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聖書の物語と契約(4)王国の滅亡と契約に基づく希望

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前回:ダビデの王国とダビデ契約

 旧約聖書、特に預言書を読めば読むほど呑み込めてきたのが、前回紹介したダビデ契約の大切さである。この契約が保証している希望の大きさというのは、圧倒的だ。その希望は、明確に「メシア待望」に繋がっている*1

 今回は、ダビデ王朝の興亡を概観しながら、ダビデ契約に基づく希望を見ていく。そして次回は、預言書の一大テーマである「主の日」を扱いたいと考えている。この2つのテーマを見ていくことは、旧約の中で大きく輝く新しい契約の希望を噛みしめるための下ごしらえになると思う。

王国の滅亡と契約に基づく希望

古代イスラエル王国の興亡

 ダビデの跡を継いでイスラエルの王となったのは、息子ソロモンだった。彼の治世の初期は、大変祝福されたものだった(I列1–10章)。その祝福の理由は、彼が「【主】を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた」こと*2 ──すなわち、ソロモン自身の従順にあった(3:3a)。また列王記の著者は、ソロモンを通して、アブラハム契約の約束(土地の約束、子孫の約束、諸国民への祝福など)が部分的に成就したことを強調している(I列4章)。

 しかし後になり、ソロモンは不従順となり、王に関する律法にことごとく違反した(I列11:4–8)。神は、ダビデ契約にしたがってソロモンを罰し、彼の死後に王国が引き裂かれることを宣言された(11:11–13; cf. IIサム7:14)。

 ソロモンの死後、実際にイスラエルは、ダビデ王朝である南王国ユダと、主にエフライム族の支配から成る北王国イスラエルに分裂した。どちらの王国も──ダビデ王朝からは時に従順な王が現れたものの──不従順な歩みを続け、滅びることとなった。北王国はアッシリア帝国によって滅ぼされ、民はアッシリアに引いて行かれた(アッシリア捕囚;II列17:23)。南王国は北王国よりも長く存続したものの、結局は不従順が極まり、新バビロニア帝国によって滅ぼされ、民は捕囚されることとなった(バビロン捕囚;II歴36章)。ここで、出エジプトという解放から始まった「祭司の王国」の歴史が、アッシリア捕囚およびバビロン捕囚という束縛によって終わってしまったかのように思われた。

残された希望

 しかし、希望は途絶えていない。王国の南北分裂後、王も民も不従順であった時代、多くの預言者たちが立てられた。彼らはモーセが伝えていた裁きが下ることと同時に、裁きの後の回復も預言した。

 レビ記26章や申命記28–29章が預言していたとおり、不従順ゆえの裁きは実現した。そうであるならば、同じ箇所で伝えられていたイスラエルの回復もまた成就するだろうという希望がある。何よりも、神の計画はイスラエルという「祭司の王国」を通して、またその王を通して、諸国民を祝福し、被造世界に回復をもたらすというものだった。したがって、イスラエルの回復は、聖書の物語における必然なのである。

イザヤ書における回復の希望

 アッシリア捕囚が起こる直前から南王国で活動を始めた預言者イザヤの書は、裁きの警告とともに、回復の希望にも満ちている。彼は「終わりの日」に神の都としてエルサレムが回復させられ、そこに諸国民が巡礼に来ることを預言した(イザ2:1–4)。そこでは、神ご自身の統治が全世界に及ぶことが告げられている。エルサレムから神が世界を統治されるということは、神によってダビデの王国が再び立てられることを期待させる。

 実際に、イザヤは待望の王が「ダビデの王座に就」くことを告げている(9:6–7)。その王は「ひとりのみどりご」として生まれる。また驚くべきことに、その「みどりご」が「力ある神」とも呼ばれている。すなわち、神であるお方ご自身が、ダビデの子孫として王座に就くため、「ひとりのみどりご」としてお生まれになるというのである。この王こそが「その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える」。

