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聖書の物語と契約(2)アブラハム契約とモーセ契約

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前回:創造から洪水まで

 私がこれまで聖書を教わってきた中では、神の計画におけるアブラハム契約の重要性がかなり強調されてきた。その重要性は、創世記3:15における「女の子孫」の約束との関わりも考えるうちに、心の中でますます大きくなってきている。

 しかし、モーセ契約とアブラハム契約の関わり、そして神の計画におけるモーセ契約の役割や重要性といったものは捉えられていなかった。今でも十分に理解できているとは言えない。それでも、特にモーセ五書全体を見通す中で、徐々にこの契約とそこに含まれるモーセの律法に与えられている役割の大きさが見えてきたと思う。本稿では、アブラハム契約とモーセ契約をセットで扱うことで、両者の重要性と神の計画における役割について、私が現在理解できていることをご紹介したい。

諸国民の誕生とアブラハム契約

諸国民の誕生

 ノアは、いわば「新たなアダム」*1 または「第二のアダム」*2 と言えるような存在となった。しかし、アダムの子孫であるノアの内にも、やはり罪の性質は残されたままだった(創9:20–21)。このことは、被造世界にのろいをもたらした罪の問題が、いかに深刻であったかを物語っている。この問題が処理されなければ、ノア契約を土台とした被造世界の回復は実現しないであろう。

 しかし、この裁きの結果自体は、必ずしも悪いものだと考える必要はない。創世記の著者は、11章の前にまず、裁きの結果誕生した諸国民のリストを置いている(10章)。著者は、諸国民の存在は確かに罪の結果ではあるのだが、肯定的な発展でもあると見なしていたようである*3。確かに、諸国民が誕生したことにより、人が全地を満たすという創世記1:28; 9:1の祝福が成就し始めた。そして、これにより、全人類の祝福のために特定の国民が用いられるという、神の計画の舞台が整ったのである*4

アブラハム契約

 神は諸国民の中から、セムの子孫であるアブラムをお選びになった。そして、彼の子孫が「大いなる国民」となること、また彼を通して「地のすべての部族」すなわち諸国民全体が祝福されることが約束された(12:1–3)*5。また神は、アブラムの子孫が増え広がること、そして彼と子孫に土地が与えられることも約束された(13:15–17)。その約束を確証するものとして、神はアブラムと契約を締結された(15:8–21)。これがいわゆるアブラハム契約である。

 ノア契約の締結と、それに続くアブラハム契約の締結は、神の計画において契約こそが重要であることを示している*6。特にこのアブラハム契約は、ノア契約によって据えられた被造世界への祝福を実現させるための枠組みとなっている。

 既に述べたように、アブラハム契約は、アブラハムとその子孫が祝福され、増え広がり、約束の地を所有することを約束している。そして、その子孫を通して諸国民が祝福される(22:17–18)。ここで、アブラハムとその子孫は、神が全人類を祝福される上での「モデル」のような役割を担っている*7。彼らは、子孫や地の所有に関する物理的祝福を約束された。そうであれば、彼らを通して祝福される諸国民にも、物理的祝福の実現を期待することができる。

 しかし、私たちはこれまでの物語を通して、祝福が実現する上で罪の問題がいかに深刻化を知らされてきている。だからこそ、アブラハムとその子孫による祝福が実現するためには、この罪の問題も克服されるであろうという期待を持つことができる。契約の担い手であるアブラハムは、神への信仰(または信頼 ʾmn)によって義と認められた(15:6)。そして、この信仰を土台として、神はアブラハム契約を結ばれた。これは、アブラハムの信仰にしたがう者たちに神との関係の回復(和解)が与えられることを予表している(参照:ロマ4:13–16; ガラ3:5–14)。アブラハム契約は物理的祝福だけではなく、霊的祝福の枠組みともなっているのである。

アブラハム契約と女の子孫の希望

 アブラハム契約は、約束の子イサクに継承された(17:15–21; 26:2–5, 24)。また、イサクの子ヤコブに継承された(25:23; 28:13–15)。両者への継承場面で、彼らとその子孫に土地が与えられること、子孫が増し加えられること、彼らとその子孫を通して諸国民が祝福されることが確認されている。こうして、万物の創造主である神は、アブラハム、イサク、ヤコブと契約を結ばれた方、その契約を通して諸国民を祝福される方──アブラハム、イサク、ヤコブの神であることが啓示されたのである。

 特にヤコブについては、創世記32:28で「イスラエル」という名を神から与えられている。彼は12人の息子を得るが、祖父アブラハムや父イサクの場合とは違い、息子たちのうちの誰か一人に対してのみ契約が継承されたという記述はない。ヤコブイスラエルは臨終の床で、息子たち全員「それぞれにふさわしい祝福を与えた」(49:28)。出エジプト記4:22では、神ご自身がイスラエル12部族全体を「わたしの子、わたしの長子」と呼んでおられる。そして、歴代誌第一16:15–22では、アブラハム契約がイスラエル民族全体に継承されたことが記されている*8ヤコブへの継承をもって、アブラハム契約は家族への契約から、民族的、いや国民的契約として確立され始めた。まさしく、「大いなる国民」を通して諸国民を祝福するという神の計画が、実現へ向けて大きく動き始めたのである。

