軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

新しい契約神学(NCT)と聖書的契約

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契約神学と聖書的契約 - 軌跡と覚書

今回のトピック

新しい契約神学(New Covenant Theology)の特徴と契約論

 伝統的な契約神学の修正を試みる聖書神学的立場のひとつが、新しい契約神学(New Cov-enant Theology; 以下NCT)である。TheopediaはNCTについて、救済史理解に関する契約神学とディスペンセーショナリズムの「中道」的見解としている*1。この陣営の代表的神学者であるFred G. Zaspel自身、「聖書的救済史の展開について、より明確な理解を得る」ことがNCTの目的であり、結果としてこの陣営は契約神学とディスペンセーショナリズムという「両者の中間点」に到達したのだと主張している*2

 ディスペンセーショナリストのLarry D. Pettegrewはより具体的に、聖書の連続性と非連続性という観点から、NCTは「契約神学と漸進的ディスペンセーショナリズムの間」に位置づけられると考察している*3

NCTと贖いの契約

 NCT陣営を代表するひとりであるSteve Lehrerは、一部の伝統的契約神学が主張する贖いの契約という概念に関して、その聖書的正当性を否定している*4。彼は当然、三位一体の教理も、また人の救いの計画の永遠性も認めている。しかし、聖書はこの計画について、「契約」という概念または用語を使って説明していない。よって、彼は「人々を救うという神の永遠の昔からの計画について、『契約』と呼ぶのが賢明とは考えていない」のである*5。これは、伝統的契約神学に立つO・パーマー・ロバートソンによる贖いの契約否定と同じ行き方である*6

NCTとわざの契約

 Lehrerによれば、「NCTは神とアダムの関係を『契約』と呼ぶのは賢明ではないと確信している。NCTは、神がアダムに、破ったら罰が下るという命令をお与えになったと信じている。そして、この状況が聖書の著者たちによって契約と呼ばれていないがために、「我々が自分で考え出した呼び名を使うことは考え直さなければならない」*7

NCTと恵みの契約

 Zaspelは、伝統的契約神学が恵みの契約という概念を前提として新しい契約を理解していることを批判している。このことが、恵みの契約という概念そのものへの批判にも繋がっているのである。

よって、契約神学における新しい契約は、実際に新しい契約として理解されているわけではない。むしろ、モーセ契約がそうであったように、恵みの契約の新しい『機構』(administration)なのである。……
……我々は、契約神学における「1つの契約─2つの機構」という単純な考え方[訳者注:恵みの契約がモーセ契約と新しい契約という2つの機構から成り立っているという考え方]に納得していない。我々の判断するところでは、このような「フラット」な聖書の読み方では、メシアの時代[新しい契約の時代]の独特で進歩的な「新しい」性質を正しく捉えられなくなってしまうのである。*8

 また、Lehrerは、モーセ契約が「恵みの契約」ではなく、行いに基づく条件付契約であることを指摘することで、恵みの契約という枠組みを批判している*9

NCTと聖書的契約

 NCTは主に以下の契約を聖書的契約として認めている*10

  1. ノア契約
  2. アブラハム契約
  3. 古い契約(モーセ契約)
  4. 新しい契約

 NCTが伝統的契約神学と異なるのは、ダビデ契約を聖書的契約から除外していることである。この興味深い違いについて、ディスペンセーショナリストのWilliam D. BarrickがLehrer自身にEメールでその理由を尋ねている。Lehrerからの答えは、ダビデ契約が「既にアブラハム契約で約束されていたことの続きであり、追加された啓示に過ぎない」からというものだった。「手短に言えば、ダビデの王朝はアブラハム契約の約束を相続しているのであり、子孫が全ての民を祝福するというストーリーラインをさらに発展させているものなのである。」*11

 また、伝統的契約神学者の中でもWaltkeらが提唱していた契約の無条件性/条件性という区分は、NCTではさらに重要なものとなる。なぜなら、前項で指摘したように、モーセ契約が条件付契約であるということが、恵みの契約という概念に対する批判の根拠となっているからである。

 次回は、「漸進的契約主義」(Progressive Covenantalism)の特徴と、その契約論を取り上げる予定である。

*1:Theopedia, “New Covenant Theology.”

*2:Fred G. Zaspel, “A Brief Explanation of ‘New Covenant Theology.’

*3:Larry D. Pettegrew, “The New Covenant and New Covenant Theology,” The Master’s Seminary Journal 18/2 (Fall 2007): 182.

*4:Steve Lehrer, New Covenant Theology: Questions Answered (n.p. 2006), 37–38.

*5:Ibid., 37.

*6:O・パーマー・ロバートソン『契約があらわすキリスト──聖書契約論入門』高尾直知訳、清水武夫監修(PCJ出版、2018年)95頁。

*7:Lehrer, New Covenant Theology, 41.

*8:Zaspel, “A Brief Explanation of ‘New Covenant Theology.’”

*9:Lehrer, New Covenant Theology, 45–55.

*10:Ibid.; The New Covenant Confession of Faith, “Article 9. God’s Covenants.”

*11:William D. Barrick, “New Covenant Theology and the Old Testament Covenants,” The Master’s Seminary Journal 18/2 (Fall 2007): 168.