軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

ギャップ・セオリーの広まり

前回:創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて

ギャップ・セオリーは伝統的見解か?

前回ご紹介した狭義のギャップ・セオリーを支持するアーサー・C・カスタンスは、この見解がユダヤ教キリスト教で伝統的に支持されてきた見解のひとつだと主張しました*1。たとえば、彼は創造の御業の中にギャップ・セオリーと同じ破壊─再構築の流れが見出されていた例として「ユダヤの伝説」(The Legends of the Jews)や、ユダヤ教神秘主義におけるトーラー(モーセ五書)の注解書『ゾーハル』(Zohar)などを挙げています*2

しかしながら、「ユダヤの伝説」や『ゾーハル』で示されているのは「神は我々の世界の前にいくつもの世界を創造したが、それらをすべて破壊された」という世界観です。破壊されたと見なされているのは前に創造された別の世界であって、今の被造世界が破壊の後に再構築(復元)されたというギャップ・セオリーの考え方とは異なっています*3。また、その世界観の中では、先行していた世界の破壊と罪や堕落などは結びつけられていません*4

創世記1:1と2節の間にサタンの堕落とさばきを含む時間的ギャップを置くという具体的な解釈は、現在確認されている限り、古代ユダヤキリスト教文献には見出されていません*5。例外はあったかもしれませんが、古代ユダヤキリスト教では基本的に(1)1節が最初の「天と地」の創造という行為を、(2)2節が未完成な「地」の状態を、そして(3)3節以降で「地」が完成に向けて整えられていく創造のさらなる過程を伝えているものと解釈されていたようです*6。ルターやカルヴァンにも継承されたこの考え方は、ユダヤ教キリスト教では最も伝統的な宇宙観だとされています*7

ギャップ・セオリーの普及

カスタンスはギャップ・セオリーと同じ考え方を提唱したクリスチャンとして英国の詩人ケドモン(657–684頃)*8イングランドエドガー(942頃–975)*9、サン・ヴィクトルのフーゴー(1096–1141)*10トマス・アクィナス(1225頃–1274)*11などを挙げています。しかし、ウェストン・W・フィールズはこうした人々に関する文献を調査した結果、彼らの著作にギャップ・セオリーが見出されるという確証を得ることはできないと結論づけています*12。フィールズの調査では、ギャップ・セオリーに似た理論が明確に見出されるのはドイツの神学者であるJ・G・ローゼンミュラー(J. C. Rosenmuller, 1736–1815)とJ・A・デイス(Johann August Dathe, 1731–1791)においてです*13

一般的に、ギャップ・セオリーを最も広めたのはスコットランドの牧師・神学者トマス・チャーマーズ(1780–1847)だとされています*14。彼はセント・アンドルーズ大学の道徳哲学教授、後にはエジンバラ大学神学部教授を務めた人物で、自らの教区で貧困対策に力を入れたことでもよく知られています。

チャーマーズは1814年の説教でギャップ・セオリーを語ったといわれています。当時、自然科学の世界では地質がきわめて長い時間をかけて形成されてきたとする見解が注目を集めていました。チャーマーズは後にギャップ・セオリーと呼ばれる創世記1:1–2の解釈を語り、最初の創造と6日間の再創造の間に長い時間を想定することで、聖書の記述と自然科学の見解が調和することを述べたといわれています*15

創造論と進化論の対立をテーマに多くの本や論文を執筆しているトム・マクアイヴァー(当人は創造論批判者です)は、ギャップ・セオリー受容の歴史を詳細に論じた論文において次のように述べています。

ギャップ・セオリーが[自然科学と神学の]和解にかなり役立つものとなったのは、チャーマーズの権威ある主張によるところが大きい。彼は少なくとも今日知られている形のギャップ・セオリーの、実質的な発案者であったのかもしれない。*16

チャーマーズ以降、ギャップ・セオリーは創世記にある創造の記述と地質学の年代を調和させる試みとして、クリスチャンの間で人気を博していくことになります。そうしたギャップ・セオリーの普及に貢献した人物の一人としてよく挙げられるのが、イギリスの神学者であり、初期のディスペンセーション主義者の一人であるG・H・ペンバー(1837–1910)です*17。彼は著書の中で、創世記1:1と2節の間には、地質学で主張されているような地質形成の時間を認める十分な「時間の余裕」があると述べています*18

ギャップ・セオリーが普及していったもう一つの大きな要素は、『スコフィールド引照付聖書』(The Scofield Reference Bible)の中でこの見解が採用されたことです。アメリカの牧師C・I・スコフィールド(1843–1921)が編集を務めた本書は、英語圏で最も広く流通した注解付き聖書として、またディスペンセーション主義の普及に大きく貢献した文献として知られています*19。たとえば、同書(1917年版)の創世記1:1, 2, 11の注解では次のように述べられています。

しかし、この章には神の3つの創造の行為が記されている。それは(1)天と地(1節)、(2)動物の命(21節)、(3)人間の命(26–27節)である。最初の創造の行為は太古の昔のことであり、その範囲にすべての地質学的年代が含まれる。*20

