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balienのブログ

キリスト教(神学)に関する雑感・情報などをメインにまとめていきたいと思います。

ディスペンセーション主義とは何か?(2)ディスペンセーション主義の必須条件

ディスペンセーション主義について

※本記事は以下のnote記事からの転載です。

ディスペンセーション主義とは何か?(2) ディスペンセーション主義の必須条件|balien|note

 第1回では、ディスペンセーション主義を採用していない2名の神学者を取り上げ、彼らがディスペンセーション主義をどのように定義しているのかを観察しました。その結果、彼らは〈ディスペンセーション主義とは聖書解釈体系(方法)である〉と定義していることがわかりました。
 これ以降のノートでは、上記の定義を念頭に、ディスペンセーション主義を採用している神学者たちの声に耳を傾けてみましょう。そして、彼ら自身が採用している〈聖書解釈体系〉をどのように理解し、特徴づけ、定義しているのかを明らかにしていきます。

 第2回のトピックは以下の通りです。

1.はじめに

 第2回で取り上げるのはディスペンセーション主義の〈sine qua non(必須条件)〉です。ディスペンセーション主義者である米国の組織神学者チャールズ・C・ライリーは、ディスペンセーション主義とはどのような立場であるのか神学的に検証し、1965年に『Dispensationalism Today』を出版しました。この本は、ディスペンセーション主義とは何か? という問題に関する、ディスペンセーション主義者の側からのよく整理された文献のひとつです。この本は1995年に改訂出版され、タイトルも『Dispensationalism』と改められています。このノートでは、改訂版を参考としています。
 ライリーは著書の中で、ある者をディスペンセーション主義者と定める3つの「sine qua non(必須条件)」に言及しています(Ryrie 1995: 45-48)。この「必須条件」には多くのディスペンセーション主義者が同意しています*1。ここではライリーの著作から、それらの条件を観察していきます。

2.ディスペンセーション主義の必須条件

(1)イスラエルと教会の区別

 第1の必須条件は、「ディスペンセーション主義者はイスラエルと教会を区別する」ということです。多くの場合、福音主義神学者は〈教会=霊的イスラエル〉であると考えます*2。しかし、ディスペンセーション主義者は教会とイスラエルという存在を、一貫して区別し続けています。
 「教会とイスラエルを区別しているか」と問うことは、ライリーによれば「人がディスペンセーション主義者かどうかを判断する最も基本的な神学的テスト」です。また、米国のメシアニック・ジュー*3神学者であるアーノルド・G・フルクテンバウムは、この条件こそがディスペンセーション主義の要であるとしています(Fruchtenbaum 1992: 325)。
 なお、ラッドはライリーの著作から引用し、ディスペンセーション主義者は、神が「イスラエルには神政政治的・地上的プログラムと運命、教会には霊的・天上的プログラムと運命を持っておられる」と主張していることを指摘し、批判しています(ラッド 2015:8-9)。これは正確な批判ではありません。確かにディスペンセーション主義者の間では、このような極端な主張も見られます。しかし、一般的には、実際にはイスラエルに対する計画も教会に対する計画も、ともに「地上的」かつ「天上的」なものであると考えられています(Fruchtenbaum 1992: 310)。

(2)歴史的文法的解釈法

 第2の必須条件は、「イスラエルと教会の区別は字義的解釈によってもたらされる」という理解です。ここでいう「字義的解釈(literal interpretation)」とは、聖書に書かれていることを本来的指示において文字通りに解釈するということです。決して比喩表現や象徴が用いられている箇所の比喩的あるいは象徴的解釈を禁止するものではありません。しかし、比喩表現や象徴が用いられていない箇所の象徴的解釈は許容しません(Fruchtenbaum 1992: 325)。聖書を字義的に解釈するためには、〈歴史的文法的解釈法(historical-grammatical hermeneutics)〉を用いる必要があります。つまり、当時の歴史的背景や、聖書が書かれた言語の文法などをふまえて解釈しなければならない、ということです。ディスペンセーション主義者は、歴史的文法的解釈法に基づく「字義的解釈」を聖書の全領域に適用する、ということをこの立場の特徴だと主張します(Showers 1990: 53)。
 ここで、ディスペンセーション主義者の主張を観察するということからは外れますが、聖書の「字義的解釈」について少し言及しておく必要があるでしょう。「字義的解釈」を聖書の全領域に施すということは、ディスペンセーション主義だけではなく、福音主義神学一般における特徴です(ラム 1963)。ここでの「字義的」という言葉は〈字面通り〉という意味ではない、ということを先に確認しました。もしある文章が比喩表現や象徴を用いて書かれていたとしたら、その文章は比喩的・象徴的に解釈することが「字義的」に解釈することです。そういう意味で、福音派では(ある意味ではカール・バルトやエミール・ブルンナーのような新正統派の場合でさえ)聖書を一貫して「字義的」に解釈しているといえます。
 では、なぜ福音派と新正統派のように、あるいは福音派の中でもディスペンセーション主義も含めて複数の立場があるように、聖書解釈に幅が存在しているのでしょうか。それは、ある箇所で比喩や象徴を用いているかどうかについて議論が分かれているからです(ライト 2015:270-279)。しかも、ほぼ全ての立場において、ある箇所を比喩的・象徴的に解釈するときには、歴史的あるいは文学的な根拠が提示されています。したがって、〈歴史的文法的解釈法を用いた字義的解釈を聖書全体に適用しているのはディスペンセーション主義だけである〉という主張は、聖書解釈学的に見て妥当であるといえないのではないかと考えられます。
 この点に関して明確にいえることは、〈ディスペンセーション主義という聖書解釈体系は、字義的解釈を採用する福音派の様々な他の聖書解釈体系と比較すると、比喩的・象徴的解釈を施す聖書箇所が最も少ない部類に入る〉ということです。しかし重要なのは、〈その解釈の妥当性は歴史的文法的根拠に基づいている〉こと、そして〈イスラエルと教会の区別もまた、歴史的文法的根拠に基づいた字義的解釈によってもたらされる〉ということです。

