホームは通常「地下にある水」を指しています*6。たとえば、創世記1:2の次にこの語が使われているのは洪水の記述である7:11ですが、そこでは洪水の水源として「大いなる淵[テホーム]の源がことごとく裂け、天の水門が開かれた」と言われています。後半では大雨が地に降り注いだ様が表されており、前半では地下にある大水が地上に噴出している様が表されているのでしょう*7。
創世記7:11や8:2の「大水の源と天の水門」では、洪水の水源として「大水」と「天」が対比されています*8。こうした対比は、モーセ五書の中で他にも創世記49:25の「上よりの天の祝福、下に横たわる大水[テホーム]の祝福」や、申命記33:13の「天の賜物の露、下に横たわる大いなる水[テホーム]の賜物」で使われています。これらの箇所では約束の地における水の祝福が述べられていますが、「下に横たわるテホームの祝福/賜物」は豊かにあふれ出る地下水の祝福を表しているものと思われます*9。
他にも詩篇78:15; 箴言3:20; エゼキエル26:19; 31:4といった多くの箇所で、テホームは地に湧き出る水やその水源を表しています。
したがって、一般的にテホームは地の下にある大水を表すものであり、すなわちテホームは地(エレツ)の一部であるということができます*10。
創世記1:2の「大水」について
以上の考察に基づけば、創世記1:2では地を大水が覆っている、すなわち「本来だったら地下に治まっているはずの水が地上に溢れ出ているような」状況が描かれていることになります*11。
ギャップ・セオリー検証の一環として創世記1:2の大水の扱いを考える際、重要な問題となるのは、創世記1:2に見られる地と大水の関係が「混沌とした状態*12」にあると言えるかどうかです。
地下の大水が地上を覆っていることは、確かに通常考えられるような状況とはいえません。しかし、これを混沌(無秩序)と表現することが適切であるともいえません。「地は茫漠として何もなく」と同じように、大水が地を覆っていることも「まだ、私たちが想像するような通常の世界の状態ではない」ことを表していると理解することができます*13。このような状態を「無秩序」(disorder)と捉える必要はありません。まだ未完成ではありますが、その時点における「秩序」(order)であったと理解することもできるのです。
「大水」はさばきの結果か?
これまではテホームの基本的な意味に着目してきましたが、旧約ではテホームが印象の良くない(否定的な)形で使われていることがあります。
既に述べたように、テホームは神が洪水というさばきをもたらされた際の水源として言及されています(創7:11; 8:2; 詩104:6)。イスラエルが出エジプトの際に割れた海を渡ったことや、その海がエジプトの軍勢を飲み込んだことを表す際にもテホームが使われることがあります(出15:5, 8; 詩77:16; 106:9; イザ51:10; 63:13)。また、エゼキエル26:19ではツロに下る洪水のさばきが語られる中でテホームが言及されています。このように、テホームは神のさばきに用いられることがあります。
さらに、テホームが神の敵との関連で扱われている箇所があります。イザヤ51:9–10では竜(ラハブ)とテホームが関連させられており、そこで竜は神に「切り刻」まれ、「刺し殺」される存在として描かれています。ここでは出エジプトにおいて海が割れた出来事が言及されていますが、神が「ラハブを切り刻み、竜を刺し殺した」こと(9節)と「海を、大いなる淵[テホーム]を干上がらせ」たこと(10節)が並列させられています。こうした書き方からは、テホームが竜と同じように神に敗北する敵であるという印象を受けます。
水と竜(ラハブやレビヤタンといった怪物)のモチーフは、旧約で度々見られるものです。たとえばヨブ26:12–13; 詩篇74:12–14; イザヤ27:1; 51:9–10といった箇所では、「海」(ヤム)や「水」(マイーム)にいる竜と神の戦いが言及されています。こうした箇所では自然界に対する神の主権(ヨブ26:12–13)、出エジプトにおける神の力や勝利(詩74:12–14; イザ51:9–10)、終末における神のさばき(イザ27:1)といったことが、竜との戦いのモチーフで象徴的に伝えられているものと考えられます。
それでは、創世記1:2のテホームには、洪水のようなさばきのイメージが込められているのでしょうか。また、創世記1:2のテホームは、海の竜との戦いのモチーフと何か関係しているのでしょうか。こうした問題についても、トーフー・ワ・ボーフーや「闇」の扱いと同様なことがいえます。創世記1:2に神のさばきという概念が見出されないのであれば、そこにさばきの概念を読み込むべきではありません。
