軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

簡略版「ディスペンセーション主義とは何か?」

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先日、3年前の「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを振り返り、あのシリーズを改訂する必要性を感じたという感想を申し上げました。

もうひとつ思ったのは、ディスペンセーション主義/ディスペンセーショナリズムについてあまり長いシリーズではなくて、何かひとつ参考にしていただける記事があったほうがいいな、ということでした。

そこで今回は、私自身が実際に受けた質問、また自分で感じた疑問に応えるQ&A方式で、「ディスペンセーション」と「ディスペンセーション主義」についてまとめてみました。

他にも、「ディスペンセーション主義の種類」「ディスペンセーション主義と携挙」「ディスペンセーション主義と『行いによる救い』」といったトピックについてよくご質問をいただきます。が、そういったある種応用編といえる事柄については、また機会を改めて取り上げていきたいと思います。

Q1:ディスペンセーションって何?

Q:メッセージや本の中で、たまに「ディスペンセーション」という言葉が使われているけど、どういう意味?

A:「ディスペンセーション」の簡潔な神学的定義は神の計画が進んでいく段階に応じて区別できる世界の統治方法です*1。これでは分かりにくいので、もう少し説明してみましょう。

新約聖書には「家の管理」という意味のオイコノミアというギリシア語が出てきます。ラテン語訳聖書(ヴルガータ訳)では、この単語にdispensatioという訳語が充てられました。そして、このラテン語が英語化したのがdispensationという単語です。

英語のdispensationという名詞は「体制、制度、秩序」といった意味を持っています。欽定訳聖書(King James Version)では、オイコノミアの訳語としてdispensationが4回使われています(1コリ9:17;エペ1:10;3:2;コロ1:25)。また、オイコノミアを語源とする別の英単語にeconomyやadministrationがあります。Economyは経済という意味で使われることが多いですが、本来の意味合いは「世を治める」ということです。またadministrationには「管理、統治」といった意味があります。

また、神学用語としてオイコノミアやdispensation、economyを使うとなると、古い翻訳書などでは「経綸」という訳語が充てられていることがあります。これもほとんど死語になった日本語ですが、広辞苑を開くと「国家を治めととのえること。また、その方策」とあります。古い言葉ではありますが、元々のオイコノミア、dispensation、economyといった言葉の意味を適切に表す豊かな単語なんですね。

つまり、ギリシア語のオイコノミア、また英語のdispensation、古い日本語で経綸といった言葉を神学的に使うとなると、世界を神が治める家に見立てた時、神がその家を管理しておられるということ、またその方法のことという意味合いが強いのです。

さらに、キリスト教では古代から伝統的に、「神が世界を治める方法」は時代が進むごとに変わっていると考えられてきました。たとえば、モーセの律法を考えてみましょう。多くのクリスチャンは、モーセの律法が与えられたことによって、神が人々を治める方法が変わったと考えました。これは、神の啓示によって分かります。

さらにクリスチャンの多くは、イエス・キリストの十字架と復活によって人々はモーセの律法から解放され、またもや神が人々を治める方法が変化したと考えました。これもまた、聖書の啓示(ヨハ1:17など)から分かるのです。

神のご計画が進展していくにつれて、「神が世界を治める方法」は変化していく。それが変わったことは、啓示によって判別できる。ですから、ディスペンセーションの定義は「神の計画が進んでいく段階に応じて区別できる世界の統治方法」だということができるのです。

Q2:ディスペンセーション主義って何?

Q:最近色々なところで、ディスペンセーション主義って言葉を耳にします。それって何?

