軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

福音主義終末論についての覚書:目次

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

福音主義終末論についての覚書(5)新天新地の性質

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

福音主義終末論についての覚書(4)携挙論

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

福音主義終末論についての覚書(3)千年王国論

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

福音主義終末論についての覚書(2)預言成就のタイミング

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

福音主義終末論についての覚書(1)イスラエル論

前書き キリスト教神学の終末論は以下のように二分されて論じられることが多いです。 個人的終末論(personal eschatology)→個々人の未来や死、中間状態、復活、裁きなどを扱う。 宇宙的終末論(cosmic eschatology)→キリストの再臨、千年王国、最後の裁き…

ディスペンセーション主義の定義(再考)

年末年始にディスペンセーション主義の近況に関する論考を紹介しました。そこで触れたとおり、2023〜2024年はディスペンセーション主義の是非や特にその歴史を巡る議論が盛んだった印象です。 しかし、ディスペンセーション主義の歴史を考えたり、その是非を…

新しい契約と教会:6(+1)のアプローチ

大体5年前、ただいま絶賛放置中の「聖書の物語と契約」というシリーズで、イザヤ書・エレミヤ書(その1+その2)・エゼキエル書にある新しい契約の希望を考えたことがありました。あれは今振り返っても自分にとってすごく大事な学びで、聖書を理解する上…

ディスペンセーション主義は死につつあるのか?(Pt. 2) - Paul Henebury

前回に引き続き、ダニエル・ハンメルのエッセイ「今日のディスペンセーション主義に関する4つのスナップショット」への応答である、ポール・ヘネブリーによる自己批判的ブログ記事を拙訳にてご紹介します。 balien.hatenablog.com

ディスペンセーション主義は死につつあるのか?(Pt. 1) - Paul Henebury

2023年はディスペンセーション主義者陣営から『ディスペンセーション主義を発見する:1世紀から21世紀にかけてのディスペンセーション主義的見解の発展の追跡*1』(SCS Press)が、非ディスペンセーション主義者からは『ディスペンセーション主義の興亡:終…

神学リテラシーについて

ここ数ヶ月、神学書を読んだり友人とディスカッションする中で、「神学リテラシー」という単語が脳内で反響し続けている。 特に「聖霊によるバプテスマ」とか特定の終末論・教会論、そんな鋭く意見が分かれるテーマに触れたときに。

創世記1:2の「大水」の扱い

前回:創世記1:2の「闇」の扱い ギャップ・セオリーにおいて創世記1:2で神にさばかれた被造世界が描かれていると考えられている根拠は、地がトーフー・ワ・ボーフーであったという記述だけではありません。創世記1:2では続けて「闇が大水の面の上にあり」と…

創世記1:2の「闇」の扱い

前回:創世記1:2のトーフー・ワ・ボーフー ギャップ・セオリーにおいて創世記1:2で神にさばかれた被造世界が描かれていると考えられている根拠は、地がトーフー・ワ・ボーフーであったという記述だけではありません。創世記1:2では続けて「闇が大水の面の上…

創世記1:2のトーフー・ワ・ボーフー

前回:創世記1:2の世界と「混沌」 前回、創世記1:2で地に使われているヘブル語表現「トーフー・ワ・ボーフー」を訳す際に「混沌」という言葉や概念を用いることは、英語・日本語ともに標準的な翻訳聖書では特殊な事例であることを確認しました。 今回はより…

創世記1:2の世界と「混沌」

前回:創世記1:2の動詞ハイェターについて ソフト・ギャップ・セオリーを除くすべてのギャップ・セオリーでは、2節における地の描写──新改訳で「茫漠として何もなく」、共同訳で「混沌として」と訳されているヘブル語表現トーフー・ワ・ボーフーが、神のさば…

創世記1:2の動詞ハイェターについて

前回:創世記1:1の「天と地」の意味 これまでは一部を除いて創世記1:1に着目してきましたが、ギャップ・セオリーを検証する際の最重要課題であると言っても過言ではないのが2節の釈義です。 実際に、古典的ギャップ・セオリーを最も詳細に論じているとされて…

創世記1:1の「天と地」の意味

前回:創世記1:1〜3の構成 前回は創世記1:1〜3の構成に触れ、創世記1:1は「天と地の創造」という、創造の六日間における最初の出来事を示しているという結論をご紹介しました。 今回は創世記1:1の「天と地」という表現に注目していきましょう。 世界/宇宙全…

