軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

「ヘブル的視点」についてのあれこれ(中編)

以下の記事の続きになります。

balien.hatenablog.com

前編では、主に「ヘブル的視点」の定義「ヘブル的視点」と聖書解釈の伝統について、以下のことを簡単に申し上げました。

  • 「ヘブル的視点」とは、聖書のテキストを、書かれた当時の時代背景を考慮し、著者の意図通りに読んでいこうとする視点である。
  • 「ヘブル的視点」というスタンスは、宗教改革後のプロテスタンティズムの伝統から外れたものではない。

今回の中編では「ヘブル的視点」による聖書理解の多様性を取り上げます。そして次回の後編では「ヘブル的視点」というラベルを使うことは危険なのか?ということを考える予定です。

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「ヘブル的視点」についてのあれこれ(前編)

はじめに

このブログをお読みいただいている皆様は、「ヘブル的視点」、あるいは「ユダヤ的視点」という言葉を使って聖書を読もう、というような言葉を聞いたことがございますでしょうか。私はここ最近、交わりの中で、立て続けに「『ヘブル的視点』ってよく聞くけど、どういう意味なんだろうね」というようなことを聞かれ、それについて話す機会をいただきました。ある方は、この言葉に対して警戒心を抱いておられました。確かに、キリスト教界で一般的にこの言葉は耳慣れないものだと思いますし、耳慣れない言葉が持ち込まれたとき、警戒されることもよくわかります。

ともかく、良い機会ですので、ここらで一度腰を据えて、「ヘブル的視点」という言葉について考えたことをまとめておきたいと思った次第です。具体的には、まずこの言葉の意味を探っていき、この言葉に含まれる概念やこの言葉自体の妥当性を考えます。そして、この言葉を使うことは危険なのか、ということを考えたいと思います。
本稿は前編・中編・後編に分けようと思っていますが、この前編では主に「ヘブル的視点」の定義「ヘブル的視点」と聖書解釈の伝統について簡単に申し上げます。続く中編では「ヘブル的視点」による聖書理解の多様性、そして後編では「ヘブル的視点」というラベルを使うことは危険なのか?ということを考える予定です。

ちなみに、読者の皆様の中にはもうお分かりの方も多いかもしれませんが、私自身はこの「ヘブル的視点」という概念から大きな影響を受けています。そういう者の視点として、この記事をお読みいただければ幸いです。

※本文中【】内は、後からの追記部分になっております。追記・訂正内容の詳細は脚注に書かれておりますので、そちらをご参照下さい。

トピック

  • はじめに
  • 1.「ヘブル的視点」の定義
  • 2.「ヘブル的視点」による聖書解釈の伝統
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「ディスペンセーション主義」という名前への違和感

久々に、ディスペンセーション主義についての記事です。本ブログにて「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを公開してから、2年が過ぎました。

今でもこの神学的立場には関心を持ち続けていて、これを取り上げている本や論文、Webサイトを見つけるとなるべく目を通すようにしています。

最近のディスペンセーション主義内部の流れですと、2015年、ダラス神学校やホィートン大学などの著名なディスペンセーション主義神学者がこの立場の特徴、解釈論、救済史などを論じた『Dispensationalism and Hisotry of Redemption』が出版されました*1。また同年、Taos First Baptist Churchのランディ・ホワイト牧師が中心となって、この立場からの書籍の出版やブログ記事の更新を主な業務としているDispensational Publishing House, Inc.を立ち上げています。

dispensationalpublishing.com

それから昨年には、本ブログで何度も紹介しているマイケル・ヴラック氏の『Dispensationalism: Essential Beliefs and Common Myths』(2008年)の増補改訂版が出版されました*2

こうして追ってきている中、以前から抱いていたある疑問がより明確になってきました。やはり2年前、ヴラック氏の書籍の初版を取り上げて、次の記事をアップしました。

balien.hatenablog.com

この中で、「Vlachが提唱するディスペンセーション主義の6つの基本的信条に立つという理由だけで、この神学的立場を『ディスペンセーション』主義という特別な立場として定義することは、果たして妥当なのでしょうか」と書きました。ヴラック氏によるディスペンセーション主義の6つの基本的信条については、これから追々見ていきます。ただ、その信条を共有する立場の名前が「ディスペンセーション主義」であることに、改めて違和感を感じたのです。

先に申し上げておきたいのですが、この記事、特にオチはございません! 敢えて言うなら、「ディスペンセーション主義っていう名前に違和感がある」というのがオチです(笑)それ以上なにか建設的な結論があるわけではありませんf^_^; いや、このオチから色々と思うところはあるんですが、まだまとまっていないので、ひとまずはこの違和感というものを文章化しておきたいと思った次第でございます。

*1:D.Jeffrey Bingham and Glenn R. Kreider, eds., Dispensationalism and History of Redemption: A Developing and Diverse Tradition (Chicago: Moody, 2015).

*2:Michael J. Vlach, Dispensationalism: Essential Beliefs and Common Myths, Revised and Updated edition (Los Angels: Theological Studies Press, 2017).

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メシアニック・ジュー運動に関する参考文献紹介

「メシアニック・ジュー運動」(Messianic Jewish Movement)はキリスト教界全体をリードする運動ではない。しかし、キリスト教界において「メシアニック・ジュー」たちの存在感は日に日に大きくなっている。近年では聖書神学の分野における彼らの貢献も目立ってきてはいるが(以下の「聖書─神学的文献」を参照)、特に注目すべきはユダヤ人伝道における彼らの役割の大きさであろう。

また、日本でもたとえばローザンヌユダヤ人伝道協議会(LCJE)日本支部の協賛団体などによって、「メシアニック・ジュー」の視点を活用した聖書研究が提唱されている。たとえば、ハーベスト・タイム・ミニストリーズが提唱する「ユダヤ的/ヘブル的視点による聖書解釈」はその一例である。

私たちの理念 | ハーベスト・タイム・ミニストリーズ

こうした「メシアニック・ジューの視点」(Messianic Jewish perspectives)による聖書釈義は日本の福音派クリスチャンたちの間で論争の種になることも多い。したがって、もし私たちが「メシアニック・ジューの視点」について何らかの問題意識を持つならば、その視点を活用することに賛同するのであれ反対するのであれ、メシアニック・ジュー運動そのものについても考えていくことは大いに有益である。

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イスラエル聖書大学の講師らによる著書が発売されました

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"Reading Moses - Seeing Jesus" (Book)

本ブログでは以前「イスラエルにとって本当に必要なもの」と題して、ONE FOR ISRAELメディア宣教部門ディレクターであるエイタン・バール(Eitan Bar)氏の記事をご紹介しました。ONE FOR ISRAELはイスラエルに拠点を置くメシアニック・ジューたちによる宣教団体であり、YouTubeなどを利用したネットメディア伝道、またイスラエル国内の次世代リーダーを養成していくための神学教育(イスラエル聖書大学 Israel College of the Bible)に力を注いでいます*1

そのバール氏、ONE FOR ISRAEL/イスラエル聖書大学の代表であるエレズ・ソレフ氏、そしてイスラエル聖書大学の講師であるセツ・ポステル氏による著書が日本のAmazonでも購入できるようになりましたので、今回の記事はそのご紹介になります。

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