軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

『沈黙』再考──遠藤文学の「頂点」かつ「再出発点」

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また雑然とした記事になりますが、最近もう一度『沈黙』について考える機会があったので、17,000字超えの長文になってしまいましたが、再びこの小説について取り組んでみました。

※本記事には遠藤周作の『沈黙』ほか、同じく遠藤の小説『侍』や、戯曲『黄金の国』に関するネタバレが含まれております。

スコセッシ版『沈黙─サイレンス─』を受けて

約2年前、遠藤周作の代表作『沈黙』のマーティン・スコセッシ監督による映画版『沈黙─サイレンス─』が公開された。当時はクリスチャン界隈で『沈黙』の評価を巡って議論が繰り広げられており、私はそれを受けて、以下の記事を書いた。

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先日、Netflixでその『沈黙─サイレンス─』の配信が始まったこともあり、ようやくこの映画を観ることができた。公開中は一度チャンスがあったので劇場に行ったら、上映時間の都合で観れなかった。その後はあまり『沈黙』に目を向けることがなく、ディスク化されても手に取らなかったのだ。しかし最近遠藤周作の文学をまた追いかけ直していたら、やはりどうしても『沈黙』を避けて通ることはできず、そんな意識のなかで配信が始まったのでいても立ってもいられず観てしまった。

まずは、あの原作をよくぞここまで映像化したものだと感動した。場面場面については、原作がある映像作品としては大変忠実な部類だと思う。それに、生身の人間が演じているだけあって、基本的な人物描写の説得力は原作に優るとも劣らないものだっと思う。映画でメインに据えられている人物については、原作ではキチジローとフェレイラ以外、ロドリゴについてもやや観念的である。ロドリゴの場合、終盤において彼の苦悩する場面は、文体のリズムの高揚感もあってかなり「生きた」感じで描かれている。しかしそこに至るまでの彼というのは、どうも観念的……というか、作者に動かされている感じがかなり濃くなっている。迫害者=井上築後守も同様である。『沈黙』の姉妹編ともいうべき戯曲『黄金の国』ではフェレイラと井上が主役であり、井上自身が棄教したキリシタンだという背景を丁寧に拾って、すごく生き生きとしていたのだが。ともかく映画では、アンドリュー・ガーフィールドアダム・ドライバーの好演もあって、ガルぺに至るまでどの登場人物もすごく生き生きと感じられた。ただ、唯一井上だけが──原作通りといえばそうなのだが──やはり観念的であり、しかも原作よりもデフォルメされた感じもあり、残念であった。もしスコセッシが『黄金の国』も知っていたなら、その井上も拾って欲しかったが……だがただでさえ内包されているテーマが多いこの作品で、『黄金の国』における井上の苦悩まで拾っていたら、とても作品として収集がつかなくなっていただろう。だから、これはこれで正解だったのかもしれない。

またラストシーンの原作からの改変については、これは原作ファンとしても違和感がないものだった。原作の最後部「切支丹屋敷役人日記」から見えてくることを映画のラストに持ってくれば、確かにああいう映像化は正解のひとつだといえるのかもしれない。

だがこの映画に対して何か論じるとなると、私には正直かなり難しい。この映画に対して、聖書を信じ、その真理を宣べ伝えていく者としての立場から応答するのであれば、ロゴス・ミニストリーの明石清正牧師による以下の3つのブログ記事に尽きるのだと思う。特に3番目「福音宣教者としての『沈黙』」は、福音派クリスチャンからの大変すぐれた『沈黙』評である。その思いは、2年弱が経った今も変わっていない。

www.logos-ministries.org

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別に応答や評論に正解も何もないのだが、信仰的な姿勢、神学的考察など、あらゆる面で今も共感を覚えるのは明石の論に対してである。私としては、クリスチャンとしても宣教活動に関しても経験が浅く、あそこまでのものはとても書けないと思う。

結局私はあの映画を観たことによって、今一度原作に思いを馳せざるを得なかった。だからここで再び、「遠藤(文学)マニアのクリスチャン」としての観点から『沈黙』に触れておきたいと思い、この記事を書いている次第である。

『沈黙』執筆時の遠藤周作

『沈黙』は1966年3月に刊行された。これは遠藤周作が、再発した結核との3年間の過酷な闘病生活を経た後に当たる。この闘病生活は3度の手術が伴うものであり、特に3度目の手術については成功も生還も保証されない危険なものだったということは余りにも有名である。そして遠藤のこの病床体験というのは、一時期の短篇群には通奏低音として流れ続けていた。『沈黙』については、病床体験そのものが内容に大きな影響を与えたというよりも、闘病中に彼が感じた「本当に書きたいものを書いて死にたい」というパッションが、作品そのものを支えているのではないかと思う。彼は退院直後、「初心忘るべからず」という随筆で次のように述べている。