 アブラハム契約は、創世記、さらには聖書全体の底流ともいえる「女の子孫」の約束とも密接に関係している。洪水によってノアとその家族以外が滅ぼされたことにより、女の子孫はノアの系図から生まれることが明らかになった。続くアブラハム契約の締結は、その子孫がアブラハムの子孫、特に「大いなる国民」から出ることを示唆している。

 このことは、アブラハム契約における「王」の要素からも推測される。神がアブラハム契約を確認される場面である創世記17章では、アブラハムから「王たち」が出るという約束が加えられた(17:6)。この約束は、孫ヤコブにも継承された。彼にもまた「王たちがあなたの腰から生まれ出る」という約束が与えられたのである(35:11)。諸国民を祝福する「大いなる国民」に王たちが立てられるということは、その中の誰かこそが、国民を代表して祝福の源となる女の子孫であることを期待させる。

 ヤコブ自身、遺言の中で、ある卓越した王について預言している。創世記の神学的クライマックスは、この王に関する預言であるといっても過言ではない。その遺言/預言によれば、「終わりの日」(49:1)、イスラエル12部族のうちユダ部族から王が現れる(49:8–12)。この王の統治は、イスラエルだけではなく、諸国民にまで及ぶ(49:10)。そして、この王の統治には豊かな物質的祝福が伴うとされている(49:11–12)。これは、堕落によりもたらされた被造世界が、のろいから回復されることを期待させる約束である。その回復をもたらす人物は、創世記3:15からすれば女の子孫の他にはいない。したがって創世記は、待望の女の子孫がアブラハム、イサク、ヤコブの子孫である「大いなる国民」のうち、ユダ族から輩出されるという希望を与えているのである。

 そして、この女の子孫/ユダ族から出る王のもとで、大いなる国民(イスラエル)を通して、諸国民が祝福され、被造世界は回復される。これが、創世記がノア契約からアブラハム契約を通して描いている青写真なのである。

祭司の王国とモーセ契約

出エジプトと契約の締結

 創世記の最後、ヤコブとその子孫たちは、ヨセフを通した神の摂理によってエジプトに移住した。そこで彼らは増え広がり、カナンの地の異教的慣習の影響を受けることなく、ひとつの民──イスラエルの民として成長した。しかし、エジプトの宰相となったヨセフを知らない王(ファラオ)によって、イスラエルエジプト人の奴隷とさせられ、約400年に渡って苦しむことになった(出1:8ff; cf. 創15:13–16)。だがこれによって、アブラハム、イサク、ヤコブの神の主権が明らかになるための舞台が整ったのである。

 神はアブラハム契約に基づき、イスラエルに救いの御手を伸ばされた(出2:24–25)。仲介者であるレビの子孫モーセを通して、神はエジプトに裁きを下され、そこからイスラエルの民を救い出された。こうして、異教の神々に対する、イスラエルの神の主権と優位性がはっきりと示されたのである*9

 さらにイスラエル出エジプトは、この民が約束の地に帰還し、ひとつの国民となり、彼らを通して諸国民が祝福されるという神の計画の新たな出発点となった。イスラエルを通した計画が進展するために、神はさらなる契約をイスラエルと結ばれた。それが、モーセを通してシナイ山で結ばれた契約(いわゆるモーセ契約またはシナイ契約)である。この契約により、イスラエルが神の命令に従うことで、彼らが諸国民を祝福する器になるという枠組みが定められた(出19:5; 申4:6–8)。この役割は、本来アダムとエバに与えられていた役割を思い起こさせる。彼らは神に従順であることにより、地を従えるという務めを担っていた。人に与えられたこの役割が回復されるため、まずは一つの国民が選ばれたのである。これによってイスラエルは、神と諸国民の間を仲介し、諸国民に祝福をもたらす「祭司の王国」となる(出19:6)。そして、イスラエルの民はこの召命を受け入れた(19:8)。

モーセ契約とアブラハム契約

 モーセ契約は、アブラハム契約によって約束されていた諸国民の祝福が、イスラエルの信仰と従順にかかっていることを教えている。イスラエルアブラハム契約の祝福に留まる鍵は、モーセ契約に対する従順である。そして、彼らが従順によって祝福を享受することを通して、諸国民への祝福も実現するのである。しかし、モーセ契約の条項であるモーセの律法には、もしイスラエルが不従順になれば裁かれるという条項も含まれている。すなわち、イスラエルが不従順になれば、彼らはアブラハム契約の祝福から遠ざけられる。したがって、モーセ契約は、アブラハム契約の成就のために与えられた新たな枠組みであるといえる。

 しかしながら、契約締結以降の物語(特にレビ記から申命記)の見方は否定的なものである。あのノアですら罪を犯したのだから、その子孫であるイスラエルもまた罪を犯すだろうということは、創世記以降の文脈によって当然想定され得る。実際に、イスラエルモーセ契約締結後ですら不信仰な歩みを続けた。モーセ五書は、契約締結以前も以後も、イスラエルは全体として全く変わらない不信仰な民であったことを証明している*10