創世記1:1〜3の構成

前回:創造前カオス・ギャップ・セオリー 今回からは、創世記1:1–3を見ていきながら、ギャップ・セオリーを検証していきたいと思います。 創世記1:1–3のヘブル語本文では、各節が次のように始まっています。 1節:時点を示す「はじめに」(ベレーシート)+…

創造前カオス・ギャップ・セオリー

前回:修正ギャップ・セオリーとソフト・ギャップ・セオリー 今回は次回に引き続き、ギャップ・セオリーのバリエーションをご紹介します。今回取り上げるのは、おそらく創世記1章の解釈で最も支持を得ている見解である「創造前カオス説」と組み合わされたギ…

修正ギャップ・セオリーとソフト・ギャップ・セオリー

前回:古典的ギャップ・セオリーへの反論 前回までは古典的ギャップ・セオリーの歴史とその見解に対する批判について、大まかに確認してきました。現在、古典的ギャップ・セオリーが主張されることは(少なくとも学術的には)ほとんどありません。しかし多く…

古典的ギャップ・セオリーへの反論

前回:ギャップ・セオリーの広まり ディスペンセーション主義者による反論 「若い地球説」を支持する創造論者による反論 ディスペンセーション主義者による反論 前回ご紹介したように、トマス・チャーマーズが説いたような古典的ギャップ・セオリーはG・H…

ギャップ・セオリーの広まり

前回:創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて ギャップ・セオリーは伝統的見解か? ギャップ・セオリーの普及 テキストの釈義による古典的ギャップ・セオリーの主張

創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて

創世記1:1–2を解釈する上で、「ギャップ・セオリー」という見解があるのをご存じでしょうか。 これからしばらく、その「ギャップ・セオリー」という説を再考していくシリーズを続けていきたいと思います。 前書き ギャップ・セオリーとは何か

契約から見た旧約聖書神学の新刊

ポール・マーティン・ヘネブリー(Paul Martin Henebury)氏の初めての単著となるThe Words of the Covenant: A Biblical Theology, Vol. 1 – Old Testament Expectation(契約のことば:聖書神学、第1巻─旧約聖書の希望)が出版されました*1。今回はそのご…

近況報告

どうも、ご無沙汰しております。 なんと1年半近く更新できておりませんでしたが、生きております。笑 仕事が忙しくなっていたのと教会での奉仕に割く時間が必要になり、中々ブログ更新にまで手が回せていませんでした。今も大して状況は変わりませんので、「…

聖書の物語と契約(14)契約違反としてのメシア拒否

シリーズ記事一覧 前回:すべての成就をもたらすメシア ナザレのイエスは、自らこそ預言者たちが宣べ伝え、民が待ち望んできたメシアであることを宣言した。しかし、歴史が伝えているように、イエスは民に拒絶され、十字架刑に処せられることになる。 メシア…

こんな時こそ、聖書「通読」のススメ

こんなタイトルですが、特に凝ったハウツー的なものではなく、単純に「おすすめですよ」という短い記事です。 自分の時間は増えたけど…… 「一冊ごと」の聖書通読 今意識している読み方 たとえば最近気づいたこと メガネに慣れる

聖書の物語と契約(13)すべての成就をもたらすメシア

シリーズ記事一覧 前回:メシアとイザヤ書61章 イエスがおそらく公生涯の前半に語られた教えの中で、メシアと契約の成就という視点から無視することができないのが、いわゆる「山上の説教」である。ここでは、特に説教の序盤で語られた「八福の教え」(マタ5…

聖書の物語と契約(12)メシアとイザヤ書61章

シリーズ記事一覧 前回:近づいた神の国 イエスは、預言者たちが宣べ伝えていた神の王国が実現しようとしていることを告げ、その王国を受け入れるために神に立ち返るようにとイスラエルの民に命じられた。 イエスは、誕生の前にダビデの子/メシアであると告…

聖書の物語と契約(11)近づいた神の国

シリーズ記事一覧 前回:メシアの誕生と諸契約の成就 ナザレのイエスの誕生は、諸契約が指し示していたメシアの到来そのものであり、聖書の物語が最終段階へ進むための決定的な出来事だった。 しかし、福音書の著者たちは、イエスの誕生そのものや幼年期の記…