 

エレ4:23–26、イザ24:1および45:18は、地球が神のさばきの結果激変したことを明確に示している。地球の表面には、至るところでこうした大災害の跡が残っている。それを前に起こった天使のテストと堕落に関連付ける示唆も少なくない。疑いなくツロやバビロンの王たちを超えているエゼ28:12–15およびイザ14:9–14を参照せよ。*21

 

原初の秩序を崩壊させた破壊的なさばきによって、種子の命が消滅したと考える必要はない。記されているように、乾いた地と光の回復によって、地はそれを「芽生えさせ」た。消滅したのは動物の命であり、その痕跡は化石として残っている。化石を原初の創造に追いやれば、創世記の宇宙論と科学の対立はなくなるのだ。*22

よって、『スコフィールド引照付聖書』ではギャップ・セオリーが以下のように紹介されていることがわかります。

  1. 創世記1:1の「天と地」の創造と、3節以降の6日間の創造は区別される。
  2. 創世記1:1で述べられているのは最初の創造(原初の創造 the primitive creation)であり、天使の堕落とさばきによって破壊された。創世記1:2ではそのさばきの結果が描写されている。
  3. 創世記1:3以降の6日間の創造は、さばかれた被造世界の回復の行為である。
  4. 創世記1:1, 2の間には地質学で提唱されている長い年代が含まれている。また、現在残っている化石は、最初の被造世界が滅ぼされた際に命を落とした動物たちの痕跡である。

このように、『スコフィールド引照付聖書』ではギャップ・セオリーを根拠にして、地質学や古生物学のような自然科学と創造の記事は調和することが示されています。そして、この注解付き聖書が広く用いられていったことで、ギャップ・セオリーもまたさらに広められていったものと考えられています*23

以上のように影響力がある人物や著作がギャップ・セオリーを論じ、また紹介したことによって、この見解は創世記の記述を「文字通り」に信じようとするクリスチャンの間でポピュラーになっていきました。マクアイヴァーは20世紀前半でギャップ・セオリーを支持していた著名なクリスチャンの例として、中国の伝道者ウォッチマン・ニー(1903–1972)や進化論に対する反論で有名なハリー・リマー(1890–1952)を挙げています*24

また、『スコフィールド引照付聖書』で紹介されたことから容易に想像できるように、ギャップ・セオリーはディスペンセーション主義者の間で広く支持されるようになりました。フィールズはギャップ・セオリー支持者としてクラレンス・ラーキン(1850–1924)、ジェームズ・M・グレイ(1851–1935)、アルノ・C・ゲーベライン(1861–1945)、ヘンリー・シーセン(1883–1947)、アーサー・W・ピンク(1886–1952)、ドナルド・グレイ・バーンハウス(1895–1960)といった人々の名を挙げています*25。彼らはみな、ディスペンセーション主義の歴史をひも解くと必ず名前が出てくるような人々です*26

他にも、創世記1:1–2に破壊─再構築といった流れを認める考え方が広まったことについて、ドイツの旧約聖書学者フランツ・デリッチ(1813–1890)が後年にこの考え方を受け入れた影響を無視できないという見方もあります*27

テキストの釈義による古典的ギャップ・セオリーの主張

ギャップ・セオリーが支持されていったのは、創造の記事と自然科学の見解を調和することができるという理由だけではありませんでした。創世記1章本文からギャップ・セオリーが導き出されるという点を非常に強調した学者の一人が、既に紹介したカナダのアーサー・カスタンス(1910–1985)です。彼が1970年に出版したWithout Form and Voidという本は、ギャップ・セオリーを最も詳細に、また包括的に扱った著作として知られています。

カスタンスは自然科学との調和という面から入って論じるのではなく、創世記1:1–2のヘブル語本文で使われている言葉や表現を詳しく研究することで、ギャップ・セオリーが支持されるのだと論じました 。彼が展開した議論の中でも特に重要な主張は以下のとおりです。

  1. 創世記1:2のヘブル語本文の冒頭にある接続詞ワウは、「しかし」(but, however, またはmeanwhile)と訳されるべき形で使われている*28
  2. 2節前半で使われている動詞ハイェターは「であった」(was)ではなく、「となった」(becameまたは過去完了形でhad become)という意味である*29
  3. 2節前半で使われている表現トーフー・ワ・ボーフー(日本語訳では「茫漠として何もなく」、「混沌と」、「形なくむなしく」など)は、神の怒りのさばきを受けて破壊され、荒廃し、カオスになった状態を表すものである*30
  4. 以上により、2節前半は「しかし、地は荒廃したBut the earth had become a desolation)」と訳されるべきである*31。これは、1節で創造された「地」が神のさばきを受け、破壊されて混沌とした状態になったことを表している。
  5. 1節では「創造する」(バーラー)という動詞が使われているが、3節以降は「造る」(アサー)という動詞が使われている(7, 11, 12, 16, 25, 26, 31節)。バーラーは無からの創造にも、既にある材料を用いた行為にも使われるが、アサーが無からの創造に使われることはない。こうした動詞の違いは、1節と3節以降で異なる創造の御業が述べられていることを示している。1節で述べられている御業は「無からの創造」(creatio ex nihilo)だが、3節以降の御業は荒廃した被造世界の回復である*32

次回では、古典的ギャップ・セオリーに対してディスペンセーション主義者や「若い地球説」支持者が投げかけた批判を大まかに見ていきたいと思います。

次回:

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*1:Arthur C. Custance, Without Form and Void: A Study of the Meaning of Genesis 1:2, 2nd ed. (Windber, PA: Doorway Publications, 2012; first edition: Ontario, Canada: Custance, 1970), 13–55.

