軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

ディスペンセーション主義Q&A:ルーツは異端?

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今回はいただいた質問ではありませんが、重要なテーマだと思いましたので取り上げます。

ここでご紹介&応答しているような考え方は、もうアカデミックの世界では支持されることも少ないのですが、一般的にはまだまだ影響力の大きい見解なようです。先手を打つという意味も込めて、ここで取り上げておきたいと思います。

Q22:ディスペンセーション主義のルーツは異端?

Q:ディスペンセーション主義は、ジョン・ネルソン・ダービーが異端の影響を受けて作り出した神学だと聞いたことがあります。本当ですか?

A:ご質問にある考え方は、ジョン・ネルソン・ダービーが提唱した患難期前携挙説異端の影響を受けた教えであるという主張をふまえたものだと思われます。このダービーはプリマス・ブレザレンの創設者のひとりとして有名ですが、同時にディスペンセーション主義を体系化した人物と考えられております。また一般的には、ディスペンセーション主義の終末論は患難期前携挙説を含む千年期前再臨説を特徴としていると考えられています(Q10参照)。よって、患難期前携挙説が異端の影響を受けているのだから、ディスペンセーション主義自体も異端の影響を受けた神学だという結論になるのですね。

患難期前携挙説のルーツが異端的教えであり、よってディスペンセーション主義のルーツも異端的教えであるという説は、詳しくいえば次のようになります。

  • ジョン・ネルソン・ダービーはディスペンセーション主義の父とされている。彼の特徴は、聖書預言研究への熱心さと、患難期前携挙説と千年期前再臨説を軸にして立てられた終末論である。
  • ダービーの終末論(特に患難期前携挙説)は、異端の教師であるエドワード・アーヴィングの影響を受けたものである。
  • また、ダービーの患難期前携挙説は、マーガレット・マクドナルドという少女が、悪魔的な力によって語った幻の内容に影響されたものである。
  • よって、ダービーの終末論は異端的または悪魔的な影響を受けたものである。
  • したがって、ディスペンセーション主義のルーツは異端であり、これは悪魔的な教えである。

結論からいうと、ダービーの患難期前携挙説は、アーヴィングやマクドナルドの影響を受けたものとはいえません。よって、彼が体系化したディスペンセーション主義もまた異端の教えであるという結論は成立しません。

そもそも、現代のディスペンセーション主義者に異端というレッテルを貼ることはできません(Q7参照)。ディスペンセーション主義者はイエス・キリストの神性と人性を等しく告白し、このイエスの十字架と復活の御業こそが救いの土台であると信じています。また、その救いは恵みと信仰によることを信じています。ですから、キリスト教の「異端」というレッテルを貼るのはそもそもおかしいのです。

それでは、患難期前携挙説のルーツが異端といえるかどうかについて、詳しく見ていきましょう。

アーヴィングとマクドナルドについて

まずここで、エドワード・アーヴィングマーガレット・マクドナルドの二人について簡単にご紹介しておきましょう。

エドワード・アーヴィング(1792–1834)は、スコットランド生まれの説教者です。当時、彼の説教の力強さやその影響力はかなり大きかったようですが、異端視されることの多い人物でもあります。彼は千年期前再臨主義者であり、キリストが地上に再臨し、エルサレム千年王国を建てると信じていました。また、現代は教会の背教の時代であり、今こそが患難時代だとも考えていたようです。

彼は、再臨の前には使徒預言者、伝道者、牧師、教師という「五役者」の回復が必要であると主張しました。また、異言を含む奇跡的な聖霊の賜物を非常に重視していたようです。

アーヴィングは、上記の考え方を継承したCatholic Apostolic Church(カトリック使徒教会または新使徒教会)の設立に関与したことでも有名です。

マーガレット・マクドナルド(1815–1840)はスコットランド生まれの女性です。1830年頃、彼女を含む一部の人々に聖霊の力が注がれ、異言を語り始めたといいます。そして、キリストの再臨に関する預言を語ったそうです。

マクドナルドらに聖霊が降ったというニュースは、当時大変有名になったそうです。アーヴィングもこの現象に非常に関心を持ち、マクドナルドの預言を聖霊の力によるものと認めました。また、これが「神の驚くべき顕現」であるとも確信していたようです*1。一方、ダービーや、彼の友人でプリマス・ブレザレンを共に建て上げたベンジャミン・ウィルズ・ニュートンは、マクドナルドらの異言や預言は悪魔によるものだと考えていました*2