A:これは、一言で表すのが大変難しいです。まず「ディスペンセーション主義」というのは、聖書解釈に対するひとつの立場の名前です。ですが、ディスペンセーション主義に立つ人々の間でも、この立場は何か? その特徴は何か? ということについては色々と意見が分かれているのが実情です。

ただ、ディスペンセーション主義に立っているという人々の間では、最低限次の点で一致しています。

  1. 聖書の本来の言語(ヘブル語、アラム語ギリシア語)と、その背景にある文化や歴史をふまえて、聖書を書いた著者の意図を考慮して解釈する。(これを、歴史的文法的解釈法といいます。)
  2. イスラエルと教会を区別する。

それでは、上記2点についてもう少し詳しくご説明しましょう。

まず第1点目については、ディスペンセーション主義であってもなくても、そのような解釈は大切であると認められています。ディスペンセーション主義者であれば例外なしに一致しているのは、旧約聖書に書かれているイスラエル民族に対する約束がそのまま確かに成就すると考えていることです。その約束には、たとえば以下のようなものが含まれます。

  1. 約束の地への帰還と所有
  2. エルサレムから王なるメシアの王国が建てられる
  3. イスラエルの民はやがて霊的に救われる。
  4. メシアの王国において、イスラエルには「祭司の民」としての特別な役割が与えられる。

これらの約束は、「イスラエルの霊的&物質的回復」ということができるでしょう。ある人々は、たとえばイスラエル民族の役割はイエスの到来によって完成して、教会が新しいイスラエルになったのだと主張します。ですがディスペンセーション主義者は全員、イスラエルはあくまでイスラエルであって、教会とイスラエルとはイコールではないと考えています。ですから、ディスペンセーション主義者は「イスラエルと教会を区別する」という点で一致しているといえます。

確かに教会は「救われたユダヤ人と異邦人」から成る共同体です(エペ2:14–16)。ですがディスペンセーション主義者は、将来イエス・キリストが地上に戻ってこられる時、ユダヤ人には神に選ばれた民族としての特別な役割が与えられると信じています。(ここでは、「アブラハム、イサク、ヤコブの肉体的子孫」であるイスラエル民族と、ユダヤ人という言葉を同じ意味として使っています。)

いや、「与えられる」というのは語弊があるかもしれません。ユダヤ人はそもそも「祭司の民」として選ばれました。ですからキリストの再臨によって、ユダヤ人が皆「祭司の民」としての役割を成し遂げる民族として、回復させられるということです。

ディスペンセーション主義では、「イスラエルの回復」というのはとても重要な考え方です。というのも、キリストの再臨によって「イスラエルがみな救われる」ということ(ロマ11:26)は、ディスペンセーション主義者でなくても多くの人々が信じているからです。一方で、イスラエルが祭司の民として「回復」させられることについては、全てのクリスチャンがそう信じているわけではありません。しかしディスペンセーション主義者は全員、「イスラエルの回復」ということを信じています。

ですから、ディスペンセーション主義についての最大公約数的な定義は次の通りになります。ディスペンセーション主義とは、歴史的文法的解釈を適用し、イスラエルと教会の区別やイスラエルの回復を認める聖書解釈の立場である。

ただ、上記の定義が当てはまったとしても、自身をディスペンセーション主義者とは認めないクリスチャンもいらっしゃいます。上記の定義はあくまで、ディスペンセーション主義者と呼ばれる人々の主張のなかで、最低限一致できる内容を取り出してみたものですので、ご承知下さい。

補足

イスラエルと教会の区別」や「イスラエルの回復」という考え方は、組織神学でいうと教会を扱う分野である「教会論」や、世の終わりを扱う分野である「終末論」と関係しています。これをふまえた上で、マイケル・ヴラック博士は「ディスペンセーション主義の簡潔な定義は何ですか?」という問いに対して、次のように答えています。

ディスペンセーション主義とは、聖書の全ての箇所(旧約聖書全体を含む)に対する歴史的文法的解釈法の適用を強調した、主に教会論と終末論の教理に関する神学体系です。*2

ただ個人的には、ディスペンセーション主義を「神学体系」と呼ぶのは違和感があります。「神学体系」と呼ぶには組織神学の全ての分野と関係している必要がありますが、ディスペンセーション主義が関係しているのは、聖書解釈論、教会論、終末論といった分野です。神論、キリスト論、聖霊論、救済論といった分野については、ディスペンセーション主義に独特な考え方というのはありません。ですからバリー・リヴェンタールが言うように、ディスペンセーション主義については「神学体系」というよりも「むしろ、聖書解釈体系だと定義すべきである」と思います*3

Q3:ディスペンセーション主義って名前の意味は?

