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終末論についての覚書(2)千年期に関する諸見解 – 1(千年期前再臨説)

※本記事は以下のnote記事からの転載です。

終末論についての覚書(2) 千年期に関する諸見解 – 1(千年期前再臨説)|balien|note

トピック

千年期に関する諸見解

 ここでは,千年期(千年王国)についての諸見解の定義および概要の記述を試みます。千年期(the Millennium)あるいは千年王国(the Millennial Kingdom)とは,どちらも「イエス・キリストの地上での支配を指」して用いられる用語です(エリクソン 2006:415)。前者はイエス・キリストによる支配が成されるある一定の期間そのもの,後者はキリストが支配される王国をそれぞれ強調している言葉ですが,この覚書では両者を同義語として扱います。

 福音主義の終末論では,千年期に関する見解は3つに大別できます。

  1. 千年期前再臨説
  2. 千年期後再臨説
  3. 無千年期説

千年期前再臨説

 千年期前再臨説(Premillennialism:他の訳語として前千年王国説,千年王国前再臨説など)とは,「千年王国の到来をキリストの再臨後に,通常は『大いなる患難』[大患難時代もしくは患難期]と呼ばれる退廃の時期の後に見る立場」のことです(ゴンサレス 2010:161,[]内は引用者による付記)。この立場では,「イエス・キリストによる地上支配は約千年間(あるいは少なくともかなりの期間)であるという概念を支持してい」ます(エリクソン 2006:420)。  千年期前再臨説は歴史の各時代に見られます。教会史の初期には,殉教者ユスティノスやエイレナイオスのような教父たちがこの立場を信じていました。

2世紀には,パピアスやエイレナイオスのようなキリスト教神学者は,地上でのキリストの支配を確かに信じていた.それは,平和,正義,物質的な豊かさの支配であり,神学者たちは時にその支配が千年続くと語っていた.(ゴンサレス 2010:163)

ゴンサレスはその後の千年期前再臨説の歴史的展開について,以下のように要約しています。

千年王国説は中世にもあったが,近代の前千年王国説は17世紀初頭に発展し始め,19世紀に最初はイングランドで,次いで米国で広がりはじめた.(ゴンサレス 2010:161)

 エリクソンによれば,現在この立場は「保守系バプテスト,ペンテコステのグループ,単立のファンダメンタリスト諸教会の間でかなりの支持を得てい」ます(エリクソン 2006:421)。

千年期前再臨説とディスペンセーション主義

 千年期前再臨説はディスペンセーション主義と直結して考えられることが多いのですが,それは厳密な見解とは言えません。

人は千年王国前再臨主義者であると同時にディスペンセーション主義者でもありうるが,多くの千年王国前再臨主義者はディスペンセーション主義者ではない。一般的に,すべてのディスペンセーション主義者は千年王国前再臨主義者であるが,すべての千年王国前再臨主義者がディスペンセーション主義者なのではない,と言うことはできよう。(リンゼル=ウッドブリッジ 1992:172)

リンゼル=ウッドブリッジの言うように,全てのディスペンセーション主義者は千年期前再臨主義者です。また,契約神学者の一部はこの立場を取っています(Fruchtenbaum 1992:4)。
 ディスペンセーション主義における千年期前再臨説と,それ以外(契約神学など)の千年期前再臨説との間には教理上の相違が存在しています。一般的には,前者はディスペンセーション主義千年期前再臨説(Dispensational Premillennialism;以下DP),後者は歴史的千年期前再臨説(Historic Premillennialism;以下HP)もしくは契約主義千年期前再臨説(Covenant Premillennialism)と呼ばれています(中川 2015; Fruchtenbaum 1992)。中川(2015)は,DPとHPとの間には,聖書解釈の姿勢とイスラエル論について以下の3つの相違点があると主張しています。

  1. HPは「新約聖書旧約聖書を解釈(再解釈)する」と主張する。しかし,DPでは聖書本文の字義通りの解釈を重視しており,元の(旧約聖書の)テキストを再解釈することに反対する。
  2. HPは「教会は新しいイスラエルである」と主張する。一方,DPではイスラエルと教会を最後まで区別する。
  3. HPは基本的に「教会に組み込まれる」ことによるイスラエル民族の救いは認めているが,「将来のイスラエルの民族的回復」を信じない。一方,DPではイスラエルの民族的回復を信じている。ここでいう「イスラエルの民族的回復」とは,千年期にイスラエル民族が約束の地に期間し,「千年王国において諸国民に奉仕するという重要な使命を果たすこと」である(cf. Vlach 2010:12 (n. 15); 177-201)。

