軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

「字義通りの解釈」についてのあれこれ(前編)

これまで本ブログでは、何度か「字義的解釈」あるいは「字義通りの解釈」という言葉を使ってきました。基本的には、英語圏での聖書解釈論に関する議論で使われるliteral interpretationといった言葉の訳語として使いました。いわば、ある解釈法則に貼られたラベルですね。

先日、「『ディスペンセーション主義』という名前への違和感」という記事で 、「ディスペンセーション主義」というラベルに関する雑感を書きました。また、「『ヘブル的視点』についてのあれこれ」という全3回の記事では、「ヘブル的視点」というラベルを使う上で気をつけるべきことを書きました。

balien.hatenablog.com

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今回は、「字義通りの解釈」というラベルに関する記事になっております。特に、ディスペンセーション主義や「ヘブル的視点」について語られる際にセットで取り上げられることの多い、「字義通りの解釈」vs「比ゆ的解釈」(もしくは霊的解釈)という対立構造について着目していきたいと思います。

「『ディスペンセーション主義』という名前への違和感」および「『ヘブル的視点』についてのあれこれ」シリーズの補足編としてお読みいただければ幸いです。

トピック

  • 「字義通りの解釈」とは何か?
  • 字義通りの解釈vs比ゆ的解釈?
  • 「後編」に向けて
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私の読書(8)フルクテンバウム『イスラエル学』

Arnold G. Fruchtenbaum. Israelology: The Missing Link in Systematic Theology. Revised edition. Tustin, CA: Ariel Ministries, 1992.*1

これまでに読んだ本を取り上げて、その本にまつわる思い出を書き連ねていくこのシリーズ。久々に再開して扱いたいのは、最近ハーベスト・タイム・ミニストリーズより抄訳版が出版された、アーノルド・フルクテンバウムの『イスラエル学』だ。これは、言わずと知れた著者がニューヨーク大学Ph.Dを取得した際の学位論文である。

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*1:邦訳版:アーノルド・フルクテンバウム『イスラエル学』佐野剛史訳、中川健一監修(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部、2018年)。

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黙示録19:15とイエスによる諸国民の統治(Michael Vlach)

引き続き、マイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏のブログ記事を拙訳でお送りしております。元記事はこちら↓

mikevlach.blogspot.jp

Michael J. Vlach, "Revelation 19:15 and the Coming Reign of Jesus over the Nations," Apr. 17, 2017; accessed May 21, 2018.

※1 本記事は「ディスペンセーション主義について」のカテゴリに分類していますが、実際にはこの立場に特有な主張がなされているわけではありません。しかし、ディスペンセーション主義を自認されている方の主張をご紹介するという意味で、このカテゴリにも分類させていただいております。

※2 本文中〔〕は訳者による補足を表しています。

トピック

  • 黙示録19:15とイエスによる諸国民の統治
    • メシアに関する4つの聖句と黙示録19:15
    • メインポイント
    • 将来の統治
    • エスの口から出る鋭い剣について
    • 結論
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黙示録20:4は「中間状態」について教えているのか?(Michael Vlach)

引き続き、マイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏のブログ記事を拙訳でお送りしています。元記事はこちら↓

mikevlach.blogspot.jp

Michael J. Vlach, "Does Revelation 20:4 Teach an Intermediate State Reign of the Saints in Heaven?," Apr. 4, 2017; accessed May 19, 2018.

※1 本記事は「ディスペンセーション主義について」のカテゴリに分類しておりますが、実際にはこの立場に特有な主張がなされているわけではありません。しかし、ディスペンセーション主義を自認されている方の主張をご紹介するという意味で、このカテゴリにも分類させていただいております。

※2 本文中〔〕は訳者による補足を表しています。

トピック

  • 黙示録20:4は中間状態にある聖徒たちが天において治めていると教えているのか?
    • 中間状態説の検証
    • 黙示録20:4に地上は登場するのか?
    • 2つの立場の要約
    • 結論
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レビ18:5「人がそれらを行うなら、それらによって生きる」の意味(Michael Vlach)

またまたマイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏の翻訳記事です。元記事はこちら↓

mikevlach.blogspot.jp

Michael J. Vlach, "'By Which a Man May Live': The Meaning of Leviticus 18:5," Feb. 3, 2018; accessed May 16, 2018.

さて、本文のご紹介の前に、前置きを少しばかり。このブログだと翻訳記事は(ONE FOR ISRAELのエイタン・バール氏の記事1つを除いて)ヴラック氏のものばかりご紹介しています。そもそも翻訳記事を扱う場合、以前の記事で申し上げたように、参考資料のアーカイブとして、なるべく「ディスペンセーション主義」や「メシアニック・ジュー運動」の内部からの視点自体をご紹介していきたいと思っております。(翻訳のクオリティが低く、その点申し訳ない限りなのですが。)だから本当は、出版されている論文や本をご紹介したいのですが、版権の問題もあるのでそうもいきますまい。

で、無料公開されていて、なおかつクオリティが担保されている記事ってそう多くないんですね……。しかも、翻訳によるシェアの許可をいただけなかったことがあるのも事実です。そうなると、以前許可を下さったヴラック氏のブログは参考になる記事が充実しているので、どうしてもそこからピックアップしていくことになってしまうのです。

現在、ディスペンセーション主義に立っていることを表明されている方、あるいはメシアニック・ジュー運動の中で奉仕をされている幾人かのブロガーさんにコンタクトを取ろうと考えているところです。そこで許可をいただければ、ブログにて拙訳によりご紹介させていただきたいと思っております。また、ヴラック氏のブログについても、まだご紹介したい記事があるので、随時シェアさせていただきたいと思います。

※1 本記事は「ディスペンセーション主義について」のカテゴリに分類しておりますが、実際にはこの立場に特有な主張がなされているわけではありません。しかし、ディスペンセーション主義を自認されている方の主張をご紹介するという意味で、このカテゴリにも分類させていただいております。

※2 本文中〔〕は訳者による補足を表しています。

トピック

  • "By Which a Man May Live": The Meaning of Leviticus 18:5
    • イスラエルは神に属している
    • 神の掟
    • 約束の地における生活と長寿
    • 神学的な意義
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