ノアの時代にテホームを用いてもたらされた洪水は、人が堕落して地がのろわれた後(創3:17)、「地上に人の悪が増大」したことに対して下されたさばきです(6:5)。創世記1:2が置かれているのは創造の御業すら完了していない文脈です。そこで使われている語の理解に、堕落後の文脈における使い方を読み込んでしまうことは避けなければなりません。
「大水」というテホームの意味を特定するために、創世記7:11以降で見られる意味を踏まえることは重要です。しかし、創世記7:11でテホームが「さばきと関係した大水」に用いられているからといって、創世記1:2のテホームが「さばきと関係した大水」を意味するとは限らないのです。「さばきと関係した」という要素は、洪水のさばきの文脈でテホームが使われているために見出されるものです。その要素は、テホームという語の本来の意味に含まれるものではありません。
創造の三日目には、大水が動かされることで乾いた地が現れ、集められた水が海と名づけられています(1:9–10)。大水の下にあった地も、大水を用いて造られた海も、「非常に良かった」被造世界の一部です。よって、大水そのものも「非常に良かった」被造物に含めて考える必要があります。
また、人の創造が扱われている創世記2章では「豊かな水が地から湧き上がり、大地の全面を潤していた」とあります(6節)*14。地から湧き出る水はエデンの園を潤す川としても言及されています(10節)。こうした箇所でテホームそのものは使われていませんが、テホームが指し示す地下水は地を潤す祝福の源として扱われています。さらに創造が完成した後の文脈でも、テホームそのものが水という祝福の源として扱われている箇所があります(創49:25; 申8:7; 33:13; 詩78:15)。
以上のことから、テホームは必ずしもさばきのイメージを持つ語ではないといえます。創世記1:2のテホームは、置かれている文脈から「単なる物理的な水」として*15、また「非常に良かった」被造物のひとつとして理解されるべきです。
次にヨブ記、詩篇、イザヤ書などで見られる海の竜との戦いのモチーフと創世記1:2の関係を考えてみましょう。フルクテンバウムは水と竜のモチーフに着目し、以下のような論理展開で創世記1:2の大水がサタンに対するさばきの結果を表していると主張しています*16。
- 創世記1:2では大水が地を覆っている。
- 聖書では大水と竜が関連付けられている。
- 水と竜のモチーフはエジプト(イザ30:7; 51:9–10)やサタン(イザ27:1; 黙12:1–17; 20:1–3)など、神の敵に対する勝利を表すために用いられている。
- 2.と3.により、創世記1:2の大水はサタンの堕落によってもたらされたさばきを表しているものと考えられる。
フルクテンバウムの主張では、そもそも大水しか出てこない創世記1:2が、なぜ水と竜のモチーフが使われている箇所と関連しているといえるのかが説明されていません。ここでも創造が完了した後、さらには人の堕落が起こった後のさばきという文脈を、創造が完了していない創世記1:2の文脈に読み込んでしまっているという問題が起きています。
確かに、水と竜のモチーフは創造の記事にも存在していると考えることができます。創世記1:21では、創造の五日目に創造された水生生物の一種として「海の巨獣」(タンニニーム=タンニーンの複数形)が言及されています。タンニーンは「蛇」(出7:10, 12; 申32:33; 詩91:13)や荒野の動物(ヨブ30:29; イザ13:22; 43:20; エレ9:11など)を表すこともありますが、ラハブやレビヤタンといった海の「竜」を指して使われていることもあります(詩74:13; イザ27:1; 51:9)。よって、水中の生物としてタンニニームが言及されている創世記1:21でも、これは竜のような「海の巨獣」を意味するものと考えられています*17。
創世記1:21のタンニニームは読者であるイスラエル人がよく知っていた大型の水生生物全般を表している可能性もあります*18。しかし、それがラハブやレビヤタンのような竜を表しているとしても、創造の記事に出て来る「海の巨獣」は神に敵対する存在ではありません。これは単なる海の生き物に過ぎず、神の「祝福」の対象ですらあります(22節)*19。創造の記事の文脈では、「海の巨獣」もまた「非常に良かった」被造物の一部です。詩篇148:7でも「海の巨獣」は神をほめたたえるべき被造物の中に含まれています。
したがって、海の竜との戦いのイメージによって神の敵に対するさばきや勝利が伝えられている箇所の文脈を、創世記1:2に読み込むべきではありません。
創世記1:2で大水が地を覆っていることもまた、被造世界が今想像される状態とは異なり、未完成な状態にあったことを表しているに過ぎないと考えるべきでしょう。
*1:以下、聖書引用は聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会による。