Q:ちょっと待って。さっきの「ディスペンセーション主義」の特徴を見ると、「ディスペンセーション」が出て来ないんだけど。それなら、どうして「ディスペンセーション」主義という名前なの?

A:その疑問、よくわかります……。私も勉強を進めてさっきの質問でお答えしたような理解に至ったとき、「じゃあなぜこの立場を『ディスペンセーション』主義って呼ぶの!?」と混乱しました。

この名前のため、ディスペンセーション主義については、歴史における「ディスペンセーション」の区分にこだわる立場だという誤解が広まっています。たとえばGoogleで「ディスペンセーション主義」と検索すると「契約期分割主義」とか「聖約期分割主義」といった別名がよく出てきます。この名前を見ると、いかにも「ディスペンセーション」を区分することそのものが、この立場の本質であるかのように思えてきます。ですが、「ディスペンセーション」という概念、またそれが時代が進むにつれて変わっている、区別されるという考え方は、古代キリスト教からの伝統です*4。ですから、ディスペンセーションを区別すること自体は、ディスペンセーション主義に特有な考え方でもなんでもありません。

ただし、歴史を紐解いていくと、なぜこの立場が「ディスペンセーション」主義という名前なのかが分かってきます。結論から言うと、この立場が現れた当初は、まさに「ディスペンセーション」の区分にこだわる立場だったのです。

現在ディスペンセーション主義(dispensationalism)と呼ばれている神学的潮流が芽生え始めたのは、遅くとも18世紀後半だと言われています*5。その時期、聖書に書かれている救いの歴史を考えていく上で、ディスペンセーションという概念が、キリスト教史上最も強調されていました。そして、ディスペンセーションという概念を強調した聖書理解は"dispensational"なものだと呼ばれ始めたのです*6。この時期から19世紀後半にかけて発展していったdispensationalな聖書理解には、預言の「文字通り」の解釈、それに基づくイスラエルと教会の区別など、後にディスペンセーション主義と呼ばれるようになる立場に特徴的な要素が含まれていました。ただ、最大の強調はあくまでディスペンセーションの区分やその数といった点に置かれていました。ですから、このdispensationalな聖書理解を指して、後にdispensationalismという言葉が生まれたのです。

結論としては、次のようにいえるでしょう。ディスペンセーション主義という立場が表舞台に出てきた頃は、「ディスペンセーション」の区分や数にこだわっていた。よって、この立場には「ディスペンセーション主義」という名前が付けられた。しかし、現在のディスペンセーション主義では、「ディスペンセーション」という概念自体は聖書解釈論、教会論、終末論といった分野ほど重要ではない。

*1:以下の文献に書かれている定義を参考にまとめたものである。チャールズ・C・ライリー『ディスペンセイション主義』前田大度訳(エマオ出版、2018年)28頁;Charles C. Ryrie, Dispensationalism, rev. ed. (Chicago: Moody, 2007), 33; Renald E. Showers, There Really is a Difference: A Comparison of Covenant and Dispensational Theology (Bellmawr, NJ: Friends of Israel Gospel Ministry, 1990), 30.

*2:Michael J. Vlach, Dispensationalism: Essential Beliefs and Common Myths, rev. ed. (Los Angeles: Theological Studies Press, 2017), 93.

*3:Barry R. Leventhal, "Dispensational Apologetics," Ariel Ministries Magazine, Spring 2015: 10.

*4:フスト・ゴンサレスキリスト教神学基本用語集』鈴木浩訳(教文館、2010年)85頁。

*5:William C. Watson, Dispensationalism Before Darby: Seventeenth-Century and Eighteenth-Century English Apcalypticism (Silverton, OR: Lampion Press, 2015).

*6:Michael J. Svigel, "The History of Dispensationalism in Seven Era," in Dispensationalism and the History of Redemption: A Developing and Diverse Tradition, eds. D. Jeffrey Bingham and Glenn R. Kreider (Chicago: Moody, 2015), 70–73.