(3)神の計画の目的を「神の栄光」とする

 第3の必須条件は、「神の計画の究極的な目的」は「神の栄光」が現されることだと考える、ということです。ラッドやエリクソンらが採用している〈契約神学(Covenant Theology)〉という神学体系でも、当然「神の栄光」は十分に強調されています。しかし彼らが保持する〈恵みの契約〉という概念*4の故に、実際的には神の計画の目的は人類の救済(贖い)に置かれています(Ryrie 1995: 45、またHodge 1960, 3: 553参照)。
 ディスペンセーション主義でも、当然、聖書のメッセージの中心的要素としてメシアによる人類の贖いの重要性が強調されています。しかし、神の計画の構成要素は人類の救済(贖い)だけではありません。たとえば旧約聖書を字義的に解釈すると、神の計画においてはメシアによる贖いの約束だけではなく、神とアブラハムとの契約*5に基づいてもたらされる物質的・霊的祝福の両方の成就にも重点が置かれているものと読むことができます。したがって、ディスペンセーション主義では、神の人類救済計画は、神がご自分の栄光を現される総合的計画におけるひとつの側面であると考えられています。

3.まとめ

 ここまで、ライリーのテキストから(1)イスラエルと教会の区別、(2)歴史的文法的解釈法、(3)神の計画の目的を「神の栄光」とする、というディスペンセーション主義の3つの必須条件を引用し、観察してきました。以上のことをふまえて、ライリーはディスペンセーション主義について次のように要約しています。

したがって、ディスペンセーション主義の真髄はイスラエルと教会の区別であるといえる。これはディスペンセーション主義者が首尾一貫して字義的解釈を採用した結果生じるものであり、神と人類との関係におけるご計画の基本的な目的の理解にも影響を及ぼす。その目的とは、救済やその他の目的を通してご自分の栄光を現すことである。(Ryrie 1995: 48)

4.次回の展開

 この第2回では、ディスペンセーション主義の必須条件から、聖書解釈におけるこの立場の信条を確認しました。早速ディスペンセーション主義そのものを定義したいところですが、そのために、次回はまず〈ディスペンセーション〉という用語そのものの定義を確認していきます。

引用・参考文献

  • Berkhof, Louis, Systematic Theology (Grand Rapids: Wm. B. Eerdmans Publishing Company, 1941)
  • Hodge, Charles, Systematic Theology, 3 vols. (London: James Clarke & Co., 1960)
  • Ryrie, Charles C., Dispensationalism (Chicago: Moody Publishers, 1995)
  • Fruchtenbaum, Arnold G., Israelology: The Missing Link in Systematic Theology, Revised ed. (Tustin, CA: Ariel Ministries, 1992)
  • Showers, Renald E., There Really is a Difference: A Comparison of Covenant and Dispensational Theology (Bellmawr, NJ: Friends of Israel Gospel Ministry, 1990)
  • フィー、ゴードン・D=ダグラス・スチュワート『聖書を正しく読むために[総論]──聖書解釈学入門』和光信一訳、関野祐二監修(いのちのことば社、2014年)
  • ゴンサレス、フスト『キリスト教神学基本用語集』鈴木浩訳(教文館、2010年)
  • ライト、N・T『クリスチャンであるとは─N・T・ライトによるキリスト教入門』上沼昌雄訳(あめんどう、2015年)
  • ラッド、ジョージ・エルドン『終末論』安黒務訳(いのちのことば社、2015年)
  • ラム、バーナード『聖書解釈学概論』村瀬俊夫訳(聖書図書刊行会、1963年)

*1:一例として、フルクテンバウムはディスペンセーション主義を説明する際にライリーの「必須条件」を引用している(Fruchtenbaum 1992: 324-326)。また、米国のディスペンセーション主義神学者シャワーズが挙げている「ディスペンセーション主義神学による聖書的歴史哲学の説明における鍵となる要素」、「ディスペンセーション主義神学における不可欠な要素」にはライリーの3つの「必須条件」と同じ要素が含まれている(Showers 1990: 49-53)。

*2:一例としてラッド(2015:30)を参照せよ。また、教会とイスラエルというテーマについては、拙稿「福音派のイスラエル理解(1):メインストリーム編」および「同(2):ディスペンセーション主義編」において取り上げられている。

*3:イエスをメシアとして信じるユダヤ人のこと。端的に言えばユダヤ人クリスチャンのことである。しかし、ユダヤ人信者の中には過去の西洋のキリスト教会による迫害の歴史から、〈クリスチャン〉という呼称を避ける者もいる。そういった人々は自らをメシアニック・ジューと呼称する。

*4:恵みの契約とは、契約神学の体系において中心的要素となっている神学的な契約のことである。その内容は、神と(選ばれた)罪人との間における、キリストへの信仰による救いの約束である。Berkhof (1941: 277)およびゴンサレス(2010:84)を参照のこと。

*5:福音主義神学では〈アブラハム契約〉と呼ばれている。これは、創世記12章1-3節で内容がはじめて啓示され、創世記15章17-18節で正式に締結された、神とアブラハムとの間における契約である。