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トピック
雑記
諸文献目録
神学・聖書学一般
メシアニック・ジュー運動に関する参考文献紹介 - 軌跡と覚書
終末論と聖書預言
終末論と聖書預言に関する参考文献(1)解釈論 - 軌跡と覚書
終末論と聖書預言に関する参考文献(2)千年王国論 - 軌跡と覚書
終末論と聖書預言に関する参考文献(3)携挙論 - 軌跡と覚書
終末論と聖書預言に関する参考文献(4)イスラエル論 - 軌跡と覚書
終末論と聖書預言に関する参考文献(5)終末預言 - 軌跡と覚書
最近読んだ「ヨハネの黙示録」関連本の感想とか - 軌跡と覚書
聖書論
歴史的文法的解釈法についての覚書
旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?
旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?(前編) - 軌跡と覚書
旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?(後編) - 軌跡と覚書
旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?(補足その1) - 軌跡と覚書
旧約聖書の「意味」は新約聖書の啓示によって変更されたのか?(補足その2) - 軌跡と覚書
「聖書信仰」を考える
「ヘブル的視点」についてのあれこれ
「字義通りの解釈」についてのあれこれ
「字義通りの解釈」についてのあれこれ(前編) - 軌跡と覚書
「字義通りの解釈」についてのあれこれ(後編) - 軌跡と覚書
単発記事
聖書的契約論
契約に関する神学的考察
聖書の物語と契約
↓まとめ記事
聖書の物語と契約(まとめ)【随時更新】 - 軌跡と覚書
↓シリーズ各記事
聖書の物語と契約(1)創造から洪水後まで - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(2)アブラハム契約とモーセ契約 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(3)ダビデの王国とダビデ契約 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(4)王国の滅亡と契約に基づく希望 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(5)主の日・契約の成就・被造世界の回復 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(6)イザヤ書と永遠の契約の希望 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(7)エレミヤ書と新しい契約の希望(その1) - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(8)エレミヤ書と新しい契約の希望(その2) - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(9)エゼキエル書と新しい契約の祝福 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(10)メシアの誕生と諸契約の成就 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(12)メシアとイザヤ書61章 - 軌跡と覚書
聖書の物語と契約(13)すべての成就をもたらすメシア - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義について
ディスペンセーション主義Q&A
↓質問ごとのまとめ
ディスペンセーション主義Q&Aまとめ〔随時更新〕 - 軌跡と覚書
↓記事ごとのリンク
簡略版「ディスペンセーション主義とは何か?」 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:「3つの特徴」編 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:7つのディスペンセーションについて - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:8つの聖書的契約編 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:エデン契約とアダム契約 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:祭司契約と土地の契約 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:これまでの経緯と心境 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義Q&A:ルーツは異端? - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?
ディスペンセーション主義とは何か?:はじめに - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(1)非ディスペンセーション主義者による定義 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(2)ディスペンセーション主義の必須条件 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(3)〈ディスペンセーション〉の定義 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(4)ディスペンセーション主義の定義 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(5)教会教父たちの神学との比較 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(7)ディスペンセーション主義の体系化、そして発展と確立 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?(8)ディスペンセーション主義の発展形 - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義とは何か?:おわりに─神の御言葉の探求という営み - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義から見た聖書の連続性と非連続性
