軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

カトリック者・遠藤周作─書評 兼子盾夫『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道』

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この2018年10月に出版された兼子盾夫『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道』(キリスト新聞社)を早速手に入れ、読んでみた。文学に関する論文集では久しぶりに「楽しい」読書体験が得られたので、気の向くままに書評という形でまとめてみたものである。

はじめに

※以下、()中の数字はページ番号を表す。

本書は、同著者による『遠藤周作の世界──シンボルとメタファー』(教文館、2007年)の続編とも言うべき遠藤文学論集である。

著者・兼子盾夫氏は、横浜女子短期大学教授であり、カトリック藤沢教会に所属するカトリック者でもある。氏の遠藤文学理解は、「物語の展開の裏にもう一つの世界があり、そこに彼[遠藤]の真のメッセージが隠されている。具体的には作品中に散りばめられた象徴や隠喩(暗喩)を解読すると、表面的な物語の奥に形而上的(魂の次元の)世界が浮かび上がるのだ」という考えに基づいている(7)。このような遠藤文学論は、カトリック者ならではのキリスト教象徴論もふまえられたものであり、ここに焦点が当てられた前作から引き続き、遠藤が用いた象徴を理解する上で大変勉強になった。同時に、人と作品から読み解く兼子的「遠藤周作」像は、私にとっても大変共感できるものであった。(誤解なきよう補足するが、共感できるというのは遠藤や兼子氏の思想そのものに対する共感ではなく、おそらく兼子的遠藤像が実際の遠藤その人に近いものだと思うという意味である。)氏の遠藤像は、ここ何年か再び熱心に遠藤文学を読みながら抱いてきた私なりの遠藤像と、多くの点で一致した。それはおそらく、氏も私も、それぞれカトリックプロテスタント福音派かという違いはあれど、同じ「キリスト教徒」であるからなのだろう。

さて、遠藤文学では「表面的な物語の奥に形而上的(魂の次元の)世界が浮かび上がる」という前提をふまえ、著者はまず『沈黙』『わたしが・棄てた・女』『留学』といった作品において遠藤が用いた象徴的表現の解読を試みる(本書第I部、第II部)。また、第II部の最後部および第III部おいては、ドストエフスキーやG・グリーンの作品と遠藤の作品との「象徴と隠喩の解読」を行った上で、「形而上的な次元(象徴層)において比較・対比」している(7)。そして、両者を「相異なった文化の間に発生した思想(哲学)や宗教をその類似性と差異性において構造的に比べ合わす方法」によって解釈しようと試みる(193)。これが兼子氏の提唱する「対比文学」という研究手法である。彼はこの手法により、研究対象となる両者を以下の「四つの重層的な構造において比較(対比)する」ことを試みる(199)。

  1. 物語層:物語の次元における類似性
  2. 象徴層:作品の思想の次元
  3. 自伝層:作家の幼児期の体験の痕跡
  4. 歴史層:作品劇作当時の歴史的状況の影響において両者を比較・対比すること

そして、「この[対比文学という]方法によると主として実証可能な因果関係のなかに類似した姿を求める『比較文学』的方法に比べ外見上の類似性よりむしろその差異性がより多く目立つことになる。しかしそのことによって両作品の特徴がより一層、明確に把握されるのではないか。」(199)

本書における本格的な「対比文学研究」は、本論の最後「III 対比文学研究」において展開されている。しかし、本書での対比文学的分析はあくまで「試論」であると見られよう。遠藤とドストエフスキーにおける対比、あるいは遠藤とグリーンにおける対比を論じる章では、両者の「差異性」が強調されていたが、それ以上に論は進んでいない。それらに続く『深い河』論と『死海のほとり』論では、遠藤の思想と他の文学者のそれとの間にある「差異性」が強調されつつも、それによって遠藤の思想(あるいは信仰)が何であったかを浮かび上がらせようと試みられており、より本格的である。