 さらにイザヤは、ダビデの子孫の王(11:1)の統治下で動物界が回復され(11:6–9)、諸国民が祝福され(11:10)、イスラエルの回復も実現することを預言している(11:11–16)。神ご自身がダビデの子孫=人として来られ、この方が王座に就くことでダビデ契約の約束(永遠の王国)が成就し、モーセ契約の約束(イスラエルが従順な祭司の王国となる)が成就し、アブラハム契約の約束(大いなる国民を通した諸国民の祝福)が成就する。そして、この王は約束の女の子孫として、動物界も含む被造世界の回復をもたらす。私たちはイザヤ書の預言から、メシアによる契約の成就とそれに基づく回復という、壮大な計画を知ることができるのである。

エレミヤ書における回復の希望

 バビロン捕囚が起こる直前より南王国で活動した預言者エレミヤも、将来ダビデ的な王が到来することを告げている。彼は不従順に陥った南王国の王に、神からの叱責を告げた(エレ21章以降)。その叱責の締め括りがなされた(23:1–2)後、裁きを免れたイスラエルの信仰者たち(「わたしの群れの残りの者」)に、離散の地から約束の地に戻されるという回復の希望が与えられる(23:3)。約束の地に戻されたイスラエルは、もはや「二度と恐れることなく、おびえることなく、失われることもない」(23:4)。言うまでもなく、これはモーセが予見していた離散の地からの帰還と、祭司の王国の回復である。

 この回復の時、神は「ダビデに一つの正しい若枝を起こ」される。「彼は王となって治め、栄えて、この地に公正と義を行う」(23:5)。この王こそが、諸契約を成就させるメシアである。イスラエルはメシアの統治の下で平和を経験する(23:6)。彼らは神の御業として、出エジプトよりも、離散の地からの帰還を思い起こすようになる(23:7–8)*3

ホセア書における回復の希望

 ダビデの子孫から王/メシアが到来してイスラエルと諸国民の回復をもたらすということは、小預言書でも重要なテーマとなっている。イザヤと同時代の預言者ホセアは、主に北王国に対するメッセージを伝え続けた預言者である。しかしその中には、ダビデ的王に関する希望の預言も含まれている。特にホセア書2–3章は、「以前レビ記26:14–39や申命記28:15–68で言われていたように、契約に従わないイスラエルに対して裁きが下ることを宣告している。しかし、レビ記26:40–45や申命記30:1–8のように、このセクションは裁きの時を越えたイスラエルの回復の時についても告げている。レビ記26章や申命記28、30章のように、ホセア書2–3章では、イスラエルの将来の全体像が描かれている。」*4

 ホセア書2:1–13において、神はイスラエルが契約を破ったために「罰する」と宣告しておられる(2:13; cf. 6:7)。しかし、2:14以降は、罰せられたイスラエルが回復させられることを告げている。その回復の時、イスラエル出エジプトの時のように、信仰をもって神に応答する民となる(2:15)。またその回復は、神ご自身がイスラエルをきよめてくださることによってもたらされる(2:16–17)。

 モーセは、イスラエルが裁かれた後、自らの罪を悔い改めることにより回復がもたらされると告げていた(レビ26:40–45; 申30:1–3)。しかし同時に、神ご自身がイスラエルの「心に割礼を施」してくださることも教えられていた(申30:6)。それと同じようにホセアもまた、神がイスラエルをきよめ、イスラエルは神に立ち返り、そして回復がもたらされると預言しているのである。そしてこの回復は、レビ記26:42によれば、アブラハム契約の約束に基づいて実現するものである。

 回復の時には、動物界も祝福され(2:18)、地はイスラエルに豊作をもたらす(2:21–13)。ここでの言葉遣いからしても、ホセアは被造世界に及んだ堕落の影響からの回復を見ているものと思われる*5

 ホセア書3:4–5は、ホセアが見ていたイスラエルの将来を端的に要約している。「これは、イスラエルの子らが、これから長く、王もなく、首長もなく、いけにえも石の柱もないところに、エポデもテラフィムもないところにとどまるからだ。その後で、イスラエルの子らは帰って来て、自分たちの神である【主】と、自分たちの王ダビデを尋ね求める。そして終わりの日には、【主】とそのすばらしさにおののく。」(3:4–5)