 いよいよ最後の手術の時、私は車のついた寝台にのせられて一度目や二度目の時と同じように手術室にはこばれていったが、前の時とはちがって見送ってきた妻とも別れ、手術場の厚い扉がしまった時、これがこの世の見おさめだなという気がおそってきた。
 その瞬間、私は始めてと言っていいほど口惜しい思いで自分の小説のことを思い出した。ああ、書きたいなあと思ったのである。手術中、心臓が何秒か停止し、私は仮死したそうだが、悪運つよくまた生きのびられた。

この「口惜しい思い」、「ああ、書きたいなあ」という思いが、遠藤が『沈黙』に込めた凄まじい執念に繋がっていったのだと思う。

さて、では遠藤周作が『沈黙』で本当に書きたかったことは何か。それを論じるとなると、私たちは『沈黙』を論じるだけでは決して済まされない。

まず『沈黙』刊行後に彼が発表した随筆のいくつかには、「棄教した者にスポットライトを当てたい」という思いが『沈黙』執筆時にあったということが書かれている。これは特に、『沈黙』刊行から約5年後に書かれた「一枚の踏絵から」という随筆に詳しい。

 こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。沈黙の灰のなかに埋められた。だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。その悲しみや苦しみにたいして小説家である私は無関心ではいられなかった。彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも泪が流れるのである。私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまいたくはなかった。彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは──それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだと言う気がしたのである。

そしてこういった「弱者たち」への興味は、引用中でも述べられているように、遠藤の文学観に支えられたものでもある。それは「文学とは人間を掘り下げることだ」という、批評家時代から一貫した、余りに基礎的な文学観である。たとえば1967年の「私の文学」という随筆では、自身のカトリック作家としての考え方が次のように述べられている。

 もし基督教が本当の宗教ならば、それは人間の内部の一部分だけに反響するのではなく、人間を形づくっている全ての内的世界にたいして交響楽を響かせる筈である。もしそうでなければ、本当の宗教とは言えないだろう。だから作家は──基督教をもっている作家はむしろ自信をもって人間をふかく掘り下げるように努めるべきだ──宗教と文学との関係について私は今、このように考えるようになってきた。
 私はだから小説のなかで人間を描きながら、その人間を見ている一つの顔をいつも心のなかに感じる。はっきり言ってしまえばそれは基督の顔である。人間をじっと見ている基督の眼である。その眼差しが小説を書きながら、私のなかで余計に感じられれば感じられるほど、私はその小説がうまく運んでいるのだと思う。その眼差しが心のなかで遠のいていく時は、私は自分の小説の人間の描き方がたんなる心理小説に終っているのだと考えてしまう。なぜなら、心理小説は人間を心理からしか捉えていないからだ。心理の背後に人間の内部にはもう一つの領域がある。基督の眼がそれをみている内部領域がある。

『沈黙』刊行後に述べられたこの文学観は、遠藤の批評家時代から一貫したものである。そのために私たちは、1954年に発表された評論集『カトリック作家の問題』にまで遡り、目を向けなければならない。彼はその評論集のなかで、次のように言っている。

そこで、こういう言い方も許されます。人間は神をえらぶか、捨てるかの自由をもっている存在である。この人間の自由を文学に賭けるのが、カトリック文学です。つまりカトリック文学も、他の文学と同じように人間を凝視することを第一目的とするのです。それを歪めることは、絶対にゆるされない。極言を弄するならばカトリック文学は神や天使を描くのではなく、人間を、人間のみを探究すれば、それでいい。また、カトリック作家は決して聖人や詩人ではない。聖人や詩人の目的は、ひたすらに神をながめ頌め歌うことにある。けれどもカトリック作家は、作家である以上何よりも人間を凝視するのが義務であり、この人間凝視の義務を放擲する事はゆるされない。(強調=引用者)

しかし、人間を凝視した結果、その小説が「あまりに暗い救いのない小説」、「神の恩寵が、はっきりと射しこまないこれら真暗な、救いのない」小説になってしまえばどうだろう。この問題について若き日の遠藤はカトリック者として、そのような小説が人間を凝視したリアルを再現してみせたものであれば「作者が果さなかった生の現象を神の恩寵の光が焼きつけをしないと、どうして言えるでありましょうか」と情熱的に述べる。そこには作中人物の自由とともに、「神の恩寵」が働く自由もあるべきだ──その自由な部分を彼は「永遠の余白」と呼んだ。これは、先に引用した「私の文学」で述べられている「基督の眼がそれをみている内部領域」とほとんど同じことを言っているのである。だから遠藤の基本的な文学観というのは、批評家時代から小説家時代に至るまで、もっといえばおそらくは晩年に至るまでも変わっていないように思われるのである。

また批評家時代の遠藤に見られる他の特徴というと、日本人のもつ「汎神性」を批判したことであろう。彼は、日本人でありながら超越的存在であるひとりの神〈主〉を志向し、「存在の聖化(sanctification)」を探求していく必要性を幾度も叫んだ。その叫びは、24歳の時に書かれた「堀辰雄論覚書」にて既に現れている。曰く「存在は純化されるだけでは足りない。存在は更に聖化されなければならぬ」のだ、と。