兼子氏の『深い河』論

第III部第3章「神学と文学の接点『深い河』と「創作日記」再訪──宗教多元主義 VS. 相互的包括主義」は、『深い河』の主役である成瀬美津子には物語終盤まで作中人物としての自由がないという指摘から始まる。しかし、これは単に指摘に留まってしまっている。この章でむしろ中心となっているのは、章題にも掲げられている「宗教多元主義」と「包括主義」というキーワードから遠藤の宗教思想を読み解こうとする試みである。兼子氏は、ジョン・ヒックの主張する「相補的宗教多元主義」について、次のように説明および批判する。

ヒックの相補的宗教多元主義は人間が思考で捉え体験する個別的な神や仏とは異なる「神そのもの」「仏そのもの」という究極の神的実在を前提にする枠組みである。現象としての個々の神的実在を超えた本質的に究極の神的実在そのものである。それは有神論的(人格的)なキリスト中心ではなく、また非有神論的(非人格的)な空(シュニヤター)でもない一層メタの「究極的実在」である。哲学をかじったものなら神学者A・マクグラスが指摘するように、このヒックの発想がカントの「もの自体」(Ding an sich)にあることは容易に推察できる。しかしここで疑問が起きる。すなわちヒックのいう「唯一・同一な究極的実在」とはあくまで理論上の要請(theoretical postulate)であって、その実在性を現実には把握できぬものではないか。つまり「神そのもの」「仏そのもの」という究極的実在については唯一性・同一性をどうすれば確認出来るのだろうか。またヒックの言う「究極的実在」は相補的だと言うが、光がボーア的(物理的)な意味で相補的だとすれば、物理的な方法でそれを捉えることは出来る。しかしヒックの言う宗教的に相補的な「究極的実在」はどうなのか。それはまさに本性上、確認不可能ではないだろうか。(256–57;太字は原文における傍点強調部)

つまり兼子が言いたいのはこういうことだろう。まずヒックは、「究極の神的実在」を対象にしている。彼は次に、各宗教における神的実在(キリストや仏)は、その「究極的実在」がどのような存在であるかを補い合っていると主張する。しかし我々にとって、各宗教における神的実在が「究極的実在」を補い合っているということを確認することは不可能ではないか。結局「究極的実在」というのは、宗教多元主義という理論を成立させるための仮説に過ぎないのではないか。

そこで兼子氏は「むしろ可能なのは遠藤の言う包括主義的でかつ相互的なものではないのか」と問う(257)。これが章題で掲げられている「相互的包括主義」である。包括主義を主張したことで有名なイエズス会のK・ラーナーは、「キリスト教の洗礼を受けていなくても、その道徳的な言行においてキリスト教徒と同じ人々が存在する」という「無名のキリスト者」の概念を提唱した。兼子氏が読み解いた遠藤の思想では、ラーナーのように「非キリスト教的伝統に属する人々の生において、神の恵みの現実の効果を認め」られる(A・E・マクグラスキリスト教神学入門』神代真砂実訳[教文館、2002年]743頁)。そして、やはりラーナーと同様に、キリスト教が信じる神(遠藤の言葉を借りれば「大きないのち」)には他宗教が主張する神的実在と「重なり合う」ところがあるが、「決して同一(identical)ではない」ことも認められている(257;マクグラス、742–43も参照のこと)。

だが、ラーナーのように「無名のキリスト者」という概念を認めるか否かでは、(兼子氏が読み解いた)遠藤の思想は異なっている。ラーナーは「無名のキリスト者」という概念により、「キリスト教と他宗教とが同等のものとして扱われることを認めないし、神との共通の出会いの個別の例であるとも認めない」(マクグラス、743)。この点については、遠藤はラーナーよりも他宗教を同等に考え、他宗教者の信仰自体も尊重している。彼の立場は「相互的」なものであり、「本音では他宗教のことを無免許運転だと思っている」という類のものではない(256)。この立場では「互いに他を尊重しつつ、しかしあくまで自分の信仰に留まること」が要求されるのである(同左)。