アーヴィング=マクドナルド起源説の情報源

ダービーの患難期前携挙説をアーヴィングと結びつける主張は、同時代でプリマス・ブレザレンのメンバーであり、後に長老派の一員となったサミュエル・トレゲルズに遡ることができます*3。しかし、トレゲルズの主張は根拠に乏しい偏見であると批判されてもいます*4。彼は患難期後携挙説を支持しており、また携挙を含む一部の終末論を巡ってダービーと対立したベンジャミン・ニュートンのいとこでもありました。ダービーの支持者であったブレザレンの聖書学者ウィリアム・ケリーは、トレゲルズはニュートンを擁護し、ダービーに復讐するために患難期前携挙説をアーヴィングと結びつけたのだと批判しています*5。トレゲルズの主張にはそれを裏づける歴史的根拠が見られませんので、プリマス・ブレザレン初期の人間関係などもふまえて、慎重に判断する必要があるでしょう。

しかし、患難期前携挙説への批判者の一部には、今なおトレゲルズの主張を支持している人々もいます*6

また、私は読んでいませんが、特にデイヴ・マクファーソンという人の著作が有名でして、この説を巡る議論では必ずといっていいほど名前が上がっています*7。特に、ダービーの終末論をアーヴィングだけではなくマクドナルドにも結びつける考え方は、マクファーソンの影響が大きいといわれています。

アーヴィング=マクドナルド起源説への応答

アーヴィングに「異端」というレッテルを貼れるかどうかは、今も論争の的になっているようです。特に彼の神学は「pre-Pentecostal」(前ペンテコステ的)といわれることも多いので、ペンテコステ派となると凄まじい論争が巻き起こるのが未だに福音主義の常ですから、さもありなんって感じがします。マーガレットの「託宣」についても、本当に神の啓示だったとは思われませんが、ここで中心的に考えたいのはそこではありません。ここで考えたいのは、アーヴィングやマクドナルドには患難期前携挙説が見られるのか、あるいは彼らの考えを患難期前携挙説のルーツとして見なせるのか? ということです。

ダービーとアーヴィング

まず一般的に、ダービーの終末論はアーヴィングやマクドナルドの影響を受けたものではなく、彼自身の聖書研究によるものだと考えられています*8。ブレザレンですがディスペンセーション主義者ではない聖書学者F・F・ブルースもまた、マクファーソンの著作の書評のなかで、これを認めています*9

確かに、ダービーとアーヴィングの終末論には似ているところがあります。(たとえば千年期前再臨説や終末におけるユダヤ民族の回復など。)しかしこういった終末論は、17–18世紀以降、英国のクリスチャンの間ではよく見られるものでした*10

そもそも、アーヴィングの終末論が患難期前携挙説と言えるかはかなり怪しいところです。アーヴィングの終末論がダービーと決定的に異なっているのは、今こそが患難時代だという考え方です。一方でダービーは、患難時代(ダービーの場合、ダニエル書9:27の第70週目と同一視)が将来もたらされると考えていました。アーヴィングの考え方は、今の患難時代の最後、キリストが戻ってこられる時にクリスチャンはそれを目撃するというものです。よってここには、携挙は患難時代の前にいつでも起こり得るという考え方は見出されません*11

またトーマス・アイスは、アーヴィング主義者たちが、携挙をキリストの地上再臨の際に起こる一連の出来事の一つと考えていたことを指摘しています*12。これは明らかに、今の患難期後携挙説と同じ見解です。

よって、ダービーの終末論がアーヴィングの影響によるものだと簡単に結論づけることはできません。

ダービーとマクドナルド

ダービーは、マクドナルドが語った幻や預言が、聖霊ではなく悪魔からのものであると結論づけています。彼自身の著作には、マクドナルドからの影響を裏づける直接的証拠は見出されないようです。

次に、マクドナルドの終末論もまた、アーヴィングの場合と同様、患難期前携挙説とはいえません。彼女の「託宣」の一部は、以下で読むことができます*13

Margaret MacDonald (visionary) - Wikipedia

実際に読んでみますと、私の英語力のせいもありますが、理解が大変難しいです。ただ全体的には、マクドナルドは自分たちが今患難時代に置かれていると言っているようです。彼女の託宣の内容は、ダービーよりもむしろアーヴィングの終末論に似ています。この点からも、彼女が患難期前携挙説を信じていたとは言い難いでしょう。ジョン・ウォルヴォード*14やポール・ウィルキンソン*15は、マクドナルドの携挙信仰は患難期後携挙説であると言っています*16

よって、ダービーの終末論とマクドナルドの託宣を結びつけるのも根拠が乏しい主張であるといえます。

ダービー以前の患難期前携挙説

聖書釈義に基づく体系化された患難期前携挙説は、確かにダービー以前には見られません。しかし、「患難時代の前にまことの信者が天に上げられる」という終末論、また携挙と再臨の間に時間的ギャップを認める終末論自体は、ダービー以前にも様々な形で見られます。