千年期前再臨説の聖書的根拠

 千年期前再臨説が「千年王国はキリストの再臨後に到来する」と主張する根拠のひとつは黙20:4–6です。

また私は,多くの座を見た。彼らはその上にすわった。そしてさばきを行う権威が彼らに与えられた。また私は,イエスのあかしと神のことばとのゆえに首をはねられた人たちのたましいと,獣やその像を拝まず,その額と手に獣の刻印を押されなかった人たちを見た。彼らは生き返って,キリストとともに,千年の間王となった。そのほかの死者は,千年の終わるまでは,生き返らなかった。これが第一の復活である。この第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。この人々に対しては,第二の死は,なんの力も持っていない。彼らは神とキリストとの祭司となり,キリストとともに,千年の間王となる。(黙20:4–6,新改訳第三版)

この立場では「この箇所全体を文字通りに,首尾一貫して解釈するべきであると主張」し,「千年という期間……の根拠がここにあると見」ます(エリクソン 2006:421)。千年期前の再臨および再臨後のキリストの地上統治について,どの程度旧約聖書を根拠として持ってくるかは,学者によって意見が分かれています。ある者は千年期前再臨主義の終末論を信じる根拠を旧約預言にも見出しますが,ある者はそうではありません(Fruchtenbaum 1992:314)。
 黙20:4–6の字義的解釈からさらに見出されるのは,キリストが再臨したときに義人(信者)が肉体的に復活し,千年期が終了した後に不信者が肉体的に復活するという二度の復活という教理です(エリクソン 2006:421–22)。通常,前者の復活は「第一の復活」,後者の復活は「第二の復活」と呼ばれることが多いです。この教理の根拠としては,黙20:4–6で,信者と不信者という2つのグループの復活を指して同じ動詞(ezesan)が使われていることが挙げられます。したがって,2つのグループが同じ種類の(すなわち物理的な)復活を経験し,その間には少なくとも千年という時間差が存在すると考えています。自身が(歴史的)千年期前再臨説に立つエリクソンは,この「二つの復活」を説明できることこそが,千年期後再臨説および無千年期説に対するこの立場の優位性であると考えています(エリクソン2006:428–29)。

千年期前再臨説と旧約聖書

 HPの一部の人々やDPに立つ人々は,旧約聖書にも千年期前再臨説の根拠を見出しています。彼らは,旧約聖書を字義的に解釈した結果,地上におけるメシア的王国という概念が導き出されるものと主張しています。
 たとえばイザヤ書の中では,全世界に裁きが下った後,メシアご自身による統治が地上で実現するということが預言されています(特に24–25章は,黙示録19–20章との強い関連性が指摘されています。Vlach 2015: locations 627-738)。千年期前再臨主義者の一部は,そのメシア的王国の預言は千年王国の預言であると捉えています。
 千年期前再臨説では千年王国と永遠の御国を区別していますが,その根拠のひとつとされているのがイザ65:20です(Vlach 2015: locations 749-77)。イザ65:17–20にはメシア的王国の性質が記述されています。その王国は17節で「新しい天と新しい地」と呼ばれており,黙示録21–22章に啓示されている永遠の御国(新しい天と新しい地,黙21:1)と対応している預言なのではないかと指摘されることがあります。しかし,イザ65:20では,その御国では寿命が非常に長くなるが,死は存在していることが示唆されています。これは,もはや死もなく呪いもないという永遠の御国の性質(黙21:4; 22:3)とは異なります。他にも永遠の御国とは異なる地上のメシア的王国を示している預言として,Vlachはゼカリヤ書8章および14章を挙げています(Vlach 2015: locations 778-831)。
 また,これは特にDPの場合に顕著ですが,千年王国または地上的メシア的王国は,イスラエルが民族的に回復されるという約束(申30:1–20;イザ30:18–22;エゼ11:19–20;ゼパ3:14–20;ロマ11:25–27など)の成就であると考えられています。これには約束の地への帰還という物質的要素も含まれています(申30:1–10;イザ11:11–12:6, 43:5–7;アモ9:14–15など)。したがって,イスラエルの回復が成就するためにはメシアの地上的王国という概念は不可欠のものであると考えられています(Fruchtenbaum 1992:791-805; Blaising 2008:119-21; cf. Kaiser 1988)。

