軌跡と覚書

神学と文学を追いかけて

私の読書(11)遠藤周作『走馬燈』─沼地に流れた血を追って

遠藤周作に『走馬燈─その人たちの人生─』というエッセイ集がある。裏表紙には次のような紹介文が添えられている。

日本人として初めてエルサレムを訪れたペドロ岐部、贋の大使として渡欧し、ローマ法王に謁見した支倉常長、そして多くの名もない殉教者たち──日本にはキリスト教の伝統はないと信じられながら、実際は四百年にわたる栄光と苦難の歴史が秘められている。日本人でありながらイエスと関わり、劇的な運命をたどった人々を、そのゆかりの地に赴いて回想した異色のエッセー。

これは1976年から77年にかけて毎日新聞で週一回連載されたエッセイを集めたもので、単行本は1977年に毎日新聞社より刊行された。ぼくが持っているのは、1980年発行の新潮文庫版である。今ではこの新潮文庫版が、Kindleでも購入することができる。

武田友寿の遠藤周作論(『「沈黙」以後──遠藤周作の世界』)で大きく扱われていたのを見て、久しぶりに引っ張り出してきて、毎晩少しずつ読み直していた。

本書で扱われている人物の中には豊臣秀吉石田三成といった有名人から、マルキ・ド・サド、それからステファノ、イエスといった人々もいる。しかしその大半は日本人、もしくは日本に来た宣教師で、しかも迫害されたり、殉教を遂げたりした人々である。あるいは小西行長のように、「殉教」ではなくとも信仰を公にした上で殺されていった者も含まれている。

これらのエッセイは「遠藤周作文学全集」などには収録されていないが、武田友寿が『「沈黙」以後──遠藤周作の世界』で指摘したように、本書は遠藤の文学を読む上で重要な一冊である。

小西行長、ペドロ岐部、支倉常長といえば、遠藤文学の読者は迷わず『鉄の首枷──小西行長伝』や『銃と十字架』といった評伝、また純文学長編『侍』を思い浮かべることができる。『鉄の首枷』は、『走馬燈』の連載当時から「歴史と人物」に連載中であり、ペドロ岐部の評伝『銃と十字架』は『走馬燈』連載終了翌年の1978年1月から「中央公論」にて連載を開始している。また支倉常長の生涯をモチーフにした『侍』は1979年の大晦日に脱稿されたが、支倉常長に関する取材は1974年より始まっている。

遠藤が最初に書いた「切支丹もの」は1959年発表の「最後の殉教者」(別冊文藝春秋68号)であり、それ以後の探求が結実したのがかの『沈黙』だった。しかし、『沈黙』は遠藤文学の頂点であると同時に再出発点でもあったというのは、先の記事で指摘したとおりである。その再出発から『死海のほとり』『イエスの生涯』を通って後、遠藤は『鉄の首枷』と『銃と十字架』でさらに切支丹探求を深め、『キリストの誕生』に至る。彼は自らの聖書(福音書および使徒行伝)研究と切支丹研究を絡め合わせながら深めていき、遂には『侍』が生み出されることになる。彼の切支丹研究は、テーマ的にはこの『侍』で一応の終幕を迎えたといって良いだろう。『走馬燈』は、その幕引きの先導役を果しているのである。

遠藤周作は「小説家は人間を凝視せねばならぬ」といった文学論に根差し、人間の罪と悪を凝視すると同時に、「肉体にたいする恐怖の前には精神など意味を失ってしまう」ような弱者(「札の辻」)をも凝視し続けた。遠藤文学の読者は、『沈黙』前後の作品にあらわれているこのような弱者へのこだわりの強さと、弱者に向ける眼差しの暖かさにいつも驚嘆させられる。何がこの作者にこのようなこだわりと愛着を持たせたのか、不思議に思う。そこには彼が病弱であったり、「弱者」と触れてきた生い立ちがあったり、また戦争中にカトリック者であったことによる経験があったりと、様々な推測が可能だ。しかしそれだけでは説明のつかない何かがあるような気がしてならないのだが、ともかく遠藤は弱者にこだわり続け、そのこだわりが切支丹研究における「棄教者」たちに向けられるようになった。そして、「沈黙の灰のなかに埋められた」弱者たち「をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくこと」に重点を置き、『沈黙』を生み出したのである。

