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ディスペンセーション主義とは何か?(5)教会教父たちの神学との比較

※本記事は以下のnote記事からの引用です。

ディスペンセーション主義とは何か?(5) 教会教父たちの神学との比較|balien|note

 第4回では、ディスペンセーション主義の持つ特徴をまとめ、さらにこれがどのような聖書解釈体系であるのか定義を試みました。
 さて、このシリーズではディスペンセーション主義の基本的な考え方を確認し、現代の福音派という文脈の中でこの聖書解釈体系をどう理解していくべきか考えていく、ということをねらいとしています。そこで、聖書解釈体系としての定義も確認した今、続けて「ディスペンセーション主義とは何か?」を考えていく上ではこの立場の歴史を観察していくことが重要です。この第5回以降では何回か連続で、簡単にではありますが〈ディスペンセーション主義の歴史的変遷〉を追っていきたいと思います。
 話がさらに専門的になり、また私自身歴史神学は不勉強であるため説明が分かりにくい部分が多くなるとは思いますが、どうぞお付き合いください。

 トピックは以下の通りです。

1.はじめに

 一般的に、ディスペンセーション主義は19世紀にジョン・ネルソン・ダービー*1によって展開されたものと考えられています(マクグラス 2002:768、Ryrie 1995: 69-70)。すなわちこの聖書解釈体系は歴史が浅く、故にこの立場が抱える教理は歴史的正統性が弱いものと見做されることが多くあります*2。しかし、ディスペンセーション主義者の中には〈この聖書解釈体系が体系化され展開されたのは確かにダービーにおいてであるが、その考え方のルーツは教会史の初期にまで遡ることができる〉と主張している者がいます(Ryrie 1995: 71-77、Ice 2009, 37: 1-3)。今回はその教会史の初期、ニカイア公会議以前の初期の教会教父たち(Ante-Nicene Fathers)の時代に焦点を当てて、彼らの神学とディスペンセーション主義との関連性について考えます。
 初期教会史の専門家である米国の神学者ラリー・V・クラッチフィールドは、「時代区分とそれに伴う神の経綸(統治原則)の変化」、「イスラエルと教会の区別」といったディスペンセーション主義に特徴的な考え方が、初期教父たちの時点で既に見られると主張しています(Crutchfield 1987)。以下において、クラッチフィールドの主張を通して初期教父たちの神学の一部分を覗き、ディスペンセーション主義の信条と比較を試みています。

2.初期教父たちとディスペンセーションという概念

 第1回で既に、啓示の進展する段階としての経綸(統治原則)という概念自体は、リヨンの教父エイレナイオス(130頃―202)において見られるということを指摘しました。彼はそれぞれの経綸は救済の土台となる神の契約と関連しているものと考えていたようです(ゴンサレス 2010:85)。クラッチフィールドによれば、契約に基づく神と人間との関係性の変化、すなわちディスペンセーション主義における〈ディスペンセーション〉の変化に該当する考え方は、殉教者ユスティノス(110―165)、エイレナイオス、テルトゥリアヌス(160―220)、メトディオス(?―311頃)、そしてあまり知られていない教父であるプトゥイのヴィクトリヌス(?―303頃)に見られるといいます(Crutchfield 1987: 377)。
 殉教者ユスティノスは、神と人との契約に伴い、以下のように時代を区分しました(Crutchfield 1987: 378-388)。

  1. アダムからアブラハムまでの時代(代表者:エノクとノア)
  2. アブラハムからモーセまでの時代(代表者:アブラハム)
  3. モーセからキリストまでの時代(代表者:モーセ
  4. キリストの時代(代表者:キリスト)

代表者とは、神と人との間に結ばれた契約における代表者を指します。なお、ユスティノスはキリストによる千年間の地上での統治(千年王国、千年期)を信じていたと考えられていますが、彼の時代区分の中では千年期は「キリストの時代」に含まれているようです(Crutchfield 1987: 386)。  また、エイレナイオスは以下のように時代区分を考えていたことが彼の著作『異端反駁』から明らかになっています(Crutchfield 1987: 389-396)。