千年期前再臨説における千年王国の性質

 千年王国の性質は,通常は「徐々に,おそらくほとんど感知されずにやってくる」のではなく「突然の大変動」なのだと考えられています。それは千年期における世界的平和や,自然界の調和(イザ11:6–7, 65:25;ロマ8:19–23)といった性質を根拠としています。多くの千年期前再臨主義者は「千年期は世界の中ですでに働いている傾向の延長ではな」く,「今経験している状況を激しく打ち破るようなものである」と考えています(エリクソン 2006:422)。ただし,地球そのものの完全な再創造(黙21—22章に書かれているような)は千年期終了後に到来すると考えられています。千年期における現在の世界との連続性の程度については,見解が分かれています。

千年期前再臨説における患難時代

 また,この立場を取る者は「患難時代は今までにない困難と混乱の時で,宇宙規模の騒動と迫害と大きな苦しみがある」という認識では一致していますが,「教会が患難時代に存在するかどうかに関しては意見が分かれてい」ます(エリクソン 2006:423)。多くの場合HPでは「患難時代にも教会は存在している」ものと考えられており,DPでは「教会は患難時代の前に既に携挙されている(天に挙げられている)」ものと考えられています。
 HPとDPとの間には患難時代について以上のような見解の相違があるにも関わらず,全ての千年期前再臨主義者は「キリストが来て千年期を建て上げる直前の世界が最悪の状態であるということに関しては一致してい」ます(エリクソン 2006:423)。

千年期前再臨説に対する評価

 前述の通り,エリクソンは黙20:4–6に記されている「二つの復活」を説明できる終末論的立場は千年期前再臨説だけであると考えています(エリクソン 2006:428–29)。それ以上に,彼は「千年期前再臨説が対処できない聖書箇所はない,つまり適切に説明できない聖書箇所はない」と考えており,それ故に「無千年期説より千年期前再臨説の見解が適当であると」判断しています。
 無千年期説を採用しているLouis Berkhofは,千年期前再臨説は問題がある終末論だと考えています(Berkhof 1958:712-16)。たとえば彼は,復活,最後の審判,世界の終わりといった一連の終末的出来事を千年期によって分割してしまう,千年期前再臨説の終末論を批判しています。そういった出来事が分割不可能な一連の出来事であるという聖書的根拠として,彼は黙20:4–6やマタ13:37–43, 47–50を提示しています。彼はまた,栄光のキリストが臨在される新しい地が,それ以前の古い地と連続性を有していると考えることは不可能であるとしています。さらに,この終末論の聖書的根拠が黙20:1–6だけであり,しかも象徴的な書物(黙示録)の字義的解釈から導き出された考えであるため,教理として非常に不安定である,と彼は主張しています。
 千年期後再臨主義者であるKenneth L. Gentry Jr.もまた,千年期前再臨説には多くの神学的問題が含まれていると指摘しています(Gentry 1999: locations 3596-610)。たとえば彼は,Berkhofのように,再臨のキリストが統治する千年王国に死や罪が存在しており,栄化された聖徒と罪人とが混在しているという概念を拒否します。また,再臨されたキリストが直接民を統治しているにもかかわらず反乱を起こされる(黙20:7–9)ということは,キリストの「第二の辱め」であると指摘しています。Gentryは,この終末論的立場に以上のような様々な神学的問題が含まれていることの原因は,この立場が聖書の最も難解な書物(黙示録)に依拠して聖書神学や救済史を導出していることであると考えています。
 また,千年期前再臨説の中でも,HPとDPはその立場の違いから互いを批判しています。エリクソンは,教会とイスラエルを別個に考えるDPの聖書解釈を批判しています。

……イスラエル民族を教会とはっきり区別していることは,聖書を根拠にして支持することが難しい。イスラエル民族に関する預言は教会と関係なく成就され,したがって千年期はユダヤ的性格を持つ,という……見解は,新しい契約の導入で起こった根本的な変化を描いている聖書の記述と簡単に調和させることができない。(エリクソン 2006:437)

 一方,前述の中川(2015)の主張に見られるように,DPもまた,HPの聖書解釈を批判しています。Paul D. Feinbergは,HPを主張するGeorge E. Laddの「新約聖書旧約聖書を再解釈する」という聖書解釈法則に対して,次のように述べています。

