軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

契約神学と聖書的契約

契約神学の特徴と契約論

 契約神学(Covenant Theology)とは何かという問いは、それほど簡単なものではない。一般的によく見られる定義は以下のようなものである。

契約神学とは、神が契約を結ばれる神であるということを中心に置く神学体系である。この立場では、創造の歴史に2つの大きな契約を置く。それがわざの契約と恵みの契約である。契約神学は、堕落の前に、神が全人類の代表としてアダムとわざの契約を結ばれたと主張する。アダムが不従順な応答を示したことで、神は第二のアダム、イエス・キリストを通して新しい契約を立てられた。キリストに信仰を置く者は、新しい契約の恵みの下で恩恵にあずかっている。*1

 その歴史については、Peter J. Gentry and Stephen J. Wellumが次のように述べている。

聖書神学の体系としての契約神学は、そのルーツを宗教改革期に持ち(たとえばフルドリッヒ・ツヴィングリ、ハンリヒ・ブリンガー、ジャン・カルヴァン)、宗教改革後にハーマン・ウィッツアス(1636–1708)およびヨハンネス・コッケイウス(1603–1669)によって体系化された。これはウェストミンスター信仰告白(1643–1649)において巧みに表現されており、他の改革派の信仰告白でも同様である。*2

 また彼らは、契約神学について次のような包括的な説明を提供している。

その名が示唆しているように、契約神学は世界の歴史を契約という用語によって体系化するだけではなく、契約のテーマは、聖書における多様なテーマを全てまとめることであると主張している。*3

 O・パーマー・ロバートソンは、この体系では神の契約の一体性が強調されているとしている。第一に、神が人と結ばれた契約は、構造的な一体性を有している*4。契約の構造的一体性は以下の3つの要素から認識される。

  1. 神がお与えになった種々の契約が、一貫した歴史を通して与えられてきたこと*5
  2. 諸契約が、アダム─ノア─アブラハムモーセダビデと、系譜にしたがって与えられてきたこと*6
  3. 諸契約が新しい契約において究極的に成就すること*7

 第二に、諸契約は主題的な一体性も有している*8。ロバートソンは、「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」というフレーズがアブラハム契約、モーセ契約、ダビデ契約、新しい契約において見られることを指摘している。そして、このフレーズを「契約の『インマヌエル原則』」と呼び、これこそが諸契約の主題的一体性であるとしている。

 したがって、ロバートソンによれば、契約神学における契約はその歴史(経緯)、構造、主題(目的)において一体である。このような理解を端的に表現すれば、契約は救済史的に一体なのだといえよう。

 一方、ロバートソンは契約の多様性も認めている*9。彼はその上で、神と人との契約に関して、堕落前の契約と堕落後の契約という2つの構造的区分を示している*10

 したがって、契約神学では諸契約の一体性を強調しつつも、複数の形で契約を認識しているということになる。伝統的な契約神学で主張されてきた複数の契約は、贖いの契約、わざの契約、恵みの契約の3種類である*11

贖いの契約

 これは、創造の前に御父と御子の間で結ばれたとされる契約である。御父は御子を選ばれた者たちのかしらであり贖い主とされ、御子は自発的に、御父がお与えになった人々の身代わりとなることに同意されたというのが、契約の内容である*12。したがってロバートソンは、これを「創造前の契約」と呼ぶ*13

 しかし、ロバートソンはこの概念を次のようにも批判し、「三位一体の位格のあいだで契約が結ばれたと考えるのは、ますます困難になっている」と結論づけている。

しかし、神の永遠の計画のなかに、あがないの働きを認めることと、創造前に父と子のあいだに契約があったということはおなじではありません。神の永遠の計画という神秘的教義のなかに、契約条項のありかたを持ちこむことには、いささかこじつけの感があります。みことばは創造前の神の聖定のありかたについて、多くを語っていないのです。三位一体のあいだに条項や条件が「契約」のかたちで具体的に存在していて、しかもそれを父と子がともに世界のいしずえの置かれる前に承認していたというのは、みことばの証拠を節操もなく拡大解釈したものとしかいえません。*14