*2:Ibid., 18–21. Custanceは2世紀のトーラーのアラム語敷衍訳であるタルグム・オンケロスにおいて、創1:2が「地は混沌とされた」と理解され得る訳し方になっていると主張しています。これに対して、Weston W. Fieldsは言語学的根拠に欠けるものと批判しています(Unformed and Unfilled: A Critique of the Gap Theory [Green Forest, AR: Master Books, 2005(1976); reprint], 15–17)。

*3:Fields, Unformed and Unfilled, 15, 19–20. ただし、Fieldsは『ゾーハル』が中世に執筆された偽書である可能性を指摘しています(ibid., 19)。参照:"Zohar," in Jewish Encyclopedia.

*4:Fields, Unformed and Unfilled, 15.

*5:Ibid., 13–30.

*6:たとえばibid., 19におけるタルムード(Hagigah 12a)の引用や、オリゲネス、テルトゥリアヌス、アウグスティヌスといった主要な教父たちが扱われているibid., 21–29を参照してください。

*7:Ibid., 33–34; Bruce K. Waltke, “The Creation Account in Genesis 1:1–3: Part Ⅲ: The Initial Chaos Theory and the Precreation Chaos Theory,” Bibliotheca Sacra 132 (July–September 1975): 217; Vern S. Poythress, “Genesis 1:1 is the First Event, Not a Summary,” Westminster Theological Journal 79/1 (Spring 2017): 97.

*8:Custance, Without Form and Void, 25–28. 参照:エーリッヒ・ザウアー『世界の救いの黎明』(聖書図書刊行会、1955年)52頁。

*9:Custance, Without Form and Void, 28. 参照:ザウアー『世界の救いの黎明』52頁。

*10:Custance, Without Form and Void, 29.

*11:Ibid.

*12:Fields, Unformed and Unfilled, 29–36.

*13:Ibid., 36–37.

*14:Ibid., 40–41; Tom McIver, “Formless and Void: Gap Theory Creationism,” Creation/Evolution 8/3 (Fall 1988): 6.

*15:Ibid.

*16:Ibid.

*17:Ibid., 8–9; Fields, Unformed and Unfilled, 42–43; ザウアー『世界の救いの黎明』52頁。

*18:G. H. Pember, Earth’s Earliest Ages (London: Hodder and Stoughton, 1884), 28.

*19:McIver, “Formless and Void,” 9; Fields, Unformed and Unfilled, 43. 参照:William Nigel Kerr, “Scofield, Cyrus Ingerson,” in Evangelical Dictionary of Theology, 3rd ed., ed. Daniel J. Treier and Walter A. Elwell (Grand Rap-ids: Baker, 2017), 787–88; Craig A. Blaising, “Dispensation, Dispensationalism,” in Evangelical Dictionary of Theology, 248.

*20:C. I. Scofield, ed., The Scofield Reference Bible (New York: Oxford University Press, 1917), 3, Gen. 1:1 n. 2.

*21:Ibid., Gen. 1:2 n. 3.

*22:Ibid., 4, Gen. 1:11 n. 3.

*23:なお、1967年の改訂版(New Scofield Reference Bible)でも、割かれている文量は少なくなっているもののギャップ・セオリーが扱われています。

*24:McIver, “Formless and Void,” 10–11.

*25:Fields, Unformed and Unfilled, 43 n. 100.

*26:ただし、ピンクは後にディスペンセーション主義を否定するようになりました。

*27:John Zoschke, “A Critique of the Precreation Chaos Gap Theory,” in Proceedings of the Sixth Interna-tional Conference on Creationism, ed. A. A. Snelling (Pittsburgh, PA: Creation Science Fellowship, 2008), 66. 参照:Franz Delitzsch, A System of Biblical Psychology, trans. Robert Ernest Wallis (Edinburgh: T&T Clark, 1867).

*28:Ibid., ch. 2, esp. 57; ch. 3, esp. 86–87; Appendix 14, 176–77. なお、本書はHTML版が無料公開されており、そこで該当する章を確認いただけます。

*29:Ibid., ch. 2, esp. 58–81; ch. 3, esp. 92–103.

*30:Ibid., Appendix 16, 177–80.

*31:Ibid., ch. 2, esp. 57.

*32:Ibid., Appendix 2, esp. 162; Appendix 20, 184–88.