兼子氏は、遠藤の立場がヒック的宗教多元主義ではなく、この「相互的包括主義」であると主張する。その根拠として、彼は『深い河』の象徴や隠喩の解釈を提示していき、遠藤はあくまで「告解」や「復活」の秘蹟を信ずるカトリック者であり、『深い河』は宗教多元主義ではなく遠藤のカトリック信仰を表明した作品なのだと主張するのである。この辺りの論考は、自身がカトリック者である著者ならではのものだといえるだろう。

私は『深い河』は遠藤が諸宗教的な装いの下に現代の宗教のあるべき姿を示そうとした作品だが、同時にまたうがって考えれば、死を意識したキリスト教作家遠藤が自らの生涯の総括としてカトリック信仰を告白する小説を書いたのではと思うのである。(264–65)

ただしこの議論からは、いかに「相互的」であろうと包括主義が抱えてしまう問題について感じざるを得なかった。これは遠藤の思想自体を明らかにするという本書の内容からは外れてしまうが、福音派の私としては触れざるを得ない問題である。いかに「包括主義」と銘打ったところで、人の信念には真に包括的であり得るものなどはない。人の信念である限り、それは他の信念に対する排他性を伴っている。ここで著者が遠藤の思想として言わんとする立場に真に合致するのは「相互的包括主義」などではなく、単に「相互的」であろうとする姿勢だけである。なるほど遠藤の思想は「包括主義」に近いものであると言えるかもしれない。しかし、遠藤の思想、あるいは相互的包括主義の実体を見ていくとき、我々は排他性を認めるところから逃げてはならないのではないだろうか。

兼子氏の『死海のほとり』論

第III部第4章には「『死海のほとり』歴史のイエスから信仰のキリストへ──〈永遠の同伴者イエス〉を求めて」という題がつけられている。ここでは章題の通り著者による『死海のほとり』論が展開されているのであるが、序文において著者の主張が4つの分野に分けてまとめられているので、比較的論理を追いかけやすい。

無力なイエスとその復活

第一の問題は、「(1)〈非神話化〉理論と遠藤の〈無力なイエス〉──〈苦難の僕〉としてのメシア」である。ここで著者が言わんとしていることは次の通りである。「遠藤の〈無力なイエス〉は、堀田雄康師が遠藤との対談で言うようなブルトマンの〈非神話化〉理論の受肉化ではない。それはむしろ遠藤自身のイエス像、すなわち第二イザヤの〈苦難の僕〉によって予告される無力なメシア像の受肉化・小説化である。」(271)また、論理を分かりやすく整理するために、第二の問題である「(2)『死海のほとり』の主題──〈復活〉の神秘」についても一緒に追いかけてみよう。

遠藤が史的イエスの探求において、「非神話化」で有名なルドルフ・ブルトマンのようなプロテスタントの聖書学者の研究を参考にしたことは周知の事実である。兼子氏は次のように述べることで、遠藤の行ったことが「ブルトマンの〈非神話化〉理論の受肉化」であるという見解も「あながち見当違いとは言えない」と指摘する。

なぜなら遠藤が聖書(福音書)というテキストを対象に、特に〈イエスの奇跡〉に対してはその事実性を全否定し、つまり徹底した〈非神話化〉を行い、また他の聖書的出来事にしても、イエスの同時代人にイエスがどう捉えられたかという言わば〈実存論的解釈〉にのみ〈真実〉としての意義を認めるので、たとえ様式史・編集史派的な分析方法を明示的に用いなくとも、堀田神父のいうブルトマン云々の発言はあながち見当違いとは言えない。(274–75)