 レビ記26:16–39や申命記28章および29:17–28では、イスラエルの契約違反に対する厳しい裁きが教えられている。その裁きの最終段階は、彼らが約束の地を所有するのとは逆に、彼らが地から追放され、国々の間に離散し、そこで朽ち果てるというものだ(レビ26:38–39)。裁きを教えるモーセの言葉は、ほとんど宣告のようなものとなっている。

 モーセ五書は、モーセ契約という新たな枠組みが与えられたことともに、この契約の限界をも既に提示しているのである。しかし、そこにはまだ希望もある。レビ記26章も申命記29–30章も、イスラエルに下るであろう裁きを列挙しただけでは終わっていない。どちらも、イスラエルは裁きを経て罪を告白し、【主】に立ち返り、約束の地への回復にまで導かれることを告げている(レビ26:40–45; 申30:1–10)。この回復は、アブラハム契約に基づいたものである(レビ26:42; 申4:31)。神とイスラエルの間にはアブラハム契約という大原則が存在するがゆえに、神は「彼らを退けず、彼らを嫌って経ち滅ぼさ」ない(レビ26:44)。

 彼らは離散の地で「【主】に立ち返り、……心を尽くし、いのちを尽くし、御声に聞き従う」ようになる(申30:2)。そして、神は彼らを約束の地に連れ戻され、その地を彼らに所有させられる(30:3–5)。イスラエルは「心に割礼を施」され、「神、【主】を愛」するようになる(30:6)。彼らは「[彼ら自身の]胎の実、家畜が産むもの、大地の実り」を豊かに与えられ、その地で祝福される(30:9)。すなわち、イスラエルは裁きを経た後に悔い改め、霊的にも物質的にも回復させられ、祝福される*11。こうしてイスラエルの上に、神に従順な「祭司の王国」として祝福を受け、さらに諸国民への祝福を仲介するようになるという、モーセ契約本来の目的が成就する。これが、レビ記から申命記を通してモーセ本人により明らかにされた青写真である。

モーセ契約と女の子孫の希望

 モーセ契約を巡る物語の中で、もうひとつ具体的に明らかにされた希望がある。それは、ヤコブの臨終の際に告げられた、イスラエルの王に関する希望である。民数記23–24章では、興味深いことに異教の占い師バラムを通して、イスラエルの王に関するさらなる啓示が与えられた。ヤコブの預言と同じく「終わりの日」(24:14)に、イスラエルの王と王国は高められ(24:7)、その王は諸国民に対する主権を持つようになる(24:8)。

 これまで見てきたことをふまえれば、この王こそがイスラエルの回復と密接に関係する人物だと期待することができる。さらに創世記49:8–12をもふまえれば、この王こそが、ユダ族から出る理想の王であり、被造世界ののろいを覆す女の子孫である。したがって、モーセ五書全体を通して分かるのは、女の子孫がユダ族の中から現れ、王としてイスラエルと諸国民を治めるだろうということである。この王のもとで、イスラエルは神に従順な「祭司の王国」として確立し、諸国民を祝福するための器となるであろう。

*1:Gentry and Wellum, Kingdom through Covenant, 165.

*2:Eugene H. Merrill, “A Theology of the Pentateuch,” in A Biblical Theology of the Old Testament, eds. Roy B. Zuck and Eugene H. Merrill (Chicago: Moody, 1991), Kindle locations 578–619.

*3:Vlach, He Will Reign Forever, 78–79. Cf. Allen P. Ross, Creation and Blessing: A Guide to the Study and Exposition of Genesis (Grand Rapids: Baker, 1996), 230.

*4:Kenneth A. Mathews, Genesis 1:1–11:26, NAC (Nashville, TN: B&H, 1996), 429–30.

*5:特に断りがない限り、聖書引用は聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会による。

*6:Saucy, “Israel as a Necessary Theme in Biblical Theology,” 172.

*7:Vlach, He Will Reign Forever, 85; Saucy, "Israel as a Necessary Theme in Biblical Theology," 173.

*8:他にII列13:22–23; II歴20:7–8; ネヘ9:7–8; 詩105:7–12も参照のこと。

*9:Saucy, "Israel as a Necessary Theme in Biblical Theology," 173.

*10:Seth D. Postell, Eitan Bar, and Erez Soref, Reading Moses, Seeing Jesus: How the Torah Fulfills Its Goal in Yeshua (Wooster, OH: Weaver Books, 2017), 34–35. Postell, Bar and Sorefは、モーセ五書の構造からして、著者が「モーセ契約によってイスラエルの不信仰が改められることはない」と強調しているのであると主張している。

*11:Daniel I. Block, “The Doctrine of the Future and Moses: ‘All Israel Shall Be Saved,’” in Eschatology: Biblical, Historical, and Practical Approaches, eds. D. Jeffrey Bingham and Glenn R. Kreider (Grand Rapids: Kregel, 2016), 122–27.