ディスペンセーション主義から見た旧新約聖書の「連続性」(Michael Vlach) - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義から見た旧新約聖書の「非連続性」(Michael Vlach) - 軌跡と覚書
ディスペンセーション主義における旧新約間の「連続性」と「非連続性」:まとめ - 軌跡と覚書
単発記事
「ディスペンセーション主義」という名前への違和感 - 軌跡と覚書
「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを振り返って - 軌跡と覚書
イスラエル論
福音派のイスラエル理解
福音派のイスラエル理解(1)メインストリーム編 - 軌跡と覚書
福音派のイスラエル理解(2)ディスペンセーション主義編 - 軌跡と覚書
聖書における「イスラエル」の意味〔未完〕
聖書における「イスラエル」の意味(4)新約聖書での「イスラエル」の登場箇所 - 軌跡と覚書
聖書における「イスラエル」の意味(5)ローマ人への手紙9:6について - 軌跡と覚書
聖書における「イスラエル」の意味(6)ローマ人への手紙11:26について:その1 - 軌跡と覚書
聖書における「イスラエル」の意味(7)ローマ人への手紙11:26について:その2 - 軌跡と覚書
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考)
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その1) - 軌跡と覚書
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その2) - 軌跡と覚書
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その3) - 軌跡と覚書
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:その4) - 軌跡と覚書
「ユダヤ人伝道は必要ない」?(再考:おわりに) - 軌跡と覚書
単発記事
福音派における普遍的問題として〈ユダヤ人伝道〉を考える:『エルサレムの平和のために祈れ』中川健一著 - 軌跡と覚書
レビ18:5「人がそれらを行うなら、それらによって生きる」の意味(Michael Vlach) - 軌跡と覚書
終末論について
宇宙神殿説と霊的終末論(by Paul Martin Henebury)
終末論についての覚書〔未完〕
終末論についての覚書(2)千年期に関する諸見解 – 1(千年期前再臨説) - 軌跡と覚書
終末論についての覚書(3)千年期に関する諸見解 – 2(千年期後再臨説) - 軌跡と覚書
終末論についての覚書(4)千年期に対する諸見解 – 3(無千年期説) - 軌跡と覚書
再来のエリヤとバプテスマのヨハネの関係についての一考察
再来のエリヤとバプテスマのヨハネの関係についての一考察(前編) - 軌跡と覚書
再来のエリヤとバプテスマのヨハネの関係についての一考察(後編) - 軌跡と覚書
単発記事
患難期前携挙主義者が取り組む必要のある諸問題 - 軌跡と覚書
黙示録20:4は「中間状態」について教えているのか?(Michael Vlach) - 軌跡と覚書
黙示録19:15とイエスによる諸国民の統治(Michael Vlach) - 軌跡と覚書
その他聖書研究録
ヨハネの手紙第一覚書き〔未完〕
ヨハネの手紙第一 覚書き(1)手紙の著者について - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(2)手紙の背景について - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(3)手紙の主題と構成 - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(6)補足:「いのちのことば」の意味について(その1) - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(7)補足:「いのちのことば」の意味について(その2) - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(8)補足:「いのちのことば」の意味について(その3) - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(10)1章8–10節 - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(11)2章1–2節 - 軌跡と覚書
ヨハネの手紙第一 覚書き(12)2章3–4節 - 軌跡と覚書
ギャップ・セオリー再考
創世記1:1–2のギャップ・セオリーについて - 軌跡と覚書
修正ギャップ・セオリーとソフト・ギャップ・セオリー - 軌跡と覚書
単発記事
祈りに力はあるのか?─聖書における「祈り」に関する一考察 - 軌跡と覚書
「ヨハネの手紙第一」聖書研究の準備を終えての感想 - 軌跡と覚書
書籍紹介
アーノルド・フルクテンバウム博士の「メシアの生涯」解説書が(ようやく)出版されました - 軌跡と覚書
「神の御国」がテーマのMike Vlachの新著"He Will Reign Forever"が出版されました - 軌跡と覚書
イスラエル聖書大学の講師らによる著書が発売されました - 軌跡と覚書
文学について&読書録
私の読書〔随時更新〕
私の読書(1)ミラード・エリクソン『キリスト教神学』 - 軌跡と覚書
私の読書(5)大嶋重徳ほか『生き方の問題なんだ。』 - 軌跡と覚書
私の読書(6)正宗白鳥『内村鑑三─如何に生くべきか─』 - 軌跡と覚書
私の読書(7)山本健吉『正宗白鳥─その底にあるもの─』 - 軌跡と覚書
私の読書(8)フルクテンバウム『イスラエル学』 - 軌跡と覚書
私の読書(9)土木技師として歩んだ、あるクリスチャンの話 - 軌跡と覚書
私の読書(11)遠藤周作『走馬燈』─沼地に流れた血を追って - 軌跡と覚書
単発記事
遠藤周作の『沈黙』について:ある遠藤マニアのクリスチャンからの視点 - 軌跡と覚書
カトリック者・遠藤周作─書評 兼子盾夫『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道』 - 軌跡と覚書