あとは、有名どころのテーマとして特に解説は必要ないだろうと思われるのは、たとえば「黄色い人」などに書かれた、日本人にはキリスト教的「罪」の概念が理解できないだろうという指摘。「罪」を理解できない日本人の「罪深さ」を鋭く衝いた『海と毒薬』。ただ「愛」だけを追求した人物、そのような生き様の美しさを現代日本によみがえらそうと試みた『おバカさん』……。

以上のようなことを振り返ってみると、『沈黙』にはありとあらゆる要素が詰め込まれている。『沈黙』というのは確かに「沈黙の灰のなかに埋められた」弱者たち「をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくこと」に重点が置かれた小説であることは間違いないだろう。だがそれだけではない、病床体験を経て「書きたいことを書こう」と決意した遠藤が、要素としてはおそらく過去に抱えてきたほとんどを詰め込んだ小説でもある。だから『沈黙』は、執筆時点に至るまでの著者の実存的苦悩が詰め込まれたが故に、異様な熱っぽさと異様に豊富なテーマを内包した小説として仕上がっているのである。

「頂点」としての『沈黙』─「再出発点」としての『沈黙』

『沈黙』については、遠藤文学の頂点であるかのようにいわれることが多い。確かに読者に与える衝撃の大きさ、また内包しているテーマの豊富さからいえば、遠藤の作品として『沈黙』は一種の頂点にあると思う。しかし遠藤文学の軌跡を辿ってみると、『沈黙』は頂点であると同時に「再出発点」でもあることが見えてくる。

今でも『沈黙』について論じられると、この作品が作者遠藤周作と深く結びつけられ、あたかも『沈黙』こそが遠藤文学のすべてであるかのような論じ方がされてしまうことが多いように見受けられる*1。だが、待ってほしい。結局「棄教」がクライマックスを飾り、ロドリゴとキチジローは隠れながらも信仰を持ち続けましたというところで終わってしまうこの作品で、遠藤文学そのものも終わっていると考えてしまうと、様々な問題が生じてくる。

たとえば『イエスの生涯』や『死海のほとり』は思想的に『沈黙』から大きく逸脱していないとしても、それで通じるかもしれない。両作品はイエスの受難と愛の行為の崇高さに尽きるのであって、それが『沈黙』で「踏むがいい」と声をかけたイエス自身であり、そういうイエスロドリゴやキチジローと共におられたはずだと考えても、かなり自然だからである。しかしその後の遠藤周作はどうか。彼は『イエスの生涯』の最後、「あれだけ弱虫だった弟子たちが強い者に変えられたのはなぜか」を問わざるを得なかった。彼は『イエスの生涯』『死海のほとり』のために聖書を繰り返し読み直していくなかで、「キチジロー」のように弱かったイエスの弟子たちが、しかしその後事実として、イエスへの信仰とその信仰を証しするために殉教していったことを改めて突きつけられたのである。そして『沈黙』から14年を経て、遠藤はまたもやキリシタンや宣教師を扱う小説『侍』を書き下ろす。その小説は、なんと主要人物二人──功利主義で受洗した「侍」と、功利主義で宣教を試みた「宣教師」が、それぞれ「まことの信者」「まことの宣教師」へと変えられ、殉教を遂げるという結末なのである。

私は初めて『侍』を読んだ時、遠藤にしろキリスト教そのものにしろ理解が浅かったこともあるが、この小説の作者と『沈黙』の作者がどこで繋がってくるのか、見当もつかなかった。遠藤は初期評論のテーマである「存在の聖化」を否定せずカトリック者として持ち続け、そのテーマが『沈黙』から『侍』でようやく結実したのだと思うようになったのは、もっと後のことである。というか、初期評論をひたすら読み直していた昨年冬〜今年春ごろのことであった。──ちなみに、これは体系的に論じられたらすごいことになると思い、記事執筆のために文献調査をしていたら、なんと30年前に批評家の故武田友寿が見事に書き表していたので、大変嬉しくもあったがしかし、正直残念だった……。『沈黙』から『侍』まで、遠藤周作の歩みと文学をより深く味わいたい方は、ぜひ武田の『「沈黙」以後──遠藤周作の世界』(女子パウロ会、1985年)を読んでいただきたい。

こうして振り返ってみると、『沈黙』は確かに小説作品としては遠藤の著したものでトップに来るものだと思う(安岡章太郎三浦朱門も認めているように)。また批評家として出発してから初期小説に至るまでに提起したあらゆる問題を詰め込んだという意味で、遠藤文学の頂点であると思う。しかし、その後に彼が残した小説──「存在の聖化」という問題を深めていく道のりを振り返ってみるならば、『沈黙』はあくまで再出発点に過ぎなかったのではないかと思うのだ。だから、私には『沈黙』を論じるのが大変に難しい。『沈黙』で提起した問題に関する遠藤自身の姿勢を見るならばそれより前の作品に遡る必要が出て来るし、『沈黙』から新しく前面に噴き出してきた問題(存在の聖化)に関する遠藤自身の姿勢を見るならば『侍』まで見越さなければならないからである。だから私には、遠藤文学の流れのなかで『沈黙』を独立させて扱うというのは、もはや不可能なことのように思えるのである。