*2:津村俊夫『創造と洪水』聖書セミナー13(日本聖書協会、2006年)48–49頁;「『無からの創造』の教理とトーフー・ワ・ボーフー」秦剛平・守屋彰夫編『古代におけるモーセ五書の伝承』(京都大学学術出版会、2011年)39頁。
*3:David Toshio Tsumura, The Earth and the Waters in Genesis 1 and 2: A Linguistic Investigation, JSOT Supplement Series 83 (Sheffield, England: JSOT Press, 1989), 51–53; Michael A. Grisanti, “תְּהוֹם,” NIDOTTE 4:275. 参照:Gordon J. Wenham, Genesis 1–15, WBC (Waco, TX: Word, 1987), 16; Kenneth A. Mathews, Genesis 1:1–11:26, NAC (Nashville, TN: B&H, 1996), 133.
*4:Tsumura, Earth and Waters, 53–58; 津村「『無からの創造』とトーフー・ワ・ボーフー」41頁。
*5:Tsumura, Earth and Waters, 72–74.
*6:津村『創造と洪水』56頁;「『無からの創造』とトーフー・ワ・ボーフー」57頁;Grisanti, “תְּהוֹם”.
*7:Wenham, Genesis 1–15, 181; Mathews, Genesis 1:1–11:26, 376.
*8:Tsumura, Earth and Waters, 70.
*9:Mathews, Genesis 11:27–50:26, NAC (Nashville, TN: B&H, 2005), 908; Eugene H. Merrill, Deuteronomy, NAC (Nashville, TN: B&H, 1994), 441.
*10:津村は「大水」(テホーム)が「地」(エレツ)に「包摂される関係」にある、すなわちテホームとエレツという2つの語は「包摂的な(hyponymous)意味関係にある」と説明しています(「『無からの創造』とトーフー・ワ・ボーフー」57頁)。参照:Tsumura, Earth and Waters, 67–81; Grisanti, “תְּהוֹם”; 津村『創造と洪水』55–56頁。
*11:前掲書、56頁。
*12:Allen P. Ross, Creation and Blessing: A Guide to the Study and Exposition of Genesis (Grand Rapids: Baker, 1996), 722.
*13:Tsumura, Earth and Waters, 78. Tsumuraは「地」と「大水」が包摂関係にあることを前提にして、「地」と「茫漠として何もなく」、「大水」と「闇」の組み合わせが「まだ非生産的で無人で光がない」状態を表しているものと考えています(ibid.)。この場合、創1:2ではA:地、B:茫漠として何もなく、B’:闇、A':大水という交差対句表現(キアズム)が見られるという理解になります(Grisanti, “תְּהוֹם”)。
*14:Tsumura, Earth and Waters, 117–22; 津村『創造と洪水』114–24頁。
*15:Mathews, Genesis 1:1–11:26, 133.
*16:Arnold G. Fruchtenbaum, The Book of Genesis (San Antonio, TX: Ariel Ministries, 2008), 39–40.
*17:HALOT 4:1764. タンニニームとテホームがともに登場している詩148:7でもそのような「海の巨獣」がイメージされているのかもしれません。
*18:C. John Collins, Genesis 1–4: A Linguistic, Literary, and Theological Commentary (Phillipsburg, NJ: P&R, 2006), 48 n. 35. 参照:Jonathan D. Sarfati, The Genesis Account: A theological, historical, and scientific commentary on Genesis 1–11, 2nd ed. (Powder Springs, GA: Creation Book, 2015), Kindle ed., p. 302.
*19:Derek Kidner, Genesis: An Introduction and Commentary, TOTC (Downers Grove, IL: InterVarsity, 1967), 54. 参照:Mathews, Genesis 1:1–11:26, 157.