軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

聖書の物語と契約(3)ダビデの王国とダビデ契約

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シリーズ記事一覧

前回:アブラハム契約とモーセ契約

 聖書に出て来る有名な「契約」について、その契約が書かれている箇所を前後の文脈をふまえて学ぶということには、恥ずかしながらそれほど力を入れてこなかった。サムエル記第二7章および歴代誌第一17章に出て来る「ダビデ契約」をそのように学んだのも、聖書的契約に関心を持ち始めてからさらに後になってのことである。

 だから、ダビデ契約とアブラハム契約、モーセ契約との関係というのは、それほど立体的には見えていなかった。そして、ダビデ契約というのが聖書においていかに重要な概念であるかということも、あまり呑み込めていなかった。

 今もさほど分かってはいないと思うが、それでも前に比べたら、ダビデ契約の大切さが実感できるようになってきたと思う。そんな今の理解を、ここでお分かちさせていただきたい。

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聖書の物語と契約(2)アブラハム契約とモーセ契約

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シリーズ記事一覧

前回:創造から洪水まで

 私がこれまで聖書を教わってきた中では、神の計画におけるアブラハム契約の重要性がかなり強調されてきた。その重要性は、創世記3:15における「女の子孫」の約束との関わりも考えるうちに、心の中でますます大きくなってきている。

 しかし、モーセ契約とアブラハム契約の関わり、そして神の計画におけるモーセ契約の役割や重要性といったものは捉えられていなかった。今でも十分に理解できているとは言えない。それでも、特にモーセ五書全体を見通す中で、徐々にこの契約とそこに含まれるモーセの律法に与えられている役割の大きさが見えてきたと思う。本稿では、アブラハム契約とモーセ契約をセットで扱うことで、両者の重要性と神の計画における役割について、私が現在理解できていることをご紹介したい。

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聖書的契約とは何か?

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 これまでの記事で取り上げてきたとおり、ディスペンセーショナリズムでも、契約神学やその派生形でも、聖書神学において「契約」は大変重要な概念だ。

 しかし、(個人的な感覚だと)特にディスペンセーショナリズムでは、そもそも「契約とは何か」という話がなされないまま、聖書的契約そのものへの議論へ進んでいくことが多い。今回はそのそもそも論を少しだけ考えてみたい。

【2019/9/21:本文の最後に、ダビデ契約について追記しました。】

トピック

  • 聖書における「契約」の重要性
  • 聖書的契約の定義
    • 契約を指す用語の意味による定義
    • 「関係」という概念に基づく定義
  • 契約の定義に関する考察
    • 最も問題点の少ない定義?
    • 聖書的契約を判別する際の「尺度」
  • 追記:ダビデ契約と血の犠牲について(2019/9/21)
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漸進的契約主義(PC)と聖書的契約

↓前回

新しい契約神学(NCT)と聖書的契約 - 軌跡と覚書

↓今回のトピック

  • 漸進的契約主義(PC)の特徴と契約論
  • PCと贖いの契約
  • PCとわざの契約
  • PCと恵みの契約
  • PCと聖書的契約
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