日本宣教から見た『沈黙』の問題に関する遠藤の思想

さて、本稿ではこれ以降『沈黙』の抱える諸問題について、『沈黙』以後の遠藤文学という視点から考えてみたい。既に述べたようにこの小説が内包している問題は数多く挙げることができるのだが、ここでは日本の福音派クリスチャンに深く関わる問題、すなわち日本宣教から見た問題に的を絞ってみたい。

冒頭で紹介した明石による『沈黙』論のひとつ、「映画『沈黙』- 観るべきか、観ざるべきか?」では、神学者の故小畑進による3つの問題提起(「遠藤周作著小説『沈黙』論」)が引用されている。

  1. 神への忠誠か隣人への愛情か
  2. 強者に対する弱者の救い如何
  3. 日本の体質は基督教に向くか

小畑はこの3つが「この小説が『沈黙』する神を主題として、もっぱら訴えようとした問題」であると主張する。また明石はこれを受けて、次のように述べている。

先の投稿で私が「日本のキリスト者の兄弟姉妹は、未だ江戸時代に造られた体制、つまり、「信仰のゆえに迫害される」という恵みではなく、「信仰や福音宣教を骨抜きにされる」という迫害を受けているのだということに、気が付くべきでしょう。」と書きましたが、この[小畑の]論考では、その骨抜きの部分が三つの点に要約されています。……この三つは強烈な、日本人キリスト者に対する非難であり、告発です。

明石の要約によれば、1. は「イエス様に従うことが、隣人を軽視することになる」という認識から来る問題である。しかし、実際は「イエス様を礼拝するということが、その目的であり、全てなのであり、その受けた愛の中にいることによって互いに愛する」のがクリスチャン生活の本質であり、「神への忠誠か隣人への愛情か」という問題提起自体がキリスト教の本質からかけ離れたものである。

次の「2. 強者に対する弱者の救い如何」は、「誰もが弱いのに、自分だけを『弱者』に見立てて、他の、主に従おうとしている者たちを『強者は弱者のいう事を分かっていないのだ』と居直」る姿勢にも受け止められる。しかし「そんなことは、聖書に書いていません」。「全ての人に弱さが暴露されて、それゆえその弱さを真に悲しみ、そして聖霊の助けによって、立ち直るべく求め、恵みによって強められるのです。」

そして「3. 日本の体質は基督教に向くか」であるが、これは「日本は特にキリスト教が根付かないところである」ということへの「言い訳」である。しかし明石が聞いたところによれば、他国の宣教師もまた「私たちの国は、宣教が特別に困難な国だ」と言うらしい。だから彼は、日本人クリスチャンだけが「言い訳をしてはいけないのです、負け犬根性に陥ってはいけません」という。「言い換えれば、どんな困難な社会的、文化的状況にあっても、主が人を救うと思われれば、人は救われます。だから日本にも希望があるのです、御霊によって刷新する、人々が霊的に覚醒する希望はあるのです。ただ、それを忍耐して信じ、希望を捨てないであることが大事です。」

以上の3点は確かに『沈黙』から導き出される諸問題の一部であり、福音派クリスチャンの観点からの応答としては、上で引用した明石の論考に尽きると思う。また、この種の問題について遠藤文学の観点から考えるのは、問題の本質から遠ざかったものであるかもしれない。しかし私が本稿で考えたいのは、『沈黙』の思想=遠藤が生涯抱えた思想という図式への違和感についてである。小畑は『沈黙』から13年後の1988年、『沈黙』だけを取り上げて遠藤を非難した。その非難が『沈黙』に対しては妥当であるにしても、その非難をそのまま遠藤文学全体に当てはめてしまうのでは、遠藤文学を正当に評価することにはならないのではないか。そういう違和感をふまえて、日本宣教から見た『沈黙』の3つの問題について、まずは遠藤文学自体から声を聞いてみたいのである。

なお、以下では3つの問題について、より『沈黙』そのものや遠藤文学の視点を反映させて次のように言い換えたい。

  1. ロドリゴの棄教について
  2. 遠藤の「弱者の救い」探求の道のり
  3. 遠藤本人と「日本沼地論」

1.については、『沈黙』の主人公ロドリゴが、自分が棄教すれば罪のない多くのキリシタンの命が助かるという「隣人への愛情」から棄教したことによる。では遠藤にとっては、「棄教」とはそういう観点から絶対的に肯定されるものだったのか。逆に言えば、「殉教」とはその観点から否定されてしまうものだったのだろうか。2.は、元の小畑による問題提起をほぼそのまま受けた形になる。そして3.については、『沈黙』では「日本は沼地であり、キリスト教の根は腐ってしまい、定着しない」という「日本沼地論」として登場人物たちから語られている。それを受けて、遠藤本人が「日本沼地論」をどのように考えていたのかを見ていきたい。

