軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

「聖書信仰」を考える(前編)

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 あけましておめでとうございます。10月以来の投稿となってしまいました。ヨハネの手紙第一の釈義は着々と進めてますし、イスラエル論や携挙論なんかも少しずつ勉強を進めているのですが、何かとバタバタしておりまして、投稿できずにおりました。手軽なものも交えながら、なるべくコンスタントな投稿を心がけたいところではあるのですが……
 この久々の記事かつ新年の初投稿記事では、最近出版された聖書神学舎教師会編『聖書信仰と諸問題』(いのちのことば社、2017年)のレビューも含めて、「聖書信仰」について最近考えたことを分かち合わせていただきたいと思います。

トピック

  • 1.はじめに
    • 聖書信仰
    • 聖書の無謬性(infallibility)と無誤性(inerrancy)
    • 保守的聖書信仰
  • 2.『聖書信仰とその諸問題』についての簡易な書評
    • 赤坂泉「聖書信仰の諸問題」(13–44頁)
    • 津村俊夫「聖書信仰と批評学──『アダムの歴史性』」(81–113頁) 、児玉剛「聖書論と組織神学──ピーター・エンズのアダム論より」(114–57頁)
    • 三浦譲「新約聖書における旧約聖書引用の問題」(158–201頁)
    • 鞭木由行「キリストの権威と聖書信仰」(221–59頁)
    • 本書を読む上での留意点
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ヨハネの手紙第一 覚書き(9)1章5–7節

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。前回までは1:1–4を取り上げた後、補足として1:1の「いのちのことば」について詳しく考えてみました。
 本論の直前部である1:1–2および3–4については↓

balien.hatenablog.com

balien.hatenablog.com

 このブログでは、1:1–4を手紙の「序論」、1:5–2:2を手紙本論の第一部として扱っています。今回は第一部「キリストのメッセージの本質」の冒頭部、1:5–7を取り上げます。

トピック

  • §1 キリストのメッセージの本質
    • 1.キリストのメッセージの要約(1:5)
      • 5節
    • 2.闇の中を歩みつつ神との交わりを保つことはできない(1:6–7)
      • 6節
      • 7節
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ヨハネの手紙第一 覚書き(8)補足:「いのちのことば」の意味について(その3)

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。(↓前回)

balien.hatenablog.com

 前々回、前回から引き続き、「補足」として1:1の「いのちのことば」という表現の意味について取り上げています。前々回では「いのちのことば」=イエス・キリストご自身とする解釈を紹介しました。そこでは、第一ヨハネ1:1の「いのちのことば」は、ヨハネ1:1の「ことば」と同じ意味で捕らえられています。
 そこで、前回ではヨハネ1:1の「ことば ho logos」の意味を(旧約聖書旧約聖書外典、古代ユダヤ教文書などの情報もふまえて)考えていきました。要約は次の通りです。

  1. 「ことば」には神の発言と業が含まれている。
  2. 「ことば」は神の言葉であり、同時に人格的存在である。
  3. 「ことば」は神とは区別される存在であり、同時に神と同一視される存在である。

 今回は「いのちのことば」に関する解釈の第二の立場(いのちのことば=イエス・キリストの福音のメッセージと考える)を紹介した後、第一の立場と第二の立場の中間の立場を取り上げます。その後、「いのちのことば」の解釈について私自身の結論を述べています。

トピック

  • 補足 1:1「いのちのことば」の意味について(続き)
    • D.第二の立場:「いのちのことば」はイエス・キリストの福音のメッセージを指している
      • ストットの解釈
      • Barkerの解釈
    • E.第三の立場:中間的立場
      • Westcottの解釈
      • Vincentの解釈
      • スミスの解釈
    • F.結論
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ヨハネの手紙第一 覚書き(7)補足:「いのちのことば」の意味について(その2)

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。(↓前回)

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 前回から引き続き、「補足」として1:1の「いのちのことば」という表現の意味について取り上げています。前回は「いのちのことば=イエス・キリストご自身である」という第一の立場を紹介しました。その立場では、ヨハネ福音書1章における「ことば」とヨハネの手紙における「いのちのことば」とは同じ意味であると考えられています。したがって、「いのちのことば」の意味を考えていく上では、ヨハネ福音書の「ことば」の意味をも考えていく必要があります。そこで前回では、ヨハネ福音書の「ことば」は旧約聖書の背景やユダヤ教的背景と照らし合わせて理解されるべきだ、ということを指摘しました。
 今回はその続きとして、旧約聖書旧約聖書外典、そして古代ユダヤ教文献であるタルグムにおける「ことば」の意味を確認していきます。

トピック

  • 補足 1:1「いのちのことば」の意味について(続き)
    • C.ヨハネ福音書における「ことば」の意味について(続き)
      • 旧約聖書における「ことば」
      • 旧約聖書外典における「知恵」と「ことば」
      • タルグムにおける「ことば」
      • 結論
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ヨハネの手紙第一 覚書き(6)補足:「いのちのことば」の意味について(その1)

 ヨハネの手紙第一を学んでおりまして、私個人のノートをそのまんま公開しております。(↓前回)

balien.hatenablog.com

 今回は「補足」として、1章1節の「いのちのことば」という表現の意味について取り上げます。

トピック

  • 補足 1:1「いのちのことば」の意味について
    • A.「いのちのことば」という表現の解釈について
    • B.第一の立場:「いのちのことば」はイエス・キリスト御自身を指している
    • C.ヨハネ福音書における「ことば」の意味について
      • 福音書序文における「ことば」のユダヤ的背景
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