軌跡と覚書

キリスト教に関する雑感とか。

ディスペンセーション主義について

「字義通りの解釈」についてのあれこれ(後編)

前回の記事↓の続きになります。 balien.hatenablog.com 前回は、「字義通りの解釈」は何を意味するコンセプトなのか?ということと、「字義通りの解釈」vs「比ゆ的/霊的解釈」という対立構造の問題について申し上げました。今回の「後編」では、この問題に…

「字義通りの解釈」についてのあれこれ(前編)

これまで本ブログでは、何度か「字義的解釈」あるいは「字義通りの解釈」という言葉を使ってきました。基本的には、英語圏での聖書解釈論に関する議論で使われるliteral interpretationといった言葉の訳語として使いました。いわば、ある解釈法則に貼られた…

黙示録19:15とイエスによる諸国民の統治(Michael Vlach)

引き続き、マイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏のブログ記事を拙訳でお送りしております。元記事はこちら↓ mikevlach.blogspot.jp Michael J. Vlach, "Revelation 19:15 and the Coming Reign of Jesus over the Nations," Apr. 17, 2017; accessed May 2…

黙示録20:4は「中間状態」について教えているのか?(Michael Vlach)

引き続き、マイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏のブログ記事を拙訳でお送りしています。元記事はこちら↓ mikevlach.blogspot.jp Michael J. Vlach, "Does Revelation 20:4 Teach an Intermediate State Reign of the Saints in Heaven?," Apr. 4, 2017; a…

レビ18:5「人がそれらを行うなら、それらによって生きる」の意味(Michael Vlach)

またまたマイケル・ヴラック(Michael Vlach)氏の翻訳記事です。元記事はこちら↓ mikevlach.blogspot.jp Michael J. Vlach, "'By Which a Man May Live': The Meaning of Leviticus 18:5," Feb. 3, 2018; accessed May 16, 2018. さて、本文のご紹介の前に…

ディスペンセーション主義における旧新約間の「連続性」と「非連続性」:まとめ

本稿は米国The Master's Seminaryの神学教授、マイケル・J・ヴラック(Michael J. Vlach)氏のブログからの翻訳記事です。元記事はこちら↓ mikevlach.blogspot.jp また、本稿は先の2つのポスト↓の要約となっています。 balien.hatenablog.com balien.hatenab…

ディスペンセーション主義から見た旧新約聖書の「非連続性」(Michael Vlach)

本稿は米国The Master's Seminaryの神学教授、マイケル・J・ヴラック(Michael J. Vlach)氏のブログからの翻訳記事です。元記事はこちら↓ mikevlach.blogspot.jp また、先のポスト↓の続きとなっています。 balien.hatenablog.com なお、同様な内容は(一部…

ディスペンセーション主義から見た旧新約聖書の「連続性」(Michael Vlach)

クリスチャンのブロガーさんの中には、ディスペンセーション主義の視点を提供しているサイトとして本ブログの「ディスペンセーション主義について」のカテゴリページや各記事をご紹介下さっている方々がいらっしゃいます。この場をお借りして、心より感謝申…

「ディスペンセーション主義」という名前への違和感

久々に、ディスペンセーション主義についての記事です。本ブログにて「ディスペンセーション主義とは何か?」シリーズを公開してから、2年が過ぎました。 今でもこの神学的立場には関心を持ち続けていて、これを取り上げている本や論文、Webサイトを見つける…

2つの解釈学、2つのストーリーライン

前回の記事で、米国Master's Seminaryの神学教授であるMichael J. Vlach博士の新著He Will Reign Forever: A Biblical Theology of the Kingdom of God (Silverton, OR: Lampion Press, 2017)を紹介しました。 balien.hatenablog.com Vlach博士が本書で主張…

2016年フルクテンバウム博士セミナーを受講して

ここ数年、ハーベスト・タイム・ミニストリーズ主催のアーノルド・G・フルクテンバウム博士のセミナーに参加し続けてきました。その博士のセミナーも、残念ながら今年が最後とのこと。寂しさを覚えながら、5月3、4日の東京会場でのセミナーに参加してきまし…

ディスペンセーション主義の将来的課題

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義の将来的課題:Michael J. Vlach『Dispensationalism: Essential Beliefs and Common Myths』レビューと共に|balien|note トピック はじめに ディスペンセーション主義の「Essential Bel…

ディスペンセーション主義とは何か?:おわりに─神の御言葉の探求という営み

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?:おわりに──神の御言葉の探求という営み|balien|note トピック 1.「ディスペンセーション主義とは何か?」を改めて問うてみて 2.聖書解釈という科学に入り込むパラダイム…

ディスペンセーション主義とは何か?(8)ディスペンセーション主義の発展形

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(8) ディスペンセーション主義の発展形|balien|note 前回ダービーによって体系化されて以降のディスペンセーション主義の発展の歴史を確認し、〈ディスペンセーション主義…

ディスペンセーション主義とは何か?(7)ディスペンセーション主義の体系化、そして発展と確立

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(7) ディスペンセーション主義の体系化、そして発展と確立|balien|note 「ディスペンセーション主義とは何か?」の後半では〈ディスペンセーション主義の歴史的変遷〉を追…

ディスペンセーション主義とは何か?(6)宗教改革期における〈ディスペンセーション〉概念の発達

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(6) 宗教改革期における〈ディスペンセーション〉概念の発達|balien|note ディスペンセーション主義の定義を確認したことで「ディスペンセーション主義とは何か?」を考え…

ディスペンセーション主義とは何か?(5)教会教父たちの神学との比較

※本記事は以下のnote記事からの引用です。 ディスペンセーション主義とは何か?(5) 教会教父たちの神学との比較|balien|note 第4回では、ディスペンセーション主義の持つ特徴をまとめ、さらにこれがどのような聖書解釈体系であるのか定義を試みました。…

ディスペンセーション主義とは何か?(4)ディスペンセーション主義の定義

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(4) ディスペンセーション主義の定義|balien|note 第3回までで、(1)非ディスペンセーション主義神学者による〈ディスペンセーション主義〉の定義、(2)ディスペンセ…

ディスペンセーション主義とは何か?(3)〈ディスペンセーション〉の定義

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(3) 〈ディスペンセーション〉の定義|balien|note 前回、チャールズ・C・ライリーら複数のディスペンセーション主義神学者が、この立場の「必須条件」についてどのように理…

ディスペンセーション主義とは何か?(2)ディスペンセーション主義の必須条件

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(2) ディスペンセーション主義の必須条件|balien|note 第1回では、ディスペンセーション主義を採用していない2名の神学者を取り上げ、彼らがディスペンセーション主義をど…

ディスペンセーション主義とは何か?(1)非ディスペンセーション主義者による定義

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?(1) 非ディスペンセーション主義者による定義|balien|note これより何回かかけて、「ディスペンセーション主義とは何か」ということを取り上げていきます。ディスペンセー…

ディスペンセーション主義とは何か?:はじめに

※本記事は以下のnote記事からの転載です。 ディスペンセーション主義とは何か?:はじめに|balien|note これから、このマガジン内では「ディスペンセーション主義とは何か」と題して、〈ディスペンセーション主義(Dispensationalism;経綸主義とも訳され…