なお、上記引用中に出て来る「堀田神父」とは、『死海のほとり』の内容はブルトマン的非神話化理論の受肉化であると批判した堀田雄康神父のことである。

しかし、遠藤は「ブルトマン云々の発言」に対して、激しく反発している。兼子氏による引用を、そのまま以下にも引用してみよう。

それからもう一つ、私の作品がブルトマンのような近代聖書学者のインカーネーションと神父さまが先ほどおっしゃったので、誤解のないように言っておきますけれども、これら聖書学者の一番の欠点は、復活という問題を避けて通っているということです。ここのところは事実性がないからといって、おそらく大半の聖書学者、とくにプロテスタントの聖書学者はこれを、原始キリスト教団のイデオロギーから生れたことだろう、というふうに考えているでしょう。私はそうじゃないんだ。はっきり言えば、あの最大の奇跡物語はそのまま信じる、といっているわけです。ですから先ほど、ブルトマンのインカーネーションだという、誤解されるような言葉が神父さまからあったのですが、とんでもない、もう少し私の本をよく読んでいただきたい。(276–277;太字は兼子氏による傍点部である)

つまり、遠藤の最大の関心は「復活」という奇跡にあるのであり、これを「原始キリスト教団のイデオロギーから生れたことだろう」と切り捨てる「近代聖書学者」とはスタンスがはっきり異なっている、というのである。

ここで問題になるのが遠藤の「復活」観である。遠藤は「はっきり言えば、あの最大の奇跡物語はそのまま信じる」と言っている。しかしこれは遠藤が、聖書に書かれた通りイエスが肉体的にもよみがえったという奇跡をそのまま信じる、という意味で言ったのではないということは、『死海のほとり』を含む著作からも明らかである。遠藤は歴史的「事実」とその人にとっての実存的「真実」を分けた。おそらくは復活についても、そのような意味で「そのまま信じる」と言ったのである。つまり、遠藤は表層的な物語(三日目にイエスは肉体的にもよみがえり、弟子たちの前に姿を現した)を「事実」とは信じないが、その物語が暗示する、当時の人々の心にとってイエスの復活という概念が表す「真実」については「そのまま信じる」ということである。

では、遠藤は復活が当時の人々にとって意味する「真実」をどのように捉えていたのか。それは「イエスの愛の教えが人々の行為のうちに伝搬していくこと」である(280)。弟子たちはイエスの苦難の死を心の中で反芻するうち、イエスが教えていたことが「愛」であったのだとわかった。それで、弟子たちのうちに「イエスの愛の教え」が生き始め、彼らはその教えを実践する人々となった。この「奇跡」を物語として文学的に表すのが福音書の復活の物語である──というのが、少なくとも遠藤の『死海のほとり』『イエスの生涯』そして特に『キリストの復活』で表されている「復活」観だといって、差し支えないだろう。

また、キリスト教における「復活」という奇跡のもうひとつの意義は、「復活されたイエスは今も生きておられ、私たちに働きかけておられる」というものである。この点について兼子は、遠藤もそのような「復活」の意義を信じていたと主張する。つまり、『死海のほとり』に登場する「ねずみ」に代表されるような「あのように弱く、そして弱いがゆえにイエスの命じる愛を実行できない人間」、その「最低の人間ですら最期の瞬間までイエスは見放さず傍に付き添って」おり、「永遠の同伴者イエスは二千年前と変わらず今も働いておられる」という信仰である。

遠藤は、少なくとも著作に表されている思想上においては、肉体的に復活したイエスを信じてはいなかった。しかし小説の表現や兼子氏の説明をそのまま遠藤の思想として受け入れるとするならば、遠藤はイエスが今も(キリスト教的に言えば「霊的に」)生きており、そのイエス本人が今も我々に「永遠の同伴者」として働きかけていると信じていたということになる。

そして兼子氏は、そのような遠藤のイエス像を表すには、よく言われる〈無力なイエス〉という言葉だけでは不足していると指摘する。氏曰く、遠藤にとってのイエス像は「すぐれて第二イザヤ的な〈代受苦のメシア像〉なので必然的に無力で迫害され人々から侮辱を受け、そのあげく罪を一身に背負って屠られるのである。つまり〈苦難の僕〉としてのメシア・イエスには栄光に包まれた奇跡など本来、無縁なのだ」(278)。「つまり〈非神話化〉の理論的影響の大小に関係なく、遠藤のイエスはもともとイザヤ書の〈苦難の僕〉であるがゆえに無力なのだ、ということに遠藤はこだわっているのだ。」(279)