ウィリアム・ワトソンの研究によれば、17世紀には多くのクリスチャンたちが、神の御怒りによる裁きの前にまことのクリスチャンは天に上げられ、その裁きから救われると考えていました*17。彼らの考え方が患難期前携挙説だったというわけではありません。当時、患難時代に関する考え方は様々でした。ある者は今が患難時代であり、将来患難がさらに激しくなる前にキリストがクリスチャンを引き上げると考えていました。またある者は、患難時代そのものは将来だけれども、その患難時代の後半または最後に患難が激しくなる前にクリスチャンが引き上げられると考えていました。よって、彼らの考え方は、今でいう患難期中携挙説または御怒り前携挙説、もしくは患難期後携挙説に近いものです。

ただし、ワトソンが挙げてる諸文献でほとんど共通しているのは、第一に、再臨はいつでも起こり得る、また差し迫ったものとして認識されていたことです。第二に、まことのクリスチャンは御怒りの裁きが降る前に地上から取り去られることで、その裁きを免れると考えられていました。第三に、クリスチャンの携挙と、キリストの地上再臨の間には時間的ギャップがあると捉えられていました。

こういった終末論は、18世紀英国においても継続して存在していました*18。その多くは患難期後携挙説、あるいはワトソンの表現を借りれば「大災厄前携挙説」(pre-conflagration rapture)といえるものでした。これは、患難期中携挙説や御怒り前携挙説のように、患難時代において御怒りが激しくなる前の携挙と考えて差し支えありません。しかし中には、御怒りが激しくなる前の携挙を信じていながらも、敬虔なクリスチャンは患難時代を待たずして携挙されるという「部分的携挙説」(partial rapture)を唱える者もいました*19

注目すべきは、ニューイングランドピューリタンであるインクリース・メイザーです。彼の場合には、「裁きのディスペンセーション」が来る前にクリスチャンが携挙されるという考え方が見られます*20。つまり、これは患難時代「前」の携挙です。さらに彼は、携挙によって終末時代(おそらく「裁きのディスペンセーション」と同一)が始まるとも考えていました。現代の患難期前携挙主義者の一部も同様に、患難時代は携挙によって始まると考えています。メイザーの考え方は、ワトソンがいうように明らかに患難期後携挙説ではなく、また大災厄前携挙説とも異なっています*21。17世紀頃から続く携挙に関する終末論は、明確にダービーの患難期前携挙説への道筋を見せるほどに展開されていたのです。

ただし、ダービーのようにダニエル書9:27の第70週(最後の7年間)の前に携挙が起こるという考え方は、明確には見出されません。たとえばバプテストの信徒であるグランサム・キリングワースなどは、最後の7年間の後半3年半の前に携挙が起こると信じていました*22。これは今で言う患難期中携挙説と似ているように思われます。しかし患難期中説と大きく異なるのは、キリングワースは患難期の「中」で携挙されるのではなく、その「前」に携挙されると考えていたことです*23。患難期自体を7年と捉えるか3年半と捉えるかの違いはあるものの、患難期と携挙の関係の捉え方については、ダービーの終末論とよく似ています。

さらに、ワトソンによる17–18世紀のクリスチャンの終末論に関する観察では、特定の預言(ダニエルの70週の預言、オリーブ山の説教、黙示録の内容等々)について、ダービーと同じ解釈が頻繁に見られます。携挙に限定せず、いわゆる「字義通りの預言解釈」とか「ディスペンセーション主義的預言解釈」といったものに関していえば、ダービー特有の理解というのはほとんど見られないのです。

結論

以上により、患難期前携挙説がダービーの発明だと言いきることはできません。もっと確かなのは、患難期前携挙説はエドワード・アーヴィングの教えやマーガレット・マクドナルドの託宣に根差したものではないということです*24

最後に個人的な感触を申し上げておきましょう。デイヴ・マクファーソンは、患難期前携挙主義者がアーヴィングやマクドナルドといったルーツを「隠ぺい」しているのだと主張しているそうです。しかし、アーヴィング=マクドナルド起源説が根拠の乏しい、あるいは事実に反しているものであることを見るに、これには患難期前携挙説またはディスペンセーション主義に対する陰謀論めいたものを感じてしまいます。

患難期前携挙説やディスペンセーション主義を批判的に見て行くこと自体は、悪い姿勢ではありません。また、これらに対して聖書から批判を加えていくのも、健全な神学的対話になり得ます。しかしそういう対話において、アーヴィング=マクドナルド起源説のような陰謀論めいた主張を持ち出すのは、何の益ももたらさないと思います*25

*1:Paul R. Wilkinson, Understanding Christian Zionism: Israel's Place in the Purposes of God (Bend, OR: The Berean Call, 2013), Kindle locations 4412–17.