武田友寿の考察によれば、『沈黙』を書き終えた遠藤は、棄教者をも赦したもう愛のイエス像が〈日本的イエス像〉などではなく、聖書から読み取ることのできる〈普遍的イエス像〉であることを証明することを課題として突きつけられた(『「沈黙」以後』)。そうして遠藤は切支丹研究も進めつつ、本格的に聖書研究に取り組み、『イエスの生涯』や『死海のほとり』を上梓する。しかし、それで聖書や切支丹に根差した遠藤の文学的探求が完了したわけではなかった。彼はさらにそこから、新しい課題を突きつけられたのである。それは、遠藤がこだわり愛した弱者たちの中には確かに棄教した者もいたが、しかし多くの弱者たちが、自らの信仰に殉ずるまでに強い者へと変えられたという事実であった。多くの切支丹がそうだった。素朴にこの信仰を守ってきた名も無き農夫や漁師たちまでもが、この信仰を棄てることを拒み、むしろ彼らの主のために命の方を棄てていった。遠藤はこの事実を既にあまたの切支丹もので扱っていた。だが『沈黙』で彼は、この事実を正面から受け止めるよりも、この事実を主人公司ロドリゴに苦悩させるための背景に落とし込んでしまっていた。しかし今や遠藤は、これら本当の強者に変えられた弱者たちと向き合わねばならなかった。なぜなら、棄教した弱者たちを愛し赦す神を求めて聖書を読むなかで、彼はむしろ弱者であった弟子たちを愛の使徒たちへと変えられた神とぶつかってしまったからである。

小説家は人間を凝視せねばならない。その主義に基づいて、遠藤は弱者たちを──肉体的恐怖のなかで自らの信仰まで棄てなければならなかった哀しい者たちを凝視し続けてきた。だが、彼の人間凝視はこの段階で不十分だった。なぜなら、自らの信仰より命を棄てていった者たちもまた、彼が凝視せねばならぬ「人間」だったからである。彼は小説家としての自らの宿命により、強者たち、いや弱者から強者へと変えられていった者たちを、今一度見つめ直さねばならなかったのだ。

彼は『走馬燈』のなかで書いているように、この日本にあって信仰のために血を流していった人々のことを日々思い巡らしたであろう。小西行長のように「面従腹背」の人生からまことの主へ従う道にあこがれ続け、遂にはまことの主を礼拝しながら斬殺された者。ペドロ岐部のようにローマで司祭に叙階される栄誉を受けながら、同胞にまことの主を証しするために日本に戻り壮絶な死を遂げた者。そしてフェレイラなどとは異なって殉教の死を遂げた宣教師たちや、下級武士や農民のような「多くの名もない殉教者たち」……遠藤が『走馬燈』のなかで彼らに向けている眼差しは、あの固執ともいえる弱者への眼差しとはまた違った暖かさと愛着を湛えている。この殉教者たちは、フェレイラやキチジローのような「転び者」たちと同時に、遠藤周作の心の中で息衝き始めたのである。

そして、遠藤周作が再び聖書に取り組んだ『キリストの誕生』を経て『侍』で辿り着いたのは、日本人にまことの主を証しするため、そして「日本という泥沼のなかにおかれる踏み石の一つ」になるために自ら命を棄てていく宣教師ベラスコの姿であった。

遠藤はこの道のりのなかで、弱者を変えてゆかれる神の御手を、今も生きて働くイエスの御姿を感じ取ったのだと思う。同時に、彼はもうひとつの問題を考えたはずである。それは「日本はキリスト教が根付かぬ沼地である」と『沈黙』で作中人物に語らせた、あの問題である。『走馬燈』の「あとがき」において、彼は次のように述べている。