しかし、「遠藤は〈復活〉したイエスを信仰の中核に据えているので、無力だけではなく無力の力強さ(パウロ的な弱さにおける強さ IIコリント一二・九)というような逆説を小説の途中から垣間見せるのである」(279)。遠藤のイエスは、無力のなかで人々の苦しみを一身に受けながらも「神に対する全幅の信頼」を寄せることのできる人物であり、どこまで追い詰められても「かぼそい声で他人の苦しみを一身に背負おうとする」(279)。彼にとっての「弱虫」の代表格は「ねずみ」や『沈黙』のキチジローのような肉体的恐れによって愛を実行できない人物だとすれば、イエスは対照的な「強虫」である。そして、イエスが〈永遠の同伴者〉であるということは、「イエスの愛の教えがイエスとなんらか触れ合った人間のなかに行かされ、その最も弱い人間でさえ実存的な意味で強められる(聖化される)こと」を意味している。だから、遠藤のイエス像を単に〈無力なイエス〉と表現することは、結論から言えば見当違いなのである。遠藤のいう〈永遠の同伴者〉イエスとは、本当の強さを持っており、今も生きておられる彼と触れ合うことによって、私たちをも実存的に強めてくださる方なのだ。

ただし、〈代受苦のメシア像〉が本来、力強い奇跡から切り離された無力な〈苦難の僕〉としか調和しないのか? ということは問題である。ここには、遠藤(もしくは兼子氏)の側に誤謬があると言いたい。福音書に記されている〈代受苦のメシア像〉というのは、自然界をも治めておられる神ご自身が人として来られ、我々の代わりに罪を背負い、苦しみを共にしてくださったという概念だ。そして福音書にあるイエスの奇跡は、イエスが聖書的な創造主なる神であることを表している。だからイエスの奇跡がなければ、本来の〈代受苦のメシア像〉という概念は半分しか語ることができないのである。

遠藤的〈母なるイエス〉像を巡る問題

第三の問題は、「(3)「知事〈群像の一人 四〉」──VIII章における〈母なるイエス〉──歪んだイエス像」である。兼子氏の問題提起はこうである。「遠藤の描く〈同伴者イエス〉は井上洋治師が言われるように〈無力なイエス〉〈母なるイエス〉と分かちがたく結びついている。しかし遠藤の描く〈母なるイエス〉は神学的に可能なのか。それは普遍的な母性としてのイエスをもはや逸脱してはいないか。母性としてのイエスではなく、遠藤と母との個人的関係があまりにもイエス像をいびつにしてはいないか。」(272)

氏が指摘するとおり、『死海のほとり』における〈永遠の同伴者〉というイエス像は、「息子に捨てられてもけっして息子を捨てない母親」のような、〈女性的〉であり〈母性的〉イエス像である(287–89)。

遠藤の神のイメージは、だから放蕩息子の帰りを待つ慈父ではなく、慈母なのだ。遠藤の神はイエスが『アッバ、父よ』と呼びかけられた慈父ではなく、むしろ湿っぽい慈母なのである。それも内に強靭な精神的強さを秘めた慈しみあふれる慈母なのではない。それは夫にも息子にも見棄てられた〈哀しげな眼〉をもつ女の姿なのである。(289)

なお、氏は「この〈母なるイエス〉は新約学の観点からなんら間違いではないと肯定されるのである」と断定しつつ、「私たちが今日、福音書から受けるイエスの引照はけっして女性的でも母性的でもない。……しかし[イエスの神経が細やかで限りない優しさ]は自らが女性的というよりは、女性や他人には優しいが自分には厳しい、強靭な神経の持ち主の男性という印象を受ける」とも指摘している。しかもそれについて「それは福音書から受けるかなり普遍的なイエス像であり、日本人でも西欧人でもその印象は変わらないと思う」とまで述べている(以上288)。この部分についてはかなり分かりにくい。おそらく氏が言わんとしているのは、聖書の神観は父性的なだけではなく母性的な面も持っているが、イエスは「湿っぽい慈母」のような母性を持つ存在としては描かれていない、ということなのだろう。(おそらく、氏がいう「福音書から受けるかなり普遍的なイエス像」は、カトリック者である氏自身のイエス像でもあると思う。)