同時に、各問題について『沈黙』以後展開された諸作品で見られる比重を考え、次のように入れ替えたい。

  1. 遠藤本人と「日本沼地論」
  2. ロドリゴの棄教について
  3. 遠藤の「弱者の救い」探求の道のり

おそらく上記3点に限定すれば、『沈黙』以後の作品でも最も比重が大きいと思われる問題は「弱者の救い」であるといえよう。それでは、各点について私が『沈黙』後の遠藤文学から考えたことを、ざっと書き留めておきたい。

1.遠藤本人と「日本沼地論」

これは遠藤本人が「キリスト教は日本で定着しない」と考えていたかどうかという問題である。結論から言えば、遠藤はそうは考えていなかったと思われる。

先に「堀辰雄論覚書」から引用したように、遠藤は「存在は純化されるだけでは足りない。存在は更に聖化されなければならぬ」と考えていたが、これは堀辰雄に見られるような日本文学者たちの「汎神性」がどうしても「存在の純化」に留まってしまうことに向けられた批判であった。ここでいう「存在の聖化」とはキリスト教的な(特にトマス・アクィナス的な)概念にほかならない。そして、存在──特に遠藤が作家として関心を向け続けた人間存在──は神によって聖化されることを必要としているということにほかならない。このような信念は『沈黙』の頃も変わっていなかったと思う。

『沈黙』までカトリシズムに根差した作品を発表し続け、その後もそうした作品を書き続けていった作家が「日本沼地論」を肯定していたとすれば、遠藤の「日本人カトリック作家」としての実存自体を根底から否定するものになってしまう。またそうすれば、遠藤の作品はほとんど意味を成さなくなる。そして「存在の聖化」を追求した成果である『侍』なども、意味を成さなくなってしまうだろう。

武田友寿が指摘したように、遠藤が『沈黙』後に『イエスの生涯』『死海のほとり』で試みたことは、聖書自体から西洋と東洋とに関係なく見出される「真実のイエス」「真実のキリスト教」の探求であった。その探求は『キリストの誕生』において一応の結実が見出されるのだが、そこにおける「真実のキリスト教」の正否はともかくとして、もし遠藤が「日本沼地論」を肯定していたとすれば、その「真実のキリスト教」探求自体が無意味となる。むしろ遠藤は、日本にキリスト教が定着しないという問題を抱きつつ、聖書そのものに示された「真実のキリスト教」であれば日本人の心にも触れるものであるはずだという確信を持っていたからこそ、その探求を試みたのであろう。

したがって『沈黙』で井上築後守やフェレイラなどが口にした「日本沼地論」は、遠藤が若き日よりそれを乗り越えようとしてきた問題を、劇の進行のため作中人物に語らせたものであるということができる。遠藤はその答えのヒントとして、「踏むがいい。……私はお前たちに踏まれるためこの世に生れ、お前たちの痛さを分つため十字架を背負ったのだ」とイエスに沈黙を破らせ、「愛の神」という神観を提示した。また末尾の「切支丹屋敷役人日記」にて、ロドリゴが信仰を持ち続けたことを示唆してみせた。だが、『沈黙』でその答えは遂に見出されない。遠藤が彼なりに「日本沼地論」に対する答えを見出すには『侍』を待たねばならなかったのだが、これは第3の問題を扱う際に述べることにしたい。

2.ロドリゴの棄教について

ロドリゴが踏絵に足をかけるときに聞こえた「踏むがいい」というイエスの声を巡っては、『沈黙』発表後、文壇でも様々な反応が起こった。なかでも、ともにプロテスタントである小説家・椎名麟三と批評家・佐古純一郎は、「踏むがいい」の声はロドリゴが踏んだ後で聞こえてきてほしかったと、彼ら自身の信仰をふまえて述べている。たとえば、佐古の声に耳を傾けてみよう。

こんな勝手なことをいってもいたしかたないが、私の信仰的リアリズムからの願いをのべると、ここで「踏むがいい」とイエスにいわせないで、内に苦しみもだえながら、ロドリゴ神父に踏絵を踏ませてほしいのである。「足の痛さ」ということなら、そのほうがよほど痛みははげしいだろうから。つまり、イエスの顔を踏むという行為の中では、やはり、神に沈黙を破ってほしくないのである。あのロドリゴに対するイエスのみことばは、踏んでしまったロドリゴの「足の痛み」に向かって投げかけてほしかったのである。「その足の痛さだけでいいのだ。私はお前の痛さと苦しみをわかちあう。ロドリゴよ、私から離れてはならぬ。……」とそんなふうに「愛のまなざし」を注ぐかたちで沈黙を破ってほしかったのである……。(「『沈黙』について」)

これに対して遠藤は後年、やはりプロテスタントの批評家・佐藤泰正に対して、「後から聞こえてきたら小説としてはダメだ」という主旨のことを語っている。

これは書いているときは、自分でもそういうふうに後とか前とかは論理立って考えながら書いてはいなかった。(中略)神学的にみたらあすこの是非が問われるところでしょうけれども、小説的に言ってあすこが、後になってあの声が聞こえたとしたならば、小説的にはマイナスになるようにおもいます。(『人生の同伴者』)