もしLaddが正しく,新約聖書旧約聖書を再解釈するならば,彼の聖書解釈は深刻な問題を引き起こす。旧約聖書の誠実さはどのように維持されるのか。どういった理由で,旧約聖書はその本来の意味においてまことの啓示であるということができるのか。(Feinberg 1988:116,強調は原著者による)

Vlachもまた,次のようなことを問うています。旧約におけるイスラエルの将来の回復という預言は,本来イスラエル民族に与えられた希望の約束です。もし新約の啓示によってこの約束の本来の意図が変更されてしまったのだとすれば,神の約束への誠実さはどのように説明されるのか,と(Vlach 2010:96-9)。
 以上,千年期前再臨説,さらにその中のHPとDPそれぞれに対する評価のサンプルを観察してみました。最後に,千年期前再臨説の社会的性質についてのゴンサレスの指摘を見てみましょう。

千年王国は大いなる患難[大患難時代]の後にやって来るという感覚から,そうした悪は主の到来の準備として避けられないという根拠で,前千年王国主義者はしばしば悪の社会的・政治的構造を無視するか,少なくともそれに抵抗しないようになった.20世紀の終わりになると,キリストの再臨が物事を正すのだから,キリスト者は環境の劣化に煩わされるのではなく,自分の利益のためにそれを自由に役立てるべきである,と主張した政治指導者たちが米国にいた.(ゴンサレス 2010:161)

ゴンサレスが示しているのは千年期前再臨主義者の中でも極端な例であるということは,指摘しておくべきでしょう。なお,このような姿勢は,特にDPの影響を受けたクリスチャンの間でよく見受けられたものです(安黒 2014:111–12参照)。

引用・参考文献

  1. Berkhof, Louis, Systematic Theology (Edinburgh: The Banner of Truth Trust, 1958)
  2. Blaising, Craig A., "Premillennialism," Three Views on the Millennium and Beyond, Darrell L. Bock, ed., Kindle ed. (Grand Rapids, MI: Zondervan, 1999), locations 2219-3255.
  3. Blaising, “The Future of Israel as a Theological Question,” To the Jew First: The Case for Jewish Evangelism in Scripture and History, Darrell L. Bock and Mitch Glaser, eds. (Grand Rapids, MI: Kregel Academic & Professional, 2008), pp. 102-21.
  4. Feinberg, Paul D., “Hermeneutics of Discontinuity,” Continuity and Discontinuity: Perspectives on the Relationship Between the Old and New Testaments, John S. Feinberg, ed., (Wheaton, IL: Crossway, 1988), pp. 109-28.
  5. Fruchtenbaum, Arnold G., Israelology: The Missing Link in Systematic Theology, Revised ed. (Tustin, CA: Ariel Ministries, 1992)
  6. Gentry, Kenneth L., Jr., “A Postmillennial Response to Craig A. Blaising,” Three Views on the Millennium and Beyond, locations 3257-610.
  7. Kaiser, Walter C., Jr., "Kingdom Promises as Spiritual and National," Continuity and Discontinuity, pp. 289-307.
  8. Ladd, George Eldon, A Theology of the New Testament, Revised ed., Donald A. Hagner ed. (Grand Rapids, MI: Wm. B. Eerdmans Publishing Co., 1993)
  9. Vlach, Michael J., Has the Church Replaced Israel?: A Theological Evaluation (Nashville, TN: B&H Publishing, 2010)
  10. Vlach, Premillennialism: Why There Must Be a Future Earthly Kingdom of Jesus, Kindle ed. (Los Angels, CA: Theological Studies Press, 2015)
  11. 安黒務「『福音主義イスラエル論』─神学的・社会学視点からの一考察─」『福音主義神学』第45号(日本福音主義神学会,2014年)99–119頁
  12. エリクソン,ミラード・J『キリスト教神学』第4巻,森谷正志訳,宇田進監修(いのちのことば社,2006年)
  13. ゴンサレス,フスト『キリスト教神学基本用語集』鈴木浩訳(教文館,2010年)
  14. 中川健一「終末論に関する一考察」『LCJEニュース』第190号(ローザンヌユダヤ人伝道協議会日本支部,2015年)1頁
  15. ラッド,ジョージ・エルドン『終末論』安黒務訳(いのちのことば社,2015年)
  16. リンゼル,ハロルド=チャールズ・ウッドブリッジ『聖書教理ハンドブック』山口昇訳(いのちのことば社,改訂新版,1992年)