つまり、遠藤のイエス像をふまえつつ「福音書から受けるかなり普遍的なイエス像」も見ることによって浮かび上がってくるのが、「〈母なるイエス〉は神学的に可能なのか」という問題なのである。

この問題に取り組む上で兼子氏は、遠藤の短篇「母なるもの」に飛ぶ。その短篇では、隠れキリシタンが踏絵を踏んだ後に罪の赦しの〈取りなし〉を願う際に向かう聖母子絵の話が出てくる。主人公の作家「私」はそこから、「日本的宗教風土の中で、父なる神に対する信仰はいつのまにか〈母なるもの〉に変質していった」ということを悟る(290)。そして、「ただ両手を前に合わせ少し哀しげな眼をして私を見つめながらじっと立っている」という〈母のイメージ〉が、『死海のほとり』においても〈母なるイエス、母親の如きイエス像〉になり、〈同伴者イエス〉というイメージとして結実していくのである(291)。

しかし、ここで氏は遠藤の論理を批判する。「作家が過去において裏切り見棄てるのは母」だが、「〈隠れ〉たちが裏切るのは神イエスであり、〈とりなし〉を願うのが聖母マリア」である。したがって、「ともに裏切られる者が有する〈哀しげな眼〉という一点では共通するが、本来イエスと作家の母とは別物であるのだ」(292)。少しく長くなるが、氏の考えそのものを語ってもらうため、批判が具体的に展開される2段落分をそのまま引用したい。

 つまり『母なるもの』において、隠れの神と作家の母が平行関係(parallel)にある、あるいは相似的存在として主人公の作家(遠藤の分身)によって想起されるのだが、その相似性を成立させているものは、唯一、裏切られる二つの存在がもつ〈哀しげな眼〉という一点だけで、〈隠れ〉が裏切る神イエスと息子によって裏切られる作家の母との間には、本来なんらの相似性も存在しないのである。しかるに遠藤は〈隠れ〉の信仰においては〈父の宗教〉が〈母の宗教〉に変質しているという事実の指摘によって、この関係をむりやり成立させようとしているけれども、納戸神である聖母は毎年の踏絵で裏切られるイエスへの〈とりなし〉を願う母性的存在であって、けっして〈隠れ〉によって裏切られる対象、神そのものではないのである。
 したがって遠藤の〈母なるイエス〉を擁護しようとするいかなる論も畢竟、成功することはない。それらはすべて心理的誤謬を犯しているにすぎない。遠藤の論法では、日本の宗教は母性的であり『新約聖書』の神は父母的である。したがって日本人に実感される神(イエス)の像は母性的であらねばならぬという要請(postulate)であって、個人的体験にそれを被せているだけだ。しかしカトリシズムの歴史上の聖母の位置づけを考えると、聖母の崇敬は公式にはイエスをけっして超えてはならないし、母なるマリアに対する敬慕・尊崇の念がキリスト教の母性的性格をすべて吸収してしまうので、イエスは可能な限り〈母性的〉であっても母そのものである必要は論理的にあり得ないのである。論理的にあり得ないものをあるように錯覚するのは心理的誤謬でしかない。(292–93)

このように兼子氏は、イエス像そのものと〈母なるイメージ〉を混同することは論理的に成立しないことを指摘する。それは、母性的宗教観を持つ日本人に父母的な聖書の神を分かりやすく実感をもって伝えるには、イエスが母性的であらねばならぬという遠藤の個人的要請から来るものである。そして遠藤は個人的体験からも、〈哀しげな眼〉という一点の共通点を持って〈母なるイメージ〉とイエス像そのものを無理矢理結び合わせてしまっているのである。だから著者は遠藤の〈母なるイエス〉について、「論理的にあり得ないものをあるように錯覚するのは心理的誤謬でしかない」と断定するのである。