「小説として、先に聞こえてこなければ」というのは遠藤の自己弁明とも捉えられるが、確かに小説を読んでいると、あの「踏むがいい」を信仰的に認められない私にとっても、「踏むがいい」に至るリズムの高揚感というのは凄まじいものがあると思う。確かに「踏むがいい」が後から聞こえてしまうと、小説(要するに文芸作品)のダイナミズムとしては弱まってしまうと思う。それはともかく、当時、棄教した弱者の人生から神の「沈黙の声」を読み取ろうと試みた遠藤周作の内面的葛藤を示すのが「踏むがいい」であり、同時にこの声の内容は、当時の遠藤の限界でもあったのだろう。

遠藤は殉教と棄教を倫理道徳的に裁断する姿勢は取っていない。弱者に焦点を当て続けた時期にも、殉教はエゴイズムだと批判するようなことは言っていないし、逆に殉教の中に神への志向があることを積極的に肯定する。これは1991年に出版された対談『人生の同伴者』からの引用になるが、『沈黙』当時の回想としては貴重な発言であろう。

たとえば『沈黙』についての批評は、「殉教なんて結局自己虚栄心のあらわれじゃないか」と大岡[昇平]さんはおっしゃる。私をして言わしむれば、それはたしかに自己虚栄心はあります。しかし自己虚栄心だけでなく、さらにそれを包むプラスXというものがある。人間の心理なんてそんなに明晰なもんじゃなく、自己虚栄心もあれば他の自己満足もある。さらにそこにXというものが包んでいる。

これは「弱者の救い」という問題にも繋がるので詳しくは次項で述べるが、後年になると棄教した弱者への眼差しは維持されつつ、彼は弱者が殉教するほどの強者に変えられていった事実もあることを直視せざるを得なくなる。特に『キリストの誕生』以後の作品からは、「踏むがいい」と声をかけるようなイエス像は見られなくなっていくように思われるのである。

しかし、後年遠藤が「あの状態のなかで[「踏むがいい」という声が]聞こえたという書き方が、私の気持のうえから、また小説家としてのそのときの筆の運びや、その後に『イエスの生涯』を書く自分として、そこのところが間違っているという気持はいまでももっていない」(『人生の同伴者』)と語っていることは、遠藤文学を論じる者に問題を残す。小説的にはともかく、また『イエスの生涯』のあまりに無力さに集中しすぎたイエス像から見たら「踏むがいい」は必然であるとしても、後にそのイエスによる弱者の「聖化」に到達する遠藤の文学は、「踏むがいい」と調和するようにはどうしても思われないのである。むしろこれは、代表作『沈黙』を書いた当時の自分自身を見れば「間違っているという気持はいまでももっていない」ということなのだろうか……と思いたいが、これは個人的な願望にすぎない。

だが事実としては、「踏むがいい」とロドリゴの棄教を認める──いや棄教を促すかのような「神の声」というのは、遠藤の文学世界において以後繰り返されることはなかったのである。それを、「弱者の救い」という問題との関わりから具体的に見ていきたい。

3.遠藤の「弱者の救い」探求の道のり

遠藤の文学的使命とは既に見たように、神の恩寵を信じつつ「人間を掘り下げる」ということに尽きる。人の苦しみを苦しみとして描くという小説家の使命からすれば、また「存在の聖化」を志向し「日本沼地論」を否定しつつ決定的な答えを見出せていなかった当時とすれば、『沈黙』における殉教者と棄教者に対してこれ以上の描き方はなかったのだろうと思う。その「苦しみを苦しみとして描く」ことに最大の熱意が向けられていたからこそ、『沈黙』は読む人にリアリティを起こさせる重い作品になったと思うのだ。明石は「福音宣教者としての『沈黙』」の冒頭で次のように述べている。

以下から話す言葉は激しいものになっていますが、決して、遠藤周作マーティン・スコセッシ監督に向けられたものではありません。むしろ、このような作品を作ってくれたことによって、キリスト者信仰の生々しい戦いと葛藤の実存を、上手に表してくれたことに、感謝しているほどです。

彼のように、クリスチャンは自身の信仰的リアリズムにより『沈黙』の内容を批判したとしても、しかしこの小説に「キリスト者信仰の生々しい戦いと葛藤の実存」を認めないわけにはいかないのである。

しかしこの「弱者の救い」あるいは「存在の聖化」という問題について、遠藤は聖書研究によりある確信に辿り着いた。イエスは実生涯では無力だったが、他者のために過酷な十字架刑による死を遂げるという強さを示してみせた。しかもそのイエスは神の大いなる命のうちに復活し、今も生きておられ、「永遠の同伴者」として我々に寄り添われる。人がイエスの愛を理解してその愛が彼のうちに生き始めることによって、そして同伴者イエス本人の働きにもよって、人という「存在の聖化」が行われていく……。これは遠藤が『おバカさん』や『わたしが・棄てた・女』で既に暗示していたことでもあったが、しかし彼は(その当否はともかくとして)聖書研究の結果から強い確信を得たのである*2