わざの契約

 これは「堕落前のひとと神の関係を指していう」契約であり、「もしアダムが正しい『わざ』をおこなえば、神から約束された祝福を受けるという」契約である*15

 ロバートソンは、堕落前後の契約という「区分全体については、とくに批判すべき点はありません」としつつ、名称については「正確さに欠けるきらいが」あると主張している*16。契約神学では次に取り上げる「恵みの契約」が堕落後の神と人との関わりを規定する契約だと考えられているが、これと「対比して『わざ』の契約というと、わざの契約のなかにはめぐみが働いていないかに聞こえる」だろう。しかし実際は、ロバートソンがいうように「神がそもそもひととかかわろうとすること自体、めぐみによること」である。したがって彼は、堕落前後の神と人との関係性という区分自体は保持しつつ、より適切な名称として、「わざの契約」を「創造の契約」と呼ぶことを提唱している*17

恵みの契約

 前述のとおり、これは「堕落ののちの神とひととの関係を指すもの」であり、「堕落のためにひとは救いにあたいする『わざ』をおこなえなくなったので、それからはおもに神のめぐみの支配する時代になった」という考えの土台となる契約である*18。そして、この契約は「堕落後に、神がひととかかわろうとして与えたさまざまな契約を包括するもの」である*19

 基本的には、この契約は「女の子孫」がサタンを打ち砕くという創世記3:15の約束(原福音)によって始まったものとされる*20。その後、歴史を通して与えられてきた以下の諸契約において、この契約の「意味が次第にあきらかに」されてきた*21

  1. ノア契約(創9:9–17など)
  2. アブラハム契約(創15章; 17章; 22章など)
  3. モーセ契約(出19–24章など)
  4. ダビデ契約(IIサム7章; 詩98篇; 132篇など)
  5. 新しい契約(エレ31章; ルカ24:25–27; Iコリ11:25; ヘブ8:8–13など)*22

 逆から言えば、契約神学において、アブラハム契約やモーセ契約といった「歴史的契約」とは、ひとつの恵みの契約の内容が時代を追って展開され表されてきた段階であるといえる*23。よってBerkhofは、歴史的契約が「恵みの契約の啓示におけるいくつかの時代または段階」であると述べている*24

 以上のことから、契約神学は恵みの契約という概念の中に歴史的契約の存在を認めている点で、契約の複数性と、神の計画(救済史)の多様性を認めていることになる。しかしながら、その複数性や多様性を恵みの契約というひとつの概念で包括している点で、神の計画の一体性を非常に強調している聖書神学体系だといえるだろう。

 なお、ロバートソンは前述の通り、堕落前後における関係性の区分は肯定しているものの、わざの契約と同様、この恵みの契約についても名称が不適切であると指摘している。この名称は「めぐみの契約においてわざが働く余地がないかのように思われ」るきらいがある*25。この問題に対して、彼は次のように述べている。

しかし、聖書的観点からすれば、めぐみの契約においてこそ、わざは重要な役割を果たすのです。キリストは民を救うためのわざをおこないました。罪びとのためにキリストが義を完成したことが、あがないのたいせつな要素でした。しかも、キリストにあってあがなわれたものは、わざをおこなわねばなりません。「実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」とあるとおりです(エペ二・一〇)。みことばは、一貫して最後の審判がわざに基づいておこなわれることを語っています。救いは信仰によるのですが、裁きはわざによるのです。*26

 したがって彼は、恵みの契約に代わって「あがないの契約」と呼ぶことを提唱している*27

歴史的契約の分類について

 Waltkeは、恵みの契約に含まれる種々の歴史的契約の分類に関して、「無条件性」と「条件性」という尺度を導入している。

一方では、神は人々に御国を保証し、彼らを信仰と希望で満たすために無条件契約を結ばれた。神はエバに対しては、人類の敵を打ち砕く子孫を与えることの義務を、無条件にご自分に課せられた。ノアに対しては、彼が信仰者であることを示したため、二度と地を滅ぼすことはない……と無条件に約束された。アブラハムに対しては、彼が忠実であったため、永遠の子孫と土地を与えることを約束された。ダビデに対しても、彼があらかじめ信仰を示したため、永遠の家、王国、そして王座に関する契約を結ばれた。もう一方では、神は条件付の契約を結ばれた。この契約は、御国において神と人の両方を愛するように促し、自分よりも他人の利益を優先するよう促すものである。神はモーセの仲介を通して、条件付でイスラエルを祝福する義務をご自分に課せられた。ダビデの家に対する神の契約は取り去られることはないが、契約の祝福はモーセのトーラー[律法]に王が従うことにかかっている。*28

 Gentry and Wellumは、伝統的な契約神学に立つMichael Hortonもまた「聖書的契約を無条件/条件付というカテゴリーによって区別している」ことを指摘している*29。それによれば、シナイ(あるいはモーセ)契約は律法の遵守を要求する条件付契約だが、アブラハム契約、ダビデ契約、新しい契約は無条件契約である。そして、無条件契約である新しい契約がキリストを通して結ばれたことにより、シナイ契約は効力を失った。そして、土地の約束はシナイ契約に結びつけられたものである以上、その契約に従わなかったイスラエルは約束の地の所有権を失ったのである*30