要するに、遠藤の〈母なるイエス〉を巡る問題に対する著者の答えは(1)普遍的な母性としてのイエスをもはや逸脱しており(2)母性としてのイエスではなく、遠藤と母との個人的関係があまりにもイエス像をいびつにしている、ということである。

この問題を扱った約6頁は、おそらく本書のなかで著者が最も遠藤の思想に反発している箇所である。対比文学の手法によって遠藤文学の特徴を明らかにしようという目的を超えて、ここで著者は〈母なるイエス〉を主張する遠藤の論法を「心理的誤謬」と断定する。さらにここでは、遠藤の思想を否定するという形で著者のカトリック信仰が逆説的に表されていると見ることもできよう。

荒野の宗教から愛の宗教へのシフト

最後の問題は、「(4)剽窃の冴え「大祭司アナス〈群像の一人 三〉」(VI章)──愛かパンか」である。この問題に関する箇所が本稿のなかで最も──というか、唯一といってもいい──「対比文学」的な箇所である。

ここで兼子氏は、『死海のほとり』における大祭司アナスによるイエスの尋問の場面は、ドストエフスキーカラマーゾフの兄弟』中の挿話である「大審問官」からの非常に巧みな「盗み」(著者曰くT・S・エリオット風の表現)であると主張する。遠藤が「大審問官」をアナスとイエスの対話に置き換えたことによって強調したことは何か。それについては、著者自身が明確な結論を提示しているので、それを引用しておきたい。

全編のちょうど中間に置かれたこの章はアナスとイエスの対話によって、地上のパンを守ろうとするユダヤ教指導者の姿勢と、愛という一見無力そのものにしか見えないキリスト教的行為の根底が象徴的に対立させられていると見ることも可能だ。つまりこの章はイエスの説かれた愛がユダヤ教(荒野の宗教)的根底からキリスト教(愛の宗教)的根底へとシフトされていくことを象徴的に表している箇所ではないだろうか。(300)

この結論について、氏は「もちろん、そう言ったからと言って、私はイエスキリスト教徒だったとあえて主張するつもりはないのだが」と補足している。これにより、氏は逆説的に遠藤の「荒野の宗教から愛の宗教へ」というユダヤ教からキリスト教へのシフトという論法を受け入れていることが示されている。

ただし、このユダヤ教からキリスト教へのシフトに関する論法は大変ステレオタイプなものであり、実際の古代ユダヤ教研究および古代キリスト教研究からは、両者の関係がもっと複雑なものであるとわかる。第一に、古代ユダヤ教自体がサドカイ派パリサイ派エッセネ派などの様々な教派から構成される複雑な宗教思想を形成していた。第二に、多くの学者は新約聖書のなかにイスラエル民族の復興という非常にユダヤ的な要素が含まれていることを指摘している。第三に、救済が異邦人へも及ぶという「救済論的グローバル化」の思想自体が旧約聖書にも見られるものであって、ユダヤ教を「旧約聖書を土台とした思想/世界観」と捉えた場合、新約聖書の思想はそこから逸脱したものではない。この点もまた、多くの神学者が指摘している通りである。だが、こういったことはあくまで、遠藤の思想を明らかにした後それを批評するときに関係してくることであるのは言うまでもない。

理解されなかった遠藤文学

本書の議論から見えてくるのは、遠藤周作はあくまでカトリック者であったということである。私もそれを感じてはいたが、宗教多元論を扱う遠藤と、「『深い河』創作日記」などから垣間見られる敬虔なカトリック者の遠藤という二つの像がどう両立しているのか、長らく疑問であった。しかし遠藤の信仰は宗教多元主義ではなく相互的包括主義であったという著者の論考には(相互的包括主義そのものの是非はさておき)目が覚める思いであった。

そう、遠藤はやはりカトリック者だったのである。その視点に立ってみると、今後遠藤文学を読み解いていく上では、もっとカトリックの教義──古典的なカトリシズムと、第二公会議以降のカトリシズムの両方──を学び理解していく必要があるものと思われる。