  1. 洪水まで(アダムからノアまで)の時代(代表者:アダム)
  2. 洪水後(ノアからモーセまで)の時代(代表者:ノア)
  3. 律法が与えられた(モーセからキリストまでの)時代(代表者:モーセ
  4. キリストから御国に至る時代(代表者:キリスト)

ここでエイレナイオスは、第1の時代とノア契約、第2の時代とアブラハム契約、第3の時代とモーセ契約(モーセの律法)、第4の時代とキリストの福音を結びつけています(Crutchfield 1987: 391)。このように、確かに経綸と時代区分という概念の起源自体はダービーにあるのではなく、「キリスト教神学の歴史を通じて、……かなり一般的」でした(ゴンサレス 2010:85)。また第1回でも引用しましたが、ラッドは時代区分という考え方自体はすべての聖書研究者に通じるものであると指摘しています(ラッド 2015:8)。

3.初期教父たちのイスラエル–教会理解

イスラエル―教会関係の理解について

 次にディスペンセーション主義における「イスラエルと教会の区別」という特徴に着目し、初期教父たちがどのようなイスラエル―教会理解を持っていたのか、クラッチフィールドの主張を見ていきます。彼によれば、初期教父たちは、イスラエル―教会関係を次のように理解していたものと考えられています。

イスラエルは、旧約聖書における不従順と偶像崇拝、また新約聖書におけるキリストの拒否と彼を十字架にかけたことにより、神の民からは永久に切り離された。そこで、信仰の深い教会が神の「新しいイスラエル」となった。教会の信者たちは前の時代のすべての聖徒たちと共に、民族としてのイスラエルに与えられた約束を相続することになる。それは、世の終わりに来る千年王国において成就する。(Crutchfield 1987: 256)

ここで見る限り、教父たちは教会 = 新しいイスラエルと考え、既に置換神学*3的な発想を持っていたことがわかります。また、「彼らはいつの時代も、人はキリストの血による信仰によって義とみなされると堅く信じて」いました(Crutchfield 1987: 257)。これもまた、置換神学の体系でよく見られる信条です。

〈神の民〉理解について

 以上の観察からは、初期教父たちのイスラエル―教会理解はディスペンセーション主義ではなく、置換神学的な諸体系や、そこから発展した契約神学のような体系におけるイスラエル―教会理解と近いように思われます。そういった体系では多くの場合〈神の民〉は「a people of God」であることが主張され、それゆえ聖書(中でも特に旧約の預言書や書簡、黙示録)におけるイスラエルと教会の区別は厳密になされる必要はない、と考えられています。それゆえ「教会は霊的イスラエルである」と考えられることが多いのです(たとえばラッド 2015:24-31)。一方で、ディスペンセーション主義では〈神の民〉は複数の民(peoples of God)から構成されていると主張されます*4
 この〈神の民〉理解という点では、初期教父たちの中には現在の契約神学的理解とは異なる考えを持っていた者もいた、とクラッチフィールドは主張しています。彼はたとえば作者不明の『バルナバの手紙』、またユスティノスやエイレナイオスの思想の中には「a people of God」ではなく「peoples of God」という考えがみられると主張します(Crutchfield 1987: 257)。彼によれば、左記の教父たちは〈神の民〉について時代によって次のように区分を置いていました。