 イスラエルは離散の目に遭う。これは、モーセが警告していたように、契約違反に対する裁きである。しかし、やはりモーセが予告していたように、その後で彼らは帰還し、回復させられる。ホセアはその回復を「自分たちの神である【主】と、自分たちの王ダビデ」への希望と結びつけている。希望がもたらす結果は「終わりの日には、【主】とそのすばらしさにおののく」というものである。ここには明らかに、ダビデ契約の成就がイスラエルの回復をもたらすだろうという希望がある。そして、2:14–23の内容もふまえると、ダビデ契約の成就は、被造世界がのろいから回復させられることにも繋がっていくのである。この全体像は、イザヤが伝えたメッセージと一致している。

ミカ書における回復の希望

 ミカもまた、イザヤと同時代に南王国で活動した預言者である。そして、彼もまた、ホセア書3:4–5と調和するイスラエルの回復の希望を伝えている(たとえばミカ4–5章)*6

 ミカの預言で特筆すべき点のひとつは、ダビデの子孫として生まれる王/メシアの誕生について詳しく語られていることである。彼は「終わりの日」(4:1)にイスラエルが不従順のゆえに裁かれるという警告の文脈において、救済と回復をもたらす王の到来を預言した。その王──「イスラエルを治める者」は「ベツレヘム・エフラテ」で、「ユダの氏族」から生まれる(5:2)。ベツレヘム(エフラテ)は、ダビデが生まれた町である(Iサム17:22)。よって、ミカの預言は、来たる王とダビデが関係していることを示している*7

 そして、王の「出現は昔から、永遠の昔から定まっている」。これは、王の到来が「永遠の昔」から計画されていたことを教えている。もしくは、将来の王自身を、「永遠の昔」からおられる方である神と結びつけているとも考えられる*8。これは、イザヤが「ひとりのみどりご」として生まれる王のことを、「力ある神」また「永遠の父」とも呼んでいたこと(イザ9:6)を思い起こさせる。もし後者の解釈が正しければ、ミカもまたイザヤと同じく、ダビデの子孫として来られる王/メシアが、神ご自身でもあると告げていることになる。

 この王はミカ書においても、イスラエルのみならず「地の果ての果てまで」統べ治めることが告げられている(5:4)。

ダビデ契約と回復の希望

 多くの預言書において、ダビデの子孫から来る王/メシアによる統治の確立は、イスラエルにとっての大きな希望となっている。南王国ユダの崩壊によっても、ダビデ契約の約束が潰えることはない。しかもイザヤやミカによれば、神ご自身がこの王として来られることにより、ダビデに約束されていた永遠の王国が確立するのである。このことから、神がダビデ契約の成就をどれほど重要視しておられるかが示される。そして、この契約の成就において、他の諸契約のみならず、被造世界の回復や、人が王として地を治めるという創造の本来の秩序の回復がもたらされるのである。

*1:W・ブルッゲマン『旧約聖書神学用語辞典──響き合う信仰』小友聡・左近豊監訳(日本キリスト教団出版局、2015年)323頁。

*2:特に断りがない限り、聖書引用は聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会による。

*3:イザヤ書エレミヤ書エゼキエル書に見られる契約論および回復の希望のメッセージについては、後に新しい契約を扱う項でもう少し詳しく扱いたい。

*4:Vlach, He Will Reign Forever, 221.

*5:Ibid., 222; M. Daniel Caroll Rodas, "Hosea," in The Expositor's Bible Commentary, rev. ed., 8:240.

*6:Michael B. Shepherd, A Commentary on the Book of the Twelve: The Minor Prophets (Grand Rapids: Kregel, 2018), 29.

*7:Thomas E. McComiskey and Tremper Longman III, "Micah," in The Expositor's Bible Commentary, rev. ed., 8:529.

*8:Ibid., 8:529–30.