本書の冒頭では、遠藤文学が「キリスト教にあまり縁のない普通の日本人」にいかに愛されてきたのかを示すエピソードが語られている。そういう「普通の日本人」が遠藤文学を愛読し、遠藤的キリスト教に惹かれたことは、個人的な経験から私もよく分かる。遠藤の述べる〈無力なイエス〉〈永遠の同伴者イエス〉〈母なるイエス〉というイエス像に魅了される人は、今も決して少なくないと思う。そうでなければ、マーティン・スコセッシ監督による『沈黙』再映画化時、あれほどの反響は見られなかっただろう。

それでは遠藤文学を愛読してきた我々は、その作品から遠藤を充分に理解することができていたのだろうか。遠藤文学から遠藤のカトリシズムを読み解いていくことは、一応クリスチャンである私にだって難しい。その文学の背後には──宗教多元主義を体現したように見える最後の純文学長編『深い河』の場合でさえ──カトリシズム独特の伝統が豊かに流れているのである。私も含めて、日本の読者が『沈黙』『死海のほとり』『深い河』といった小説に込められているカトリシズムを読み解くことができたとは、とても思えないのである……。T・R・ライトなどは文学手法により神学的事柄を表現することの意義を論じるが、そもそも読み手の持つ伝統がキリスト教神学から大きく離れている場合、やはり文学手法によって読者に信仰を伝えるのはとてつもなく難しい。遠藤周作はその問題に取り組み文学を展開してきたのだが、彼の文学に触れれば触れるほど、この問題が成功の内に成し遂げられたのだとは思えなくなってきた。

おそらく、現代日本文学において遠藤周作のフォロワーが現れていないことの一因もここにあるのだろう。彼が初期より追求してきた「日本と西洋」「日本人とキリスト教」といったテーマは、「キリスト教と文学」というテーマに並ぶ、あるいはそこに繋がっていくものである。佐古純一郎は、そういったテーマを扱う文学者として、遠藤は芥川龍之介堀辰雄の系列に連なるものであると述べている。また佐藤泰正は、そこに漱石を置き、漱石─芥川─堀─遠藤という系列を主張している。しかし、遠藤は自らカトリック者としてこの問題を深めていったという点で、特に「日本人とキリスト教」「キリスト教と文学」というテーマから見れば漱石、芥川、堀といった人々からは一線を画する存在なのだ。

紛れもない「文豪」である漱石─芥川─堀という繋がりを持つ者であり、かつ自らはカトリック者である。そういう作家として遠藤が歩んだのはまさに孤高の道であり、やはり彼は日本という国において稀有な作家であったのだ。

おわりに

遠藤周作は大きく括れば「日本人でありカトリック者でもある自分が、どのように文学を展開できるのか」というテーマを持って、モーリヤック、ベルナノス、J・グリーン、G・グリーンといった現代カトリック作家の小説を愛読した。そして、そのようなテーマを持って読書をすることができた自分は幸せだ、といった主旨のことを随所で語っている。

私がこだわって遠藤文学を読むのもそれと似ていて、「日本人であり福音主義者でもある者は、どのように文学を展開できるのか」というテーマからである。この点で、遠藤のカトリシズムを前面に出した本書の論考は大変有意義なものであった。兼子氏の展開する議論をきっかけにして、我々は遠藤がどのような文学手法により自らのカトリシズムを語ったのかということを探求することができる。また、遠藤のカトリシズムを明らかにしていくことにより、それが福音派の信仰とどのように異なっているのかが改めて明らかになる。その差異性の認識を皮切りに、我々は自らの信仰をどのように文学的に表現し得るのかを探求していくことができる。すなわち、我々は福音派が将来織りなしていくであろう──また、それを大いに期待する──未来の文学と遠藤文学を「対比」していくことが可能になるのである。そういった点から遠藤文学の読書を深めてくれる本書は、有意義な遠藤文学論の一冊として、堂々たる地位を築いていくものと確信する。