  1. アブラハム以前の義人たち
  2. アブラハムの子孫である義人たち
  3. 教会時代の義人たち

教父たちは、アブラハムの子孫である義人たちおよび教会時代の義人たちは「霊的な(信仰のある)アブラハムの子孫」である、と見做していたようです。彼らはそれら3区分の義人たちに加え「不信仰なアブラハムの子孫」という人類の第4の区分を主張しました。その「不信仰なアブラハムの子孫」たちこそが神から切り離された当時のイスラエル民族の構成者である、と考えたのです。
 以上の教父たちの〈神の民〉理解からひとつわかることは、彼らは〈教会はアダム(もしくはアブラハム)から存在していた〉と考えていたのではなく、〈教会はキリストの初臨以降に誕生した存在である〉と考えていた、ということです。これは大切な事実です。なぜならば、一部の契約神学者は〈教会はいつの時代も(キリストの初臨以前も存在していた〉と考えているからです。さらに(極端な場合には)、それを根拠としてイスラエル民族(ユダヤ人)そのものを民族性を超えて定義している場合も見られます。19世紀の米国の神学者チャールズ・ホッジは、教会はいつの時代も存在していたし、教会とイスラエルは同一の存在であり、イスラエルとは国家の形を取った教会であると主張しました(Hodge 1960, 3: 548-549; 552-553)。またその結果として、ユダヤ人の定義が民族的なものではなく、宗教的なものとなってしまっています。そういった〈神の民はひとつであり、旧約のイスラエルも教会の一形態であった〉というような置換神学的理解に対して、ユスティノスやエイレナイオスといった教父たちの間では教会と民族的イスラエルは決して混同されていなかった、とクラッチフィールドは主張しているのです。

ディスペンセーション主義のイスラエル―教会理解との比較

 以上の事実からは、「初期教父たちの中には現在のディスペンセーション主義と同じイスラエル理解を持っている者がいた」と単純に結論づけることは不可能です。まず、彼らが〈民族としてのイスラエルは神に退けられた〉と考えていたことは先にも指摘した通りです。このことはクラッチフィールド自身による検証からも明らかです(Crutchfield 1987: 270)。ドイツの新約聖書学者W・レベルによれば「『バルナバの手紙』の神学を規定するのは構造的な反ユダヤ主義であ」り、そこに記されているのは「イスラエルとその歴史においては神の意志が何一つ実現しなかった、古い契約は新しい契約の予告に過ぎなかった、という理解」です(レベル 2001:268)。また、ユスティノスは『トリュフォンとの対話』で教会こそ真の(霊的な)イスラエルであると主張しています(Crutchfield 1987: 260-266、Justin Martyr, Dialogue with Trypho, chap. XLIV; CXXIII)。
 ですが、そういった教父たちが〈神の民〉を時代により区分していたこと、教会と民族的イスラエルユダヤ人)は決して混同していなかったことは言えるでしょう。また、彼らは千年王国とそこにおける旧約聖書の地上的約束の成就については、かなり字義的に解釈し、理解していました(Showers 1990: 115-126、マクグラス 2002:774-775)。
 こうした点から見ると、初期教父たちの理解は、現在の契約神学的千年期前再臨説*5におけるイスラエル理解(安黒 2014)と近いように思われます*6。ですが、クラッチフィールドは「現在のディスペンセーション主義のイスラエルと教会に対する立場は、ニカイア公会議以前の教会の考え方を改良させたものであり、矛盾したものではない」と主張しています(Crutchfield 1987: 271)。彼の結論は、〈ディスペンセーション主義のイスラエル論は、初期教父たちと比較してさらに字義的解釈および歴史的文法的解釈の適用を徹底した結果、「イスラエルは将来回復される」という理解に至るまで発展されたものである〉というロジックを前提としたものだと考えられます。

4.まとめ

 ここまでで確認したように、ディスペンセーション主義の特徴のひとつである「時代区分とそれに伴う神の経綸(統治原則)の変化」という考え方は初期教父たちの間にも存在していることがわかりました。一方でこの聖書解釈体系のもうひとつの特徴である「イスラエルと教会の区別」については、イスラエル民族は神に見捨てられた民だと考えられていたものの、教会とイスラエル民族との間に区別は存在していたことがわかりました。ここに関連して〈神の民〉については歴史における複数の民(peoples of God)という考え方が存在しており、これはディスペンセーション主義の〈神の民〉理解と近いものがあります。さらにユスティノスやエイレナイオスにおいては神の約束の成就についてかなり字義的に信じられていたことから、教会とイスラエル民族の区別は聖書の字義的解釈によってもたらされたものであると考えられます。
 したがって、ディスペンセーション主義は決して教会史初期の伝統からかけ離れた聖書解釈体系ではない、と結論づけることは可能であるものと考えられます。それが正当な主張であれば、字義的解釈および歴史的文法的解釈を(初期教父たちよりも)発展させ、教会史初期の伝統を改良した解釈体系であるという主張もまた、根拠がないものとはいえないことになります。