武田友寿は、『沈黙』以前の随筆集『聖書のなかの女性たち』(1960年)に至るまでの聖書研究を「第一期聖書研究」、『沈黙』以後『イエスの生涯』『死海のほとり』に至るまでの聖書研究を「第二期聖書研究」、そして『キリストの誕生』に至り『侍』で結実するまでの影響を持った聖書研究を「第三期聖書研究」と名づけ、その区分に基づいて作品群を分類している(『「沈黙」以後』)。この「第三期聖書研究」以後、遠藤文学にはキチジローに代表されるタイプの弱者──弱者でありながら、弱者であることに開き直ったままで終わってしまう作中人物──というのはほとんど目立った形で現れなくなるのである。

遠藤の文学は、イエスの弟子たちを通して「弱者」と「強者」の区別を失った。そこに登場するのは、武田がいうところの「これまで語られ、論じられてきた「弱者」「強者」論におさまりつかぬ、もっと複雑な、陰翳の深い、屈折した人物像」であった。

私はそんなことを考えながら、しかし、[小西]行長やペドロ岐部や支倉常長[『侍』のモデル]に映し出されている人間像は、これまで語られ、論じられてきた「弱者」「強者」論にはおさまりつかぬ、もっと複雑な、陰翳の深い、屈折した人間像ではないか、と気づかずにいられなかった。もちろん結果として、彼等はある高みに聖化された人間──聖者であることはたしかである。だが、その聖化は、かつて遠藤氏が試みたように、俗なるものが一足とびに聖なるものに変わるのではなくて、それぞれの人間性を諸々方々から照射し、起伏に富んだ生涯を追尋しているうちに、いつの間にかその人間性や人生がイエスや弟子たちのそれに重なってゆく、という形の自然さ、不思議さをもっているのである。

遠藤はそういう人間像を『キリストの誕生』執筆のための使徒行伝研究から得たのだと思う。遠藤におけるこのような「弱者」観の変化を「弱者の聖化」と名づけるとすれば、その「弱者の聖化」は聖書研究と並行して進められた小西行長の研究やペドロ岐部の研究によって深められた。彼は『鉄の首枷』で行長の、『銃と十字架』でペドロ岐部の評伝を書いたが、そこでは確かに棄教者への眼差しも忘れられてはいないが、筆は彼らが最後自らの信仰に殉じていくまでに及ぶ。私には、そこにもはや『沈黙』の「踏むがいい」が残すあの一種後味の悪い重苦しさは感じられないのである。

そして、遠藤が使徒たちの生涯から学び、行長やペドロ岐部の評伝執筆を通して深めた人間像は、功利主義から受洗した日本人=長谷倉と野心から日本宣教を目論む伴天連=ベラスコに適用され、小説『侍』として結実するのであった。この小説における伴天連ベラスコの殉教は、ロドリゴの棄教と余りに対照的である。純粋な伝道への熱意より「自分の目的」から日本に来たという意味では、ベラスコはロドリゴに似ている。そして彼の殉教を見てみると、ベラスコというのは「聖化」されたロドリゴであると見ることはできないだろうか……。少しく長くなり、またあまりにネタバレが過ぎるかもしれないが、ここで『侍』の最後、宣教師ベラスコが殉教していく様を引用しておきたい。

ベラスコは「日本での布教をすべてローマ法王庁から委任される司教になりたい」という野心が破られた後、その野心が消失したことにより、新たなる決意をもって日本宣教に赴く。結局彼はすぐに捕らえられてしまうのだが、牢中で処刑を待つ間、彼は自らの想いを次のように告白する。

 秋の柔らかな光を吸い込む果実のように、神がくださったこの運命を静かに受け入れよう。私はやがて待っている自分の死をもう敗北とは思わない。日本と戦い、日本に敗れ……私はまたあのビロウドの椅子に腰かけていた小肥りの老人をまぶたに蘇らせる。あの老人は私たちに勝ったと思ったかもしれぬ。しかし彼には我々の主イエスが大祭司カヤパの政治の世界では破れ、十字架で殺されながら、その死によってすべてを逆転なされた意味が永久にわからなかっただろう。私を消滅させ灰にして海に投げ棄てれば、片付いたと考えただろう。だがそこからすべては始まるのだ。主イエスの十字架の死と共にすべてが開始され動きだしたように。そして私は日本という泥沼のなかにおかれる踏み石の一つになるだろう。やがて私という踏み石の上に立って、別の宣教師が次の踏み石となってくれるだろう。

そして彼は、自分が「踏み石」であり、決して捨て石などではないという確信のもと、他に捕らえられた修道士や司祭とともに、遂に処刑される……。

 三人は「主の祈り」を口をそろえて唱えながら一列になって杭まで歩いた。その三本の杭は遠くから彼らを見つめ、じっと待っていた。一人、一人をその前に並べると、番人たちがその体をしっかりと縛りつけた。風の音が強い。
「往生ばせえよ」
 縛りおえた番人はそう叫ぶと四方に散った。その間、役人たちは風を避けて竹矢来ちかくでこれらの作業を眺めていた。
 足軽の一人が松明を持って杭の足もとにつみ重ねた薪と藁とにひとつ、ひとつ火をかけた。風にあおられ炎が烈しく動き、煙がたちのぼった。流れる煙のなかで、
 