 WaltkeやHortonが示すような無条件/条件付契約という区分は、古代中近東における2種類の契約──授与契約(the royal grant)と宗主権条約(the suzerain-vassal treaty)に基づくものである*31。授与契約とは、英雄的な行いをしたり、忠誠を表明したりした家臣に対して、王が一方的に褒賞や祝福(たとえば土地など)を与えるという契約である。一方、宗主権条約は征服国(宗主)と被征服国の間に結ばれるものであり、属国が忠実な場合には宗主による寛大な措置が、条約条項に違反した場合には罰が下されるという双務的な性質が特徴である。

 こうした諸契約の無条件性/条件性に関する議論は、ロバートソンの著作では、ダビデ契約が無条件契約か条件付契約かを論じる項にしか見出されない*32。その議論でも、ロバートソン自身は諸見解を概観しつつ、いずれの契約でも個人の祝福には信仰による応答が求められるという条件性が見られると指摘しているに過ぎない*33。彼はWaltkeやHortonが示すような契約の無条件性/条件性はさほど重視していないようである。むしろ、彼は諸契約が恵みの契約/あがないの契約というひとつの契約であることから、キリストにあって確実に成就するのだという点を強調している*34

 次回は、「新しい契約神学」(New Covenant Theology)陣営の特徴と、その契約論を取り上げる予定である。

*1:Stanley J. Grenz, David Guretzki, and Cherith Fee Nording, “Covenant, Covenant Theology,” in Pocket Dictionary of Theological Terms (Downers Grove, IL: InterVarsity, 1999), 32.

*2:Peter J. Gentry and Stephen J. Wellum, Kingdom through Covenant: A Biblical-Theological Un-derstanding of the Covenants (Wheaton, IL: Crossway, 2012), 57.

*3:Ibid. 強調=原著者。

*4:O・パーマー・ロバートソン『契約があらわすキリスト──聖書契約論入門』高尾直知訳、清水武夫監修(PCJ出版、2018年)56–81頁。

*5:前掲書、56–66頁。

*6:前掲書、66–75、79–81、104頁。

*7:前掲書、75–79頁。

*8:前掲書、81–91頁。

*9:前掲書、94–105頁。

*10:前掲書、96–98、103–05頁。

*11:Louis Berkhof, Systematic Theology, reprint (Edinburgh: The Banner of Truth Trust, 1958), 265–83.

*12:Ibid., 271.

*13:ロバートソン『契約があらわすキリスト』94頁。

*14:前掲書、95頁。強調=引用者。

*15:Berkhof, Systematic Theology, 211–18; ロバートソン『契約があらわすキリスト』96頁。

*16:前掲書、97頁。

*17:前掲書、98頁。

*18:前掲書、96頁

*19:前掲書、98頁。

*20:前掲書、142–60頁; Berkhof, Systematic Theology, 293–94; Bruce K. Waltke, “The Kingdom of God in the Old Testament: The Covenants,” in The Kingdom of God, eds. Christopher W. Morgan and Robert A. Peterson (Wheaton, IL: Crossway, 2012), 76.

*21:ロバートソン『契約があらわすキリスト』141頁。

*22:以上の名称および聖書箇所はWaltke, “The Kingdom of God in the Old Testament: The Covenants,” 76–77より。

*23:Ibid., 77.

*24:Berkhof, Systematic Theology, 293.

*25:ロバートソン『契約があらわすキリスト』97頁。

*26:前掲書、97–98頁。

*27:前掲書、98頁。

*28:Waltke, “The Kingdom of God in the Old Testaments: The Covenants,” 74–75. 強調=引用者。

*29:Gentry and Wellum, Kingdom through Covenant, 66.

*30:Ibid., 66, n. 78. 以上のことはMichael S. Horton, God of Promise: Introducing Covenant Theology (Grand Rapids: Baker, 2006), 23–76で詳細に述べられているという。

*31:Ibid.; Waltke, “The Phenomenon of Conditionality within Unconditionality,” in Israel’s Apostasy and Restoration, ed. Avraham Gileadi (Grand Rapids: Baker, 1988), 123–24.

*32:ロバートソン『契約があらわすキリスト』318–30頁。

*33:前掲書、323頁。

*34:前掲書、324–25頁。