*2:Ibid., locations 4417–29.

*3:Ibid., locations 4349–56.

*4:John F. Walvoord, The Blessed Hope and the Tribulation: A Historical and Biblical Study of Posttribulationism (Grand Rapids: Zondervan, 1981), 43.

*5:Wilkinson, Understanding the Christian Zionism, locations 4360–61.

*6:E.g., Clarence B. Bass, Backgrounds to Dispensationalism: Its Historical Genesis and Ecclesiastical Implications (Grand Rapids: Baker, 1960), 146–47; Robert H. Gundry, The Church and the Tribulation (Grand Rapids: Zondervan, 1973), 185–88; Stephen Sizer, Christian Zionism: Road-map to Armageddon? (England: InterVarsity, 2004), 42–55. ただし、公正を期すべく注記しておくと、BassはDaniel Fullerの研究を引用し、ダービーが自分の聖書研究によって患難期前携挙説を含む終末論に到達した可能性を認めている。Gundryもまたアーヴィング起源説を大きく取り上げているが、断言はしていない

*7:E.g., Dave MacPherson, The Rapture Plot (Simpsonville, SC: Millennium III Publishers, 1994); The Unbelievable Pre-Trib Origin (Kansas, KA: Heart of America Bible Society, 1973); The Incredible Cover-Up (Plainfield, NJ: Logos International, 1975).

*8:Floyd Elmore, "J. N. Darby's Early Years," in When the Trumpet Sounds, eds. Thomas Ice and Timothy Demy (Eugene, OR: Harvest, 1995), 128–50; Thomas Ice, "Did Edward Irving Invent the Pre-Trib Rapture View?," The Master's Seminary Journal 27/1 (Spring 2016): 66–68.

*9:F. F. Bruce, review of The Unbelievable Pre-Trib Origin, Evangelical Quarterly 47 (1975): 58.

*10:Timothy P. Weber, "Dispensational and Historic Premillennialism and Popular Millennialist Movements," in A Case for Historic Premillennialism: An Alternative to "Left Behind" Eschatology, eds. Craig L. Blomberg and Sung Wook Chung (Grand Rapids: Baker, 2009), 8–9.

*11:Walvoord, The Blessed Hope and the Tribulation, 45.

*12:Ice, "Did Edward Irving Invent the Pre-Trib Rapture View?," 72.

*13:Cf. Wilkinson, Understanding Christian Zionism, locations 5888–5939.

*14:Walvoord, The Blessed Hope and the Tribulation, 45.

*15:Wilkinson, Understanding Christian Zionism, locations 4465–68.

*16:マクドナルドの託宣の分析、および託宣に患難期前携挙説が含まれているという主張への批判については、以下も参照のこと。Ice, "Did Edward Irving Invent the Pre-Trib Rapture View?," 61–64; "Why the Doctrine of the Pretribulational Rapture Did Not Begin with Margarett Macdonald," Bibliotheca Sacra 147/586 (April–June 1990): 155–68.

*17:William C. Watson, Dispensationalism Before Darby: Seventeenth-Century and Eighteenth-Century English Apocalypticism (Silverton, OR: Lampioin Press, 2015), 135–78.

*18:Ibid., 225–62.

*19:Ibid., 239–40.

*20:Ibid., 244–46.

*21:Ibid., 244

*22:Ibid., 257–60.

*23:Ibid., 260.

*24:Cf. Walvoord, The Blessed Hope and the Tribulation, 43–48; Weber, "Dispensational and Historic Premillennialism," 8–11.

*25:こういった陰謀論的な論調がなく、聖書神学および歴史神学の面から患難期前携挙説およびディスペンセーション主義の終末論を批判する最近の論文集として、Craig L. Blomberg and Sung Wook Chang, eds., A Case for Historic Premillennialism: An Alternative to "Left Behind" Eschatology (Grand Rapids: Baker 2009)が挙げられる。「『レフト・ビハインド』の終末論に代わるもの」と副題にあるとおり、論調自体は終始ディスペンセーション主義に対してかなり批判的だ。それでも、センセーショナルな主張を排しているという点でかなり好感がもてるし、よほど健全であると思う。本書は千年期前再臨説そのものを考えたり、聖書預言の解釈を考えたりする上で大変参考になる情報も含まれているため、ディスペンセーション主義者も一読して損はない。