 日本には基督教の伝統もない。歴史もない。地盤もない。そういう説を私は長い間、聞かされてきたし、そう自分でも考えていた時もあった。だが、今の私はその三分の二を肯定し、その三分の一を否定する気持になっている。なぜならこの日本の歴史のなかにも、この日本の風土のなかでも、イエスつきまとわれた数多い人間がやはり存在したからであり、そのあまたの人間たちの生涯はイエスを抜きにしては考えられぬからだ。
「ぼくら日本人の特質は究極に於て、ぼくらが彼等(基督教)の神と無縁だという所にある」と江藤淳氏が「夏目漱石」で書く時、私はその三分の二に同意しながら、イエスに関わったこれらの日本人のことをやはり心に思い浮かべる。ひょっとすると彼等の信仰は西洋人のそれと同じではなかったかもしれぬ。ひょっとすると彼等の基督教は西洋人のそれと同じではなかったかもしれぬ。にもかかわらず、彼等の人生にイエスが関わったことは、ゆるがすことのできぬ厳然たる事実なのだ。(強調部=遠藤による傍点部)

そう、『沈黙』から再出発を果してもがきつづけた遠藤にとり、もはや日本は「沼地」ではなかった。いやこの風土がたとえ「沼地」的性質を持っていたとしても、そこには積み重ねられてきた「踏み石」が顔を出していた。彼は「沼地」にはまりこんでいるのではなかった。「沼地」の只中にいたとしても、彼はそこから顔を出している「踏み石」の上に立っていたのだ……。

遠藤文学の読者はここにおいて、「神はなぜ信徒が殉教していく時も沈黙しているのか」という問いを再び乗り越えることができる。神は沈黙していたのでもないし、ましてやその殉教が無駄に終わったのでもない。ぼくら日本人キリスト者がこの国でキリスト者として生きていること、それこそが殉教のひとつの意味であった。そして神は今もそれら殉教者たちの生涯と死を通して、ぼくらキリスト者に語りかけ続けておられるのである。

遠藤は「あとがき」でさらに次のように続けている。

 私が触れてきた彼等の大半は、日本の歴史には傍役である人物である。いや、傍役どころではない。その名前も生涯もほとんどの日本人がそれほど関心を持たず、本のなかにも記載されぬ人間たちであろう。だが彼等の生涯はイエスと関わったがゆえに、いかなる日本のヒーロー(英雄)たちよりも、劇的であると私には思われる。なぜなら劇的なものとは、人間的なものと、人間を越えたものとの相剋にほかならぬからだ。彼等はイエスを知ったがゆえに、劇のない日本の風土のなかで、劇的な人生を送ることができたのである。ペドロ岐部はイエスを知ったゆえに、単身でアラブの砂漠をわたり、エルサレムを訪れ、ローマに行った。だが高山右近が関白から棄教を求められた箱崎の一夜の苦しみは、その岐部の大旅行よりも劇的である。行長が六条河原に引かれて斬首されるまでの二時間は、彼の長い朝鮮従軍の歳月よりも、はるかに劇的である。なぜならその時こそ、彼等は人間を越えたものと対決せねばならなかったからである。

ぼくらもまた『走馬燈』でこれら「多くの名もない殉教者たち」の人生に触れていくなかで、神はこの「神なき日本」でも決して沈黙しておられたのではないことを知ることができるだろう。ぼくらもまた彼らによって据えられた「踏み石」の上に置かれ、信仰が与えられている一人ひとりであることを知ることができるだろう。そして、彼らを通して働いておられるのは、今も生きているイエスご自身であることを感じることができるだろう。

追記

ここまで書いた中で、ひとつのニュースを目にした。「世界最後の秘境」と呼ばれるインド洋の北センチネル島に上陸しようとした若き米国人宣教師が現地部族により殺害されたとのニュースである。以下の記事では、この宣教師が約10年前からこの島への宣教に向けて備えてきていたことが紹介されている。

www.logos-ministries.org

走馬燈』を読了し、遠藤の切支丹探求や日本人キリスト者としてのぼく自身にとっての探求を深めるためにも切支丹資料を調べていたところで、驚くほどにタイムリーであり、胸を打たれたニュースだった。神が殉教者たちの血によってぼくらに行われたのと同じ御業は、今もなお世界各地で行われている。