5.今後の展開

 ディスペンセーション主義の体系化以前における、この聖書解釈体系のルーツを探っていくために、今回は初期教父たち(Ante-Nicene Fathers)の時代に着目しました。
 第6回では大きく時代を下り、宗教改革期における〈ディスペンセーション〉概念の展開について観察してみたいと思います。

補足:神学における伝統の捉え方について

 ここでは教会史初期の神学的伝統と現在の神学の関連性についてこれ以上議論を進めることはいたしません。しかし神学の営みにおいて、〈神学的伝統はあくまで聖書の内容と照らし合わせながら用いられなければならない〉ということは指摘すべきでしょう。伝統が重要な神学的資料であることは認められるべきですし(マクグラス 2002:254-262)、強調されるべきです。特に初期教父たちの伝統は使徒時代に最も近い伝統として、現在の神学にも多いに活用されるべきであることは認めます。それでも、彼らの中の多くの者と使徒たちとの間には、年代的なことはともかく、ユダヤ的背景の有無という大きな文化的差が存在します。さらにいえば、彼らの著作は決して霊感された書物ではありません。したがって、彼らの著作に見られる教会史初期の伝統を用いるにしても、それが〈使徒的〉な伝統であるかどうかは、やはり聖書本文の吟味に基づいて判断される必要があるものと考えられます。
 ディスペンセーション主義の歴史性についての議論で行き着く先のひとつは、初期教父たちの神学的伝統であると思われます。その際には歴史神学的な議論を展開するにしても、彼らの伝統の用い方については、聖書よりも上に置いてしまうことが決してないように注意していきたいものです。

引用・参考文献

  1. Crutchfield, Larry V., “Rudiments of Dispensationalism in the Ante-Nicene Period Part 1: Israel and the Church in the Ante-Nicene Fathers,” Bibliotheca Sacra, Vol. 144 (1987), pp. 254-277.
  2. Id., “Rudiments of Dispensationalism in the Ante-Nicene Period Part 2: Ages and Dispensations in the Ante-Nicene Fathers,” Bibliotheca Sacra, Vol. 144 (1987), pp. 377-399.
  3. Fruchtenbaum, Arnold G., Israelology: The Missing Link in Systematic Theology, Revised ed. (Tustin, CA: Ariel Ministries, 1992)
  4. Hodge, Charles, Systematic Theology, 3 vols. (London: James Clarke & Co., 1960)
  5. Ice, Thomas D. “A Short History of Dispensationalism,” Article Archives (Liberty University, 2009), Paper 37.
  6. Id., "What is Replacement Theology?," Article Archives (Liberty University, 2009), Paper 106.
  7. McKnight, Scot, "NT Wright and the Supersessionism Question: What did Paul do?," Patheos (Oct 15, 2013), accessed Aug 24, 2015.
  8. Ryrie, Charles C., Dispensationalism (Chicago: Moody Publishers, 1995)
  9. Showers, Renald E., There Really is a Difference: A Comparison of Covenant and Dispensational Theology (Bellmawr, NJ: Friends of Israel Gospel Ministry, 1990)
  10. 安黒務「『福音主義イスラエル論』─神学的・社会学視点からの一考察─」『福音主義神学』第45号(日本福音主義神学会、2014年)99–119頁
  11. 岡山英雄「患難期と教会(黙示録の終末論)」『福音主義神学』第31号(日本福音主義神学会、2000年)33–48頁
  12. ゴンサレス、フスト『キリスト教史』上巻、石田学訳(新教出版社、2002年)
  13. ゴンサレス『キリスト教神学基本用語集』鈴木浩訳(教文館、2010年)
  14. トーランス、トーマス・F『キリストの仲保』芳賀力、岩本龍弘共訳(キリスト新聞社、2011年)
  15. 中川健一『エルサレムの平和のために祈れ─続ユダヤ入門─』(ハーベスト・タイム・ミニストリーズ出版部、1993年)
  16. マクグラスアリスター・E『キリスト教神学入門』神代真砂美訳(教文館、2002年)
  17. マクナイト、スコット『福音の再発見─なぜ“救われた”人たちが教会を去ってしまうのか』中村佐知訳(キリスト新聞社、2013年)
  18. ライト、N・T『クリスチャンであるとは─N・T・ライトによるキリスト教入門─』上沼昌雄訳(あめんどう、2015年)
  19. ラッド、ジョージ・エルドン『終末論』安黒務訳(いのちのことば社、2015年)
  20. レベル、W『新約外典・使徒教父文書概説』筒井賢治訳(教文館、2001年)