  救えかし われを
  終りなき、死から
 
 それぞれの祈りが大きく聞えたが、火勢が一段と高くなった瞬間、まずルイス笹田が、次にカルバリオ神父の声が突然やみ、ただ風の音、薪の崩れる音が聞えた。最後にベラスコの杭を包んだ白い煙のなかから、ひとつの声がひびいた。
「生きた……私は……」
 火勢が長い時間をかけて鎮まるまで役人と番人たちとは遠くで寒そうに立っていた。火が消えたあとも囚人の姿の失せた杭が三本、弓なりに反ってくすぶっていた。番人は骨と灰を集めて菰に入れ、石をつめて海に棄てにいった。
 浜を襲う泡立った波が、番人の流した菰を呑みこみ、ぶつかり、退いていく。幾度もそれがくりかえされると、何事もなかったように冬の陽が長い浜辺にさし、風の音のなかで海が拡がっている。竹矢来のなかにはもう役人や番人の姿はなかった。

結論

これまでの内容は、福音派の信者としてはあまりに遠藤の思想に寄り添いすぎていると映るかもしれない。もちろんここで取り上げた遠藤の主張ひとつひとつに、共感できる部分も反発する部分もある。しかしまずは遠藤の主張や考えを追いかけることなしには、そうした共感と反発をまとめることはできないだろう。

してみると、『沈黙』以後の作品まで与えられている私たち──いや既に遠藤が『深い河』を遺して世を去った後の私たちからすれば、まず彼の思いを追いかける上でも『沈黙』単体ではもはや大きな意味を成さないのである。『沈黙』は出発点であり、そこで提起したテーマが『イエスの生涯』と『キリストの誕生』を通り、『侍』に至ってどのように変容したかを考えなければ、遠藤文学論も語ることはできないのである*3

さて福音派のクリスチャンとしては、『沈黙』の受け取り方は明石牧師のような姿勢がやっぱり良いのだと思われる。『沈黙』に込められた実存的な悩み苦しみを読者として受け取り、読者もまた実存的に悩んで、自分の信仰からひとつの答えを出してみる。それは遠藤自身が『沈黙』を再出発点として通った道であったし、明石牧師は福音派の観点から、その路線に乗って見事なレビューを提示された。おそらく我々がいま『沈黙』という作品に触れて示すことのできる姿勢というのは、そういうものに限るのかもしれない。

遠藤周作にとっても読者(または映画の視聴者)にとっても、『沈黙』は再出発点に過ぎない。ぜひ、そこから先『鉄の首枷』を、『銃と十字架』を、そして『侍』を読んでいただきたい。その先にはキチジローが、そしてロドリゴが「まことの信者」へと変えられていった結末が描かれているのだから。

*1:なお、『沈黙』がそれ単体では理解しづらく、それまでの諸作品を念頭におかねばならないといってしまうと、ではこの小説は独立した作品として失敗作ではないかと思われるかもしれない。確かに、そういう面はあるだろう。だが考えてみたいのは、遠藤周作カトリック者という実存をもってそこからわき出てくるテーマを小説化したのだが、それをノンクリスチャンである多くの日本人読者にも分かるように書くというのが、どれほど至難な業であるかということだ。作者の力量不足もあったかもしれないが、そもそも日本人に馴染の薄いカトリシズムが扱われ込められている時点で、十分な理解を得るのは不可能に近いのである。その点、キリスト教的な世界観とある程度の教義理解をもったクリスチャンの場合には、些細な描写からも遠藤の込めた思いというのは比較的追跡しやすいのである。だがかくいう私も、それなりに体系的な教義理解は持ったクリスチャンであるとは思うのだが、遠藤文学は本当に理解するのが難しい。なぜならば、遠藤はあまりにも深くカトリシズムに根差しているのであって、プロテスタントの私などはカトリックの教義は理解が浅く、なかなか遠藤の思考を追跡することができないときもあるのである。

*2:これは、私自身が遠藤の「史的イエス」観やキリスト教観に同意していることを意味しない。このことについてはいずれ整理してまとめて書きたいと思っているが、現時点では過去の『沈黙』論兼子盾夫の著作の書評を参照されたい。

*3:なお『深い河』はどうかというと、これは『侍』までの延長線上、『侍』が拾えなかった部分までも拾った『侍』路線の総決算という見方をすべきではないかと思う。(この考え方は、兼子盾夫の研究(『遠藤周作による象徴と隠喩と否定の道』)から得た『深い河』論に、武田『「沈黙」以後』における『侍』論を合わせて考えることによって得た。)『スキャンダル』は『侍』以後の新機軸と呼べたかもしれないが、それは『沈黙』以後脇に置かれた、初期評論や初期小説に遡る「悪」の問題追及路線の復活であった。さらにその路線もまた、『侍』までの総決算である『深い河』の目立たぬごく一部として呑み込まれてしまっている。