*1:英国の牧師、神学者(1800―1882)。プリマス・ブレザレン派の創設者である。

*2:一例として、日本の牧師・神学者である岡山英雄はディスペンセーション主義において特徴的である患難期前携挙説を歴史的に浅い教理だと主張する(岡山 2000:37-38)。

*3:置換神学(replacement theology もしくは supersessionism)とは「旧約聖書イスラエルは、新約聖書の教会によって置き換えられた(つまり、置換された)と考える」神学的立場のことである(中川 1993:80)。この立場を取る神学体系では多くの場合、彼らの地位や祝福は教会が引き継いだ、あるいは旧約で与えられたイスラエルへの契約は全て教会において成就した、といった教理を保持する(Ice 2009, 106: 1)。
 〈Replacement theology〉という呼び名は、福音主義における神学的議論ではあまり一般的ではない。学術的には〈supersessionism〉という呼び名の方が一般的だが(id)、それでもこの立場について体系的に論じられていることは少ない。どちらもむしろ、この立場に反発する人々(たとえばディスペンセーション主義者)によって多く用いられる呼び名である。今日の新約聖書学者や組織神学者の中には〈イスラエルの選びの目的(イスラエルを通した全世界の祝福)がイエスによって成就された結果、神の計画における重要な働きは新しく造られた民である教会に委ねられた〉といった考えが見られる(N・T・ライト、スコット・マクナイトなど)。この考えにおけるイスラエル―教会理解は置換神学的イスラエル―教会理解と重なる部分が多い。しかし、この考えを採用する者の中には、教会が〈イスラエルの働きが成就したこと〉を土台とした存在であるという面を強調し、この神学的立場を〈fulfillment theology〉と呼ぶ者もいる。なお、マクナイトおよびライトのイスラエル―教会理解を端的に知る上では、McKnight (2013)が参考になる。

*4:ディスペンセーション主義における〈神の民〉理解については、拙稿「福音派のイスラエル理解(2)ディスペンセーション主義編」参照。

*5:契約神学的千年期前再臨説(covenant premillennialism)とは、契約神学における〈キリストが地上に再臨してから千年王国が始まる〉という終末論的立場である。本論で指摘しているように初期教父たちの神学と共通点が多く、ディスペンセーション主義千年期前再臨説(dispensational premillennialism)が登場する以前より存在していた千年期前再臨説であることから、歴史的千年期前再臨説(historic premillennialism)とも呼ばれる。ラッドやエリクソン、岡山、また日本の牧師・神学者である安黒務らがこの立場を取る。
 この立場では多くの場合、「教会はペンテコステの日に誕生した存在であり、またイスラエル民族の選びは終了していないが、その役割は教会が継承した」と考えられる(詳細については拙稿「福音派のイスラエル理解(1)メインストリーム編」参照)。この立場の神学者によるイスラエル理解の記述については、ラッド(2015:24-31)や安黒(2014)を参照のこと。また、Fruchtenbaumはディスペンセーション主義者の側からこの立場のイスラエル論をまとめている(Fruchtenbaum 1992: 311-317)。

*6:先にラッドの例を挙げたように、契約神学的千年期前再臨説に立つ者は多くの場合「a people of God」の〈神の民〉理解を保持している。これは契約神学の体系において救済論が〈恵みの契約〉というひとつの契約に依拠しているためであり(Fruchtenbaum 1992: 30; 261-262)、故にラッドらはイスラエル民族と教会そのものは区別しつつ、神の民はひとつである、と考えている。